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(83)久し振りですね

『知合いですよね』黛視点の裏話です。


少々長めでシリアスな内容。雰囲気が苦手……と感じる方、黛と美山の過去の付き合いについても触れるので、気なる方は回避の方向でお願いします。読み飛ばしてもそれほど今後のお話に影響はありません。

『久し振り』




メールを開くとタイトルにそう書かれていた。

メルアドの変更はしていないし、別に着信拒否もしていないから美山からメールが届く可能性もあったのだ。ただ、三年前にあちらから別れを切り出されて以降、一度たりとも連絡があった事が無かったから―――黛は少し目を細めて、本文の内容を確認した。




『この間奥様とお茶しました。

 貴方が元気だと聞いて安心しました。

 ___お幸せに』




知らされていなかった出来事だが、何となくあり得る事だと何処かで予期していたような気がする。だからなのか……驚きというものは感じられなかった。




『PS.私も元気です』




それは良かった。黛は心から、そう思った。


そしてやはり彼女と別れた事は正解だったのだと、改めて思う。

黛が二十一歳の大学生だった頃、彼女は既に二十五歳の仕事に馴染んだ大人の女性だった。モデルとして雑誌で活躍していたらしい―――黛はそういう事に殆ど興味が無いので良く分からなかったが。玲子にエスコートを強制されて連れて行かれた先で、彼女から興味を持って声を掛けて来た。黛の目に美山は―――華やかで、余裕のある世慣れた女性に映った。最初はただお茶に誘われただけだったが、暫くして付き合おうと持ち掛けられた。

社会人の余裕なのか、今まで付き合って来た女性よりずっと懐が深かったように思う。彼女が声を荒げて黛に文句を訴える、というような事は無かった。もしかして口に出さなかっただけなのかもしれない。プライドなのか優しさなのか、理由は分からないが。


別れの少し前から、彼女は葛藤を抱えて常に苛立っているようだった。黛となかなか会えない事も原因の一つだったのかもしれないが、真面目に生きて来て、努力で困難を乗り越えて来たと言う彼女が―――あの頃おそらく初めて仕事の上で壁に突き当たり、この先どう生きて行こうかと悩んでいた時期だったのだと、彼は今ではそう察する事ができる。


その頃黛も―――これ以上自分を騙せないと気が付き始めていた。黛が別れを口にする前に結局振られてしまったのだが、正直その時は肩の荷が下りたような気分になったものだ。

彼女が迷走し始めた事で、やはり心残りを抱えたまま他の女性と付き合うのは止めなければならない、漸くそう思い立つ事が出来たのだ。

その時点では全く七海に振り向いて貰えるような望みなど無く、ただただ彼女に『面倒臭い奴』としか思われていないと、十分過ぎるほど分かってはいたが。


七海には一度完璧に振られているので、それ以上黛にはどうする事もできない。

彼女が自分を男として全く考慮していないのも―――女性に常に秋波を寄せられる黛には手に取るように分かっていた。八方塞がりの状態で、他に好きになれる相手が現れる事も無く―――アプローチをしてくれた相手が、嫌な感じのしない女性であれば付き合うようにしていた。付き合って行く内に好きになれるかもしれない、そう思ったからだ。

思えば七海と接するようになった切っ掛けも、七海からの告白だった。だったら―――他にそういう切っ掛けで始まった相手でも、七海のように好きになれる相手に変わるかもしれない。


そう期待していたが―――どの女性も結局、黛の中の彼女を超える事は無かった。

付き合って来た相手は、良い女性ひとばかりだったと思う。

性格だって、見た目だって、これと言った不満を抱いた相手はいなかった。


美山と別れようと決意した頃やっと。誰かと必ず付き合わなければならないとか、誰かと必ず結婚しなければならないと言う決まりは無いのだ―――黛はその事に遅ればせながら気が付いたのだ。


愛し合っている両親を見ていて、自分にも運命の相手がいるのだと思い込んでいた。けれども自分がいくら好きだと思っても、必ずしも相手が振り向いてくれる訳では無い。そしてその恋が上手く行かなかったからと言って、他に必ず自分の運命の相手が用意されている訳では無いと言う―――当たり前の事に気が付いたのだ。


大学時代は特に、恋愛とは黛には億劫な物だった。


課題や実習に没頭したい―――その時間を割いて、その時その時の『彼女』の為に作る時間は、半ば義務のような物だった。きっと黛がそう感じている事が、自然に相手に伝わっていたのだろう。付き合う相手は皆、自分に関心を向けない黛に愛想を尽かして去って行った。どちらが別れを言い出したかというのは些細な問題で、結局いつも彼の『恋愛』はそういう結末に辿り着いた。




けれども友人である七海に会う時間は。

―――黛にとって、無理にでも捻出せずにはいられない物だった。




勉強や仕事を上手くやりくりして、空いた時間があれば彼女に会いたくなる。会って馬鹿な事を言った自分に辛辣な突っ込みを言いながら、大笑いする七海の顔が見たい。彼女の柔らかで少し低めの声を―――何度でも繰り返して聞きたい。一度など彼女の声を録音しようかと本気で考えたものだ。課題や実習で長い事会えない時間があると、まるで中毒患者の禁断症状のように苦しくて仕方が無かった。だから、録音でも彼女の声を聞けば、一時心が休まるのではと考えたのだ。




美山と付き合っている時、週末本田家に行くと言った黛に唐突に「私も連れて行って」と彼女が訴えて来た事がある。

新だって自分の彼女を連れて来る。皆で一緒にゲームをしたり、特に内容の無いおしゃべりや近況報告をする他愛無い集まりだ。少々年上だが、社交的で気の良い美山は簡単にその場に溶け込むだろう。それこそ唯や七海と直ぐに打ち解けて仲良くなってしまうに違いない。


そして必ずそこに七海が現れると言う保証はないから、七海と美山が顔を合わせるとは限らない。けれども絶対に連れて行けない―――そう思った。

何より七海に、美山との仲を囃し立てられたリ揶揄われたら―――軽く死ねる。『お似合いじゃない』なんて屈託なく友人の幸せを喜ぶ七海が目に見えるようだった。そんな事を言われたら―――ショックで動けなくなるかもしれない、そう思った。

七海を好きだと言う気持ちは、気付いた時から徐々に大きくなって―――もう後戻りが出来ないくらい膨らみ切っている。他の彼女と居る所を見られても平気だったあの、無邪気な子供の頃にはもう戻れない。


柔らかく断ったつもりだ。美山が気を悪くしないよう黛なりに言葉を選んだと思う。

けれども―――美山は泣き出してしまったのだ。

映画やDVDを見た彼女が涙を拭う場面は何度か見た事があった。しかし黛との遣り取りで泣いた事の無い―――常に柔らかい微笑みを湛えて落ち着いた対応をする、大人な美山がポロリと涙を流したので、黛はひどく驚いてしまった。




その時黛は思ったのだ。

もう彼女とは付き合えない、と。




いや、七海以外の女性と付き合ってはいけない。

少なくとも―――黛が七海をちゃんと諦める事ができるまで、誰かと付き合ってはいけないと。遅すぎるくらいだったと、今では思う。誰かと付き合わなかったからと言って、七海に好きになって貰えるなんて事は無かったと分かっていはいるのだが……。


その時は単純にこう思っていた。

独り身であれば勉強と実習に集中できるし、彼女と会う時間を作るために七海との時間を削らなくても良い。その時の彼女に変に罪悪感も抱く必要も無くなるから、気が楽になるだろう。きっと無理に忘れようとするのは逆効果だったのだ。そのうち仕事を始めれば―――必死にならざるを得ないし、忙し過ぎる毎日を過ごす内に徐々に七海の事を考え無くなるだろう……そう思った。先ずはそれを待とう、と。


美山に別れを切り出されたのは、その直後だったと思う。


元々黛にサッパリと声を掛けて来た美山は、付き合った当初、自分の仕事に忙しく常にイキイキしていた。あまり会う時間が無くても、会えば楽しそうに仕事の話をする美山を見ていると、黛も勉強を頑張ろうと励まされたものだ。

けれども仕事で躓く事が多くなった美山は―――徐々に黛の都合にあまり配慮をみせなくなって行った。本田家に付いて行きたいと言った事だけでなく、実習や課題があっても無理に黛に時間を作るように強請ったりするような我儘を言う事も増えた。何とか時間をやりくりして待ち会わせ場所に行けば―――一時間ほど待たされて、電話をしてもメールを送っても連絡が取れず、更に一時間後に「ごめ~ん!忘れてたー」と酔っぱらって笑いながら電話をかけて来た事もあった。電話の向こうからは男性の声がした事もある。真面目な美山が浮気をするなどと言う事は、その時黛の頭には全く浮かばなかったのだが―――今考えると、その事を全く責めず嫉妬もしない黛の態度にも、美山は愛想を尽かしていたのかもしれない。黛はただ、美山は何か今しんどい状況に陥っているのだろうと、ただ同情を示しただけだった。翌日素面になった美山に猛烈な勢いで謝られた時も「自分も実習や課題でドタキャンする事があるからお互い様だ」と告げると、彼女はホッとしながらも少し物足りなそうな表情をしていた気がする。今となっては三年も前の事なので―――気のせいかもしれないが。その時は黛も其処まで想像が行き届かなかった。そんな気がほんのりしただけだ。


その頃の美山は確かに変だった。


急に料理に凝り出したり、友人の結婚式や赤ちゃんが生まれた事をしきりに話題にする時期があったり、仕事に集中したいからと約束をすっぽかす事が頻繁になったり。


彼女が料理に凝り出した事を漏らすと、『結婚したいアピールだろ』と遠野に指摘され、そんなもんか?と首を捻った事もあったが―――実際は、微妙にそういう事とは違うのだと、何となく気が付いていた。


美山はきっと何かから目を逸らしたかったのだ。黛は何となく本能でそれを感じ取っていた。薄い靄の中を歩くように、はっきりしない視界の中で手探りをしていたのかもしれない。


思えばあの頃、美山は今の黛と同じくらいの年齢だった。仕事に限界を感じて自分の無力さを何度も思い知らされている今の黛には―――やっと彼女の漠とした不安の正体を、おぼろげながら実感できるようになって来ている。ただ彼女は辛かったのだな、とあの頃に想いを馳せる。

誰に頼って良いか分からず、結局自分で立ち上がるしかないと気付くまで―――ウロウロとうろついていたのだろう。

この間目を合わせた時―――そのような曇ったものは、彼女が真っすぐこちらを見た視線からはすっかり拭い去られていたように思う。


彼女はもうおそらく自分の歩く方向に迷ってはいないのだろうと、黛はその一瞬で感じたのだ。







七海と付き合える事になって。正直美山の事は他の女性と同様、黛の頭の中からすっかり抜け落ちていた。

黛の頭の中は毎日ほとんど仕事の事で一杯で。その間の僅かな隙間は七海の事で埋まっていた。

特にここ最近は―――七海の妊娠への期待と不安でそれこそ頭の中も胸の中も一杯で―――美山が紗里の義妹だと言う事実も、思い出す事さえ無かった。以前美山は、紗里の新作のモデルを本業の合間に手伝っていた。そこで黛は目を付けられてしまったのだが―――まさか今、彼女が美山の店で本格的に働いていたとは。……想像もしていなかった。


と言うか幸せに浮かれ過ぎていて、完全に忘れていた。


だから、美山を七海の控室で見掛けた時―――一瞬、見覚えのある顔に時が止まった。

誰だっけ。ああ、美山だ……と、その数秒後に記憶が引っ張りだされ、咄嗟に目礼を返したと言うのが、真相だ。

それより何よりも黛の関心事は―――七海の体調だった。もし妊娠が本当なら疲れているかもしれない、早く昼ご飯を食べさせて休ませたい―――その事で頭が一杯だったのだ。


本当に酷い元カレだと、黛自身も思う。


七海が黛を呼び止め、話をしないのかと問いかけられた時―――黛が心配したのは『七海がどう思うか』その一点だけだったのだ。


七海の為にも、彼女にこれ以上関わる事はしない。

それは正しい判断だと、今でも思っている。


けれども―――七海が自分を冷たい人間だと感じ、こんな男が夫で良いのだろうかと少しでも後悔するのではないか?その事が心配だった。そしてもし、美山と黛の関係に心を痛め、ただでさえ心配な体調を崩してしまわないか、ストレスを感じないか。―――その事が気になった。だから蕎麦屋で、食の進まない、何か考えごとに沈んでいる様子の七海をジッと観察するように見つめてしまったのだ。


こんな風だから―――やはり美山は自分を見限って、正解だったのだと改めて思った。








彼女は何故、七海をお茶に誘ったのだろう。


七海がそういう事を言い出さない性質である事を―――黛はよく承知している。そしてそんな事があった後も、黛に何も言わず彼を普通に受け入れてくれる彼女に改めて感動してしまう。……少しの嫉妬も示してくれない事に、少々面白く無いと感じない事も無いが。


そして何となくこうも想像している。七海と一度面と向かって話をすれば―――美山も黛と同様、彼女の優しい声や、厳しさや嫌味の欠片も混じらない態度に……自分は決して敵わないのだと、実感したのではないかと。


何故なら黛も、常にそう感じているから。


彼は七海に対峙すると、いつも白旗を上げざるを得ない。七海には決して何をしてもどうやっても敵いっこない―――毎回、そう思い知らされるのだ。


きっと七海はただ、彼女に対して真摯に対応しただけだ。

そしてドレスのお礼を心を込めて告げて、尋ねられれば黛の現状を隠す事無く伝えたのだろう。


だから美山は、黛が元気だと言う事も―――今、現在幸せにやっていると言う事も理解したのだと思う。


それにしても分からないのは、何故美山はわざわざ黛にメールを送って来たのかと言う事だ。

罪悪感?なつかしさ?未練?……それとも決別?―――本当の所は彼女にも分かってないのかもしれない。


今、黛が出来る事は。

ただ彼女が元気だと言う言葉を信じて、彼女の今後が明るい物になるよう願うだけだ。


そして。決して―――返信はしない。


彼女の意図がどうであろうと。

七海が気にしなくても、許すと言っても。


昔の女性と旧交を温める事は、決してない。

例え小さな返信メールだとしても―――黛が美山と再びビジネス以外の繋がりを持つことは、この先無いだろう。




それは七海の為であり、黛の為であり―――美山の為でもある。




一滴たりとも、憐憫を与えない冷たい姿勢を貫く事が―――黛が美山の為にできる精一杯の事なのだ。そして『つまらない男と付き合ったものだ』と、腹を立ててくれればなお良いと思う。あの時一時期交わった二人の道は既に分かれて―――今後決して交わる事は無いのだから。




想い出話も込みの黛サイドの話でした。


お読みいただき、有難うございました。

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