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3話

「莉緒……」


 瑞樹ちゃんはしまったというように頭に右手を当てている。わたしを莉緒ちゃんに会わせるつもりはなかったから、こうして莉緒ちゃんが来てしまったのは誤算だったのだろう。

 いままでヘルメットを被った彼女を遠くからしか見たことがなかったから、髪型がショートカットだということを初めて知った。まだ四月なのに腕なんかかなり日に焼けている。サイクルジャージを着ているからそのスタイルがよくわかる。同い年の女の子とは思えないくらいに脂肪がそぎ落とされていて異様なほどに細く、特に脚は見るだけで筋肉が発達していることがわかる。テレビで見るようなアスリートのそれだ。

 猫のような丸い釣り目で、周りに人を寄せ付けないような、そんな雰囲気をかもし出している。


「あの……莉緒ちゃん」


 おそるおそる話しかけてみようとすると、莉緒ちゃんがきつい視線を向けてきた。


「なに?」

「な、なんでもない……」


 あなたには聞いてないと言わんばかりの、あまりの迫力にわたしはなにも言えず、口を閉じた。それを見咎めるように瑞樹ちゃんがわたしと莉緒ちゃんの間に立つ。


「ちょっと、やめなよ」

「なに、その格好」


 莉緒ちゃんは棘々しい口調を瑞樹ちゃんにも向けた。


「そんなチャラチャラした格好でここに来るって、そんなんだからいい成績出せないの」

「別に今日はわたしの用事で来たわけじゃないもの。そもそもあなたみたいにいつでもレーパン履いてるほうがおかしいのよ」

「はぁ?」


 毒づく莉緒ちゃんに負けじと言い返す瑞樹ちゃんだが、わたしにはその話の内容はちんぷんかんぷんだ。しかし険悪な雰囲気だというのは伝わってくる。


「ふたりとも、ストップストップ」


 睨み合うふたりの間に割って入るように伸也さんが言う。しかしヒートアップしたふたりはその制止で止まることはなく、無視して言い合いを続ける。伸也さんはどうしようもないという風に肩をすくめた。


「そんなふうにロードを舐めてるのが駄目なんじゃないの?」

「――っ、別にロードを舐めてるわけじゃない! あなたが行き過ぎなの!」


 莉緒ちゃんの蔑むような目に神経を逆撫でされたようで、瑞樹ちゃんは声を荒げる。しかし莉緒ちゃんは全く怯む様子もなくふんと鼻を鳴らした。


「結果は出てるけどね」

「それは……」


 莉緒ちゃんのその一言で、瑞樹ちゃんは萎んだ風船のように勢いを失った。莉緒ちゃんはそんな彼女を睨みつけて言う。


「レースに出るなら他のすべてを捨てるくらいじゃないと勝てない。別に勝ちたくないなら、あんたみたいにしてればいいけど」

「……」


 瑞樹ちゃんはもうすっかり反論する気を失っていて、視線がだんだんと下がってきている。しかし、莉緒ちゃんはそれで責めることを止めはしなかった。


「それで、今度はロード友達作ろうってわけ? 馬鹿じゃないの。馴れ合って勝てるほどロードは甘くないの」


 そこまで聞いて、わたしはもう耐えられなかった。


「待ってよ!」


 ふたりの間に割り込むように、いや、瑞樹ちゃんを庇うようにわたしは声をあげた。じろり、と莉緒ちゃんの視線がわたしのほうに向く。同い年とは思えないくらいの威圧感に、わたしは蛇に睨まれた蛙のように足がすくむ。


「……なに?」

「瑞樹ちゃんはわたしを連れてきてくれただけだよ! なんでそんなこと言うの!?」

「かなめちゃん……」


 一気に、みんなの注目がわたしに集まる。わたしはこっそり心の中で、他にお客さんがいなくてよかったとほっとしていた。


「別にあんたに関係ないでしょ。というか、あんた誰?」


 ここでようやく、わたしが誰なのかというはじめの質問に戻ってきた。


「早坂かなめ! 瑞樹ちゃんと同じクラスの!」

「それで、あんたはなんでこの店にいるわけ?」

「なんでって……自転車を見に来たんだよ」

「かなめちゃん、まだロードに乗ったことないらしくて、それで試乗に来てくれたってわけ」


 わたしの言葉に付け足すように伸也さんが言い、それに納得するように莉緒ちゃんが頷いた。


「ふうん。じゃあロードのことなにも知らないまるっきりの素人なわけね」


 莉緒ちゃんは嘲るように、口の端を少しだけ上げた。


「どうせあんたも遊びで乗るだけでしょ。わたしや瑞樹はそんなところにはいないの」


 そんなところとはどこだろう、と思う。少なくとも瑞樹ちゃんは、わたしにロードを教えようとしてくれている。彼女はわたしと同じところにいるはずだ。

 でも、それよりも。


「楽しむのはいけないの?」


 遊びで乗ることと、協議として乗ることは同列には語れないとしても、どちらが上でどちらが下ということはないと、ロードレースの存在さえ知らなかったわたしだけれど思う。

 ふんと鼻を鳴らして、莉緒ちゃんは言う。


「別に、楽しめばいいけど? ただ、その気分のままロードレースに出るのはあり得ない」

「それは……」


 それは、そうかもしれない。

 誰かと競い合う以上、真剣にやらなくてはならない。バスケットボールだって、吹奏楽だってそうだったように、真剣にやらなくては相手に失礼なことだってある。


「でも」


 だからといって、それは楽しむことと両立できないわけじゃないと思う。

 わたしは莉緒ちゃんの走る姿を見て、ロードバイクをかっこいいと思った。これまで感じたことないくらいに心が躍った。そのことを『楽しい』と表現せずにはいられないし、だからこそ、わたしはロードバイクに真剣でいたいと思う。


「わたしはロードを楽しみたいし、レースにだって出てみたいよ」


 それは、ロードバイクのことが好きだからだ。まだサドルに跨ったこともないけれど、わたしはそう思っている。

 だからこそ、不思議に思う。


「莉緒ちゃんはロードが好きじゃないの?」

「――っ!」


 それを口に出すと、莉緒ちゃんはほんの僅かな間、面食らったような表情を見せた。けれどすぐに取り繕うように、初めて視線をわたしから逸らした。


「……好きなわけ、ないでしょ」


 呟くように小さな声で言ったその言葉に、わたしは衝撃を受けた。あれだけ速くかっこよく走れる莉緒ちゃんが、ロードが好きじゃない?


「もう、いい。あんたバカっぽいし」

「バっ……」


 履き捨てるように言って、莉緒ちゃんが踵を返す。わたしはバカと言われたショックで愕然としてしまった。確かにわたしはバカかもしれないけれど、ここで言わなくてもいいいじゃない!

 そんなわたしを差し置いて、莉緒ちゃんはロードを引いて出口のほうへ向かう。


「伸也さん、わたし走りに行くから。また今度来る」

「あ、そう? また来てね」


 唐突にそう言われた伸也さんが半ば反射的に返事を返すと、莉緒ちゃんは見向きもせずに店から出て行った。

 あとに残されたわたしと瑞樹ちゃんは、呆然とするしかなかった。


「行っちゃった……」

「……ごめんね、かなめちゃん」


 わたしが呟くと、瑞樹ちゃんが申し訳なさそうに言った。


「ううん、大丈夫!」


 実際、わたしが傷ついたのはバカと言われたことくらいだ。

 わたしはそう言ったけれど、瑞樹ちゃんは沈んだ様子のままだ。莉緒ちゃんの言い方はかなりきつかったし、ショックもあるのだろう。


「ああいう子だからあなたに会わせたくなかったんだけど……」


 それなのに、まだこのことを気にしてくれている。


「会いたいって言ってたのはわたしだから。それにしても、ふたりっていつもあんな感じなの?」

「そんなことはないけど……今日はこんな格好でこの店に来たわたしが悪いかな」

「瑞樹ちゃんは悪くないよ!」


 それならわたしのワンピースなんてどうなってしまうのか。それに、ロードバイクを持っていない人は当然莉緒ちゃんみたいなロードバイク用のウェアも持っていないわけで、そんな人はどうやって店に来ればいいのかという話になってしまう。

 瑞樹ちゃんは首を横に振った。


「ううん、わたしが悪いの。莉緒にとってのロードって、わたしたちとはだいぶ違うから」

「違う?」


 わたしが聞くと、瑞樹ちゃんはうんと頷いた。


「莉緒はね、自分の意志でロードに乗ってるわけじゃないの」

「どういうこと?」

「お父さんがロードの選手で――ああ、もう引退してるんだけどね、それで、お父さんに言われてロードに乗ってるってわけ」

「ちなみに佐久間康っていえば、若い頃は結構すごい選手だったんだけどね。いまはプロチームの監督してる」


 瑞樹ちゃんの言葉に継ぐようにして、伸也さんが補足説明を入れる。つまり莉緒ちゃんはプロチームの元選手の娘ということで、そりゃああれだけ速く走れるわけだとわたしは納得した。


「ま、そういうわけであの子はレースに出てるの。勝つことがすべてだと思ってるし、勝たなきゃお父さんの顔に泥を塗るとも思ってる。あの子にとってはロードバイクは楽しむためのものじゃないから、一緒にレースに出てるわたしがこんな格好でこの店に来たのが地雷だったのよ」


 それは、つまり。


「……莉緒ちゃんはロードバイクを楽しんでないってこと?」


 瑞樹ちゃんは頷く。


「まあ、そうね。あの子が笑ってロードに乗ってるところなんて見た覚えがない。でもあの子は強いから、レースで優勝できてる。あの子はそれでいいんじゃない?」


 瑞樹ちゃんの言うのは勝てばいいという考え方だ。だけどそれは、少なくともわたしの中では――


「……そんなの、間違ってる」

「かなめちゃん?」


 わたしは莉緒ちゃんの言葉を思い出す。

 ――レースに出るなら他のすべてを捨てるくらいじゃないと勝てない。

 それはまるで、自分がそうしているかのような言い方だった。それを楽しんでいるのならいいけれど、笑うこともできずただ求められるようにロードに乗っているだけなのならば、それは苦痛にしかならない。


「苦しいのに続けるなんて、絶対に間違ってるよ」

「それはそうかもしれないけど……じゃあどうするの? 莉緒はずっとああしてロードに乗ってきたのに、今更降りろって言われて降りるなんてできない」


 もちろん、わたしは莉緒ちゃんにロードバイクから降りてもらおうなんて考えてはいない。あれだけ速く走れるすごい子がロードバイクを辞めるなんてもったいないし、わたしは莉緒ちゃんや瑞樹ちゃんと一緒に走りたい。

 だから、方法はただひとつしかない。


「わたしが……わたしが莉緒ちゃんにロードの楽しさを教えてみせる!」


 強く言い切った。ロードバイクにすら跨ったことのないわたしだけど、こうするしかないのだ。


「楽しさを教えるって……どうやって?」

「どうって、それはもう……うーん……」


 伸也さんの質問に、わたしは答えられない。

 楽しさを教えるなんて言い切ってしまったけれど、わたしはロードバイクのことを全然知らない。知らないのだから、わたしよりロードに詳しい莉緒ちゃんに楽しさを教えるなんて絶対に無理だ。一緒に走ればとも思ったけれど、そもそもロードバイクすら持っていない。

 どうしたものかとわたしが頭を捻っていると、瑞樹ちゃんがため息をついた。


「……伸也さん、わたしのお古のロードってまだ置いてます?」

「あるよ。それがどうしたの?」

「そのサイズって、たぶんかなめちゃんにぴったりですよね」

「あ、確かに。股下とか測ってみないとわからないけど、身長は大丈夫そうだ」

「じゃあ、そのロード、かなめちゃんにあげてください」

「「え!?」」


 わたしも伸也さんも、唐突な瑞樹ちゃんの発言に思わず声をあげた。

 瑞樹ちゃんがわたしのほうを見て、にやりと笑った。


「ただし、条件つきでだけどね」

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