レティアと言う奴隷
数多くの主人を半殺しにした奴隷と二人きりになった柚姫は、前置きも無く唐突に話を切り出した。
「さて、約束事を決めようか」
見えてはいないが奴隷はこちらの許可無しに正面のソファーにどかりと座る気配がした。ずうずうしいが、こちらは奴隷を支配したいから購入したからではなく、買ってしまえば色々と融通が利くから奴隷を購入した。相手がどんな奴隷でも、こちらが今から提示する約束さえ守ってくれるなら態度に文句を言うつもりは無い。
「約束ですか、ご主人様」
先ほどこっちに食って掛かった時とは違い、聞いてて気持ちがいいぐらいの片言の敬語を使う奴隷。
「気持ちが篭ってない敬語をどうもありがとう。柚姫だ。そう呼んでくれて構わない。僕は君の事をなんと呼べば良い」
「君の名前は?じゃないんだな」
「ひねくれてる君なら変な名前を言いそうだからね。それで、なんと呼べば?」
「レティア。昔からそう名乗っている」
お互いの呼び名が決まった所で、再度柚姫は約束事の話を出す。
「約束事。まぁ、君の奴隷としての役目だと思って貰えたら良いよ」
そう前置きをしてから、
「僕は盲目でね。君には目になって欲しい。具体的に言うと手を繋ぐ、腕を組む、腕を掴むなりをして誘導して欲しい。これは譲れない」
これが目的でここに来たんだ。嫌だと言うならその気にさせるまでだ。
「構わない。それで、お前はそれだけのために奴隷なんて買ったのか?」
「今はそれだけ、とだけ言っておこうか。でも、元傭兵という肩書きを持つ君を選んだ。それは覚えていて欲しいな。それでレティア、君から僕に対する確認事項はある?」
「ある。私はもうここには戻れない。そういう契約だよな。なら、お前が死んだら私はどうなる?」
隠そうとしないなぁと柚姫は小さく笑う。半殺しの常習犯が、主人になったばかりの人に死んだら私はどうなると聞くなんて、答えによっては不慮の事故に会うぞと宣言しているものだ。
「答える前に僕からの約束を追加、絶対僕に危害を加えるな。約束出来る?」
「出来る」
即答だった。彼女は約束の重さを感じさせないその場しのぎの返事。だが、返事は返事だ。破ったのなら、その時に折檻してやればいい。
「普通の生活に戻ると良いよ。僕が持っている財産も全てあげるよ」
見ないが、レティアがピクリと反応したような気がした。
「だからって殺さないでよ、僕のこと」
形だけの釘刺しだ。効果の程は知らないが。
「これでも主人殺しはしたこと無いんだ。安心しろ」
レティアはそう言うと、もう確認することは無いとソファに深く座る。奴隷はもっと死んだように生きていると思ったが、彼女は随分と逞しい奴隷だ。
「安心していいのかね、それ。まぁ、これからよろしくね、レティア」
それから商人が契約関連の書類を持って来て正式にレティアが柚姫の奴隷となった。当初の約束通り、柚姫の腕を掴み誘導するレティア。頼りない下手糞な誘導だが、さっそく共有を使う柚姫には関係無いことだ。視界を共有して町のガラス等に映るレティアの姿を確認する。
長身で体は引き締まっている。流石は元傭兵と言った所か。そしてどのように娼婦になったかは知らないが、筋肉を鍛えているおかげか形を崩していないかなりの大きさの胸は体を売る商売の武器になったであろう。だが顔つきは色気からはかけ離れている。切れ長の瞳や無造作に伸ばされた紅い髪は野性味があると表現するべきか。
「行き先は?」
しばらく歩きメインストリートに出た辺りでレティアが尋ねる。
「君に持ち金があるなら宿泊施設、無いなら金を通貨に換金出来る場所。両方無かったら野宿出来る場所。
「換金所がこの時間は閉店している。……知り合いが経営しているバーがある。そこに行こう。こんな都市のど真ん中で野宿はごめんだ」
「ここの生まれ?」
知り合いがいる街、彼女は都市と言ったが、そんな場所で奴隷となる気持ちはどうなのだろうか。
「違う。昔はここを拠点としていた」
傭兵時代の話だろう。レティアは少し早い歩調で引っ張るようにメインストリートを神殿と反対方向へ進んでいく。会話なんて無い。会話出来るほど親睦は深めていない。
深夜の街を歩いていると、急にレティアがメインストリートから再度脇道に入った。目的地が近いのかなと思っていると、
「つけられているぞ」
尾行されている旨を伝えてきた。柚姫も尾行者がいることぐらい把握している。むしろ簡単にメイド部隊から逃げれた手前、見張りぐらい街に出していると考えるのが普通だろう。
「知ってるよ。様子見かな?」
「誰につけられているんだ?」
「金髪爆乳武人お姫様のメイドさんかな」
気楽に答えると、レティアは大仰に天を仰ぎ額に手を当てた。とんでもない奴に買われたいわんばかりだ。
「何をした?」
「姫さんの骨折ってメイドを数人殴り飛ばした。偉い人ってのは分かってたけど、こっちにも都合があってね」
「だからってこの地方を治める一人娘の姫様の骨折るって正気かお前」
「正気だよ。それよりもほら、早くバーに行こうよ。どうせ仕掛けてこないよ、しばらくは」
柚姫がにっこり笑うとレティアは唖然としながらも、それでもメイドを巻こうと裏道を何度も複雑に曲がり目的地を目指す。
メイドは恐らくこちらの動向を掴むだけで仕掛けてこない。そう思える根拠はある。何故なら、相手にしてみれば最低クラスステータスだと思っていた人物が簡単に人の骨を折るだけの力を有し、さらには検討もつかない能力でメイドを2人操っている。仕掛けても、手痛い反撃を貰い少ない手駒を減らすだけなのは明らかだ。
「レティアはあの姫様について何か知ってる?」
懸命に巻こうと努力するレティアに尋ねると、
「黙れ、後で話す」
と、短く一蹴された。余裕ないんだなと思うが、それを口にしたら拳骨の一発でも飛んで来る雰囲気だったので黙って彼女に付き合うことにした。しかしながら、メイドは一向に離れようとしない。そう思えたが、ある程度すると追尾することを止めた。その止め方も巧妙で、まるで見失ったかのような消え方だった。
視線を感じなくなり巻いたと判断したレティアは当初の目的地に再度向かった。警戒は解いていないが、動きは先ほどに比べかなり単純となっている。しかし、柚姫は何処かで追尾していると思っている。確かに視線は感じなくなったが、尾行方法を変えたか、こちらの行き先を突き止めたかのどちらかだろう。どちらにせよ、後ろの存在に全くの脅威を感じていない柚姫にはどうでも良い事だ。
柚姫達がたどり着いた場所は裏道、それも先ほどの奴隷の店があった場所とは違った裏道街。言ってしまえば夜の店、もっと端的に言うと酒と女の店が立ち並ぶ通りだ。その店の中で、小さな看板しか出していないバーに二人は入った。売れていない店なのか店内に客はおらず、カウンターで少し目つきが悪そうだが愛嬌のある女マスターが煙草を吸っていた。
「相変わらず暇そうだな」
「レティア……どうしてここに?」
マスターは驚いたようにレティアを見て、そして柚姫を見つけて眉間に皺を寄せる。
「それを含めて話をする。変わりに朝までここにいさせてくれ」
目的地についたことで油断したのか、それとも昔らの癖か。一人でつかつかと歩きカウンターに座り、置いたままだったマスターの煙草を加えるレティア。
「レティア、いいご身分だね。返品されないからって調子乗ってない?」
奴隷を支配したいから奴隷を買った訳では無いが、こうも早々と入り口に置いてけぼりにされたら少しばかり言葉の端々に棘が出るのは仕方ないことだ。
「あぁ、すまん。忘れた。そのまま真っ直ぐ歩いてこい」
殴ってやろうかと思った。ついさっき、自分の目になるよう約束したばかりなのに。いや、殴るべきだ。
だからレティアの声から位置を特定してから、彼女の言うとおり真っ直ぐ歩いてから、固めた拳で素早く彼女の頬を殴り飛ばした。容赦なんてしなかった。躾の意味を込めたそれは、彼女を椅子から派手に転げさせるには十分だった。
「お前!」
女マスターが止めに柚姫を非難するように叫んだので、
「さっきの言葉ぶりからして、彼女が奴隷、つまりは買われる立場の人間だってこと知っているんだよね。そんな彼女が殴られ僕が非難される言われは無いよ、主人に対してあの態度じゃね」
睨み付けてやった。目で怒りを表すのでのは無く、どこまでも冷めた目で。何も反論出来ない女マスターを鼻で笑うと手探り椅子を探し座り、
「早く座ってよ。こっちはあの姫様の話を聞きたくて堪らないんだから」
脳を揺らされたせいか、少し覚束無い動作で立ち上がりながら言う。
「そいつはどうも失礼しました、ご主人様、いや勇者様」
なかなか興味をそそるような話題の振りではないか。柚姫はマスターに何か飲み物を出すように頼んだ。