(9)自業自得
強引な黛の所為で予定に無いお泊りをしてしまった朝、彼が朝イチにコンビニで購入してきた朝食を七海は食べていた。
流石に無理を言い過ぎたと反省しているらしく、黛はいつもより少し大人しい。
七海が明太子お握りを食べ終わるのを見届けてから、彼はこう切り出した。
「車で送る。七海の家まで行って、その後仕事場まで連れて行くよ」
「んー……いーよ、もう。黛君も仕事あるでしょ?」
「いや、今日夕方からだから……」
七海は首を振った。
「黛君のクローゼットに予備のブラウスとか一揃い置いておいたの思い出したの。中身だけ着替えていくよ。スーツ皺になってないし、上着脱げば違う服に見えると思う」
ニコリと笑う七海に、黛は尋ねた。
「お前さぁ……」
「ん?」
黛が入れたコーヒーを飲みながら、七海は首を傾げた。
「無理してないか?」
「んん?ナニ、突然」
「いや……俺ばっかり、我儘言ってるような気がして―――本当は無理して合わせているんじゃないか?」
向かい合ったテーブルの上で両方の手の指をしっかりと組み合わせ、神妙な顔で呟く黛を見て―――七海はプッと噴き出した。
「変なの!黛君が我儘なの、昔っからじゃない」
そして眉を寄せる黛を見て、七海は笑い出した。
「いや……そうじゃなくて……」
それでも黛が深刻な表情を崩さないので、七海はコーヒーカップを机に置いて彼の顔を覗き込んだ。どうやら何か引っかかりがあるらしいと、気が付いたのだ。
「……どうしたの?」
「婚約指輪も新居もいらないって言うし……俺があんまり性急に進めるから、もしかして嫌になったのか?結婚……」
弱気な台詞を吐き始めた、超絶マイペース(である筈の)男を、七海は目を丸くして見つめた。
「俺がグイグイ押してるから、仕方なく流されているだけで―――本当は呆れてるんじゃ、ないか……?七海は本当は―――もう嫌になっているんじゃないかって気がして」
七海も笑いを引っ込めて、真面目に黛を正面から見た。
そして暫く考え込むように思案してから……口を開く。
「うーん……あのね、正直に言ってもいい?」
「もちろん」
オズオズと話し始めた七海に、黛は頷いた。
「うんとね、あのー……正直、ちょっと引いてます」
ピキッと、黛の心臓にヒビが入った。
やっぱりと言うか予想通りと言うか。しかし七海の口から直接聞かされるとかなりの威力があった。
七海はコーヒーを手で包み込むようにして少し視線を下げた。
「だって黛君いきなり変わっちゃうんだもん。今まで憎まれ口ばっかり聞いていたクセにさ。あんまり言われ慣れていない事言われるから、恥ずかしいし照れるし、何て言っていいか分からなくなるよ」
「う、まぁ……それは、そうかもしれないが……」
「『可愛い』なんて言われたの小学校低学年以来だよ?」
「『可愛い』から『可愛い』と言って悪いのか?」
「だって……!今までそんな事、黛君から言われた事ないし。だから慣れなくて……」
「ずっと思っていたけど言えなかったんだ。もう付き合っているんだから、黙って無くても良いじゃないか」
「急に色々買ってくれるって言い出すし、悪くて―――もっと今まで通り、普通にしてくれれば良いのに……」
「結婚するんだろ?結婚したら家計は一緒になるんだから、気にする必要なんかないだろ」
「んーとね、そうじゃなくて……!家計が一緒になるって言うなら余計無駄遣いしちゃ駄目でしょ?将来何があるか分からないし……」
「やっぱり……」
黛は肩を落として溜息を吐いた。
「迷惑だったのか……?」
極端だな!と七海は内心ガクッとずっこけた。
「違うって!迷惑なんかじゃなくて―――」
机の上を彷徨わせていた視線を上げ、黛をまっすぐ見据えて七海は勇気を振り絞った。
「う……嬉しかったよ?『可愛い』とか『好き』って言ってくれるのも、まだちょっと慣れないけど―――私が恥ずかしくて言えない事も言ってくれるし、色々買ってくれようとしてくれるのも、好かれてるなぁって思えて……本当に嬉しい」
そう言いきって、真っ赤になった七海を見て―――黛も思わず頬を染めた。
「ただちょっと―――ギアを落として欲しいと言うか……色々ゆっくりやってきたいなぁって。私、ついこの間なんだよ?男の人を好きだなって思えるようになったのって……そりゃ、黛君はいろいろ経験しているのかもしれないけど……」
ほんの少し拗ねた口振りになる七海を見ていた黛は目を見開いて―――それから俯いてしまった。
スッカリ口を噤んでしまった黛が心配になって、七海は椅子から立ち上がり黛の横に立って肩に手を置いた。もしかして嫉妬する口調がうっとうしかっただろうか、と。
「黛君……?あの、言い過ぎてごめ……」
「……りだ」
「え?何?」
ガバっと黛は立ち上がり、七海を抱き込んだ。
「そんな可愛い事言われたら―――無理だ!我慢できん―――」
「ギャーッ!や、やめて!」
「無理!」
「仕事!仕事あるから……!」
何とかジタバタと暴れ、包囲網を抜け出した。
そして黛を宥め、仕事に向かった七海だが―――
(当分正直に好意を示すのは止めて置こう)
そう改めて固く、心に決意するのだった……。
(6)話の七海の言動が「冷めているように感じる」と言う読者様の疑問にお答えしたお話です。
しかし七海はこうして更に素っ気なくなって行くのでした……。
フォローするつもりが何故かこんな展開に。
全て黛の所為です。(と責任を押し付ける)
あと法的には結婚する以前の財産は各個人に帰属する筈(うろ覚え)ですよね。黛はそれも理解していますが、気持ちとして財産を差し出すような発言をしています。重い愛情に引き気味の七海でした。