六十一、姉の里帰り3
随分前に書いたのに見直しが遅くなって、やっと投稿することができました。
すぐ更新するような雰囲気であとがきを書いていたのに、申し訳ありません……!<(_ _)>
もう話の筋も登場人物の名前も忘れられてしまったかもしれませんが……覚えていたら、続きを読んでいただけると嬉しいです(*^^)v
「ひやぁあ……ちっちゃい!」
「ふふっ」
広美は何処も彼処も精巧に出来ているその生き物を驚きの目で眺めた。
七海は楽しそうに笑い、布団の上に寝転がる彼の小さな手を取って、腹話術師のようにこう言った。
「『リユータローです。広美ちゃん、ヨロシクね!』」
「よろちく、よろちくぅ~!」
人は赤ん坊を目にすると、何故赤ちゃん言葉になってしまうのだろうか?
相好を崩して赤ちゃん言葉を話す他人を、これまでシラッとした視線で見下ろしていた広美の理性が、この一瞬で瓦解した。
何て、何て可愛いんだろう……!
これまで『子供が好き!』などと男性の前でアピールする女子に『あざと~!』と冷たい視線を向けて来た広美だ。薄情なようだが、自分に年の離れた弟が出来た時はもっと自分は冷静だったと思う。もちろん弟を可愛いと思う気持ちは当たり前に持ってはいるが。
だが今、彼女は自分の甥っ子の可愛さに、ひたすら打ちのめされている。特に子供が好きでも嫌いでもなかった広美を、これほどまでに惹き付ける存在がこれまでいただろうか……!
これは果たして、遺伝子の為せる謀略なのか。
それとも年齢を重ねて、隠れていた母性本能が漸く目を覚まし始めたのだろうか? そろそろ子供を持っても良い年ごろになったのだと、広美の体が訴えているのか……? 大変不本意であるし、本人に当分その気はないのだが。
「抱っこする?」
「え!」
『抱っこ』……してみたい。だが、しても良いのだろうか? と広美は逡巡する。この華奢で精巧な生き物を抱っこして、壊してしまわないか不安になった。
「壊しちゃいそう……」
「大丈夫だよ。翔太の小さい時と一緒。赤ちゃんって、結構丈夫に出来てるよ」
そうだろうか。弟が生まれた時は受験や進学で忙しく、たいして構った記憶がない。あの時広美は自分のことでいっぱいいっぱいだったのだ。だから翔太を抱っこする機会はそれほど多くなく、記憶も朧気だった。そうそう、泣き声がうるさいな、なんて思ったことはあっても、構いたいなんて思ったことはなかった。我ながら、何と薄情なことか……
でも母親である七海が太鼓判を押すのだ。大丈夫かもしれない。と、結局誘惑に勝てず、頷いたのであった。
「腕をこんな感じで……そう、上手」
「はわわわ……」
腕にすっぽりと収まった甥っ子は、思った以上に軽い。
溶けちゃうんじゃないか、と思うくらいに柔らかく、小さかった。知らず、溜息のような声が出る。
「あー……なんか、すごい」
「すごい?」
「すごい、かわいい……」
とろけるように、そう呟く広美に、七海は笑った。
それから龍太郎を抱っこしながら、二人で色々な話をした。といってもなんて事はない近況報告や世間話だ。しばらくすると腕の中でスヤスヤ眠っていた龍太郎がぐずり出す。
慌てて七海にバトンタッチすると、彼女は慣れたようにU字型の枕を膝に置き、その上で横抱きにした龍太郎の顔を、胸元の服の隙間に入れる。そうして独り言のように、龍太郎に囁きかけた。
「お腹空いたね?」
七海は赤ん坊に対しても、赤ちゃん言葉を使わなかった。後で聞いたら、最近はちゃんとした日本語で話しかける方が良い、という考え方が主流だとか。言われるとなるほど、と思う。赤ん坊の脳は未成熟だが、吸収力は抜群だ。最初から正しい日本語を聞き、学習する方が言葉の成長への近道である。
「あれ? そのまま授乳するの?」
確か翔太の時は、母親はケープのような物を羽織って、その中で授乳していた筈だ。
「うん、これ授乳できるように、胸の所が開いてるの。布が二枚重ねになっているから、普通にしてたら開いてるの、分からないでしょ?」
「へぇ~、普通の服に見えるね。外に出かけても大丈夫そう」
「翔太の頃に比べて、随分便利になったよ。こういう妊婦に優しいグッズが沢山あるの。種類も豊富で、好きなデザインが選べるんだ」
そんな風に世間話をしながら授乳を終えた七海は、龍太郎を縦抱きにし、背中をトントン叩いてゲップをさせた。それからオムツのチェックをし、サッと手早く交換する。更に、流れるように寝かしつけを始めた。
そして赤ん坊の面倒を見つつ、広美と世間話を続けるのだ。
手慣れているなぁ、と広美は感心する。
そして再び眠ってしまった龍太郎を布団に横たえると、起こさないように居間へ移動した。引き戸を少し開けて、何かあったらすぐに行けるようにしている。
冷蔵庫から麦茶を出して、改めて二人はテーブルに座った。
「翔太の時に練習したから、赤ちゃんの世話は楽勝だね?」
すると姉が意外にも、深い溜息を吐く。
「……だと良いんだけどね……! やっぱり、手伝うのとはだいぶん違うよ」
「そうなの?」
「うん、授乳は二、三時間置きだし、そうすると今やったような手順でやるんだけど……ちょっと手こずると、平気で一時間くらい、つぶれる。夜はお風呂も入れなきゃだし……」
「お祖母ちゃんに代わってもらえないの?」
「お風呂とかオムツ替えは手伝ってくれるよ。でも、私も慣れとかなきゃって思うし。もちろん洗い物とか洗濯とか料理とか、家事をやって貰っているから、一人で育児してる人より随分楽な方だと思う。……だけど龍太郎はミルクが嫌いみたいで、完全母乳だからこればっかりは代わって貰えないしね。まだ起きる時間も一定じゃないし、どうしても寝不足になっちゃう」
へらりと笑う姉の顔は、そういえば随分やつれている。クマが濃いような気もするし、身だしなみを整える暇がないせいか、スッピンで髪も乱れている。
輝くような甥っ子の魅力に目を奪われて、姉の疲れに気づかなかった自分に、広美は内心舌打ちした。もともと甥っ子に会う、というより姉の様子を見るつもりで訪れたと言うのに。
「……つらい?」
「う~ん、ちょっとね! でも可愛いから、何とかやれてる」
そういう笑顔が儚くて、広美は落ち着かなくなった。
かすかな居心地をの悪さを感じ、話題を変えることにする。
「ところで、黛さんは元気? 忙しいと思うけど、ちょこちょこ会いに来てるんでしょう?」
元気のない姉、というのは見慣れなくてソワソワしてしまう。
いつも余裕がなくて焦っているのは自分の方で、姉は彼女の愚痴をどこ吹く風、と聞きつつ、のんびりと笑って見守ってくれるのが定番だったから、だろうか。
このため広美は冗談めかして目を逸らし、ちょっとおどけて。この場で口に出さなくても良いことを、言ってしまった。
「……そういえば、この間友達のお姉さんが離婚するとか言って揉めたらしいんだよね。なんでも里帰り出産中に旦那が浮気したんだって。『構ってくれないから』とか言い訳してさ。ヒドイよね。奥さんが大変な時に、自分はよその女の人とって、何考えているんだろうね! お姉ちゃんも、気を付けなよ。なーんて……」
『お姉ちゃん大好き!な、黛さんは、そんなのあり得ないだろうけど……』と言いかけて、顔を上げた彼女は、言葉を失う。
七海が目の前で静かに―――ハラハラと涙を流していたからだ。
さっそくネタバレになりますが……<(_ _)>
今回も、波風が立ちそうに見えて、やっぱり立ちません。
ので、安心して続きをご覧ください(^^♪
あと七海の妹の広美の名前ですが……初登場の時『広海』のつもりでタイピングしていて、変換で出る『広美』のまま、訂正せずに掲載してしまいました。本当は「海人」「七海」「広海」の海繋がりの予定でした。
ずっと以前から、何かの機会をとらえて『広海』に修正したと考えているのですが、なかなか手が出せないまま…(^^;)
なお『翔太』は遅く出来た子なので、ちょっと変えて名づけしたようです。
※2022.2.16 誤字修正(あーちゃんあーちゃん様、nakagawa様 へ感謝)
※2022.4.13 誤字修正(百合様 へ感謝)