(33)大晦日2(☆)
(32)話の後、その日の夜のお話です。
※別サイトと一部内容に変更があります。
お風呂をゆっくり楽しんでご飯を食べた後、黛は直ぐに睡魔の虜になってしまったらしい。目が覚めると既にとっぷりと日は暮れていて、ダブルベッドの隣で七海がスヤスヤと寝息を立てていた。
七海は特に寝る予定は無かったのだが、黛が抱き枕よろしく彼女をベッドに引き込んだのだ。その時点では黛にも少々邪な下心があった……。が、仕事の疲れと睡眠不足でクタクタになった体をゆっくりと適温の浴槽で温められ、仕上げにビールと美味しい食事で満腹感を得てしまった後では……フカフカの布団にくるまれ、七海の温かい体を抱き寄せて堪能している内に、自然と意識が途切れてしまったのも無理からぬ事であった。
いつの間にか手離してしまっていた『抱き枕』ににじり寄り、手を伸ばす。引き寄せギュっと抱き込むと、柔らかさに胸が高揚した。
暫くの内、抱き寄せたまま目を覚まさない七海の顔をマジマジと観察していた黛だが、次第にムクムクと悪戯心が湧きあがって来る。
単に反応の無い相手を見ていて寂しくなった所為かもしれない。七海に起きて欲しくなったが……ただ普通に起こすのはつまらない気がした。
先ずは額に掛かる前髪を指で除け、そこにチュッと吸い付いてみる。
まだ起きない。
「んー、さて。どうすっかなぁ」
次は頬。今度は少し音を立ててキスをする。
まだ起きない。
両手で頬を挟み、それ自体はごく薄いものなのに鉄壁の守りを見せる瞼に唇を寄せる。
すると今度は反応があった。
「ん……」
と身じろぎしたかと思うと、顔をグイッと掌で押し退けられる。不意の攻撃に思わず仰け反った黛の腕のいましめから、七海は器用にクルリと抜け出して背を向けてしまう。
しかし黛も不屈の精神でもって―――七海の背後からにじり寄った。
体をピッタリと彼女の背後に沿わせ、ギュッと細い腰を抱き込むと黒髪の隙間から露わになった白いうなじに唇を寄せた。
うなじに寄せた唇でやや強く吸い付き、チュッチュッと唇を徐々に下げて行くと、腕の中の存在が身じろぎし始めた。続けてとうとう彼女の瞼がパチリと開くときが来た。
「んっ……え?」
目を覚ました七海が一番最初に感じたのは、首の後ろがやけにスース―すると言う感覚。続いて背中を包む温かい感触だった。
「おはよう」
笑いを含んだ声。背後から耳元に息が掛かり、背筋をゾワリと何かが駆け上がった。
「おはよ……んっひゃあっ」
これまで一人遊びしていた黛は、相手が出来たと嬉しくなってしまう。悪戯を仕掛けても反応の無い間は、無視されているようで少し寂しかったのだ。ペロリと白い首筋を舐め上げると、抱き込んだ細い体がビクリと跳ねた。
「ま、まゆずみく……ちょっ待っ……!」
寝惚けた頭で漸く今の状況を把握した七海が何とか腕の囲いから逃れようと暴れ始め―――時計を見て「あっ!」と叫んだ。
その声に怯んで、思わず力の緩んだ男の太い腕の隙間からベリッと体を剥がし、七海はガバっと起き上がった。
「もう九時!半分終わっちゃったっ!」
慌てた様子の七海はそのまま黛を押しのけて、布団を跳ねのけた。
興が乗って来た所で逃げられて。黛はポカンとその背中を見守ってしまう。七海が何について慌てているのか全く分からなかったのだ。
「こうしちゃいられない、先に行ってるねっ!」
「おい、なな……」
パタンっ!
七海はベッドから勢い良く飛び出すと、黛を置き去りにして寝室から飛び出してしまった。
テレビをあまり見ない黛は知らない。
大晦日恒例の赤白歌合戦が大晦日の夜七時十五分から始まり、十一時四十五分で終わる事を。
江島家では毎年『赤白』を最初からチェックし、どちらが勝つのか予想するのが習慣なのだ。そして歌合戦が終わり次第―――速攻で茹でた年越し蕎麦を賞味する事になっている。七海にはそれが常識だったので、黛が赤白歌合戦の存在を知ってはいるものの、実際見た事もなければ、聞いた事も無く―――大晦日に年越し蕎麦を食べるなどと言う習慣を律儀に守っている人間が現実に存在するかなどに全く興味を持っていなかったと言う事は想像の範囲外だったのだ。
ノロノロと体をベッドの上で起こし、黛は仕方なく七海の後を追った。
しかしリビングで待っていた七海に如何にも楽し気に手招きされると、言おうとしていた文句も萎んでしまい大人しく隣に収まった。
そこで初めて七海は黛が大晦日の歌合戦の内容をよく知らなかったと言う事を知ったのだが―――それならば、と使命感を持ってウキウキと歌手や『赤白』の伝統について解説し始めた。楽しそうに話す様子を目にしていると―――黛も肩透かしを食った事に対する不満を忘れてしまい、結局その日二人は楽しく大晦日の夜を過ごす事になったのだった。
勿論その後、年越し蕎麦も美味しくいただきました、とさ。
お読みいただき、有難うございました。