六十、姉の里帰り2
黛は、当然のように七海を自らの隣に座らせる。
見慣れないその光景に少々複雑な感情を抱いたものの、すんなりと誘導されるままにその場所に収まる姉の様子を目にして、広美は黙って二人の向かいに腰掛けた。
気を取り直し、彼女はまず二人の馴れ初めを確認する事にした。
「え? 高校の同級生?」
「うん。それに黛君は、唯と幼馴染なんだ」
「唯さんの……?」
「黛君と唯は、小学校から一緒なんだよね?」
同意を求める七海の言葉に、黛はコクリと頷いた。
「それに唯の彼氏とは、生まれた頃から家族ぐるみの付き合いしていたんだって」
七海と広美は通学している高校も、時期も違う。姉の友人である唯とは一度顔を合わせた事があるが、それ以外の友人関係は彼女にはよく分からなかった。
しかし黛と七海は意外にも長い付き合いがあったようだ。高校からの付き合いで、しかも一番親しい友人の幼馴染であると言うなら、少なくとも詐欺や犯罪を心配する必要はないだろう。
油断なく黛を観察する気満々だった広美は、少しだけ拍子抜けした。これまで『対詐欺師用』に用意してきた質問は引っ込めざるを得ない。
「えっと……聞いても良い?」
「何?」
そこで広美は単純な疑問をぶつける事にした。
「付き合って半年ってことは、同窓会で久しぶりに会って付き合う事になった……とかそういう馴れ初め?」
「え? ええと……」
身内に自分の恋愛事情を説明するのが恥ずかしいのか、少し口ごもりつつ七海は応えた。
「ううん、高校出ても皆で遊んだりしてたよ。友達付き合いはずっとしてたんだ」
「高校の時も、付き合ってただろ?」
真顔で横槍を入れたのは、それまで大人しく七海の隣に座っていた美男子だった。突然会話に割って入った黛に七海はギョッとした目を向け、広美に向かい慌てて首を振る。
「『付き合って』……って! あれは、そういうのじゃ……!」
焦る七海と、シレッとしている黛。
眉を寄せて、広美は詰め寄った。
「どういう事?」
その問いに答えたのは、黛だった。
「付き合って、二週間で振られたんだ」
「えぇ?!」
驚きについ身を乗り出し、それから広美はグリンと七海に顔を向ける。まじまじと、そのちょっと薄味の平凡な容貌を、改めて眺めてしまった。
この姉が! 平凡&地味を絵にかいたような姉が……? 目の前のイケメンハイスペックを―――二週間で振った?!
広美はそんな話は、聞いていない。というか、彼女の姉はこれまで一言も、そんな色っぽい話を広美の前で口にしたことは無かった。だから当然、広美は自分の姉の事を、恋愛経験ゼロ、若しくは初心者と決めてかかっていたのだ。
けれども黛の言葉を信じるならば、二人は高校生の時に一時付き合っていたらしい。つまり今の状態は、ある意味『元サヤ』と言うことだろうか?
そしてあろうことか……七海の方が、黛を振ったと言うのだ。しかも二週間と言う短さで……!
更に言うと、七海は自分から振った相手と長年友達付き合いを続けているのである。広美は驚愕した。……どんな魔性の女だ?!
広美の中の『人畜無害を地で行っている、優しすぎて損ばかりしている姉』というイメージが、今ガラガラと音を立てて崩れようとしている。
しかも追い打ちを掛けるように、黛が肩を落としてこう言ったのだ。
「七海から『付き合おう』って、言ってきたくせに……俺は『初めて』だったのにな……」
「はじめ……えっ! えええ!!」
フッと淋し気に流し目を七海に向ける、黛。その佇まいが何とも哀愁を帯びて艶っぽい。
この飛んでもないイケメンの。『初めて』を広美の姉が……?
まさかこの姉がそんな……所謂『肉食キャラ』だったとは。広美は驚愕した。
つまり七海は、こんなキラキラしたイケメンに言い寄り、『初めて』―――つまり童貞を奪い、その上二週間で捨てたと言うのか……?!
魔性の女……と言うか、どんな悪女だ……っ!!
広美の中の母性の塊である姉像が、崩壊しかけたその時―――
「なっ! わぁあ! 何まぎらわしい事言って……! 違うでしょ! 違うでしょ!」
七海は真っ赤な顔で、必死に手を振り回して否定した。
その挙動不審さと慌てっぷりは、全く『魔性の女』に相応しくない。
しかし当初、姉を奪う男に向けられていた広美の厳しい視線は、今は疑いを込めて自らの姉に向けられている。
七海は広美の厳しい視線に怯み……ゴニョゴニョと言い訳のように、弁解をしなければならなかった。若き日の黒歴史を、身内に晒す羞恥心と戦いながら。
「ああ……『お付き合い』が『初めて』って言う意味……」
そうして何とか冷や汗をかきつつ、七海は妹の誤解を解くことに成功したのだった。
拍子抜けした表情を、もう広美は隠そうとしなかった。
細かい所は飛ばしつつ七海が説明した所によると、お互い子供同士で色々と行き違いがあったらしい。それに付き合った、といっても現実には友達以上の関係には発展していなかったようだ。何せ二人きりでデートもしていない。名目は恋人、となった後も唯を交えて三人でしゃべっていただけだと言うのだから。
全く紛らわしいこと、この上ない! と広美は思う。
目の前の、一見完璧過ぎるように見える男は、どうやらちょっと……いや、かなり変わった人物らしい。
けれども、とんだ誤解を掛けられそうになった七海は、慌てつつも遠慮する事なく黛を非難していたし、なんなら割と強めに恋人の腕にパンチを繰り出していた。
このため、二人がかなり気の置けない間柄であることを、広美は感じ取ることができた。
それに紛らわしい台詞を口にして七海からパンチされた黛は―――何故か嬉しそうにヘラヘラしている。広美の目には、なんだか構って貰って喜んでいるみたいに見えた。
……つまり、二人は幸せらしい。
本当はもっと突っ込んで二人の付き合うに到る経緯を、野次馬的に問いただしたい衝動に駆られた広美だったが。
七海が幸せなら『まぁ、いっか』と、それ以上この場で突っ込むのは止めにした。
目立つイケメンの恋愛事情に、周囲の女性陣が聞き耳を立てている気配を感じたからだ。
そこで当たり障りのない話題―――今後の生活をどうするつもりか、とか式は挙げるのかとか、そういう結婚後の話題にシフトする。
すると、周囲の圧力がじんわりと減少する気配があった。
イケメンが結婚秒読みの売約済みである、と言う情報に、がっかりとした空気が伝わってきて、食い入るような視線が和らいだのだった。
そう、細かい事は姉と二人きりになってから、じっくりゆっくり問い詰めれば良い……!
長年の片思いが実り、付き合ったばかりの頃。
家族にも彼氏として紹介して貰えて、この頃の黛は、叩かれても喜んじゃうくらい浮かれています…
回想シーンは、ここまでになります。
次話から出産後のお話になる予定です。
引き続き、お付き合いいただけると嬉しいです…!