十、ランチの後で
九話の続きです。取り留めない話題の遣り取りです。
「定番のプリンも食べたいけど、レモンケーキも美味しそうだなぁ」
「チーズケーキも捨てがたいし……コーヒーづくしパフェって気になる!ああでもカフェイン濃そうだから無理かなぁ」
追加で甘いモノをオーダーしようとメニューを見ていると、七海がシュンと肩を落とした。すると唯がニッコリ笑って提案する。
「四人で一個ずつ頼んでシェアすれば良いよ。珈琲味のモノだって一口くらいなら問題ないでしょ?」
「まあ、そうだな。俺がそれ頼むから、七海はちょっとだけ味見すれば良い」
黛がそう言うと本田も頷いた。
「そうだよ、皆で別々に頼もう。実は俺も気になるんだよな、どれも食べてみたい」
「本田君って甘党だったっけ?」
高校の頃四人で寄り道した頃の記憶を辿ってみると、それほど本田が甘いモノを食べていた印象は残っていない。七海は不思議に思った。
「『甘党』?いや……」
「ポンちゃん、結構甘党だと思うよ?ウチのお父さんが作り過ぎたお菓子、いつもペロリと平らげちゃうし」
「そう言えば本田って外食で甘いモノ頼まないよな。カッコつけてるんじゃないのか?」
「え!そんな事……ないと思うけど。あ、でもそう言えば外ではそんなに食べないかも」
どうやらあまり本人は意識していなかったようだ。
「最近、勉強で頭使うからかな?」
パイロットになる為に取らなきゃならない資格や覚えなきゃならない事がたくさんあるらしい。
「あとポンちゃんって、どちらかと言うと手作り風の素朴なお菓子が好きだよね。茉莉花お母さんの影響じゃない?」
「ウマいよな、本田のかーちゃんのお菓子」
「ここのデザートメニューも確かに手作りっぽいと言うか懐かしい感じするしね」
七海が他のテーブルに乗っているデザートをチラリと伺った。
するとその席に座っている女性客と目が合い、パッと逸らされる。
「ん?」
不思議に思い視線を巡らすと……パパパっと視線を逸らす女性客が幾つか見受けられた。
そう言えば、このお洒落な喫茶店の店内には女性が多い。家族連れやカップルもいるが―――女性だけの席からはかなり不躾な視線を浴びていたようだ。
最近はお互いのマンションを行き来する事が多くなって、周囲に人がいるような状況で四人で集まる事が少なくなった。それに本田と黛を見慣れ過ぎてしまい、二人が女性の目を惹く美男子だと言う事を偶にうっかり失念してしまうのだ。
唯を見れば、メニューの説明を本田と確認するのに熱心で全く周囲を意識していないようだ。注目される状況に慣れているのだろう。やはり年季が違うな……と七海は感心した。
「どうした?」
黛が心配そうに七海を覗き込む。
「あ、うん、ええと……ホラ、他のテーブルのデザート。やっぱり美味しそうだなーって」
「じゃ、決まりだな」
黛が手を上げると、気付いた店員が直ぐに歩み寄って来た。注文を告げると程なくデザートが運ばれてくる。
四人でそれぞれの甘味を味見しながら、珈琲や紅茶を嗜む。七海は自家製レモネードを頼んだ。
「そう言えば七海って、お仕事どうするの?会社にはもう知らせたの?」
敢えて口にはしないが、勿論唯の言っているのは妊娠報告の事である。
「うーん実は取りあえず辞めようかなって思って、報告したんだけど……」
産休制度もあるにはある。けれども取得している人は三分の一程度で、寿退社はそれほどいないが、妊娠を切っ掛けに退職する女性社員は多かった。産休後一年ほど育休を取って働いている先輩もいる。そう言う人達はかなり出来る人やテキパキしているしっかり者が多い様なイメージがあったのだ。母親も働いていたが祖母や自分のサポートがあってやっと何とかやっている……と言う状態だったので、今の家庭環境で仕事をしながら続けるのが不安だったのだ。黛に尋ねたら「どっちでも七海の好きにして良いぞ」と呑気な返事があったのだが。
「でも引き留められちゃったんだよね。会社も体制を変えて子育て環境に考えたいって言ってくれて。育休も取ってその後も短い時間から働けるって言うし……もしかするとまだ先の話だけど企業内託児所も作るかもって」
「なるほど……最近株主もCSR活動を重要視する所が多くなっているらしいしね」
唯がふむふむ、と頷きながら言った。
「『CSR活動』って、ナニ?」
七海が尋ねると、紅茶で喉を潤した唯がニコリと笑って説明した。
「産休取得率が高くするとか福利厚生を充実させるとか、慈善事業に熱心だとか社会的な責任をちゃんと果たしている成熟した企業の活動……ってトコかな?昔は利益とかお金の面でしか判断しなかった投資家が、最近はそう言う部分も考慮するようになっていて、企業の方も自分達の体制を見直す所が増えてきているみたい」
「へー、さすが唯。おばあちゃんに教えて貰っているだけあるね」
唯は花嫁修業と称して、本田の祖母から様々な教えを受けているのだ。その中には資金運用についての講義もあり七海も何度か面白半分でお邪魔した経験がある。
「利益の多い企業より信用できる会社の株を長く保有するって考え方が主流になりつつあるんだって。それにちょっとしたスキャンダルで一気に株価が暴落しちゃう企業ってあるよね?そう言う時会社にプライドと愛着を持っている社員がいれば持ちなおせる確率も高いし、社会の信用もそれほど一気に落ちないものでしょう?だからきっと七海の会社もそう言うのを意識しているんじゃないかな?……で、どうするの?」
「うーん……正直迷っているんだ。黛君は好きなようにしろって言ってくれているんだけど……」
唯は残念な物を見る様な目で黛を見た。
「そんな事言われても困るよね?黛君は忙しいから七海のサポート出来ないんでしょ?そんな自分は関係ないみたいな言い方しないで、もうちょっと親身になってくれないと」
黛はパチクリと瞬きを繰り返した。それから「ああそっか」と何か心得たように口を開いた。
「七海―――仕事したければ、俺が辞めて子育てするぞ」
「え!」
真顔で言われて、七海は慌てた。子供の頃からずっと医者を目指して来た黛に仕事を辞めさせてまで続けるほどの情熱は、七海には全くない。
「そんな事考えた事ないよ!第一、仕事辞めようと思ってくらいだし」
「黛君……はー……極端だよ。そう言う事じゃなくて、一緒に今後の事考えた方がいいよって言ってるの」
キョトンとする黛に唯は諭すように言った。
「例えば、育休はどのくらい取るかとか、七海が働き始めたら子育てと家事に手が回らなくなるじゃない?そう言う時どうするか……っていうのを、まず七海と一緒に考えるだけで良いのよ」
「ああそれなら……」
黛は事も無げに言った。
「家事は全部プロに任せて良いし、何だったら育児も評判の良いベビーシッター探すし、玲子も仕事引退して子育て手伝うって言っているしな。俺も家に帰れないのコリゴリだから外科に拘らなくても比較的忙しくない専門にしようって考えているし……だから七海は仕事したければすれば良いし、子育てに専念しても良い。一旦辞めて子育てが一段落してから働いても良いしな。金の心配はいらないぞ、俺だけじゃなくて玲子も親父も稼いでいるからな」
七海は吃驚して固まってしまった。まさか黛が其処まで考えているとは露とも考えていなかったのだ。てっきり適当に「好きにすれば?」と言っているのだと思っていたのだ。
「黛……圧倒的に言葉が足りない」
「うん、黛君が七海の事ちゃんと考えているのは分かったけど―――全然伝わってない」
すると首を傾げた黛が、七海の方を向いた。
「そうなのか?」
「えっと、うん。だけど今伝わった、うん―――アリガト。ちょっと考えてみる」
「そっか、何か判断に困る事があったら相談しろよ」
「うん」
ニコリと笑う黛に、七海はコクリと頷いたのだった。
結局上司と相談して、七海は産休を取得する事になった。黛も色々考えてくれているようだし玲子も帰って来るし、できるだけ頑張ってみて続けるのが難しければその時考えよう……くらいに気楽に考えられるようになった。
会社の方も真面目に働く七海に続けて貰いたいと考えていたと言ってくれたが、一旦働くと決めて産休を取ると、産んでみてやっぱり駄目だったからと言って辞めるのは中途半端な気がしたのだ。けれども唯の言うように産休取得率を上げると言う目的も兼ねた引き留め要請だと上司も言ってくれたので、何が何でも続けなきゃならない……と言うプレッシャーが減ったのも良かった。勿論いい加減に勤めるつもりは無いのだが。
それほど仕事熱心と言う訳じゃなかった自分がまさか子供を産んだ後も働く選択をするとは……人生何が起こるか分からないものだと、七海は思ったのだった。
お読みいただき、有難うございました。