小さな店での小さな交渉
この店にはカウンター席の他にはソファーがテーブルを挟んで設置されている席しかない。姫はそのソファーに座り、付きのメイドをその後ろに立たせた。対する柚姫はレティアに席まで案内させると、彼女にまともな服をマスターから借りるよう指示を出した後、いつもの笑顔で握手を求めた。
「腕はもう治ってるみたいだしね」
先ほどの視界共有で、姫の腕が完治しているのは確認している。魔法か技術か体質か何かは不明だが、流石は異世界と言うべきか。
「お陰様で。しかし、握手は拒否します。得体の知れない精神操作を行うあなたに、迂闊に触れることは避けたいので」
だが、姫はそれを拒否。それの代わりなのだろう、
「シャルティア・フォード。シャルティアとお呼びください」
自己紹介をすることで、本当に必要最低限の礼儀を守った。
「うーん。どうもこの世界で握手は上手くいかないなぁ。まぁ、いいか。僕のことは柚姫と。いい交渉にしましょうね、シャルティア姫」
むなしく宙ぶらりんとなった右手を収め、柚姫は席についた。共有の力が使えない上、シャルティアはこの世界の住人であり、姫としての権力がある。これからする交渉を考えると旨みであるが、それ以上に不利でしかない。
これまでの勇者がしてきた交渉はオークションと例えるべきものだろう。彼らに取っての交渉とはより良い保護環境を求めるもの、複数人から条件を聞き、比較して、更なる優遇を引き出そうとする。
対して柚姫のこの世界での活動の原点はこの世界が自分の国にどのような影響を与えるかを調べることにある。シャルティアに飼われる訳には行かず、だが、やはり後ろ盾は必要である。相手が提示したものに対してこちらも何かを提示して他の条件を通す。そんな交渉になるだろう。
しかし、シャルティアは柚姫がそんな思惑があるとは知る由も無い。だからこちらが施してやる立場だと確信して、
「私の元でこの世界での一切の衣食住を保障しましょう」
そう上からの立場できた。衣食住を保障する。聞こえはいいが、言葉の取り方しだいでは衣食住しか保障しないとも取れる。
「そこまでしなくても。僕は定期的に生活出来る分の金銭の支給だけで十分だよ」
これが柚姫の最低条件。ブラフでもなんでもなく、何があってもこれだけは確保したいという条件。
「謙虚ですね。他の勇者達は貴族や王族なみの待遇を要求する方もいたというのに」
シャルティアの口調から、当てが外れたと言う感じが伝わって来る。
「ですが、あなたは正直言ってイレギュラーです。ステータスと実際の力が不一致。この世界の理から外れています。私の立場として、野放しには出来ないのです」
「だからと言って理由はどうであれ殺しにかかった姫様の保護に入るのは受け入れられないものだよ」
交渉の手札を柚姫は早速使う。そちらの過失で条件を飲めない。だがそれをあえてアピールすることでそちらの譲歩次第では応じる意思はあると表明しているものである。
シャルティアも柚姫がその手を使ってくることは予測していたのだろう。早速譲歩を行ってきた。
「ではこうしましょう。あなたには、私達が治める5つの都市間の移動に制限を加えないことにしましょう。あなたは今現在、ここの国民ではありません。国民以外、都市間の移動には税と身元確認が必要ですが、国の客として免除しましょう」
都市間の移動を認めるという事はシャルティア自身に随時監視されないと捉えていいのだろう。だが、姫は続ける。
「そして各都市にあなたのための住居を用意します。自由に使って貰って構いません。あなたの望み通り、生活に必要なお金、さらには必要な経費なら全額こちらが負担します。ですが世話役は付けさせていただきますが」
姫自身の監視の目は無いが、都市連合と言う国の監視は継続する。それが柚姫の要望を叶えるための条件だと、彼女は提示してきた。イレギュラーだから野放しに出来ない。それが姫側の交渉の根っこに違いない。
さて、柚姫からしてみれば最低限の条件は満たされた。世話役は正直言って邪魔だが、おいおい隙をみてじっくりと共有していけば将来的には手駒として使えるはずだ。不満は無い。不満は無いが、柚姫は一応、この世界の勇者として招かれた存在。この条件が勇者としての活動も条件に入っているなら、不服である。だから了承した旨の単語は避けて、返答する。
「僕の行動を世話役通じて監視することは不服じゃない。けどこれは僕を野放しのしないための、つまり、僕に監視を付けるための代価だよね。じゃぁ、勇者として活動する代価は何?」
「勇者としての代価、ですか」
少し困惑したようなシャルティア。質問の意味を理解していないのかと思った彼は少し驚いたように、
「もしかしてさっきの話って、勇者としての活動こみの条件なの?あっ、もしかして僕、ステータス低いからまだ勇者としての頭数に入っていないの?」
「未定です。そう答えましょう。ですが先ほどの交渉は、監視を付けるための代価と捉えてもらって構いません。勇者としての云々はまた後日」
柚姫が勇者かどうか。その答えが未定とは少し予想外だ。てっきり、柚姫の力がステータス詐欺なので自分の持ち駒にしておくべく、この交渉を持ちかけてきたのかと思ったが、扱い自体未定でまさか監視下に置くためだけの交渉だなんて。それとも、柚姫を勇者として認める訳にはいかない理由があるのだろうか。
少し考えて分かった。そういえばこの姫は勇者召喚の技術で国家を守っていると。その姫が経緯はどうであれ、ステータス詐欺の勇者を抱えこんだら国際社会から批判を受けることになる。だから柚姫をいまだ勇者と認めず、イレギュラーとして監視する。そうすることで、国際社会に不気味な勇者がいたが対応はどうする?と言った態度で訴えることが出来る。これは柚姫の予想だが、的外れでは無い筈だ。
「後日、ねぇ。それまで僕は君の国にしかいたらいけないの? 唯一の顔見知りの勇者に会いに行くのは駄目?」
だから鎌をかけた。表向きの表情は純粋かつ、にこやかに。だが、腹のうちでは今の君たちの国際的立場での危うさを露呈しろと腹黒く。
「しばらくは国外に出る余裕は無いと思います。それに相手方の勇者も今は忙しいはずです。あなたの勇者としての扱いが決まる頃にはズベテの勇者は一息ついていると思いますので、その時にどうですか?」
シャルティアの返答はまさしくビンゴだった。
「そっか。残念だよ」
ここで控え室からレティアが出てくる音がした。だからついでだと、柚姫はカウンターに置いたままだった自分のグラスを持ってくるよう指示を出した。
「交渉中なのに、お酒ですか」
シャルティアが怪訝そうな表情で尋ねて来た。
「あれ、まだ交渉することあるの?」
まだあるのと、柚姫が聞く。自分の必要最低限の条件を引き出せたから、調子に乗ってへまをしないように交渉を打ち切りにいったのだが、
「交渉はそうですね、あなたの望み通り終わりにしましょうか。ここから談笑としましょう。マスター、彼と同じもの私にもいいですか?」
それは見透かされていたようだ。シャルティア側としても、柚姫を手元においておけるのでよしとしたのだろう、酒を要求した。