(70)行き違い
(69)話の続きです。
身を翻した途端、七海の視界にチカチカと光が舞った気がした。
あれっ?と思う間も無く、視界がフニャっと曲がる。
「江島?!」
バランスを失い倒れかかった七海の体を、咄嗟に遠野がガッシリと受け止めた。
「大丈夫」そう言おうとして、足に力が入らずクタクタと七海は崩れ落ちそうになった。
「おい、何している」
恐ろしく低い声が聞こえて来た。目の前は昏かったが、それが自分の夫のものだと言う事は、七海には直ぐに分かった。
「え!いやっ……これは違う……」
遠野が上げる焦ったような声が、遠くから聞こえてくるように感じる。
「どう違うんだ」
するとフイッと嗅ぎ慣れた香りに包まれる。黛が遠野を押しのけ七海の体を引き寄せたのだ。
「ちが……まゆずみ、くん。具合わるくて……」
「え?」
弱々しく反論すると、黛は真顔になって七海の顔をジッと観察するように見返した。
「目の前が暗くなって」
「貧血か?」
「……かも……」
廊下の突き当りに椅子が置かれているのを目に留めると、黛は七海を支えてそこへ座らせた。体を締め付けるような物を身に着けていないのを確認すると、首を触って眉を寄せた。
「熱ありそうだな?」
そう言えば、とうつろな頭で七海は思う。
トイレで鏡を見た時、頬が妙に朱いと思ったのだ。揶揄われて恥ずかしかった所為だけでは無かったのかもしれない。
優しく七海の体を擦りつつ、先ほどと打って変わって落ち着いた様子で黛は遠野と二言三言交わしている。頷いて遠野がその場を足早に去って行った。急にスイッチが入れ替わったようにキビキビ対応する二人を見て、ボンヤリする頭で七海は考えた。子供みたいに我儘な所のある黛も、大人げなく黛に絡む遠野も……二人で職場にいる時はこんな風にシッカリした感じに変身するのだろうなぁ、と。
遠野が川奈と一緒に荷物を持って現れた。会計を預け黛と七海はそのまま先に帰宅する事になった。タクシーも手配して貰い、少し眩暈も落ち着いたので黛に支えられながらレストランを後にした。
二人でタクシーの後部座席に並んで座る。運転手に行先を知らせると、黛は優しく七海を引き寄せて自分に持たれかけさせた。
「ごめんね」
「謝ることなんか無い。けど急に熱が出るなんて珍しいな」
「……知恵熱かも」
「知恵熱?」
「いろいろ初めての事が多くて、緊張しちゃった」
「そっか」
暫く沈黙が続いて、体の力の抜けた七海がウトウトし始めた時、頭の上から黛の声が降りて来た。
「遠野に……」
少し躊躇うように、言葉を切って。
「……何か言われたか?」
「あのね……」
七海は眠気を抑えて、口を開いた。
限界が来ている事は分かったが、これだけは言って置かないといけない。
「黛君は遠野君に、渡さないからね……」
「…………えっ?」
彼女の言う意味を捕らえきれず、黛の反応が遅れた。
「まゆずみくんは……私の旦那さまなんだから……」
すうッと七海が意識を手放した。
「??」
何だかスゴイ事を言われてしまい、黛の頭はカッと熱くなった。
しかしどうやら予想と違う遣り取りがあったらしい事だけは、分かった。
七海の鈍感さに呆れつつも、黛は安堵する。
けれども―――相変わらず爆弾を投げ込むだけ投げ込んで、放置される事には変わりなかった。具合の悪そうな彼女に無体を働く事もできず、そう言えばまだ具体的な『ご褒美』を貰っていなかった事に気が付いて、七海を労わりつつも煽るだけ煽られて放置された黛は、悶々とした一日を過ごす事になったのだった。
七海たちは早退しましたが、合コンはおおむね良好な雰囲気で終了しました。
七海が具合を悪くした事に何となく罪悪感を抱いてしまった遠野は他の女子メンバーに悪さもせず、感じの良いイケメン研修医と言うキャラで今回は終始通しました。
少し長くなりましたが、これにてランチ合コン終了です。
お付き合いいただき、有難うございました。




