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(51)世間は狭い

(49)話の後日談のようなお話です。

黛が少しソワソワしているような気がした。

遠野の野性のアンテナが働いた。きっと黛は人に知られたくない約束があるのだ―――最近やられっ放しの遠野は、黛の弱みを握ってやろうとニヤリと嗤った。


新婚といえども、黛とその妻は高校からの友達付き合いをしていたと聞いている。加藤に言わせると彼女は相当地味で女性的魅力に欠ける相手なのだという。

それらを考慮すると―――もしかして黛とその妻は既に家族のような関係なのではないだろうか?

だとすれば新婚当初だとしても、相手に退屈した黛がつまみ食いする可能性はある筈だ。釣った魚にナントカと言うではないか。結婚した途端遊びに走る男も多い筈だ―――遠野は自分の基準に照らしてそう判断した。


いつも自分から能動的に行動しないくせに、遠野が狙っていた見た目も性格も良い女に言い寄られていた黛に対して彼はもどかしい想いを抱いていた。


(俺が黛だったら、もっと上手くやるのに)


黛に近寄る女は遠野を避ける傾向がある。羨ましいと言う気持ちもあったが、その時その時律儀に一人の相手だけと付き合う黛の事を遠野は『何て勿体無い事をしているのだろう』と思っていた。

遠野が女と切れる切っ掛けは大抵同時進行がばれ、修羅場の末付き合いが途切れる事が多かった。しかし黛は浮気もせずに付き合っているのに、遠野と同じようなサイクルで彼女と別れている。

クールな黛はあまり女に執着しない。ただ相手に対する熱意が低く、愛想を尽かされる事が多いらしい。―――それなら、最初から遠野のように適当な付き合い、浅い付き合いに徹した方がむしろしっくり来るのではないか、そう思っていたのだ。遠野としては多分に親切心で幾度もそう勧めていたのだが……。


いつも飄々としている黛の落ち着かない様子に、遠野はピンと来た。


あれほど『興味が無い』と言い続けて来た、大きな声で言いにくい付き合いに黛がとうとう踏み出したのだと彼は気が付いた。だから遠野を避けるように、サッサと立ち去ろうとしているのだと。きっと彼にバレたらバツが悪いと黛は考えているのだと―――そう受け取った。


そう言えば黛は結婚してから、いやにもて始めた気がする。


結婚後の男が醸し出す安定感が女達を惹き付けるのか、今年になってから黛は二度も元患者に待ち伏せされたらしい。辟易してアプローチけに結婚指輪を嵌めるようになった。しかしまさか、指輪をしている男を返って魅力的だと感じる女性が存在するのだとまでは想像していないのだろう。分かってやっているとすれば遠野以上の手腕を持っているという事になるが……きっと黛の事だから其処まで考えてはいないだろうと、遠野は思った。

医者の離婚率は高い。浮気の末、子供が出来て離婚→再婚と言う事例も珍しく無いから、略奪愛にハードルを低く感じている者もいるだろう。そうで無くても、若い内に結婚に踏み出す包容力のある男に魅力を感じる女は多い。ダメ元で一夜の遊びでも良いからと粉を掛けて来る者もいる筈だ。勿論そんな美味しい状況に陥れば、遠野なら据え膳は断らないのだが。


(とうとうアイツも俺に歩み寄る時が来たか)


黛も同じ穴のむじなになれば、婚約者に遠野の行状をばらすと言う冗談で彼をビビらせる……悪ふざけも鳴りをひそめるに違いない。


(いや、別に千歳ちとせ知られたからと言って俺はビビらないがな。お子ちゃまな女子高生には刺激が強いかと思って黙っているだけだし。どうせ結婚は家の為にしなきゃならないんだから、大人になればアイツも恋愛結婚とは違うとそのうち割り切るようになるだろうしな)


などと誰も聞いて無いのに心の中で言い訳しつつ―――遠野は仕事を手早く済ませ、ロッカーで上着を着て鞄を手にした黛を、気の無い素振りで送り出す振りをして―――自分は少し残業すると偽り、コッソリ後をつけたのだった。






黛はガラス張りのカフェに座る女性を認めると、小走りに走り出した。


いつも女性に対してクールに対応する黛が待合わせ相手に駆け寄るなんて―――珍しい物を見たと思うと同時に、それほどのめり込んでいるのかと遠野は驚きを隠せない。

駆け寄る黛に気が付いた女性は、スッと立ち上がって控えめに手を上げた。


(おっ、スタイル良いなぁ)


スッキリと伸びた背筋が美しい。

体に合ったワンピースから覗く脚線美が特に目を引いた。

少し面白く無い気分になって、悪戯心がムクムクと湧き上がった。

後でこっそり揶揄うだけじゃ面白く無い。惚けた振りを装って現場を抑え、黛が慌てふためく顔を見てみたいと―――遠野は思った。




「おい、黛!お前、何して……」




満面の笑顔で声を掛けようとして。

手を上げたまま、遠野は固まった。


振り向いた黛は……それが遠野だと理解すると、ウンザリした顔で眉を顰める。

彼と一緒にいるスタイルの良いワンピースの女性が、こちらに向けた顔には見覚えがあった。




「え?遠野君……?」




彼女は東洋的な細い瞳を何度かまたたかせ―――それから、隣の黛に問い掛けるような視線を向けた。


「江島?!何で……」


それは少し前に実家の小児科を手伝った時に再会した、小学校の同級生の江島七海だった。

何故か以前会った時の野暮ったい雰囲気は全く感じられず、特徴の無い薄味の顔も服装もそこはかとなく垢抜けて見える。

遠野が雰囲気の変わってしまった彼女を、マジマジと頭の上から足の先まで眺めていると―――視線に割り込むように黛が前に一歩出て、彼女を背に隠した。




「黛君……もしかして遠野君と知合いなの?あ、あのね、遠野君は小学校の同級生で―――この間言ったでしょ?翔太の予防接種をしてくれたって」




真面目だった彼女が不倫だなんて意外過ぎだ。


遠野は驚きで一瞬、何と言って良いか分からなかった。

黛が自分から女性に声を掛けるとは思えない。不倫を仕掛けてくるような女性だから、もっと小悪魔系とか、肉食系とか―――手管に長けた女性を思い描いていたのだ。




確かに地味だが誰にも公平で、彼女といると誰もが居心地良く落ち着いた心持ちになったものだ。普通の一般的な―――温かな家庭で育った彼女は、小学生だと言う事を割り引いても当時、素直で真っすぐだった印象がある。


あれは小学校五年生か六年生くらいだっただろうか。まだ遠野も口は大人のように達者でも、現実の厳しさをキチンと理解していなかった。ある日若い女性が遠野の家に乗り込んで来た。その若い女性が母親の前で泣き喚き大騒ぎしている様子を目の当たりにした遠野は、両親の間に時折流れる素っ気ない空気の理由を理解できるようになったのだ。その頃は遠野もまだ傷つき易い普通の子供だった。

たまたま席替えで隣の席になった七海が、呑気にのほほんと仲の良い家族の話をするのに苛ついて、しつこく絡んだ事があった。―――大人しそうな七海があんな反撃に出るとは予想していなかったが……。


今では自分が子供心に彼女が羨ましく眩しく思っていたのだと―――自覚できるようになった。両親がそれぞれ外で好き勝手している事も、既にあまり気にならない。返ってそれを理由に自分の行動を正当化するくらいに、遠野は図太く成長している。


だがそんな羨望の対象だった彼女が『不倫』とは―――自分の事を棚に上げて、遠野はショックを受けてしまった。




「黛お前―――」




言葉を失くし茫然と黛を見る遠野に向かって、腰に手をあて黛は盛大に「はーっ」と溜息を吐いた。

それから如何にも面倒臭そうに、こう言い放ったのだ。


「遠野、この間俺の妻になった七海だ。―――七海、コイツ俺の同僚で大学の同期」

「え?……えー!本当?!」


冷静な黛の台詞に、彼女は比較的細めの目をまん丸にして、驚きを露わにした。


「……じゃあ予防接種の話した時、もしかして黛君、気付いてたの??」

「うーん『気付いてた』って言うか、可能性としては有り得るかなって思っただけだけど」


「……」


二人の気の置けない遣り取りを目のあたりにした遠野は―――一瞬頭が真っ白になって―――数秒後、漸く我に返って黛に詰め寄った。


「おっ……お前の『嫁』って……『江島七海』??」

「ああ」


黛が何の感慨も無い表情で頷いた。


「はあ?!何で江島……結婚してるのに、苗字呼びしてるんだ?!」


その所為でてっきり不倫相手なのだと思い込んでしまった遠野だった。

黛が遠野の言葉を受けて、ジロリと七海を見た。


「な?紛らわしいんだよ……いい加減名前で呼べばいいのに」

「えー……」


江島が頬を染めて、拗ねたように唸った。


「だって、なんか恥ずかしいんだもん」

「今更……」


蜂蜜のような甘い雰囲気が漂って来て、遠野はイラっとして黛に当たった。


「黛、お前紛らわしいんだよ!職場でやけにソワソワしてるから誰と会うのかと思ったら……!相手が嫁だなんて、詐欺だ」


強い口調で言った遠野は、鋭い視線で貫かれる。


「……は?」


温度の低い声で黛が聞き返した。

遠野は「やべっ」と思ったが、遅かった。


「お前と一緒にすんな」

「どういう事?」


静に言い返した黛を見上げて、七海がキョトンと尋ねた。

その様子に、彼女があまり変わっていないのだと遠野は少し胸を撫で下ろしたのだが。


「こいつは人に言えないような……」


黛が明け透けに言おうとしている事に気が付いて、遠野は蒼くなった。


「……!……ま、まゆずみ!ちょっ……」


淡々と七海の質問に答えようとする黛を見て、遠野は飛び上がり言葉を遮るように黛の腕を引っ張った。そしてグイグイ問答無用で店の端っこへ連れて行き、黛の軽率な行動を阻止する事にした。


婚約者同様あまりドロドロした事に関わりが薄そうな七海に、自分の交友関係を知られるのは何となく嫌だと思ったのだ。


「お前、何言おうとしてるんだよ!」

「何って……お前がいつも俺に自慢している事だよ。女を何人落としたとか食ったとか―――」

「あんな真面目そうなの前で言うなよ!」

「ここで完璧にお前を軽蔑させて置きたいからな。アイツはそういうの鈍いから、下手に懐かしがって親しく思われちゃ困る―――ったく、絶対に会わせないで研修終わらせるつもりだったのに」

「ひどっ……お前、本気でヒドイな!」

「……自業自得だろ?」







その後遠野を追い返して、二人は久し振りの外食に出掛けた。

ドタキャンも予想して席だけ予約しているレストランに向かう途中、七海が遠野の事に触れてこう言った。


「世間って狭いね―――まさか私の小学校の同級生と、黛君が同じ職場で働く事になるなんて。おまけに大学の同級生!スゴイ偶然だねー」


勿論、遠野との会話の中身は伝えていない。

七海には刺激が強過ぎる内容だ―――黛は、どの道遠野の所業について彼女に詳しく教えるつもりは無かった。思わせ振りな台詞の欠片かけらは、ただ遠野を牽制するために持ち出したに過ぎない。


七海には『アイツ絡みゴタゴタがあってさ』と言って溜息を吐いて見せた。仕事の件だと誤解した優しい彼女がそれ以上追及せずに済ませてくれるのを予想して、黛は敢えてそう言う言葉を選んだのだ。




「ホントにな―――」




心底ウンザリ……と言った口調で言い溜息を吐いた黛を見て、七海は「疲れているなぁ」と同情を向けた。その理由については誤解したままで―――その日は平和に終わったのだった。



読者様は皆さん、この話の初っパナから遠野の勘違いに気付いていたと思いますが……敢えて遠野を野放しで泳がせてみました(笑)

今回遠野の幼い頃のトラウマがチラリ。

黛は、遠野が本当は七海のような真面目な子に憧れてしまう事に気付いています。

しかし当然譲る気は無いので、容赦せずにシャットアウトしました。

ちなみに七海の察しが悪いのは、遠野の事にそれほど興味が無いからです。彼自身の事は深く考えずにスルーしてます。


お読みいただき、有難うございました。

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