(11)すれ違いの後で
七海と待合わせをしていたある日、そろそろ終業時間だと時計をチェックしていた黛のところへ、看護婦が飛び込んできた。
「先生!ちょっと来てください!川越さんの容体が……」
黛は慌てて看護婦の後を追った。
連絡出来るようになったのは、待合わせの時刻を一時間ほど過ぎた後。
怒涛の展開に対応して気力がすっかり抜け落ちたボンヤリした頭で、スマホを確認すると七海から『来れなさそう?』とメッセージが入っていたので、慌てて返事を送った。
『ゴメン、仕事長引きそう。今日は無理だから帰って<(_ _)>』
そう返信を送って画面を閉じた。
患者は一端安定はしたものの、予断を許さない事には変わりない。指導医に連絡しこちらに向かってくれている処だが、このまま待機が必要だろう。
そんな訳で一週間振りのデートは不意になったのだった。
翌週の休みは七海の誕生日祝いだった。
父親が不在の今日は黛の家でまったりケーキを食べようと言う事になり、大学病院の前のスタバで待ち合わせをして、デパ地下で食べ物とケーキを買い込む予定だった。
黛の予定がいつひっくり返るのか分からないので、レストランを予約するのは止めようと彼女からの提案だった。全くその通りなので黛に否やは無い。それに人目がある場所より、七海とすぐ距離を詰められるお家デートは何かと黛にとって都合が良かった。
担当患者の病状の急変も無く、予定通りにロッカー室を出る事が出来た。
スタバの屋外席に座る七海を見つけ、手を上げて駆け寄る。
「待ったか?」
「ううん。黛君、割と早かったね」
先週会えない分、気持ちが逸って仕方が無かった。
黛はニッコリと笑って、七海に手を差し伸べた。
「じゃ、行こうか」
「うん!」
ピリリリリ……。
黛はガクリと項垂れた。
PHSが鳴ったのだ。きっと急患だろう。
「すまん……」
肩を落としたまま隣の七海を見ると、彼女は肩を竦めて少し寂しそうに笑った。
「しょうがないよね」
「誕生日祝いなのに」
シュンとする黛に、七海はニッコリと笑い掛けた。
「まあ、今日は厳密に言うと当日じゃないし―――じゃあ、お詫びに次たくさん奢って貰おうかな~」
「それは勿論」
「さあ、行った行った……!患者さん、待ってるんでしょ?」
七海は落ち込む黛を元気づけようとしているのか、殊更明るく背を押した。
それが十分に分かるだけに、じんわりと彼の胸に熱い物が湧き上がった。
「すまん」
そう言って頭を下げ、PHSに耳を付けながら黛は病院へ駆け戻ったのだった。
翌週。
その後のメッセージのやりとりでも七海はアッサリしたものだったが、黛は限界だった。
もうかれこれ三週間以上、まともに七海に触れていない。
絶対に今回は逃せない。それに翌日は珍しく休みを合わせる事ができたのだ。
黛は万全を期してホテルを予約する事にした。予定通り出られれば、ホテルのレストランで食事が出来る。今回容体の急変しそうな患者は担当していない。例えギリギリで仕事が伸びる事になっても夜中過ぎには七海が待つホテルに辿り着けるだろうと算段したのだ。
ところが今回も終了時刻間際にある患者の病状が急変した。
しかも担当医である加藤が何度連絡しても、捕まらない。
指導医と連絡を取りながら、何とか処置を施し加藤が捕まるまでまんじりともせず待機する。漸く加藤が現れたのは朝の四時だった。
引継ぎを済ませ病院を飛び出す。
ホテルにチェックインして予約していた部屋のドアを開ける。暗い部屋に窓から少し朝日が差し込んでいて、ベッドに横たわる七海がうっすらと暗闇の中に浮かび上がって見えた。
微かな寝息を立てて安らかな顔で眠る彼女に、服のままゆっくりと覆い被さった。
「ゴメンな……」
そう言って頬にそっとキスを落とすと、体の下で七海が身じろぎをした。
「んー……黛君?」
「遅くなった」
「うん……あふっ……おつかれさま……黛君も、一緒にねよー?」
寝惚けながら、欠伸を噛み殺して言う七海の声に怒りは無い。
黛は返って申し訳なく思ってしまう。
「ああ……スマン、待たせてばかりで」
「……ん~~」
七海はうつ伏せ気味だった体をぐるりと仰向けにして、覆い被さる黛の頭を抱え込んだ。
そしてヨシヨシと、その頭を撫でつけて言った。
「苦しゅうない、近うよれ」
「ふっ……殿様かよ?」
「姫様でしょ……」
「では、姫。お言葉に甘えて」
ちゅっと、黛は七海の頬に口付けた。
結局その日はホテルのパジャマに着替えてベッドに潜り込み、朝ごはんのビュッフェの時間も潰してチェックアウトギリギリまでくっ付いてただ昏々と眠った。
チェックアウトの後、適当な喫茶店で朝食を食べながら七海が言った。
「早く結婚したいねぇ」
七海からそんな言葉を聞くのは初めてだったので、黛はちょっと驚いた。コーヒーをゴクリと飲んでカップを置くと、七海はニコリと笑って続けたのだった。
「結婚したら、黛君の帰りがどんなに遅くなっても同じ家に帰れるもんね」
いつも前のめりの黛に対して素っ気ない七海が、そんな甘い台詞を口にするのは稀少な事だった。
「よし、行くぞ」
「もう?」
急に雰囲気の変わった黛に首を傾げながら、手を引かれ七海は喫茶店を後にした。
そして黛に父親が既に出勤して空になったマンションに七海を問答無用で引き込まれ、三週間分みっちり彼女は可愛がられてしまう事になる。
何が黛のツボなのか―――未だに把握しきれていない七海であった。
お仕事に忙殺される黛に、小さな(?)ご褒美です。
お読みいただき、有難うございました。
※誤字修正 2016.10.27(nakagawa様へ感謝)