国王の陰謀
――呼ばれている。
そう感じたのは、ギッシュが十歳の時。
何に呼ばれているのか、それが良いものなのか悪いものなのか。何もわからなかったが、行かなければ後悔する。
ただそれだけはわかった。
すでに失うものなど何もなかったギッシュは、迷うことなくその呼ばれた何かのもとへと向かうことにした。
夜もだいぶ更けた頃、家の者に見つからないようこっそりと玄関へ行き、乱雑に置かれたいくつもの子供の靴の中から、自分の靴を見つけ出す。
靴紐を結んでいると、背後に人の気配を感じる。
「あー! ギッシュ、どこ行くのお?」
振り返ると、ギッシュよりも幼い少年が、大きな金色の瞳を輝かせながら走り寄ってきた。
「メッカ、少し小さな声で話せるかな」
ギッシュは穏やかに微笑んで、メッカの頭を撫でる。
「ひみつの冒険?」
メッカは言うとおりにギッシュの耳元に顔を寄せて、小声で質問してきた。
ワクワクしている彼の顔がおかしくて、思わず吹き出しそうになるのを堪えながら「うん、そうだよ」と頷いた。
「お宝を見つけに行くの?」
「お宝?」
「アイウォレが、夜に誰もいないおうちを冒険すればお宝が手に入るって」
それは空き巣だ。
ニコニコと嬉しそうなメッカに「残念ながら場所は違うけど」と適当に流して靴紐を結び直す。
「なら、どこに行くんじゃ?」
またも聞こえた声に振り返れば、そこにはギッシュと同い年くらいの少年が突っ立っていた。彼がアイウォレだ。
眉目秀麗。この言葉が最適であろうか。然して人の見た目を気にしたことのなかったギッシュであったが、彼のアメジスト色の瞳にはいつも魅入られてしまう。
「声が――聞こえるんだ」
「……声?」
アイウォレが胡散臭そうにこちらを見る。
「気になるのかい?」
少し挑発するように返すと、彼は「宝探しならな」と即答する。
「もしかしたらそうかもしれないし、もしかしたら違うかもしれない」
何が待ち受けているのか、自分でも本当にわからないのだ。
二人のやり取りを眺めていたメッカが「一緒に行きたい」とねだり始めた。
彼らとは今いるこの孤児院で出会ったのだが、何となく一緒にいることが多かった。馴れ合っているつもりはない。ただ、拒む理由もない。
今回のことも、一人で行こうが複数人で行こうがどうでもいいような気がした。
いや、二人を巻き込んでしまいたい。そんな思いも確かにあった。
それがどういう感情から来るものなのか、よくわからなかったが。
「いいよ、一緒に行こう」
「やったぁ!」
喜ぶメッカとは対照的に、アイウォレは少し驚いているようだった。
「アイウォレもどうかな」
「……おう」
様子を伺うような表情だったが、興味はあるのだろう。素直に頷く。
そして、三人は真夜中に孤児院を抜け出したのだった。
辿り着いた先は然して遠くもない海沿いにある洞窟だった。
「こんなとこに洞窟なんぞあったんか」
アイウォレと同様、ギッシュも驚いていた。ただ呼ばれた方角にこの洞窟があっただけなのだから。
中は当然暗闇で、用意をしておいたランプを鞄から取り出す。
「用意周到じゃのう」
「備えあれば憂いなしだよ」
マッチを取り出し、火を灯す。
「じゃあ、冒険に出発だね!」
意気込むメッカに頷き、ギッシュはランプを掲げ、先頭に立って洞窟内に足を踏み入れた。
中は湿った空気が漂い、雫が滴り落ちる音が何とも幻想的に響いていた。
――奥から聞こえる。
それはギッシュにしか聞こえない声。
三人はしばらく無言のまま奥へと突き進むと、突然、コウモリの鳴き声がけたたましく洞窟内に響き渡った。
「なんじゃあ!?」
「うひゃあ! すごい!」
騒ぐ彼らに、しかしギッシュの耳にはもう二人の声は届いていなかった。
コウモリの群れが散った先に、禍々しい赤い光が見えたのだ。
「あれか――」
ギッシュはランプを置いてその場を駆け出す。
――願え。
願う? 何を?
――欲望のままに、願え。
目の前に現れたのは、不気味に輝く真っ赤な宝石。
「俺は――」
躊躇ったのはほんの一瞬。
ギッシュはその宝石に手を触れ、妖艶に微笑んだのだった――
ふと目を覚ますと、一人で寝るには広すぎる大きなベッドの上だった。
「……また、あの夢か」
ギッシュは額に手を当て、深い溜め息を吐く。
悪夢はよく見る。リオネラが生きていた頃のものだ。しかしその夢は復讐心を駆り立ててくれるから、寧ろ見続けていたいと思う。ギッシュは己の復讐心が弱まってしまうことを何よりも怖れているのだ。
ただ、ギッシュの人生を変えた――いや、あの場にいた三人の人生を変えた不気味な宝石と出会う過去の夢は、あまり見たくない。それは、ほんの少しの後悔が心のどこかに残っているからだ。それなのに最近は何故か悪夢よりも見る頻度が高くなっていた。
そして肝心の予知夢を見ることができていない。
――理由は一つしか考えられない、か。
そこでギッシュは考えるのを止め、ベッドから降り立ち、身支度を整えることにした。
朝食はいつも一人だ。もちろん、給仕は控えている。すでにこの城に王族はギッシュ一人しかいないのだ。表向きにはだが。
朝食を終えたあとは定期的に行っている国の視察に出掛けなければならない。通常、国王自ら国の視察に行くことは稀なのだが、国民の信頼を短期間で一気にかき集めるには非常に重要なことであった。
時間に追われながらも兵士と共に城を出れば、黄色い歓声が沸き上がる。
「ギッシュ様だわ!」
「いつ見ても麗しいお姿ね!」
「グルミゼラ王国を救って下さった英雄よ!」
デマンドが暗殺されたことは国民には周知の事実だ。首謀者がギッシュであることも暗黙の了解として受け入れられたのは、デマンドの『歴史上最低最悪のダメ国王』というレッテルと、成り代わったギッシュの国王としての技量がもたらした結果である。
またギッシュは容姿には恵まれていた為、女性からも多くの支持を受け、この数ヶ月であっという間に人気者になったのだった。
笑顔で手を振れば、老若男女問わず多くの人々がギッシュの周りに集まってくる。国王という立場であれば命を狙われる危険性もある為、兵士を間に挟んで一定の距離を保つのが普通だが、群がる国民にも兵士は特に警戒しなかった。これもギッシュが国民から信頼を得る為の一つの手法だった。
最近の調子はどうかと問えば、色々な情報や愚痴が飛び交う。やれ店の客入りが悪いだの、やれ娘が結婚するだの、美形の占い師がよく当たるだの、本当に世間話レベルの会話だ。しかしギッシュは嫌な顔一つせず、その一つ一つに丁寧に返事をしていく。
その中の一人に赤ん坊を抱いている女性がいた。
「ギッシュ様。どうかこの子を抱いてやって下さいませんか。先日生まれたばかりなのです」
女性は朗らかに微笑み、白い布に包まれた赤ん坊を差し出してくる。
「これは可愛らしい子だ」
ギッシュは差し出された赤ん坊をそっと受け取る。
真っ赤なほっぺの小さな赤ん坊は、穏やかに寝息をたてている。
何も知らない純真無垢な存在――
こ わ し て や り た い
「ギッシュ様?」
掛けられた声に、ギッシュは何事もなかったかのように爽やかな笑顔を浮かべた。
「将来がとても楽しみですね。是非、私の妃候補に」
「ふふふ、それは光栄ですわ」
ギッシュの冗談に皆が笑顔に包まれる。
誰一人、彼の思惑に気付かないまま――
「せっかくの変装も、そんなにぼろぼろじゃあ無意味だろう」
ギッシュは、目の前に跪く二人の男女に呆れた視線を注ぐ。
一日の公務が終わり、夕食を終えて自室に戻った時のことである。
どちらも高級なドレスとスーツを用意させたはずなのだが、擦りきれたり泥が付着したりで、なんともみすぼらしい姿と成り果てていた。
「いい大人がはしゃいで遊んだ訳でもないだろうに」
椅子に腰掛けているギッシュは、足を組んで優雅にティーカップに口を付ける。
「も、申し訳ありません!」
頭を深く下げる女に、「それは何に対しての謝罪だ、シーラ?」と問い掛ける。
「……あの妙な生物を、取り逃しました」
ギッシュはシーラの想定外の言葉に片眉をぴくりと動かす。
「俺が渡した壺を使って捕まえただろう」
予知夢の結果だ。間違えるはずがない。
「いや、あんたの言うとおり、確かにあの壺で捕まえたさ。だがその後、妙なガキにも出くわした」
男のほうが肩を竦めて答えると、「ロギオン! あんた言葉使い気を付けなさいよ!」とシーラが甲高い声で叱りつける。
この二人は城で雇用している兵士ではなく、ギッシュが個人的に雇った傭兵である。他にも数人いるのだが、彼らはデマンド時代にグルミゼラ王国に生まれた貧民層の者達だ。ギッシュと同じくこの国に恨みを持っており、駒としてちょうどいいとギッシュが拾ったのである。
その為、ロギオンのように礼儀知らずな者も多い。使えれば何の問題もないとギッシュは思っているので特に気にしてはいないのだが、忠誠心が高いシーラのような女のほうが駒として扱いやすいのは確かだ。
「『妙なガキ』とは?」
話を促すと、シーラは苦虫を噛み潰したかのような表情で「コソ泥です! すばしっこい動きで、まるでゴキブリのようでした!」と金切り声を上げる。
横でロギオンがぶっと吹き出すと、シーラは彼の頭をバチンと叩いた。
ギッシュの予知夢はほぼ外れたことはない。見たい未来の結末を見ることができるのだ。壺を使って捕まえたという結末をすぐに覆す出来事があるのなら、それも予知できるはずだ。
それができないということは、やはり――
「どんな容姿だった? 特徴は?」
「ダボダボのコートを羽織った赤茶髪の男だな。あの見た目なら十五かそこらの年齢じゃねえか?」
「追い掛けようとしたんですが、姿が見えなくなり、その隙にあの少女も森に逃げ込んでしまい、慌てて捕まえました」
「お前、それは言わなきゃわからねえだろうが」
「うるさいわね! ギッシュ様が用意してくださったドレスが台無しになった理由も説明しないとでしょ!」
――なるほど、二人のみすぼらしい姿は森で追いかけっこしていたせいという訳か。いや、そんなことよりも赤茶髪の男が問題だな。
十五の少年というのが引っ掛かるのだが、ギッシュの予想する人物の可能性が高い。
「で、捕まえた少女はどうした?」
いがみ合う二人に問い掛ければ、シーラがすぐに「地下に閉じ込めてます!」と得意気に返答した。
ロギオンは頭をバリバリと掻きながら「つーかよお、あの羽の生えた妙な生き物と、あの嬢ちゃんは一体何なんだよ?」と不満を垂れる。
二人に詳細は説明していない。ギッシュはそれには答えず、「ご苦労だった、もう下がっていい」と命令する。「納得できねー」と渋るロギオンの首根っこをシーラはがっちり捕まえ、ギッシュの部屋を出ていった。
「……守護精などいなくとも、巫女さえいれば問題ないだろう」
ぽつりと漏らした一人言に反応するように、扉を叩く音が響く。
今度は何だろうかとまだ飲み終えていなかった紅茶を飲み干してから、「入れ」と伝える。
「夜分遅くに失礼致します」
入って来たのは、いつになく真剣な表情のアンシェルだった。
「どうした、浮かない顔をしているようだが」
そう声を掛けると、彼は扉へと視線を向ける。
「最近、あの傭兵達へ命令を下すことが多いようですが、一体何をなさっているのですか」
シーラ達と鉢合わせたのだろう。アンシェルは貧民層出身の彼らのことをあまりよく思っていないのだ。
「私用だ。政には関係ないから安心していい」
詳しい事情を話したところで理解はされまい。ギッシュが適当に答えると、「……そうですか」と半信半疑といった様子で返事をする。
「それより、こんな時間に何の用かな」
「グルミゼラ王国の――これからについて話に参りました」
アンシェルはどこか好戦的な眼差しを向けてきた。
「玉座でも奪うつもりか?」
「必要があれば、そうせざるを得ません」
冗談で言ったつもりだが、彼はかなり本気のようだ。
「……今さらミオスに交代するとでも?」
この国の第二王子、ギッシュの腹違いの弟だ。アンシェルはミオスと第一王女のマゼンダをかなり気にかけているようだった。
「貴方がこのまま良き国王でいることを約束して下さるなら、そんなことは致しません」
アンシェルにはギッシュの思惑について話したことはなかったのだが、隠しているつもりもなかった。つまりはその思惑に気付いたのだろう。
「守れない、と言ったら?」
「ミオス様に国王の座を」
迷いのない返事に、ギッシュは苦笑する。
「堂々と言ってくれるな。二人には毎度の食事に毒を盛って衰弱死させろと君に命令していたが、ピンピンしているわけだ?」
「そ、それは――」
そこでようやくアンシェルは言葉を濁す。
「ギッシュ様……私はただ、この国を守りたいだけなのです……!」
その表情は相当思い詰めているようだった。
デマンドを殺すこと。
アンシェルと意見が一致したのはその一点のみだった。
しかしそれは最初からわかっていた。
復讐の為、まずギッシュが接触したのがアンシェルだった。グルミゼラ王国で聞き込み調査をし、城内勤めでデマンドに恨みのある者を探し出した結果、彼を見つけた。
デマンドの殺害さえ終えてしまえば、彼のことは切り捨てても構わなかったのだが、少しでも利用価値があるのなら利用してやろうと考えた。アンシェルとて、妻の復讐の為にギッシュを利用したようなものだ。
そう、彼の目的はあくまで妻の為の復讐。デマンドに報復さえできればそれでよかったのだ。
現に、彼はミオスとマゼンダにかなり肩入れしている。毒を盛れと命令したのも、アンシェルがどこまでの忠義心を彼らに寄せているか判断する為だ。
その結果はつまらないほどにギッシュの予想通りであった。
青い顔をしたアンシェルへ冷笑を浮かべる。
「なあ、アンシェル。表面上は他国の何者かにデマンドは暗殺されたと公表しているが、そんなの誰が信じると思う?」
他国のテロリストによる犯行。そう公表しているが、グルミゼラ王国の国民は恐らくギッシュの仕業だということに大半が気付いているのだ。
殺してほしいと願わずにはいられないほどの悪政だった。それは間違いない。
しかし彼らはそんな人殺しを国王として認めている。
妃のことも、王子と王女のことも、急な病で亡くなったと公表すれば、あっさりとそれを受け入れているのだ。誰一人、ギッシュを問い詰める者はいなかった。
「……この国には、改革が必要でした! だからこそ、彼らは今を受け入れて――」
「お前の敬愛する王子と王女のことを、皆が簡単に忘れ去ってもか?」
「それ、は……!」
アンシェルは拳をギュッと握り締め、言い淀む。
「グルミゼラの民は皆、この俺のことを心から尊敬し、敬っていることだろう」
「その通りです! 誰もがギッシュ様を必要としているのです! ですからどうか、このまま――」
「君は、わかっていないようだな。この数ヶ月、あの愚民どもの為にどうしてこの俺が力を尽くしてきたのかを」
再びアンシェルの言葉を遮ると、ギッシュは立ち上がって国が一望できるテラスへと向かい、扉を勢いよく開け放った。
夜の国は、まだ家々に灯る暖かな光でいっぱいだった。夕餉を終え、家族団欒している頃だろう。
そうしてこの幸せで埋め尽くされた国を見ると、ギッシュの心は高鳴るばかりだった。
「笑顔で満たされた彼らの苦痛に歪む表情を見るのが、今から楽しみで仕方ない」
恍惚として語るギッシュに、掛けられる言葉は何もない。
振り返れば、絶望的な表情をしたアンシェルがただその場に立ち尽くしていた。
そんな彼を見て、ギッシュは途端につまらなくなる。
――邪魔になるだけの駒ならば、処分するしかあるまい。
ギッシュはもう一度テラスに向かい、夜空を見上げた。
「今夜は、月が美しい――」
金色に輝く三日月を見つめ、誰にともなくそう呟いたのだった――