五十九、姉の里帰り1
かなり間が開いてしまいましたが、久しぶりに投稿します。
(……って、あれ? 前話から、もう二年以上経過して……!汗)
前話の時点で数年前の設定で書いていましたが、その続き、と思って読んでいただければ有難いです。コロナ流行以前の設定ですので、登場人物の感染対策に手抜かりがあるかもしれませんが、ご容赦いただけると助かります。
七海の妹、広美視点になります。長くなってしまったのでお話を分けました。『里帰り』と銘打ってますが、1話目はほぼ回想シーンになります。
※なお、『黛家の新婚さん』五十八話「ドライブ日和?」のおまけと五十九話の間に、
別作『太っちょのポンちゃん まとめ』に「おまけ・ポンちゃんの自家用車2」から「唯ちゃんとシェアハウスの住人」までを投稿しております。
未読の方は、そちらも立ち寄っていただけると嬉しいです。
が、そちらを読まなくても以下の話を理解するのに支障はありませんので、このまま読み進めていただいても大丈夫です<(_ _)>
広美は久しぶりに実家に顔を出すことにした。無事出産を終えた姉と、生まれたばかりの甥っ子に会いに行くためだ。
結婚後彼女の姉は、夫の実家である二子玉川のマンションで暮らしていた。しかし同居している夫も義父も多忙な外科医で、不規則な生活だし不在にしがちだと言う。
「昔から、産後二週間は水に触るのは良くないって言ってね」
祖母の町子が、少なくとも乳児と母親の生活リズムが整うまでは面倒を見る、と主張したのだ。姉、七海は、少し迷いつつも有難く申し出を受ける事にしたようだ。江島家の一番下の弟はまだ六歳で、出産直後母親の苦労を身近に見ていたからかもしれない。
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姉の七海はその弟、翔太の世話に積極的に関わっていた。両親が忙しい時には自分の仕事の飲み会や友人との付き合いを延期して翔太の相手をすることもあるくらいだ。
ちなみに広美は、弟の面倒をあまり見ていない。その頃彼女は、ちょうど受験を終え大学生になったばかりだった。つまり、小さい弟の世より話趣味や人付き合いやバイトの方に関心があったのだ。末っ子気質で、多少我儘な所があるのは自覚している。
だからだろうか、弟の翔太は広美よりずっと姉の七海になついている気がする。
そう、いつも面倒な事は大抵、真ん中の姉が引き受けてくれた。
広美はずっと、常々思っていたのだ。
面倒ごとを引き受けてばかりの姉は……何が楽しくて生きているのだろう? と。
特に打ち込んでいる趣味があると言う訳じゃない。勉強も、運動もそこそこ。可もなく、不可もなく。見た目は……悪くないと思うが、目立たない、というかぱっと見地味な印象だ。だからと言ってファッションや化粧に熱心に取り組むわけでもない。最低限身綺麗にはしているけれども。
一方、兄の海人や広美の容貌は人目を引く派手な造りをしている。実は三人のパーツは似通っているのだが……組み合わせの妙と言うべきか。だから七海と違って、海人と広美の恋愛経験は割と世間一般より多いと思う。
七海には、広美の恋愛の愚痴を聞いて貰うことがよくあった。けれど七海からそういった話を聞いた事がない。通う学校が違ったせいもあるかもしれないが、周囲からもそういった情報が入ってきたことがない。
けれど七海は、特に気にしていないようにみえた。つまり、恋愛にもたいして興味がないようなのだ。大学生になれば流石に彼氏の一人や二人、お姉ちゃんにも出来るよね? と考えていたが、出かける相手はどうやら大抵高校からの友人の唯ちゃんらしい。
すなわち広美は、就職するまで七海から、そういう色っぽい話は一切聞いた事がなかった。
花の盛りの二十代なのに恋もせず、キャリアアップに精を出すわけでもない。そこそこの会社に就職し、事務仕事をしてたまに友達と遊ぶ。社会人になっても相変わらず、彼氏もいない。文句も言わずに、小さな弟の世話をして、ニコニコしている。
広美は時折、そんな姉にちょっとイラつくのだった。
いつも自ら貧乏くじを引いているような気がする。文句の一つも言えば良いのに! と。
淡々と平坦で退屈な人生を受け入れている姉を見るたび、お姉ちゃん―――そんなんで、本当に満足してるの? と言いたくなる。
勿論、広美が迷惑を掛けている部分があるのは自覚している。自覚しているから……面と向かって言うことまでは、していない。
広美は、いつも色んな事に全力投球してきた。
部活に友達とのイベント、それから恋愛に受験勉強。大学生になって暫くは解放感から遊んでしまったけれども、今は研究や趣味やバイトにも、それぞれ打ち込んでいる。様々な人達や知識に触れて、忙しくしているのが好きなのだ。何より『生きてる』って感じがする。
だから、就職したばかりの姉が突然結婚すると言い出した時は本当に驚いた。
相手は有名大学出身の研修医だと言う。その上父親も高名な外科医らしい。更に言うと、彼の母親は、世界を股に掛けるジャズピアニストらしい……?! なんじゃ、それ??
その話を姉から聞いた時―――広美は真っ先に、不安を感じた。
写真を見せて貰い、ますます青ざめる。
お姉ちゃん……ぜったい、騙されてるよ……っ!!
そもそもあんなに地味でさえない、普通の事務員の姉が、そんな高級物件と接点があるなんて……おかしくないだろうか。
学校も仕事も特筆すべき活躍は無いものの皆勤賞、そして人がちょっと嫌がりそうな、家事や育児を押し付けられても笑顔で引き受ける―――つまり、七海は真面目なのだ。それでちょっぴり、要領が悪いかもしれない。
当然、イケメン研修医と出会いがあるような合コンとか、そういうイベントに積極的に参加したりする姉なんて、広美にはイメージが湧かない。
そう、もともとブランド物とか名誉とか、イケメンとの恋愛とか、そう言った目立つ物に興味がない人なのだ。それに婚活やってたなんて話も聞いていない。
ひょっとすると、このまま姉は独身を貫くのではないか? なんて思った時期もあった。女性の生涯未婚率は確か約15%くらいらしい。つまり7~8人に一人は結婚しないのである。都会の方がその率は高いと言うし。それが姉ではない、なんて広美には言えなかった。
いや、恋愛に興味がないからこそ、そういう出会いの場に行っていた……とか? と広美は考え直してみる。
でも、でもでも! そんな姉が、俳優も顔負けのイケメンのお金持ちの医者と付き合って半年で結婚だなんて……! あり得ない!! だって―――
「そんな付き合いの浅い人間に、お姉ちゃんの良さが分かるわけないじゃん……!」
広美の姉は目立たない、地味で真面目な女性だ。それに高望みとかするタイプでは、断じて、ない。
だけどだけど……優しい人だ。広美の面倒な愚痴も嫌な顔をせずに聞いてくれるし、幼い翔太の世話も面倒がらない。本当に、本当に素敵な姉なのだ。その素敵さはぱっと見では分からない。でも気づいたら、存在が大きくなっていると言うか……ああ、何と言ったら伝わるだろうか。
例えて言うなら……スルメ? いや、違う! 『出汁』だ!! 和食の奥深さを作る出汁に似ている。意識しないけれど、それがなければ成り立たない、みたいな。
しかし『出汁』って表現は、よくないかもしれない。タンポポ? 陽だまり?……いや、もっと暖かい……炬燵とか??
つまり何が言いたいのかと言うと―――七海の良さは、日々接して来て、長い付き合いの中で気づくようなそんな種類のものなのだ。だから、付き合って半年で即結婚! 電撃婚! なんてのは怪しい。部外者に七海の良さが分かるのかよ! ……と、広美は思うのだ!
そこでハタ、と彼女の頭に嫌な想像が浮かびがある。
もしかして―――研修医だとか親が外科医とか、母親が有名人だとか、そういうのが全部、嘘って言う可能性はないだろうか?
……だってあのイケメン、あの顔で……絶対自分の容姿に自信持ってる筈だ。まさか結婚を餌に、お姉ちゃんからお金を引き出そうとしてしてるんじゃ……? ひょっとしてブランド品を買う事も遊ぶことも碌にしないOLが貯め込んでいる貯金が目当てなんじゃないの?
ああ、お姉ちゃん。言われるままに訳の分からない書類にサインしちゃってないだろうか。そうだ、親から貰う当てはあるから、今足りない金を貸してくれとか何とか言って誤魔化しているって可能性もある。
途端に、その想像がものすごく当たっているような気がしてくる。
いや、そう決めつけるのは早急か……?
広美だって、科学者の端くれだ。
真実を突き止めるには、地道な検証が必要である。
よし、こうなったら―――その男が他の家族に会う前に。
私が、その男を見極めてやる……!!
*****
そうしてセッティングして貰った顔合わせに現れた黛は……写真の数倍、破壊力のあるイケメンだった。
普通は、逆だ。会ってみたら『写真のイメージと違う……(←ヒドイ)』と言う場合が結構ある。だが黛の場合は、見た目で商売になりそうな外見だった。おそらく七海と言う接点がなかったら、絶対に自分から話しかけたり出来なかっただろう、と思われる。
兄の海人もソコソコイケてると思うが、この男と並べたら気の毒な事になるだろうと思われる……(←更にヒドイ)
先に待ち合わせの席についていた黛は、静かにスマホに目を落としていた。それはまるで、ファッション雑誌の一ページのようだ。周囲の客達がチラチラと彼の一挙手一投足をうかがっている。まるでそこだけ、ライトが当てられているように光って見えた。しかし美術館にある彫刻がそうであるように、彼は周囲の視線を気にせず超然とそこに存在していた。
不意にその彫刻が、息を吹き返す。
「七海!」
入ってきた七海達を見つけると、弾んだ声で手を上げた。
そしてニッコリと微笑んだのだ。
その笑顔に周囲の女性達が息を呑む様子が、伝わってくる。
「ゴメンね、待たせて」
「大して待ってない」
そう言って、彫像だった彼はスラリと立ち上がった。ぶっきらぼうな台詞と裏腹に、わざわざ七海の元に歩み寄りエスコートする様子がたまらなく、優雅だ。
思わず広美も、ゴクリと唾を飲み込む。
立ち上がった黛は、スタイルも完璧であった。
背は175~180cmと言った所か? 頭が小さく、腰が高い。医大生と言うから、実際目の前にすれば不健康にひょろりとしているのでは? なんて想像していたが、割としっかりとした体格をしている。きっと筋肉もそれなりに実装しているのではないだろうか。このため、着ているのは何でもない白いシャツなのに、本当に雑誌モデルがそこにいるみたいだ。いや、よく見ればこれはあの、高級ブランドではないだろうか……ジロジロ見るのは失礼かもしれないから顔を向けないが、ちらっと目に入った靴も、腕時計も何やら高級品の気配が漂っている……これが全て偽装でなければ。
「ええと広美……こちらが、黛君。黛君、私の妹の広美、です」
七海が広美をぎこちなく紹介すると、黛はニコリと笑った。
「初めまして」
「ええと、どうも」
あまりにスマートに微笑むから、ドギマギしてしまった。周囲の女性陣から、溜息が漏れている気配がする。笑うと、まるでそこに華が咲いたような気分にさせられてしまう―――これは、ヤバい。と広美は思う。これだけの破壊力のある美青年に見つめられて、微笑まれたら、男女のアレコレや機微に疎そうな我が姉など一溜りもないだろう、と思われた。
ああ、遅かった。きっともう、七海は莫大な掛け金の保険金の書類にサインしてしまったのだろう。若しくは有り金半分、既に巻き上げられたか。
そして、この一見ハイブランドの広告から抜け出して来たような美形の笑顔は―――まんまと、あとの有り金半分をせしめた後に、霞のように消えてしまうものかもしれない。
広美の頭の中には一気に妄想が膨れ上がった。それくらい、目の前のキラキラした美形の微笑みは、浮世離れしていたのだった……!




