復讐に生きる男
「お久し振りです、デマンド国王」
透き通った金色の髪の男――ギッシュは、好青年と思わせる爽やかな笑みを浮かべ、挨拶をする。
優男な印象を受ける整った顔立ちだが、その碧色の瞳には静かな炎をたたえている。容姿に不釣り合いな質素な傭兵姿で堂々と佇んでいた。
「だ、誰だ!?」
部屋の中央奥に、黄金でできていると思われる天蓋付きのベッドがあり、その上で肥えた薄い髪の男が一人、バスローブ姿で狼狽えていた。
部屋もふんだんに黄金を使って飾られており、まさに国王の寝室と呼ぶにふさわしい豪奢な造りである。
「ぶ、無礼者! 国王の寝室に無断で入るとは! 誰か! あいつを捕まえろ!」
手を叩いて叫ぶものの、誰も来ず、何の反応もない。
その様子を見て、ギッシュは口の端を吊り上げる。
「誰も来やしませんよ。だからこそ、俺はここまで来れたんだ」
「な……!」
デマンドはようやく己の立場を理解できたのか、ギッシュの腰に差している剣に目が留まり、息を呑む。
ギッシュは穏やかな調子で、アンシェル――と男の名を呼んだ。
すると扉の向こうから、口髭の生えた紳士姿の中年男性が現れる。
「お、お前、アンシェルじゃないか! いるのなら、はやくそいつを捕まえろ!」
――飲み込みの悪い男だ。
また叫び出したデマンドに冷たい視線を浴びせながら、ギッシュは表情を消す。
「俺の呼び掛けで彼は来た。その意味もわからないのですか――国王」
再びデマンドは息を呑む。
ギッシュがアンシェルに目で合図を送ると、彼は恭しくデマンドの前へ行き、頭を垂れた。
「……今までの恩を忘れたつもりはありません。ですが――やはり、許せることではなかった」
まるで一人言のような物言いだが、デマンドには何のことかわかっているのだろう。少し顔が青ざめている。
「……ち、違うのだ、アンシェル。あれはワシではなく、あちらから誘ってきて……」
言い訳に聞こえる弱々しい声に、アンシェルはスッと顔を上げ、「ならば何故、妻は自殺しなければならなかったのでしょうか」と強い口調で主張した。
「そ、それは……お前に罪の意識ができたのだろう!」
急に強気になるデマンドに、今度はギッシュも前に出る。
「いつ彼女から誘われたんです? 城仕えもしていない一般市民の女性ですよ。いくら夫のアンシェルが国王の側近だったとしても、国王自ら声を掛けない限り、彼女にそんな密談ができるとは思えません」
ギッシュは「それに――」と、言葉を続ける。
「すでに裏は取っています。一度挨拶する機会があったようですね、アンシェルの奥方と。それ以来、彼女に興味が湧いて、城へ呼び出すよう命令を下したそうじゃないですか」
デマンドは唇を噛み締める。
「夫が仕える国王の命令では、彼女が断れる訳がない」
そこまで告げると、突然アンシェルが駆け出し、デマンドの襟首を勢いよく掴んだ。
「あの日、私は貴方がファナを呼び出したことなどまるで気付かず、帰宅が遅いので一晩探し回った ……! 朝方、無事に帰って来たと思えば、彼女の体は痣や傷だらけで……! 誰にこんなことをされたか何も言わず、ひたすら『ごめんない』だけを繰り返す彼女を見て、私は彼女を傷つけた奴を見つけて殺してやろうと思った……!」
「ア、アンシェ……!」
デマンドは苦しそうにもがいているが、アンシェルの腕を振り払えないでいる。
「犯人は簡単に見つかった! ファナが国王に呼び出されたことを同僚が知っていたからな! 彼女に問い詰めたら――自殺してしまった……! それ以来、私は貴方を殺すことだけをずっと考えて生きてきた!」
大粒の涙を流し、アンシェルはデマンドの頬を思い切り殴り飛ばす。
「ぐはあっ!」と情けない声を上げてベッドから転げ落ちたデマンドは、頬を押さえ、アンシェルをキッと睨み付ける。
「あ、あの女が悪いのだ! ワシはこのグルミゼラ王国の国王だぞ! 光栄なことだというのに抵抗などするから、こちらも手荒にしただけだ!」
「無理矢理手を付けたことは認める訳だ」
ギッシュは鼻で笑いながら、腰の剣をアンシェルに投げ渡した。
彼はしっかりとそれを受け止めて鞘から剣を取り出し、ゆっくりと構える。
途端にデマンドは床に座り込みながら震え上がった。
「ア、アンシェル! 本気か!? ワシは国王だぞ!?」
「国王。ご自身が国民からどのように言われているか、ご存知ですか」
突然の質問に、彼は怪訝な表情を浮かべる。
「『歴史上最低最悪のダメ国王』だそうですよ」
ギッシュが代わりに答えると、デマンドは顔を赤くして沈黙する。
アンシェルは剣を掲げ、大人しくなった彼の太股へ思い切り突き刺した。
雄叫びが部屋中に反響する。
剣を引き抜けば血が吹き出し、デマンドは更に激しくのたうち回る。
――まるで食べ過ぎで苦しんでいる豚だな。
ギッシュは冷めた視線のまま、彼を見下ろす。
「デマンド国王。まだ俺のことは思い出せませんか?」
その問い掛けに、デマンドは充血した目で尚も睨み付けてくるが、痛みで言葉は紡げないようだ。
溜め息を吐きながら、ゆったりと彼に近付き屈む。
「貴方の息子、ですよ。リオネラの息子と言えばわかりますか」
「……!!」
デマンドは声にならない声を上げる。
「お……お前、何故生きて……!」
「死体を確認していないのなら、生きていたって可笑しくはない」
そう言ってからアンシェルに顎で指示するのだが、彼は血の滴る剣をじっと見つめたまま動かなかった。
「……ギッシュ様。私は――」
「君がやらないなら、俺がやる。どうする?」
何かを決意したのか、アンシェルは剣をギュッと握り直す。
「私が――やります」
「ア、アンシェルッ!」
デマンドの声は悲鳴に近かった。
そして――アンシェルの剣は、国王の首を切り落としたのだった。
「さあ、次は王妃の番だな」
「…………は?」
何でもないことのように告げるギッシュに、アンシェルは間の抜けた声を上げた。
国王の首を鉄の箱に丁重に仕舞い込んだ直後である。
「そ、それはどうゆう――」
「勿論、彼女も殺すということだ」
アンシェルの額から汗が流れ落ちる。
「王妃もかなりの悪女だと評判じゃないか。殺さなければこの国は変えられない」
ギッシュはアンシェルに剣を向けた。
「歯向かっても構わない。その時は、君を殺すだけだ」
暫しの沈黙を待ち、アンシェルは「……従います」とだけ呟いた。
その答えに満足したギッシュは、すぐに王妃の部屋へと向かう。アンシェルも鉄の箱を持ち、後に続いた。
国王の側近であったアンシェルの手配のおかげで、誰一人として邪魔をする者はいなかった。
このグルミゼラ王国の国民も望んでいたのだ。国王の死を。
薄暗い静かな廊下を歩きながら、ギッシュは王妃の部屋を見つけた。
「この城に入った時から思っていたのですが、ギッシュ様はここへ来たことがあるのですか?」
「ないよ。あの王妃が許すはずないだろう」
「それにしては……城内の構造をよく把握されているようですが……」
ギッシュは王妃の部屋の扉に手を掛け、「君にはまだ言っていなかったね」と微笑を浮かべた。
「俺には予知能力があるんだよ」
「よ、予知…………?」
あまりに突拍子もない告白だと思ったのだろう。アンシェルは茫然とする。
「そういう反応をするだろうから言わなかったんだ。でもね、本当のことなんだよ。この扉の向こうには、ぐっすり就寝中の王妃がいることもわかっている」
そう言って扉を開けば、ギッシュの言う通り、王妃がベッドの中で眠っていた。明かりをつければ、痩せ細ったつり目の中年女性が起き上がり、甲高い悲鳴を上げた。
「な、何ですか、貴方は!?」
同じやり取りはごめんだな――ギッシュは血に濡れたままの剣を王妃に向けると「ひい!?」と彼女は叫び硬直した。
「ギッシュですよ、王妃。おわかりですか?」
一瞬、頭が追いつかなかったのか、王妃は怪訝な表情でギッシュを見つめていたが、徐々に顔が青ざめてゆく。
「ば、馬鹿な……! 何故、お前が生きて……!」
結局、同じやり取りになってしまったことに溜め息を吐くが、それも当然のことかと思い直す。
「死体を確認しなかった兵士を恨むんですね。確かに瀕死にはなりましたが、運悪く生き延びてしまったんですよ」
決して幸運と思ったことはない。死んでいたほうが楽だった。生き延びてしまったからには、どんな方法を使ってでも復讐を果たさなければならない。いや、果たさずにはいられない。
「貴女の嫉妬深さには恐れ入ります。国王にも同情の余地が少しはあると思いました。だから――」
部屋の中に入ってこようとしないアンシェルを振り返る。
「国王の始末はアンシェルに任せました」
「ア、アンシェル……! お前……!」
気まずそうに鉄の箱を握り締め、アンシェルは目を逸らす。
「嫉妬深い貴女は、国王の妾を一人だけに限定させた。それが俺の母――リオネラだ。しかし、貴女より先に、彼女は男を出産してしまった」
それがギッシュだ。
「貴女からはことごとく嫌がらせを受けました。……正確には、貴女に指示された者達にですが。リオネラは精神を狂わせ、俺も子供ながらに生きることに疲れてしまった」
思い出したくもない過去であると同時に、忘れることもできない過去。
「それでも国王は、リオネラを気に入っていたようですね。俺にも優しかった。でも――」
王妃は肩をびくりと震わせる。
「国王はリオネラを殺した。俺の目の前で」
凶器は粗末な果物ナイフ。デマンドは雄叫びを上げながら、彼女の喉を切り裂いた。
すまない、すまない――と何度も誤り、王妃が言ったんだ、王妃が言ったから――と言い訳じみた言葉を何度も繰り返し。
「俺は逃げた。生きることに疲れていたとはいえ、やはり死ぬのは怖かった。兵士に追われ、崖に追いやられ――落ちたんだ」
海の中へと沈み、兵士もそれ以上は追ってはこなかった。誰が見てもあの崖の高さなら助かるとは思うまい。
しかし、ギッシュは生きていた。生き延びてしまった。
「国王の言う通り、貴女の命令だったのでしょう。リオネラを殺したのは。それ以降、貴女は国王に誰一人妾を作ることを許さなかったそうですね。だからこそ、アンシェルの奥方が犠牲になったとも言える」
元より浮気癖のある国王も悪いのだろうが、妾のいない国王の方が珍しい。
「自殺していなければ、彼女も貴女が殺すつもりだったのではないですか? いや、貴女は手を下さないか。己の手は汚さないのが信条のようですからね」
にこりと微笑み掛ければ、王妃はベッドから静かに降り立ち、ギッシュを睨み付けてきた。
「……本当に、あの憎いリオネラそっくりに育ったのねえ、貴方」
母親譲りの金髪と碧色の瞳だから、確かにそっくりではあるのだろう。
「わたくしから何もかも奪ったのです、あの女は……! だからわたくしは……!」
「貴女のことに興味はない。理由なんてどうでもいいんですよ、王妃」
ギッシュは瞬時に王妃の背後に回って手首を抑えつけた。
そして、血に濡れた剣をゆっくりと首に当てる。
「……ひい! ギ、ギッシュ! 待ちなさい! わたくしは……!」
「国王には少しばかり同情してあげたが、一々そんなことしていたら復讐なんてできないんですよ」
柔らかい首筋をとらえ、ギッシュは躊躇うことなくその剣を引いた。
けたたましい叫び声と血の吹き出る音が交錯する。
ギッシュの腕から王妃であったものは、ごとりと音を立てて床へと崩れ落ちた。
「ギッシュ様……」
痛ましい声を出すアンシェルに、ギッシュは殺した余韻も何もなく、「次は王子と王女だ」と無表情に告げた。
「お待ちください!!」
アンシェルの勢いに、ギッシュは眉をぴくりと吊り上げる。
「お二人まで殺してしまっては、この国を任せられるお方が……!」
「アンシェル、君は俺が誰だかわかっているのか?」
愚問だろう。そうでなければ、彼こそ今回の件に乗ってこなかったはずである。
「俺は、デマンド・ジョン・ヴァンハッテン国王の息子であり、第一王子だ」
アンシェルははっとする。
「ま、まさか、貴方は最初から……!」
ギッシュは妖艶に笑ったのだった――。