(38)お義父さんと
お義父さんとご飯を食べます。
「ああっ!」
着替えを終えて夕食を食べようと龍一がダイニングに現れた時、キッチンから絶望的な悲鳴が聞こえて来た。テーブルにはランチョンマットの上に既に七海が得意とする庶民的な料理が並んでいる。
バタバタバタ……と飛び出して来た七海はしゃもじを手にしていた。
「お義父さん、ごめんなさい!炊飯器のスイッチ入れ忘れてました―――!」
肉じゃが、野菜サラダ、シジミの味噌汁、ひじきの煮物……まで完璧に盛り付けたが、肝心のご飯が無かった。いつも常備している筈のレトルトご飯も冷凍ご飯も、ちょうど切れた所だった。
「今コンビニでご飯買ってきますので、少々お待ちください……!」
「……」
龍一は食卓に視線を走らせて、おもむろに口を開いた。
「明日の朝にまわせないか?」
「えっ……」
簡潔な台詞に一瞬、何を言われたか分からず七海は考えを巡らせた。
「あ、オカズですか?そうですね……冷蔵庫に入れて置けば、どれも大丈夫です」
「じゃあ、今日は外に食べに行こう。近くに行きつけがある」
「へ?あ……はい!」
こうして七海は龍一と一緒に、外食に出掛ける事になったのだ。
龍一が電話をして席を確保したお寿司屋さんは、小さな路地に面したビルの一階にあった。
「いらっしゃい、黛さん」
ニコリと笑った優しそうな大将が、龍一に声を掛けてから七海を見て少し目を丸くした。
「珍しいね。可愛いお嬢さん連れなんて」
七海は少し恐縮して頭を下げた。空いている一番端の席に並んで腰を掛けつつ、龍一が大将に向かって言った。
「この間、義娘になった七海さん」
「むすめ?」
「息子の奥さん」
「へええ~~!あの子、もうそんな年だっけ」
「もう二十五だよ」
そんな気安い遣り取りから、長い付き合いなのだろうと七海は類推する。
大将が「七海ちゃんは好き嫌い無いの?」と聞いてくれたので「はい」と答えた。すると「いいね~」と言って、直ぐにツマミを用意してくれる。
炙りトロ串とビールの組み合わせに、思わず七海は唸った。
しかし勧められて飲んだとはいえ若干恐縮してしまう。隣の龍一はアルコールを頼んでいないのだ。翌日まるまる休みで無ければ飲まない事にしているらしい。
ストイックなんだなぁ……と七海は感心した。
金目鯛の焼き物に舌鼓を打ち、漬物で一旦舌をサッパリさせる。
マグロの漬け、アナゴの塩とタレの握りが続いて出て来た。シャリがふわっと柔らかくて口の中でホロホロ解ける。ネタも味わい深くて大変美味だ。回らないお寿司経験の殆ど無い七海には、目を瞠る様な贅沢な時間である。
「あと二子玉ね」
「わぁ、可愛い……タマゴが入ってる!」
大将がカウンターに置いた握りのネタになっている卵焼きの中に、ウズラの卵が輪切りで入っていた。
「ここが二子玉川だから、ですか?」
「そう、洒落てるでしょ?」
ニコリと人懐こい笑顔に、思わず七海の頬も綻んだ。
「美味しいです!」
素直な感想に、龍一がクスリと笑った。
「七海さんは、玲子に似てるな」
「ええ?」
思わず頓狂な声が出てしまった。
超美形でマイペース、世界を股に掛け飛び回るカリスマ性溢れるジャズピアニストの玲子と七海の、何処が似ているのかサッパリ分からなかった。多分誰もが二人を両極端と評するだろう―――と、龍一の息子当人に長年『地味な庶民』呼ばわりされて来た七海は思った。
「似ている所……ありますかね?」
ピアノも弾けないし、美女でも何でも無いですけど。
……と言う自虐的な台詞は胸にしまった。疑問形だが、ほとんど否定の意味で発した台詞だった。
「二人とも、育ちが良い」
龍一が目を細めて、七海を見た。
「育ち……ですか?」
サラリーマン家庭、子沢山の家庭に育った中古マンション住まいの庶民と、江戸時代から続くらしい(この間黛がチラリと言っていた)お香の老舗のお嬢様。全く育ちは違うと思うが……と七海は首を傾げた。
龍一はクスリと笑ってそれには答えず「大将、ヒラメの昆布締め」と言って、七海に笑い掛けた。
「ヒラメもウマいよ」
彼はそれ以上の補足説明をする気が無いようだったので、七海は胸に浮かんだ疑問を飲み込んだ。寡黙な義父が零してくれたせっかくの本音の意味は―――この穏やかな時間を壊してまで追及する必要は無いだろうと思われたのだ。
龍一の言葉には好意的な響きがあって―――悪い意味で言っているような感じはまるでしなかったから。
ちょっとずつ仲良くなって行く二人でした。
もう少し胸の内を語らせたい気もしたのですが、龍一が寡黙過ぎて話が止まってしまいました。身の上話や打ち明け話って、いい大人になると未来ある若者相手にはしづらいですよね。
お読みいただき、有難うございました。




