(61)お義母さんと2
玲子が帰って来ました。
全国行脚の旅から帰った玲子に会わせたい相手がいるからと、黄色い可愛らしい車に乗せられて七海は三鷹までやって来た。コインパーキングに車を停めて少し歩き辿り着いたのは、落ち着いた外観のこじんまりとした喫茶店だ。
扉を潜るとベースは緑茶カフェと銘打っている通り和風な作りであるのに、様々なテイストの小物が彼方此方に飾られていて微妙に雑多な雰囲気を醸し出している。
いつも玲子に連れられて入る店は流れているジャズに似合うような洗練された店が多く、比較的和テイストの店の中に流れるクラッシックが僅かに不調和を感じさせるその喫茶店は、親戚の家に遊びに行った時のような不思議な気持ちを七海に抱かせた。
「あらお久しぶり、もういらっしゃってるわよ」
上品だけど少し配色が派手めな装いの熟年の女店主がニコリと笑って玲子を迎えた。人気店らしく中はほどほどに席が埋まっている。玲子が真っすぐに一番奥の席に座る男性の元に歩いて行くので、七海も後に従った。
「春ちゃん久し振り、元気だった?」
「玲子……は、相変わらず元気そうだね」
『春ちゃん』と呼ばれた男性は、見覚えのあるような風貌をしていた。
年齢は玲子より幾分か年上だろうか。視線を向けられ微笑まれるとドキリとしてしまうのは、彼が七海好みの顔をした色気漂う紳士だったからだ。優し気な雰囲気に一瞬で飲まれてしまったが何とか気を取り直してペコリと頭を下げ、玲子の隣に腰掛けた。
「春ちゃん、龍之介の奥さんになった七海よ。七海、こちらは私の従兄の山野春彦ね」
「七海です、よろしくお願いします」
「春彦です。よろしく、七海ちゃん?」
なるほど、黛と玲子と血縁があるから見覚えがあるように思えたのか、と合点が行く。春彦は玲子と面差しが良く似ているが、どちらかと言うと甘い印象を受ける。笑顔が柔らかいからだろうか、と七海は考えた。
メニューを見て何度か訪れているらしい二人に教わりながら、七海は抹茶ゼリーとほうじ茶を注文する。玲子は煎茶、春彦は抹茶うす茶を頼んだ。抹茶ゼリーは一見大きな茶碗に入れられた大盤振る舞いの抹茶ミルクに見える。スプーンを潜らせると下から濃い緑色の抹茶ゼリーが現れた。
「んんっ、抹茶が濃くて美味しいです!」
「で、しょう!」
「まるで玲子が作ったみたいなドヤ顔だね」
満足そうに微笑む玲子にすかさず突っ込みを入れる春彦を見て七海は思った。以前玲子は実家とは絶縁状態だと聞いたのだが、この人は特別なのだろうか?と。
「僕も食べよう」
そう言って春彦は如何にも嬉しそうに抹茶大福を頬張った。玲子もウキウキと抹茶ロールにフォークを入れ口に運んでいる。暫くそれぞれ甘味を味わい、これで500円??と疑うような美味しいお茶をいただいた。人心地付いた所で春彦が柔らかい微笑みを湛えて七海に尋ねた。
「七海ちゃんは龍之介の同級生だったんだってね」
「はい、高校で一緒でした。同級生だったのは実際一年だけでしたけど」
「ちょっと彼奴、クセがあるから付き合い辛く無かった?」
おかしそうに春彦が笑う。確かに高校時代はかなり面倒な人間だったなぁ、と七海は昔に想いを馳せる。今でもその時の事を思い出すとこうして結婚までしている現実が不思議に感じてしまう。
「えっと確かに変わってますけど……根は悪く無いって言うのは分かってましたから」
「七海は心が広いのよ、ウチの息子と違って」
「そこ、玲子が威張る所じゃないでしょ?」
「だって七海は私の娘だもーん」
玲子が得意げに胸を張って、春彦が呆れたように苦笑する。
二人の遠慮ない応酬に、思わず七海は笑ってしまった。
「仲がいいんですね」
「まあね、一応『元婚約者』だし」
「……」
何気ないように放たれた春彦の言葉に、七海の頭が一瞬真っ白になる。
ポロリと手から滑り落ちたスプーンが、ポチャンとゼリーの茶碗に沈む。
「えっ……!」
七海は意識を取り戻したが、言葉を失ってしまう。
「婚約者て言うより、兄妹って言った方がしっくりくるけどね」
「違いない」
サラリと玲子が言って、春彦がそれに頷いた。
「え?え?」
動揺から抜け出せない七海を見て玲子が溜息を吐いた。
「春ちゃん、七海にはそんなに詳しい事情知らせていないんだから、急に驚かせるような事言わないで」
「ゴメンゴメン。そんな驚くと思って無くて」
「玲子さんが婚約されていたのって……春彦さんだったんですね」
七海がやっとのことで口を開くと、彼は薄く微笑みを浮かべ、楽し気に応えた。
「うん、まあでも家が決めた事だしねぇ」
「最初はそんなものかと思っていたけど、今思うとお互い家族にしか思えないのに結婚ってやっぱり良くなかったわよね」
「僕は玲子とならそこそこ上手くやって行けると思ってたけどね」
「とか言って、私に好きな子自慢していたくせにそういう調子の良い事言えちゃうところが……」
「玲子は妹みたいなものだからね。遠慮するとか考えた事ないし」
「あー、やっぱり春ちゃんと結婚しなくて正解だった……!」
二人のテンポの良い応酬に、七海は目を白黒させて固まってしまう。
「あ、七海ゴメンね。吃驚しちゃったよね?」
玲子にキュッと抱き寄せられつつポンと肩を撫でられ、七海はやっともう一度我に返る事ができた。
「あ、はい。うんと……えっと、吃驚しました」
「ゴメンねー、春ちゃん話し方おっとりの割に中身が辛辣だから」
「僕の所為にしないでくれる?説明が足りない玲子が悪いんでしょ?」
「だってほとんどアメリカにいたし、帰って来たら来たで七海と話していると楽しいから面倒な話をする気になれなかったんだもの。実際もう終わった事だし」
「まあ七海ちゃんって擦れていない感じするよね。あんまりそういうの聞かせたくない無いのは分かる気がする」
「だから春ちゃんには、ちゃんと口煩い親戚を纏めておいて貰いたいのよ」
「うーん……そこまでは無理かも。俺も目の前の事で手一杯だからなぁ。しっかし本当に玲子ズバズバ言うようになったよね、昔は大人しかったのに」
「そりゃ、逞しくもなりますとも!ならいでか!」
「アハハハ、とにかく元気そうで良かった。可愛い娘も出来て順風満帆だね、玲子は」
「有難う、春ちゃんも―――順調そうね?」
「生憎ね、俺は図太いから……っと、あれ?もうこんな時間か」
時計を見た春彦が、残りの抹茶を飲み干した。
「そろそろ行かなきゃ」
「あ、本当だ。春ちゃん、忙しい所アリガトね」
「いや、玲子の元気な顔見れて嬉しかったよ。俺も頑張らなきゃな。七海ちゃん、会えて嬉しかったよ。短い時間しか付き合えなくてごめんね。」
慌ただしく立ち上がり、春彦が手を差し出した。七海も立ち上がり頭が回らないままその手を握る。温かくてしっかりした掌にギュッと握り返される。
「こんなだけど、玲子の事よろしくね。あ、あと龍一さんと龍之介も」
「あ、はいっ勿論、こちらこそよろしくお願いします……!」
七海はしっかりと、大きく頷いた。
春彦は整った瞳を細め―――口元に魅力的な笑みを浮かべて頷き返した。
思わず七海は頬に熱が上るのを感じてしまう。
アッと言う間に春彦は、皆の会計を済ませて喫茶店を去って行った。
「―――お忙しい人なんですね」
春彦が吸い込まれて行ったドアを見ながら七海が言うと、玲子は笑った。
「うん、あれでも老舗のお香屋の代表やってるからね。見た目は柔らかだけど野心家だからアレコレ改革に手を付けて自分で仕事を忙しくしちゃうし……そんな感じだから引き継いだ当初は敵が多かったし大変だったようよ。最近やっと落ち着いて来たみたいなんだけど、やっぱり相変わらず忙しそうね」
そうか、玲子が応援していて連絡を取っている跡継ぎと言うのは春彦の事なんだな、と七海は納得した。その人物が従兄で、しかも元婚約者などとは彼女には思いも寄らない事であったが。
「家を出てから私、春ちゃんと彼の奥さんとしか連絡取ってないの。だから七海にも会って貰いたくて―――色々驚かせちゃってゴメンね」
二人が言うように、玲子と春彦は顔も似ているし兄妹と言う方がしっくりくる。確か黛から以前、玲子にはかつて婚約者がいたが、妊娠して駆け落ち同然で結婚してしまったのだと聞いた事がある。しかし今の話を聞く限り玲子と春彦の間柄は、仲良しとは言えるけれども恋仲とまでは言えず、気持ちの上では蟠りはの無いように七海には思えた。
「あの、結婚するのはお二人の意志では無かったんですね」
「春ちゃんは事情があって子供の頃ずっと家に住んでいたの。だからずっと兄妹だって小さい頃は思っていたのよ。彼はお香が凄く好きでね、センスも飛び抜けていて……周りは皆、彼に家を継がせたくて一人娘の私と結婚させるって随分早くから決めていたのよ」
しかし春彦は七海の目から見てもかなり魅力的な男性に見えた。あれだけ素敵な男性が婚約者で何とも思わなかったのだろうか、とも思う。だからちょっと失礼かもと思いつつ尋ねてしまった。
「全く恋愛感情とか……無かったんですか?」
「うん、全く」
玲子は強く頷いた。
「あのね、何処の国だったかな?結婚する相手を子供の頃から一緒に育てる風習のある地域があって……結果四割くらいはその縁談は破談になるんだって。幼い頃一緒に育った相手は異性として認識できなくなる場合が多いらしいのよ、人間って」
「へー」
七海が感心したように言うと、玲子は少し照れくさそうに笑った。
「あ、でもこれは龍一さんの受け売りなんだけど……」
その様子が可愛らしくて、七海は思わず目を細める。そこで今まで気になってみた事を聞いてみようと思った。
「そう言えば玲子さんは、お義父さんとはどうやって知り合ったんですか?」
「龍一さん?龍一さんは私の家庭教師だったの」
「へえー」
自分から聞いておいてなんだが、七海は甘酸っぱい気持ちになって落ち着かなくなってしまう。龍一の話をする時の玲子は何だか途端に可愛らしくなるのだ。
「それが縁でお義父さんと付き合う事になったんですか?」
「ううん、私は龍一さんの眼中には入って無かったから。子ども扱いされていたわ。実際子供だったしね、初めて会った時は私は十一歳で龍一さんは大学生だったから」
それは確かに子供扱いにしかならないだろう。それがどうして結婚まで行き付くことになったのだろう……?玲子の事だからとんでもない美少女だったのだろうと七海には容易に想像はつくが。するとパンっと玲子が胸の前で手を合わせた。
「そうだ!今日龍一さん早く帰れるかもって言ってた。デパ地下で美味しい物買いたいなあ」
「じゃあ、もう出た方が良いですね」
もう少し突っ込んで聞いてみたい気もしたが、帰り道の渋滞に巻き込まれるのも骨なので七海も話を切り上げる事にした。
玲子は七海が連れて行って以来、デパ地下に嵌っているらしい。暫く見ないうちに随分進化したと、久し振りに足を踏み入れた時はいたく感動していた。それから移動中は夕食の献立の話題に移り、そのままその日は龍一、玲子、七海の三人で食卓を囲んで一日が終わったのだった。
玲子と龍一の馴れ初め話の一端が明らかに。
『平凡~』本編の後日談として掲載していたのはこのお話までです。
次話から『~新婚さん』になってから新しく掲載するお話となります。
引き続きお読みいただけると嬉しいのですが。
お読みいただき、有難うございました。
※2016.10.24誤字修正(鷹崎朔耶様に感謝)




