00 プロローグ
異世界アイドルもの始めました。よろしくお願いします。
私、日野ひかりは何もかも地味で平凡な24歳の女だ。
普通の24歳と違うところは一つだけ、この年になっても地下アイドルをして、トップアイドルを目指しているというところ。
諦めきれない夢には理由がある。
「女の子は誰でもアイドルになれるんだよ」
幼い頃に初めて行ったライブのアイドルが私の手を握りながら笑顔でそう言った。この言葉は密かにアイドルに憧れていた私の胸を打った。
そのアイドル、浦辺愛ちゃんは引退してしまったのか、姿をみることはなくなってしまったけれど、ずっと私の憧れのアイドルだ。
その後、私はアイドルを志すようになり、小学生のころからオーディションを受けたり、アイドルについて研究するようになった。
高校生のころ、アイドルブームが起き、地下アイドルが乱立するようになってから、やっと一つの地下アイドルグループに所属することが出来た。
地味な私はもちろん後列で、ソロで歌わせてもらったことも一度もないし、固定ファンもいなかった。
だけど、楽しかった。ファンの人の前で歌い、踊ることがこんなにも楽しいことだとやっと分かったのだ。
今はまだこんな後ろだけど、いつかセンターになって、ソロで自分の作った曲を歌って、ファンの人たちみんなを笑顔にさせるのだ。
本気でそう思っていた。この瞬間までは。
「ひかりちゃん、君、明日から来なくていいよ」
地下アイドルとしてなかなか芽が出なかった私たちにやっとついたスポンサー。小さいけれど、事務所とも契約し、メンバーはすごく喜んでいた。私だって夢に一歩近づいたと思って、こっそり泣くぐらい嬉しかった。
けれど、メジャーデビューを翌月に控えた時に言われた言葉は私に絶望を突き付けた。
「どういうことですか……」
ショックで動かない口を必死に動かして、声を出す。
ハゲ頭のスポンサーが面倒くさそうに無精ひげを撫でながら言った。その後ろで気の弱いプロデューサーが心配そうにこちらを見ていた。
「上からの要望でね。メジャーデビューするなら、引き立て役の君はいらないという結論になったんだよ」
「……私が、邪魔ってことですか」
「そういうことになるね」
俯いて、じっと自分の足を見つめた。
薄々気が付いていた。私は自分の実力でここにいるんじゃない。他の可愛いメンバーたちを光り輝かせるためにいた影だってこと。私は自身で光ってすらいなかった。
でもメジャーデビューすれば、今以上に多くの人が私を見てくれる。私を好きになってくれるかもしれない。そんな淡い期待があった。だけど、それももう叶わない。
脳みそがふわふわして、言葉を理解するのを拒否する。嫌だ。嫌だ、辞めたくない。アイドルを諦めたくない。
顔を上げて、スポンサーの目を見た。その目は虫けらを見るように冷たかった。一ミリだって、私をアイドルとしてみていない目だった。
全身の力が抜けそうになった。しかし、足を踏ん張り、ゆっくり口を開いた。
「分かりました。今日で辞めます」
「悪いね」
ちっともそう思っていない声で謝罪するとスポンサーは背を回して部屋を出て行った。プロデューサーはこちらを一度だけ見て、一緒に出て行った。
一人になっても私は泣けなかった。悔しくて、悲しいのに。何より自分の愚かさで泣けなかった。
アイドルになんて、トップアイドルになんてなれっこなかったんだ、私。何を、夢見ていたんだろう。
気が付けば、寒い夜空の下にいた。いつの間にかしっかりとまとめた荷物を持っていた。
こんな時でも、ちゃんと整理は出来たんだな、と乾いた笑いが漏れた。
ふと携帯を見る。そこには親から「メジャーデビューおめでとう」と書かれたメールが届いていた。
お母さん、お父さんごめんね。こんなに応援してもらったのに。無理言って東京まで出てきたのに、夢、叶わなかった。
簡素に「ごめん。アイドル辞めさせられちゃった」と書いたメールを返信する。
すぐにかかってくる電話を無視して携帯の電源を切る。そして音楽プレイヤーをつけて、イヤホンをつけた。
流れてきた音楽は、自分の声。必死に作った初めての曲だった。取柄がないもない私が一生懸命作った自分の曲。アイドルへの憧れを精一杯詰めた曲。
やっと張りつめていた心が弾けて、ぼろぼろと涙が溢れてきた。
「……、っく、」
泣きながら歌を口ずさもうとするけれど、カラカラの喉からは声が出なかった。
泣いている視界とイヤホンに閉ざされた耳には分からなかった。
後ろから激しいブレーキ音と人の叫び声。何気なく振り向いた瞬間、私は強い衝撃とともに吹き飛ばされ、どこかに激突し、地面に叩きつけられた。
やっと周囲の状況は分かった。全身が熱くて痛くて、私トラックに轢かれたんだ。
『ゴールはきっともっと、まだ見えない先♪』
ああ、私、死ぬのかな。
『だけど諦めたくない♪』
お母さん、お父さん、悪い娘でごめんね。さっきの電話取ればよかったな。
『この歌を届けるまでは♪』
ねえ、神様。神様がいるのなら、聞いてほしい。
次の生こそはこの歌を歌わせてくれませんか。やっぱり私、アイドルを諦めきれないよ。
特別な才能も美貌もいらないから、ただ、この歌を歌って人を笑顔にすることが出来たなら、私はきっともっと頑張れるから。
どうか。
『分かりました。私の愛し子よ』
そんな優しい声が聞こえて、私は温かいものに包まれた。世界は消え、光に包まれる。
ああ、よかった。私、今度こそ諦めないから。
ありがとう、神様。
ゆっくり微笑んで、私は目を閉じた。
そこで、日野ひかりの生は途絶えた。