(35)彼女の特技?
(34)話の後のお話です。
婚姻届を区役所に提出した後、二人は江島家へ向かった。お酒を飲む事を想定して電車でのんびりと移動する。
翔太の手荒い歓迎を受け、七海が台所の手伝いをしている間黛は一通り相手をした。滅多に顔を合わせない相手との遊びは翔太にとって新鮮で大層面白いらしく、ヘトヘトになるまで付き合う事になった。とうとう見かねた母親が翔太をコンビニに連れ出してくれたので、漸く黛は解放された。
「子供の扱い、上手いね」
缶ビールを手渡し、兄の海人が黛の隣に腰を下ろした。
「そうですか?何だか大人だと思われてないような気が……」
黛は翔太にまるで、年の近い友達のように扱われていると感じていた。彼は幼馴染の本田三兄弟の末っ子、新にもなつかれているのだが、そう言えば新も黛の事を近しい友達の一人のように思っているような気がする。
真面目な顔でそう言うと、海人が笑った。
「確かに……あ、スマン。偉いお医者様に向かって」
「いえ、まだ研修医なんで全く偉く無いです。現場では最下層ですから」
黛が謙遜したと思ったのか、海人は眉を上げて面白そうな顔をした。
「それにしたって、なあ?医者でそんだけイケメンで……よく、ウチの七海なんかと結婚する気になったな?龍之介君ならヨリドリミドリだったんじゃないの?何もあんな『ふっつー』なのと付き合わなくても……同級生だっけ?」
「はぁ」
「恋愛経験も全く無いしさ、退屈じゃない?」
「楽しいですよ、七海さんといるといつも驚かされます。可愛いですし」
「そおかあ?」
否定を装いつつ、海人が何だか嬉しそうに見えるのは黛の気の所為では無いだろう。
一つ年上の兄と言う海人は、あまり七海と似ていない。どちらかと言うともう一人の妹、広美と似ていて派手めな容貌をしている。七海のアッサリとした顔と対極にある野性的な風貌は、女性慣れしているような印象を黛に与えた。
彼とは対極にある、男性に免疫の無さそうな妹が心配なのかもしれない……と黛は思った。普段北海道で暮らしている海人とは、これまでお互いの家族の顔合わせとして催した食事会でしか顔を合わせていなかったから、黛がどういう人間なのか測りかねているのだろう。
「驚かされると言えば―――七海さん、めちゃくちゃ頭突きが的確なんですけど」
ビールを飲みながら黛が切り出すと、海人が驚いたように黛を見た。
「え?アイツ、龍之介君にアレ食らわせたのか?」
「『アレ』?ですか、ハイ……二……あ、三度ほど、食らいました」
「へ~~」
海人が苦笑しながらビールに口を付けた。
「嫌われるような事、した?」
「あ、えっと……そうかもしれません。かなりその時は怒らせたと……思います」
最初の頭突きを思い出して、黛は少し恐縮した様子で頷いた。
「スイマセン」
「いや、しっかし容赦無いねえ。アイツの頭突きね、俺が指導したの。スッゴイ石頭でしょ?反射神経も悪くないしさ。腕っぷしが細っこいから弱そうだけど、シツコく絡んでくる奴がいたら、その一撃で倒せるからさ」
「……」
『シツコく絡んでくる奴』と指摘されて、満更間違ってもいないから何と返して良いか分からなかった。十年以上片想いしていたが、好きな相手に憎まれ口を聞いたり揶揄ったりして絡み続けた黛は、十分七海にとってうっとうしい存在に違いないと思ったからだ。
すると黛の表情を読み取った海人が、安心させるように柔らかく笑って否定した。
「ああ、龍之介君の事じゃなくて―――小学校の頃さ、アイツに絡んでくる男子がいたんだよ。それがも~~シツコクてさ。七海が俺に泣きついて来たんだけど、俺も一コしか違わないガキだったから、妹の世話やくより自分の遊びたい気持ち優先で面倒で。で、アイツが石頭ってのは家族内で定評があったから、腕っぷしじゃ敵わない相手には頭突きかましてやれって、コツを伝授して放置したの。そしたらちゃんと、追い払う事に成功してさ―――たぶんその成功体験で体に染みついたんだろうね、追い詰められたら『頭突き』ってのが」
「……はあ、なるほど……」
情けない溜息しか吐けない黛に、海人が笑った。
「ゴメンな、俺がちゃんと守ってやれば、アイツが実力行使を覚えなくて済んだのに」
ククク……とおかしそうに笑う七海の兄に、黛は「いえ……」とだけ答えてビールをチビリと飲んだ。
自分は小学生男子並みのアプローチしかしていなかったらしい……と改めて思い知り、複雑な気分になった。『似たような事している奴がいたんだな』と思い―――あ、と気が付いた。
「七海さん『生まれてこのかたモテた事無い』って言ってましたけど……」
「うん、気付いてなかったな。俺の目には明らかだったけど、複雑で繊細な男心はアイツには通じなかったみたいだ」
「なるほど……」
「おっ、実感こもってるね。もしかして、アイツ龍之介君にも鈍さ発揮してた?」
黛はウッと詰まってから、溜息と共に吐き出した。
「……鈍いにもホドがありますね。俺十年片想いしてスルーされてましたから」
「はぁあ?」
料理を両手に持って居間のテーブルに七海が近づいた時、兄の海人が龍之介の背中を叩いて爆笑していた。
「何?どーしたの?」
七海が料理をテーブルに置きながら尋ねると、ピタリと二人は動きを止めて七海を見上げた。そして次の瞬間海人が噴き出し、黛は顔を朱くしてソッポを向いた。
「何?何なの?」
結局、最後まで男二人は口を噤んで誤魔化し、七海は理由を聞き出せ無いまま江島家を後にすることとなった。
手を繋いで黛家に帰る帰り道、もう一度七海が尋ねると黛は難しい顔をして。
「……男同士の話……」
と言って押し黙ったので、それ以上追及するのを諦めた。
けれども取り敢えず兄と黛の間に隔たりが無くなった事は確実なようだと―――それだけは鈍い七海にも理解出来たのだった。
七海の兄、海人が初登場です。
そして七海の頭突き(石頭)と鈍さは小学時代には既に確立されたものだと判明しました。
お読みいただき、有難うございました。