(68)陰の功労者
(67)話の続きです。
飲み物が空になったので、イソイソと七海は立ち上がろうとした。二時間と言う時間制限はあるが、ここはランチの間サラダビュッフェとフリードリンクが付いていて何度でもお替りが出来るのだ。烏龍茶やオレンジジュースなどのソフトドリンクの他、白ワインまで用意されている。そのほかフレーバーティーも何種類か準備されているのを先ほど目に留めていた七海は、次はそちらを試してみようと楽しみにしていたのだ。
「俺が行く」
するとグラスをグイッと飲み干した黛が、七海を制して申し出てくれた。
「座ってろ、何が良い?」
「えっと……じゃあ、ホットのアップルティーを……」
「ん、了解」
スッと立ち上がり出て行く黛を目で追っていると、斜め向かいに座っていた川奈が瞳をキラキラさせて意味ありげにこちらを見て言った。
「旦那さん、やっさしー」
「え、あ……うん」
他人に言われてからやっと意識して、七海は頬を染めた。
自然に女性を気遣う行動を見せるのは高校時代から黛の標準装備だったので、彼女はそれが特別に見えると言う事を忘れてしまう傾向がある。つくづく自分は恵まれているなぁ、と川奈の台詞で改めて七海は気付かされたが、照れて彼女の言葉を真正面から逸らしてしまう。
「でも彼は割と誰にでも優しいので……」
「いやいや……どう見ても特別ですよ」
目の前に座っている黛の同僚の研修医、久石が拝むように立てた手を左右に振った。お洒落にセットした短髪に銀縁眼鏡をキラリと光らせて、真剣な顔で否定する。合コン開始当初は男性陣と女性陣が並んで向かい合って座っていたが、先ほど男女が交互になるように席順を組み替えたのだ。角に座る七海の正面には久石、斜め前が川奈、右隣が夫の黛と言う並びになっている。
「あんなデレデレした黛、初めて見ましたよ。学生の時もそうだったけど、職場じゃあんな風に笑わねーもん」
「へぇ~、じゃあやっぱり江島さんが特別って事でしょ。まあ新婚さんなんだから当たり前と言っちゃあ、当たり前かもしれないけど―――いいなぁ~」
「えっと……」
「お弁当いっつも美味しそうに食べてるし、黛、全然同期の飲み会にも出なくなっちゃって……よっぽど奥さんと居たいんですね、今目の当たりにして実感しました」
「へぇ~、愛妻弁当!江島さんってひょっとして良妻?結婚してからお洒落になったしねぇ」
「えっと、その……」
限界が来た。
「あ、あの!ちょっとお手洗い行ってきまっす!」
七海は羞恥のあまり、ポーチを持って逆惚気地獄から逃亡を図ったのだった。
後に残った川奈と久石は、顔を見合わせてクスリと笑った。
「あの子、照れ屋さんなんですよね」
「川奈さん人が悪いなぁ、もしかしてワザと揶揄ってたでしょ?」
「反応が面白くてつい……。会社であの子あまり惚気無いから。普段自分から惚気る娘だったら、こんなコトしませんよ!」
七海が去った後、二人の間に少しだけ共犯者の親密な空気が流れた。図らずも七海は合コンの盛り上げ役として陰ながら貢献する事になったのだが……本人は全く気が付いていなかったのだった。
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