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全くつれない旦那様を倒したい

作者: 長月 おと

 

 私はリネット・バルリング20歳。


 少し桃色に見える明るい茶色の髪に深めの青い瞳に童顔、そして低めの身長にとりあえず膨らみが確認できる胸元で……私は世の中でいう『可愛い系』だ自負している。 

 中身は大人、見た目は少女というギャップが楽しめる奇跡の存在。



 しかし妖艶な大人っぽい女性が好まれるこの国では、私のような容姿は非常にモテない。

 何とか色っぽくなろうと背伸びして濃いめの化粧も試してみたけれど、私には似合わず早々に諦めたのは何年前のことか……。



 そんな風潮では恋が生まれるはずもなく、肝心の両親は「どうにかなるだろうと」のんびり屋で、いつの間にか行き遅れ目前になり、とても焦った子爵令嬢はこのワ・タ・シ! 言い訳は無いわ!

 しかし運良く、国王の命により辺境伯サウロ・バルリング様に嫁ぐことが決まり、私は彼の妻となった。




 サウロ様は、数年前の戦で劣勢だった対魔物の氾濫を国境で守りきった将軍で、我が国の若き英雄。年は私の十歳上――まもなく三十歳をむかえる貫禄あるお方。


 この国での辺境伯といえば侯爵……いいえ、唯一の魔族領と接する国境ラインの防衛を担うバルリング家は、公爵にも匹敵するほどの影響力を持つ一族。バウリング家が土地を去ったら国は滅ぶらしい。

 だから、その当主であるサウロ様はものすごーく優良物件なのに、独身だったのが不思議だった。

 まぁ、ずっと国境から離れられないので王都の夜会の参加も難しく、女性との接点が作れないから仕方ないと思っていたのだけれど……




「サウロ様、今日の夕食も美味しいですね。サウロ様と一緒だからかしら? ふふ♡」

「…………そうか」


「サウロ様は今日のメニューならどれが一番お好きですの? 私、もっとサウロ様の事が知りたくて、教えてくださいませ、ふふ♡」

「…………ムニエルだな」


「…………ふふふ」

「…………」



 私の「ふふふ」が虚しく食堂で響くが、これが日常だ。

 サウロ様のあまりの口数の少なさに不満はあるけれど、どんな雰囲気でもここの食事はとても美味しいから許せている。

 食事を進めながら、正面の席で静かに黙々と大量のご飯を腹に納めるサウロ様をじっと見つめた。



 獅子のように輝くような金色の髪を後ろに撫で付け、猛獣のように赤い瞳は鋭く光っている。そして遠くからでも分かるほど身長が高く、肩幅も広く、胸なんか私よりも極厚な筋肉もりもりマン。


 私も鍛えたらもりもりになるかしら――というのは置いておいて、サウロ様は山盛りのマッスルマン!

 まさしく異世界動物事典に載っている獅子とゴリラを人間に足したような野性的な容姿で、その上無口なので威圧感がすごい。


 男が憧れる男の中の男のようなお方で、普通の女性では怖くて近づけないかもしれない。

 さらにここの領地は対魔物戦の傷跡も残る荒れた土地で、今も他の地域より魔物が出没する。変わらず防衛拠点となっていることもあり、常に警戒態勢。優雅にお茶会や夜会をする雰囲気などなく、もきらびやかな世界とは程遠い土地だ。


 そんな理由から、サウロ様との縁談はいくら名誉と言われても、一般令嬢としては避けたいご縁。



 だからこそ国王は英雄に伴侶ができず、重要な世継ぎが誕生しないことを心配して、断れなさそうな私を適当に選んだのだろうと思う。

 突然「翌月末に結婚だから、よろしく」と軽いノリで国王陛下から勅命が下された時は驚いたけど、私にとってこの打診は悪いものではなかったわ。



 むしろサウロ様の筋肉隆々なお姿は、大変好み。

 私が社交界で出会いに積極的になれなかったのは、タイプではない優雅な細身の男性しかいなかったからという理由もある。

 治安に関しても、歴代最強戦士サウロ様がいるのだから、魔物に対して不安はそこまで感じない。

 縁談の話をいただいた私は悩むことなく、スキップするように嫁入りした。



 しかし、国王の配慮はサウロ様にはとても迷惑な話だったようで、私は嫁いだものの全く奥様扱いされず今も客人扱い。

 寝室は隣にはなっているが、初日におやすみの挨拶をしたきり寝るのは別室で、初夜もまだ達成されていない。

 結婚初日から冷えきった夫婦って、本当に笑えないわ。



 ご主人がこのような態度ならば使用人も似たようなもので、完璧な仕事ぶりだけれど距離を感じる。

 唯一親しくできてるのは、実家から連れてきた侍女サリーひとりだけ。


 これは私の心を折って、国王に泣きつきながら離縁を申し出るのを待っているサウロ様の陰謀なのだわ。



 確かに知らない土地であるし、頼れる知り合いもいないから茶会も夜会もなし。実家では許された簡単な掃除も、夫人の立場では難しい。

 魔物の森には近づかないから、馬に乗って散歩したいと頼んでも「ひとりで馬に乗るのは許可できない」と言われたし、庭作業とかしたいと願い出ても「君だけは駄目だ」と即却下。

 断りにくい仕事に絡ませて、領地視察の代行の話題を出そうとも、英雄の勘が働くのか話を出す前に逃げられる。



 暇……暇……暇! あぁ、本当に暇で死にそう。

 そして自由にしていた実家が恋しくて、すごく寂しい。この一か月、確実に離縁を望むサウロ様の狙い通りの道を進んでいる。



 だけどね、私は普通の令嬢ではないの。

 生憎か弱い淑女ではないし、とてもへそ曲がりで負けず嫌いなのよ? 話したこともない旦那様に人生を捧げると心に決めて、辺境伯夫人として頑張ろうとしていた私の覚悟を蔑ろにされて、大人しく黙っていているはずがないでしょう?



 凶悪な魔物でさえ倒すのが叶わなかった堅物ツンツン強面ゴリライオンは、この私が倒してみせる。

 あなたが遠ざかるのなら、私は逆に近づいてやろうじゃないのよ!



 自分の分の食事を食べ終えてさっさと自室に帰ってしまい、今は空席となったサウロ様の椅子にビシッと人差し指を向けて、私は無言の宣戦布告をする。



『あなたをメロメロにしてやるわ! そして私に冷たくしていたことを後悔するが良い!』




 使用人たちは私の奇行に若干動揺していたが、気にせずサリーを伴って部屋へと帰った。





 決心した翌日から私は動いた。

 先手必勝、攻めて攻めて心の牙城を打ち砕くべし! 守る隙は与えるな!


 まずはよく敵を知るために、サウロ様を調査することにした。今日はサリーをお供に、内緒で生け垣から鍛錬場を隠れるように覗く。

 屋敷の敷地の一角に設けられた鍛錬場では、国境を守る騎士の精鋭が訓練を黙々とこなしていた。全員鍛えられた良い体格をしているが、サウロ様はその中でも一回り大きくて目立つ。



「後ろ遅れるな! あと少しだ! 耐えろ!」

「「はい!」」


 サウロ様はお偉い立場だというのに、騎士と同じように走り込みをしている。

 先頭で走り、遅れる騎士を叱咤し、励まし、なんと男らしいことか。太い首筋に流れる汗がなんと眩しい……ナイスマッスル!



「よし、走り込みはここまで。よく頑張った! 今日は暑いなぁ……疲れただろう。素振りの時間まで休め」

「はい! ありがとうございます」

「閣下! タオルです! どうぞお使いください」

「閣下こそお疲れ様です! どうぞ日影のお席に」



 休憩時間になると、騎士たちが一斉にサウロ様のおもてなしを始める。強さや権力に屈服しての行動ではなく、どの騎士も尊敬の眼差しで見つめており士気は高い。

 それに対してサウロ様はくしゃっとした笑顔で好意を受け取り、騎士たちと一緒に談笑しながら水を飲む。

 本当は笑える人らしい。偶然かと思いきや、みっちり一週間観察したところ普通に笑っていらっしゃった。


 屋敷の中でも隠れて観察もしたのだが、使用人とも談笑していた。私の前では無表情どかろか仏頂面だというのに……



 ずるい! 騎士と使用人がずるすぎる! 私も笑顔が欲しい! ギブミースマイル!




 そうして観察してわかったことは、サウロ様は本当はお優しい人で、とても努力をする人で、他人にも自分にも厳しいのは、多くの命を背負ってきているからだと、見ただけで伝わってきた。


 使用人に対しても偉ぶらず、むしろ気を遣いながら指示を出す。観察の内容だけなら素敵な男性だ。

 私の立場では「幼妻に冷たい最低夫」のはずなのに、不覚にも好感度が上がってしまったわ。あの男……なかなかやるわね。


 是非私も輪に入らせて欲しい、そんな気持ちが高まるばかり。サウロ様のお心を陥落させたいと、俄然やる気が出たわ!




 そして一通り調査した私は後日、侍女サリーを連れて鍛錬場へ向かった。今回は隠れることなく、堂々と鍛錬場に姿を見せる。




 アタックその一。

 私がどーんと小さなバスケットを片手に現れると、チラッとサウロ様と目が合う。

 すかさず満面の笑顔で、小さく手を振る……がすぐに目を逸らされ、それから目線が合うことはなかった。

 チッ……まぁ、この程度では心の壁は崩せないことは想定済みよ。でも、立ち去れとは言われてないということは、見学は問題ないらしい。




 アタックそのニ。

 私が来て三十分もすると、休憩時間となった。私はベンチに座ったサウロ様に駆け寄り、冷え冷えのドリンクが入ったコップを渡す。このとき、もじもじと控えめな態度を意識する。


「サウロ様、お疲れ様です。疲れに効くというはちみつレモン水をご用意したの。いつもサウロ様は頑張っていらっしゃるから、私もお手伝いしたくて……♡」

「…………そうか」



 サウロ様はさっと手からコップを取るとその場から離れ、ベンチには私ひとりが取り残されてしまった。

 呆然としている間、サリーが他の騎士にドリンクを配り、「ありがとう」「美味しいよ」「また来てよ」とちやほやされていた……私が相手から頂いたのはたった三文字というのに!

 ぐぬぬぬ……サリーが羨ましいだなんて……思うわ! 私にも言葉を! 言葉のキャッチボールを! ストライクを一球下さい!




 アタック三。

 きっと控えめ過ぎたのが駄目だったのね。仲良くなりたいのならもっと強く伝えないと!

 ということで、バスケットからカットした果物の容器を取り出して、本日も休憩中のサウロ様を追いかける。


「サウロ様ぁ、果物に含まれる糖分がとても疲れた体に良いそうなんですのよぉ~私、サウロ様の為に美味しそうな果物を選んだんですぅ。食べて欲しいなぁ、ふふふ♡」



 と最大限のぶりっ子を演じて、果物をフォークに突き刺し口元に寄せる。

 どうだ! このあ~ん攻撃!

 すると、サウロ様でもこんな顔をするのか――と思うほど目を見開いて固まってしまわれた。

 これは効いてる? とワクワクして待つと……



「……止めろ。今日はもう帰りなさい」

「…………あ、はい」



 すぐに真顔に戻ったサウロ様に怒られてしまった。

 さすが国境を死守するだけの防衛力。見開いたのは数秒で、すぐに冷静になるのは見事の一言。

 今日はひとまず撤退するが、まだまだ諦めないわよ! 小細工なしの直球勝負!



「サウロ様のお好みに合わせて、甘さ控えめのクッキーを用意したんですの、あ~ん」

「まぁ、サウロ様の服はなんて大きいの! ふふふ」

「お日様いっぱい浴びたタオルをどうぞ♪」

「ピッカピカに磨きあげましたの! 訓練頑張ってくださいね」



  反応が悪かったぶりっ子はやや控えめにしたものの、可愛らしく菓子を差し入れしたり、無造作に置かれた着替えを畳んだり、鍛錬の終わりにタオルを渡したり、模擬剣の手入れをしたり、あらゆる健気に見える手を使って接近と交流を試みて一か月。


 進展なし! なんなの! 防衛力高過ぎよ! 壁の厚みはいくらなの!? 厚いのはムチムチの胸板だけで十分よ!



 ちなみに私が玉砕しているその間、同じ事をしていたサリーはすっかり騎士たちのアイドルと化して、立派な逆ハーレムを築いていた。

 きぃぃぃいっ! はしたなくハンカチを噛んでも、私は何も悪くない。





 そして今日は、遂に鍛錬場の立ち入りを禁止されてしまった。

 サリーに会えなくなる騎士たちのブーイングの嵐が吹き荒れるなか、サウロ様は完全に無視して、訓練場の入口から立ち去ってしまった。

 今思い出しても、悔しさが沸き上がる。



「あぁ、もう! なんでこんなにも防御力が強いのよ! 神聖結界でも張ってるのかっていうくらい近づけないなんて、くーやーしーぃい! 私は穢れか悪魔かーっ!」

「リネット様、落ち着いてくださいませ! 本性が見られてしまいますよ」



 出禁を無視して鍛錬場に行ったものの、申し訳なさそうに騎士たちに追い出された私は、仕方なくサリーと庭でお茶をしていた。

 折角の猫が剥がれてしまうと注意されるが、私のモヤモヤは収まらない。



「サリーはラブラブワールド完成してるから落ち着けるのよ! その大きな胸と細い腰とムッチリなお尻を寄越しなさい! この国の嗜好が怨めしい! 世界よ、ミニマムスレンダーボディを受け入れなさい! 私の時代よ、ここに来たまえー!」

「あぁ、なんとお痛わしい……さぁ、叫ばずに、やけ食いでもしましょう! 少しは育つかもしれません。本日配れなかったお菓子がたくさんありますから」



 さらっと毒づかれた気もするが、サリーに薦められるがままマフィンを頬張る。

 こんなに美味しいものを受け取らず出禁にするなんて、サウロ様は本当に勿体ないわ。

 大好きなお菓子と優しいサリーに癒され、落ち着いた私は再び戦場に立ち向かう気持ちを立て直していった。





 立て直したはずなのだが、あれからサウロ様自体に会えない。

 むしろ前は義務感からか食事は一緒に摂ったり、時々部屋に様子を見に来てくれていたのに、全く無くなってしまった。

 私から突撃しなきゃ会えないくらい……いいえ、突撃しても避けられ、話せないくらいサウロ様はレアキャラになり、攻略難易度がドラゴン討伐並みに高まっていた。



 会話できないのが当たり前になって、窓から姿を見るだけの日が続いて一週間。今日も屋敷から出かけるサウロ様の後ろ姿を窓から眺めて、ため息をついた。




「リネット様……」

「サリー、少し気分転換に庭に行きたいわ」




 そうして庭のベンチに座って空を眺めるが、天気のように心は晴れない。私のことか心配なのか、サリーの表情も陰ってしまっている。

 それを見て自分の情けなさが申し訳なく、罪悪感が心に突き刺さる。



「サリー、何か飲み物を用意できる?」

「はい。リネット様の好きなフルーツミックスを用意しますね」



 本当は敷地内といえど、辺境伯夫人が外にひとりでいるのは望ましくない。

 けれどサリーは私の想いを尊重して、離れていった。



「はぁ……」



 やる気はあるのに発散する機会を奪われたためか、不完全燃焼のような、虚無感がじわじわと私の心を支配していく。



 なんでよ。私の何がだめなのよ。そんなに私には魅力がないの? 私が年下すぎるから? ぶりっ子は嫌いだった? やっぱり鍛錬場に女は邪魔? こんな肉の無い体では色気が皆無だから?



 なんだか頑張ることに疲れてしまった私の思考は、悪い方向へと向かって止まらない。



 私は使用人や騎士の仲間以下なの? そうよね……長年働いてくれている使用人や戦場で命を捧げあっている騎士と比べれば、たった二か月の私の存在なんて軽い。

 妻という肩書きにどこか自惚れていたのね。妻になれば自然とサウロ様の1番の存在になれるって、どこかで期待して馬鹿ね……とても寂しい……妻なのに片思いを拗らせるなんて……




「どうした!? 何があった!」

「え?」



 知らず俯いていた顔をハッとしてあげると、サウロ様が凄い剣幕で私の目の前に立っていた。

 肩は少し上下に揺れていて、急いでこちらに走ってきたみたい。でも何故、ここにサウロ様が?


「サウロ様、どうされたんですか?」

「それは俺が聞きたい。何故ひとりで泣いているんだ」



 え? 私が……泣いてる?


 頬に触れると確かに濡れていて、知らずに泣いていたことに自分でも驚いてしまった。

 涙で濡れた手を見ながら呆けていると、サウロ様がポケットから白いハンカチを取り出し、私の目元に寄せようとして、手を止めた。そしてほんの僅かな葛藤を見せたあと、膝にぽんと投げ渡されてしまった。


「具合でも悪いのか? どこか怪我でもしたか? それとも…………」



 サウロ様は私とは目を合わさず戸惑いがちに、心配するように問いてくる。



「何か不安なことでもあるのか? ……その、空に魔物でも見かけたか?」



 目線を合わせようともしないのに膝をつき、さらに顔の高さを合わせ、どこか必死に涙の理由を聞こうとしてくる。


 でも、どの質問も的外れ。


 私は一瞬だけ、あなたのその大きな手で涙を拭いてくれると期待した。目線の高さを合わせて、その力強い瞳に私を写してくれると期待した。

 私の願いに少しは気付いてくれたかと思ったら、あなたは魔物の存在へと逃げた。



「体調は良いですし、怪我もありません。見ればお分かりでしょう? それに優秀な騎士が守るこの屋敷に 魔物などここに近づけるはずがないでしょう? 本当は涙の理由を分かっているのでしょう?」

「――っ」


 ぶりっ子を投げ捨て、猫を脱ぎ、問いに答える声は自分でも驚くほど低いトーンで……サウロ様は明らかに動揺し目を見張った。



「ようやく目が合いましたね。それほどまで私の事がお嫌いですか?」

「そんなことは――」


 そんなことは……何?

 彼はきちんと最後まで言葉にしてくれない。

 先程からチラつかせる中途半端な優しさが、私の心にどれだけの攻撃をしていると思っているのかしら?



「そんなことはあるのでしょう!? 今までの関係を考えれば明らかじゃないの!」



 私は勢いよく立ち上がり、膝をつく大男のサウロ様を見下ろして声を張り上げて気持ちをぶつける。何をしても駄目なら、もうどうにでもなれば良いのだわ!


「私は覚悟してここに嫁いできたというのに、何も妻の仕事を与えてくれない! 女主人としてお茶会や夜会の主催をする責任がここではないというのに、代わりにやりたい家事も乗馬も庭いじりも領地の視察も何もかも駄目。私は何をして生きていけば良いの? なんで駄目なの?」

「それは……っ」



 サウロ様は明らかに動揺しながら言葉を詰まらせた。

 そうよね……私を追い詰めるためだなんて言えないわよね? 離縁前提の妻なんて、領民に見せられないわよね。

 ぐっと悔しさを噛みしめながら、サウロ様を睨む。



「そんな中で唯一の楽しみだったのは鍛錬の見学なの! 屋敷から出られて、サリー以外の人と言葉を交わせる貴重な時間だったの! だってここの使用人たちは、私とはお話ししてくれないんだもの。なのにあなたは唯一の楽しみすら許してくれなかったのよ! 悲しいに決まってるじゃない! 怒るのも当たり前でしょ!」

「君の希望を許可すれば、その怒りは済むのか?」



 そうしてサウロ様の口から出た答えはこれだ。

 そうじゃないのに……きっと今更許可されても、私の心は寂しいままだわ。そしてまた中途半端な優しさ……追い出したいなら許可の譲歩の話なんてしないでよ! 未練が残りそうなことをしないで!



「済まないわよ! 本当にサウロ様の馬鹿! なんで私が家事をしたいと思う? 乗馬も庭いじりも視察も鍛錬の見学も差し入れも何でしたいのかお分かり?」


 言葉を一度区切り、たっぷり息を吸って叫んだ。


「私がサウロ様を愛して、サウロ様に愛されたいからよ! 貴族らしくないけど自分が作った手料理を食べて喜んでもらいたいし、一緒に馬に乗ってデートがしたいし、密かに花を愛でるあなたに綺麗な花壇を見せたいし、鍛錬で忙しいあなたの代わりに領地の視察をして少しでも支えたいし、鍛錬を頑張るあなたを応援したいし、あなたの背中を守る騎士たちに願いを託したいし……剣を持てない私ではあなたを守れないから……だから私は……っ」

「君は――」



 溢れ出す涙と同じように、本当は言いたくない言葉も込み上げる。



「まさにそれよ! サウロ様はいつも『君』と言って、私の名前すら呼んで下さらない! 名前を呼びたくないほどお嫌いなら……どうか……」


 乱れた呼吸を止めるようにお腹に力を入れ、スカートの裾を持ち上げて頭を下げる。



「どうかあなた様から離縁をお申し付けくださいませ。いつでもお受けいたします」

「なっ、なんだと」



 サウロ様の絶句する言葉が聞こえて不思議に思う。これこそが彼が望んでいた展開のはずなのに、何故驚くのか。

 もうどうでもよくなっていた私は返事を待たずに顔をあげると、そこには真っ青なお顔のサウロ様がいらっしゃった。



 声だけではなく、何故そんなにショックを受けたようなお顔をしているの?

 私は訳が分からなくなりただ見つめていると、サウロ様は顔を青から赤くされて立ち上がった。


 彼の背は本当に高く、近くにいた私はほぼ真上を向かなければならない。その彼が歯を食い縛ったと思ったら、真上から叩きつけられるような大声で叫ばれた。



「離縁などできるわけないだろう! 勝手に屋敷から出ていくのも俺が許さない!」

「――っ!」



 全身が震え響くような声に腰を抜かしそうになるが、自分から啖呵を切っておいて情けない姿を見せたくない。

 恐怖でぐらつく体を支えるように爪先に力を入れて、目線を逸らすことなくサウロ様をただ強く見つめた。



「この話は終わりだ」



 するとぐっと眉間にシワを寄せたサウロ様は、一言残して庭を去っていった。

 彼の背が見えなくなった途端、私はその場に崩れるように膝をつき、サリーが戻るまで静かに泣くことしかできなかった。




 その晩、さすがの私も食堂に行く気が出ず、部屋で摂ることにした。

 サウロ様に会うために食堂に行っていたけれど、最近はひとりだったし、あんな喧嘩をしたならもう同じ席に座ることなどないはずだから……と美味しいはずなのに今は味を感じない食事を口へと詰め込んだ。



 食事を終えて、湯浴みを済ませ、ベッドに飛び込んで体を投げ出すように横たわる。いつもは「はしたないですよ」と苦言を言うサリーも、今日は何も言わずにそっと布団をかけてくれた。

 サリーは、私とサウロ様の間で何があったか聞いてこない。あれだけ大声で私は叫んでいたから聞こえてたせいかもしれないけれど、再び言葉にするのも辛い事実だったから聞かれずにホッとしている。



「リネット様……今夜はそばにいましょうか?」

「いいえ、ひとりで寝れるわ」


「そう……ですか。何かありましたら夜中でも、何時でもお呼びくださいね。無理なさらず、ご遠慮なさらず、些細なことでも」

「いつもありがとうサリー」



 傷心中の私のそばを離れるのが心配なのか、サリーは不安な顔をしながら渋々部屋を出ていった。

 ひとりになって頭を駆け巡るのはここ数ヵ月のこと。

 突然花嫁になれと王命が下され、初めて旦那様と顔を合わせたのは結婚式で、旦那様はゴリライオンで、でもなかなかの好みで、観察していくうちにその逞しさに更に惹かれ、メロメロにしてやると宣言しながら私が惚れてしまって……



『惚れたら負け』



 まさにどこか聞いたことのある格言通りになってしまった私は、確実に負けた立場。

 冷たくされてもなお惚れたなんてとんだ完敗ね……馬鹿な私。


 なんだか負けを認めてしまったら、ぐるぐると気持ち悪く渦巻いていた頭の中が凪いだ。冷静を取り戻した頭で、「 離縁などできるわけないだろう!」というサウロ様の言葉を思い出す。



 そうだった。この結婚は王命で、サウロ様と言えど相当な理由がないと離縁などできない。

 それこそどちらかが不貞を働くか、重罪を犯すか、事故などで死ぬか……どれも私には選ぶことなどできない。



 つまり、サウロ様だって離縁したくてもできないのだ。彼も可哀想な立場だというのに、私の気持ちばかりを押し付けてしまっていた。

 無理強いをする私に対して、冷たい態度も仕方ないと理解できる。



 きちんと謝ろう。そしてきちんと話し合って、お互いに折り合いのつく関係を築けば良い。

 例えば書面では妻だけど、使用人として働かせて欲しいだとか――そうしたら、彼は笑ってくださるかしら。

 うん、そうしよう。ひとりで納得した私はその晩、熟睡することができた。




 翌朝スッキリと目を覚まし、そんな私の顔にサリーは明らかに安堵した顔を見せた。



「サリー、一流の侍女はそう感情を表にしてはならないわ」

「まぁ! リネット様にだけは言われたくありませんよ」

「言ったわね! ふふふ」

「えぇ、言いますとも! ふふ」



 こうやって、軽る口を叩けるくらいには元気になった。

 昨夜は味のしなかったシェフの朝食には味が戻り、いつものように絶品だった。使用人の関係になったらもう食べられないかもと思い、じっくり味わった。



 そして今私は気合いを入れて、廊下を突き進む。

 どうせこの土地でずっと暮らすのならば、関係改善のためにも謝罪は早い方が良い。そのため朝から私はサウロ様に会いに裏庭に向かっていた。

 今日は訓練が休みで、そういう時は裏庭でひっそり素振りをしているはず。



 すると廊下では、ひとりの女性が待ち構えていた。結婚式で見かけたきりだが、誰がかすぐ分かる。

 サウロ様の片腕と言われる麗しい魔術師――ミラージュ様。銀糸のような髪にアメジストのような紫の瞳をした、ボッキュンボンの美しい戦う公爵令嬢だ。私はすぐに腰を折って挨拶をしようとするが止められる。


「リネット様よね? これからサウロに会いに?」

「はい、きちんとお話ししたいことがありまして」


「ふーん。でもあなたの前に私がサウロと話したいから、お時間宜しくて? 影から聞いてて良いから。いえ、姿隠しの魔法をかけるからそばで聞いてて」

「え?」


 ミラージュ様の砕けた言葉遣いにも驚いたが、提案内容はもっと意味が分からない。


「正しいあなたの立場を教えてあげる」

「正しい立場……」

「ほら、行くわよ!」

「あ、はい!」



 断る隙もなくミラージュ様は私とサリーに何か魔法をかけ、勝手を知るように裏庭へと迷わず進んでいく。

 裏庭には予想の通りサウロ様が素振りの鍛錬をしていた。しかしいつもより表情が険しく、剣の振り方も荒々しいように見える。昨日の私の言葉のせいかと思うと心が痛んだ。



「サウロ! 相変わらず剣ばかり。全く変わらないわね……久しぶり」

「ミラ! なんでお前がここに……いや、会えて良かった。本当に……会いたかった」


 ミラージュ様が声をかけると、サウロ様の表情が緩み、まるで女神に助けを乞うような、本当に会えることを待ちわびた言葉をかけながら近づいてくる。

 魔法のおかげで私とサリーには気付いていない。



 けれど、この瞬間に私は察してしまった。

 サウロ様の本命はミラージュ様で、彼女を心から愛していたのだと。

 同じ戦場に立ち、命を預け合って生き延びた逞しいサウロ様と美しいミラージュ様が惹かれ合うのは必然。

 そして「立場を分からせる」という発言から、ミラージュ様もきっとサウロ様を……


 そんなミラージュ様は幼い頃から王太子という婚約者がいて、サウロ様と結ばれることのない立場。王家に忠誠が厚い公爵家のミラージュ様は、いくら別に愛している人がいても不貞を働いてまで王太子を裏切ることはしない。

 そのため自分が涙を飲んで耐えているといる中、他の女がサウロ様に近づくが面白くないのだろう。


 そしてサウロ様は自分だけでも愛を示そうと、結婚しても私にとって冷たくしていたのだわ。きっとそう……自然とまた失恋した気分になり、立ち去りたくなるが、次の瞬間に耳に飛び込んできたセリフに驚愕した。



「ミラ! どうしたら良いのか教えてくれ! リネットが可愛すぎるんだ! 俺は死にそうだ」

「だったら死になさい! 脳筋!」



 額を手で抑え苦しそうに、今にも死にそうに声を震わせながらサウロ様の言葉に、ミラージュ様の返答は実に辛辣だ。

 そして私は可愛いと言われて浮かれそうになるが、ミラージュ様の表情を見て邪念を振り払う。

 サウロ様! あなた、好きな人に対して他の女が可愛いだなんて何言ってるの? 馬鹿なの? ミラージュ様の目を見て! サウロ様ではなくミラージュ様の目が既に死んでいますから!



「ミラはどうせ執事辺りに、昨日の事を聞いているんだろ? 俺がリネットに言われたことを」

「えぇ聞いてるわ。本当にあなたは馬鹿ね! 阿保 !筋肉! むさ苦しい! 一回死んできなさい! そしてここの芝生が全て剥げるまで土下座しなさいよ! サウロ……あなたはそれくらいの罪を犯したのよ」



 ミラージュ様は相当お怒りで、怒濤の口撃にサウロ様はいつもの威厳なく四つん這いになって項垂れてる。

 さすがにサウロ様が可哀想になってきた……王命で望まぬ結婚した上に、愛する人に罵倒されるなんて……いや、他の女を可愛いと言ったら怒るのも分かるんだけど……


 私が見ていられずに声を出そうとするが、出ない。そのことにオロオロしていると、ミラージュ様は地面とキスしそうなサウロ様にバレないよう、そっと人差し指を唇にあてウィンクした。

 私に発言させる気はないらしく、姿隠しの一緒に声の魔法をかけられていたようだ。もうミラージュ様の気が済むまで見ているしかなくなった。



「ねぇ、サウロ……なんでこうなってしまったの?」

「…………たんだ」


「聞こえないわ。大声で!」

「だってリネットが可愛い過ぎたんだ! 本当に……本当に可愛すぎて辛い。何もしてなくても可愛いのに、少し顔を会わせるだけでも俺はもう精一杯なのに、むこうから近づいてくるなんて意識が持たない。心臓が破裂する」


「受け止めなさいよ」

「触って壊れたらどうするんだ。彼女の態度を真に受けて、実は無理してましたーって後で怖がられたら、拒否されたら俺は立ち直れない。消えたい」



 私はサウロ様の発言に耳を疑った。顔がとても熱くなってきたし、心臓もうるさくて痛い。

 そうしている間もミラージュ様の追求とサウロ様の独白は続く。



「ならリネット様の要望の行動を許したらどうなの?」

「しかし、家事や庭仕事なんかして綺麗な指が荒れたらどうする。外に出かけて可愛さのあまり拐われたらどうする。馬に乗らせてそのまま逃げられたら……想像しただけで泣きそうだ。鍛錬場の他の騎士の目に触れさすのももう嫌だ。彼女が減る」


「はぁ……でもこれではあの子が可哀想よ。では、メイドだけでも仲良くさせてあげなさいよ」

「俺より仲良くなんてズルい。俺だって本当は……仲良く話したいんだ。ただ……緊張が何かを突破してうまく態度にだせないんだ。本当にこの件は俺が悪い……いや! 可愛すぎるリネットが悪い。昨日の涙の理由が俺に愛されたいだなんて……もう死んでもいい」

「さっさと死ねば? 手伝ってあげるわ」

「――なっ、ぎゃ!」


 ミラージュ様の雷の魔法に感電してサウロ様が地面に転がる。少しライオンの鬣が焦げたようだけどさすが英雄……すぐに復活してミラージュ様を見つめ直していた。

 そして私の心臓はとんでもなく速くなり、頭がクラクラしてきた。先程からのサウロ様の言葉はまるで、まるで私のことを……!



「はぁ……このままでは、本当にリネット様に愛想を尽かされるわよ。というより昨日喧嘩したならもう手遅れだったりして」

「だからミラージュ会えて良かったと俺は言ったんだ。相談したかったんだ! どうすれば良い? 俺はリネットと離縁などしたくはない」


「ねぇサウロ、とりあえずリネット様への気持ちをここで叫びなさい! 目の前にいないなら素直な気持ちを言えるでしょ? ほら、庭に防音魔法してあげるから。気持ちの切り替えに、さぁ!」

「ぐぬぬ!」


「恥ずかしさを捨てて、ここら辺に向かって叫びなさい。このままではリネット様が可哀想よ。私から国王陛下に離縁できるよう、あの子が解放されるように助言しましょうか?」

「言うからやめろ!」



 ミラージュ様が私が立っている辺りを指差すと、サウロ様はカバリと立ち上がり素直にこちらに向いた。

 ちょ、ちょっと待って! 心の準備が! 待って! という私の制止したい気持ちなど伝わるはずもなく、サウロ様は拳をギュット強く握り、こちらが吸い込まれるほど空気を肺に入れて叫んだ。



「リネットー! 俺はリネットが大好きだ! 愛してるぞー!」

「――!」



 全身がビリビリと痛いほど響く。嬉しさよりも、驚きで立ち尽くしていると、何故かサウロ様目が合った。



「……は?」

「…………あら? 見えてますの?」


「リ……リネット?」

「はい。ごきげんよう」



 私の姿が見えるようなので、とりあえず挨拶をするが私の心臓は爆発しそうなほど速くて痛い。そして顔は火山が噴火しているほど熱くなっていく。

 それはサウロ様も同じようで、見たこともないほどに顔も耳も首も真っ赤に染め、ブリキの玩具のようにミラージュ様に向けてぎこちなく視線がずれていく。油を挿したいわ。


「あら、リネット様、偶然ね?」

「とぼけるな。いつからだ?」

「もちろんはじめからよ。うふ、解決ね?」

「貴様……なんてことを」



 勝ち誇った顔のミラージュ様に対してサウロ様はヨロヨロと後退りし、踵を翻して私の逆方向へと逃亡しようとするが忘れていたもう一人が行く手を塞いだ。



「お前は!」

「リネット様から逃げるなど、旦那様と言えどこの侍女サリーが許しません!」



 そしてミラージュ様が大きな杖を空間から取り出して構えると、動揺したサウロ様が動きを止めた。

 この二人の連携プレーに便乗して、私は捕まえるように背中からサウロ様に飛び付き、慣れない身体強化の魔法を使ってがっちりホールドする。



「リ、リ……リネット」

「サウロ様、離しませんよ」


「頼むから……どうにかなりそうだ」

「では逃げないでください」



 私がタックルのように飛び付いてもぐらつかない体幹と重心。張りのある抱き心地の筋肉。腕が回りきらない大きな体……はじめての感覚を堪能しようと思いのままぎゅーっと抱き締めていると、サウロ様は逃亡を断念して素直に投降した。



 落ち着いて話をするためにサウロ様を応接室に連行し、到着するなり取り調べを始めた。

 テーブルを挟んでサウロ様の正面には私、その後ろにはサリー、逃亡防止のために執事が扉の前、ミラージュ様が窓の前という完璧な布陣で挑んだ。


 どうやらサウロ様は小動物など可愛い生き物が好きなようで、それを知っていた国王陛下は必ず私を気に入るだろうとサウロ様に縁談を持ちかけた。

 そして国王陛下の狙い通りサウロ様は私の絵姿を見て一目惚れし、結婚式で完全に落ちたらしい。



 そうして望み通りの相手と結婚したものの、剣と戦いしか知らなかったサウロ様は弱そうな私の扱いがわからず、過保護と嫉妬を拗らせ、でも格好悪い姿も見せたくないとクールに振る舞い、欲張った結果が先日までの冷たい態度と対応だったらしい。

 ちなみにミラージュ様との関係は明らかな私の勘違いだったようで、そのまま誰にも言わずに忘れることにした。



「自分が精一杯過ぎて、寂しい想いをさせてしまいすまない。頑張ってリネットに慣れていくから。俺を見捨てないでくれ」



 サウロ様膝をついて、弱々しく謝罪として頭を下げながら私に懇願した。

 なんだこのデカイ可愛い生き物は! 発言内容は小娘一人に空回りするなさけない情けない話なのに、私の心はきゅんきゅんしちゃうだなんて。

 でもここで簡単に許しては、状況が戻るだけだから駄目――心を鬼にして見据える。



「事情は分かりましたが、許すには条件があります。まずは使用人と仲良くさせてもらいます。私が使用人と仲良くするのが嫌なら、あなた自身の手で邪魔して、私の相手をしてください」

「それは……」


「このままでは夫婦になれませんよ?」

「う……」


「それと何もできなくて本当に暇なんですの。ということで、家事の手伝いも、庭仕事も、乗馬も勝手にさせてもらいますね。嫌なら私を構いなさい!」

「――!」



 言い切った清々しさのまま笑顔で告げる。

 するとサウロ様は何かをぶつぶつ呟いたあと、しっかりと答えてくれた。



「分かった。善処する」



 ※



 そうして荒治療が始まって数ヶ月。


「サウロ様! ひとりで食べられますから!」

「本当に君は可愛い。名前を言葉にするだけで暴走しそうだから、“君”と呼ぶのを許してくれ。そしてこれは練習だよ。私が君に触れるための……君が私に慣れるための。ほらお食べ」


「では、せめて降ろしてください。ひとりで座りますから」

「俺の膝を心配しているのか? 大丈夫だ。君は妖精のように軽い。むしろずっとこうしていたい。君を感じることのできる今可能な唯一の手段なのだから」



 本当にどうしたものか。今はお茶の時間なのだが、サウロ様の膝の上に乗せられ、彼の手づから菓子を口に運ばれている状況だ。

 サウロ様のお顔は厳つさなど微塵もなく溶けるような微笑みで、声も柔らかく、困惑するほどに甘々。

 今やすっかり仲良くなった使用人たちの目線が温度高めで生温い。

 そんな甘い関係になったけれど、実はまだ初夜は達成できてない。勝負寝間着で寝室で待っていて、いよいよご対面したら鼻血を出して頓挫したのだ。



 お互いに。



 サウロ様は「可愛いリネットなのにスケスケ……」と言いながら鼻血を出したのは想定内ではあったし、狙ってスケスケの寝間着を着たのだったが、まさか自分まで鼻血を出してしまうとは。


 そう私はサウロ様の半裸に釘付けになった。鍛え上げられた体が……バキバキに割れた腹筋が……キレキレの逞しい二の腕が……勲章と言えるような多くの傷痕が……圧倒的な男らしい生きた彫刻が鼻血を垂らしながら私に迫ってきて……気付けば私の顔の中央からもタラタラと……本当に不覚だったわ。筋肉は凶器で驚喜で狂喜よ。



 私ったら何を言ってるのかしら……それから初夜のリベンジ目指して触れあう練習の一環――軽いスキンシップとして膝乗りが始まってしまった訳で。だとしても反動が凄いわ。確かにメロメロにしてやるとは宣言したけど、なんか違う。

 サウロ様は私の腰をしっかりホールドして、ニコニコとお菓子を片手に持って諦めずに待機中……そろそろ恥ずかしさの限界よ。


「サウロ様」

「どうした? チョコ味が良かったか?」

「いいえ、私が食べたいのは……」


 そう言って私は、サウロ様の頬に軽く口付けをした。


「――っ!」


 サウロ様の顔は瞬く間に真っ赤になり、そのまま動かなくなってしまった。

 私は体をひねり腕のホールドを外してぴょんと膝の上から降りる。



「まだまだですわね、サウロ様」



 こうして私は全く釣れない旦那様を倒したのだった。


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