※ ドライブ日和? のおまけ
前話のおまけ話になります。
本田の友人、整備士の高志視点です。
大学時代からの友人で、同じ航空会社に勤めるパイロットである本田が、初めて自分の車を購入した。そして新車に興味津々の高志を、休みが合う日に彼の実家の車庫に誘ってくれた。
本田によるとその車庫に行けば、家族がそれぞれ保有している車も見られるのだそうだ。実家が資産家ということは知っているが、高志はこれまで直接彼の家を訪ねたことが無かった。楽しみにしつつ教えられた住所をスマホで表示しながら現地に到着すると、門扉の前に本田が立っていて敷地の中に迎え入れてくれた。
そこにあったのは大きな車庫―――というよりはむしろ、小規模な工場と言っても良いくらいの建物だ。奥に向かって長方形に長く連なるその建物は、車用の門に続く車路に向かって大きな開口部を取っている。その面はいつもはシャッターが下りているらしいが、今は一つを残し全て開け放たれていた。
「すげぇ、壮観だ……!」
剥き出しの鉄鋼造の屋根と梁の下には、まるで車売り場のようにズラリと高級車が並んでいる。信じられないことに、なんとここは本田家が所有する専用の車庫だそうだ。
一台一台、本田に案内して貰いながら高志は、ピカピカに光る車をじっくりと眺める。重厚な高級車ばかりだ。日本車も外車も、有名どころが取り揃えられている。何と贅沢な自家用車庫だろう……! と高志は内心舌を巻く。
が、奥に進むにつれ徐々に毛並みが変わって行く事に気が付いた。
完全受注生産、値引きをしないことで有名な黒塗りの国産高級車の隣にドンと腰を据えていするのは、車高の高い砂利道も軽く突き進めるような、ゴツいタイヤを履いた赤いアウトドア用SUVだ。
かと思えばその隣に寝そべるように鎮座しているのは、グッと車高の低い青光りしたスポーツカーだった。更にその隣には、豪華な車列に並ぶのが不似合いなほどコンパクトで簡素な、ハイトワゴンの軽自動車が素知らぬ顔で居座っている。
それから更にその隣には、ひときわ異彩を放つ小さなショベルカーがチョコンと置物のように置かれていた。ギャップの在り過ぎるラインナップに、高志の頭の中にはクエスチョンマークが降り積もて行く。
数台ほどの空きスペースが続いて一番端の間仕切りまで辿り着くと、その向こう側は洗車場になっていた。そこでは本田の愛車が、ひっそり自分の出番を待っていたようだ。
白い車体が、持ち主に愛されていることを自慢するように、ピカピカと輝いている。
「おー! カッコイイ!!」
「さっき洗い終わった所なんだ」
高志が賞賛の声を上げると、本田は少し照れたように微笑んだ。笑う口元を抑えるように手をやって、チラリと視線を高志に向ける。
「……乗る?」
まるで自慢の息子を紹介するかのようにソワソワと嬉しそうな本田の仕草に、高志も笑った。
「良いのか?」
もともとそのつもりで来たのだが、一応尋ね返すと本田もハッキリと笑顔になった。
「どうぞ。そのために来たんだろ?」
「やりー!」
高志は軽くガッツポーズで応えた。ここまで来て、乗らないなどと言う選択肢はない。
……が、車好きの中には自分の愛車、特に運転席には他人を乗せたくない、と考えるタイプの人間もいる。本田がそう言うタイプでないことに、高志は感謝した。
ところで運転席の前に少し寄り掛かるようにして立っていた本田が、まるで王子様のようにスマートに扉を開けてエスコートしてくれたので、思わず高志は笑いそうになった。
すらりと背が高く精悍な面差しの本田は、高志達が所属する航空会社のグラウンドスタッフの間で『王子』と呼ばれている。男性の友人である自分に対しても、その通り名を裏付けるような紳士的な対応をしてしまう、そこはかとなく漂う育ちの良さを目にして噴き出しそうになったのだった。
けれどもその衝動より、意中の新車と一刻も早く戯れたいという欲望がかろうじて勝った。ツッコミたい気持ちを抑えて、イソイソとシートに腰掛ける。
「どう? 座り心地」
運転席に乗り込みハンドルを握る。シフトレバーを握って感触を楽しむ高志を、外から覗き込み、本田が何処かうきうきと上ずった声で問いかける。二ッと満面の笑みを浮かべ、高志は全力でその期待に応えたのだった。
「すっげー良い! コクピットに座ってるみたいだ。それに今時……マニュアルかよ! しかもこの六速、付いてる意味あんの? 公道じゃぜってぇ、使わねーだろうが!」
聞きようによっては貶しているように聞こえるが、反対に高志は真面目に褒めているのである。現在、新車として売られているのはほとんどがAT車だ。なのに敢えてのマニュアル車。しかも、通常の自家用車が五速までしかない所に、六速まである。
そのツッコミに、ククッと笑いを堪えながら本田は楽し気に答えた。
「確かに。マックス182km/hは高速道路でも出せないよ」
本田も当然それは承知である。通常国内の道路を走る時に、決して使うことのない無駄な能力を搭載している車であることを分かっていて、敢えて購入しているのだ。
もちろんのAT車の方が、渋滞だって坂道だって気を使わずに楽に運転できるが、面倒な手動でのシフトレバー操作がしたいからこそ、マニュアル車を選んだのだ。そしてこういった無駄に見える手間や使われない休眠能力の部分こそ、本田がこの車を好む要因なのである。日本の公道では高速道路でさえ、最高速度は100km/hが上限だ。つまり180km/h出せる能力は国内の道路で車を運転する限り、必要がない。
「アウトバーンへ行け。で、なければサーキットだな」
ドイツのアウトバーンであれば速度無制限区間があり、その推奨速度は100km/hから130km/hだと言う。実際は160km/h以上で走っている車が多いらしい。そう言う場所ならこの車も真価を発揮できることだろうと、高志は言っているのだ。
「だよなー! でも、まだ国内の高速道路も満足に走っちゃいないんだよ……なかなか時間が取れなくてさ」
大袈裟に溜息を吐く本田に、笑いながら高志は提案した。
「分かりやすく、宝の持ち腐れを体現しているな。―――よし、俺が代わりに乗り回してやる。鍵、寄越せ」
「お前だって忙しくてそんな時間ない筈だろ? 俺はな、これでドライブに行くのを目標に今を頑張っているのであって……」
言い訳がましく本田が反論するのを、高志は鼻で笑ってみせる。
「二年くらい、洗車しかしないで終わりそうだな? 通勤用ならここまでの装備、いらないだろ」
「言うなよ……実現しそうで怖い」
肩を落とす本田に、再び高志は声を出して笑った。
パイロットは給料が高い代わりに激務で多忙な職業の為、金は貯まるが使う時間が無いとよく言われるのだ。どうやら当の本人も、高志の指摘に心当たりがあり過ぎるらしい。
そんな風にじゃれ合いつつも内装や装備品について静かに語らっていると、見覚えのある小柄な女性が笑顔で現れた。
「ポンちゃん、お茶入れたから―――あ、こんにちは!」
本田の彼女……ではなく既に妻の唯が、本田の背後からヒョコリと笑顔を見せた。
どうやらシートに収まっている高志に、声を掛けてから気が付いたようだ。高志も一度飲み会で顔を合わせているので、お互い初対面ではない。
「こんにちは。お邪魔してます」
「綾乃さん、来れなくなっちゃたんですね」
「スミマセン、急に仕事が入って」
「いいえ!……大変ですね。グラウンドスタッフって」
お茶が入ったからお菓子でも、と唯から一度休憩するように提案される。
この立派な車庫には、なんと親切にも休憩所まで備え付けられているようだ。車道側のこじんまりとした部屋には、座り心地の良さげなソファと一枚板のテーブルが置かれていて、簡単な炊事が出来るキッチンまで設置されていた。
そこで唯からお茶とお菓子を振る舞われ、少し世間話をした。それから本田の提案で、今度は他の車を改めてじっくり見て回ることになった。
重厚な存在感で他を圧倒する高級車のほとんどは、本田の祖母のものであるらしい。投資が趣味で自分で積み上げた資産がかなりの額になるそうで、これほど車を保有しているのは車道楽と言うもあるが税金対策も兼ねているようだ。年を取ってからは自分で運転することは少なくなって、いつも家族の誰かが運転手を務めることが多いそうだ。
ちなみに小山のように厳つく硬派なアウトドア車は、本田の父親のもので。割と軟派な、青いスポーツカーは本田の兄のものらしい。異彩を放つショベルカーは、家庭菜園を趣味にしている祖母のもので、荷物をたくさん積め、小回りの効く軽自動車は母親のものだそうだ。
「こっちも乗ってみる?」
などと言われれば断れる筈もなく。それぞれの車のシートに収まり、高志は座り心地を確かめて行く。今度は唯も一緒に付いて来ていたが、じっくり車を見、触っては語り合い―――最後に再び本田の愛車の所に辿り着いて、ボンネットを開けエンジンを覗き始めた所で、根を上げたのか「休憩所で少し休んで来るね」と言って、手を振って立ち去って行った。
ところがここに来ても話は尽きず、いつの間にか時間が経過していることに二人とも気が付かなかった。そこに本田の幼馴染だと名乗る男が、現れたのだ。
「本田、ボンネット閉めてくれ」
ボンネットを覗き込んでいた高志と本田の横から、ヒョイと脈絡なく顔を出した男が口を挟んだ。
「黛? 来たのか」
「全身が見たい」
唐突過ぎる出現と申し出を、特に驚きを表すこともなく受け止めた本田が、高志に同意を求める。特に約束していた訳ではなさそうだが、何故か当り前のように本田はその男の我儘を受け入れるようだ。見た所、全く似ていないので兄弟のようには見えないが、余程親しい間柄なのだろうか、と高志は推測する。
随分見た目の整った男である。精悍な男らしい美形の本田とは、また違った繊細な美貌の、何処か艶のある美男子である。コイツ、モテるだろうな、と単純に高志は考えた。
本田がボンネットを閉じると、黛と呼ばれた男は「下がろうぜ」と言って車から後退る。一体コイツは誰なんだろう? と訝しみつつ高志も本田と一緒に後退ってしまった。
一方で他人に指示することに慣れた、有無を言わせぬ響きに反感を抱く。
『二十過ぎればただの人』と言うが、子供の頃に持っていた根拠の無い自信や自らへの期待が、大人になる過程で打ち砕かれるのはよくあることだ。しかしそう言った挫折をまるで感じないまま大人になったような、生まれながらに獲得した自信をそのまま備えたような人間。一見してそのような印象を、高志は黛に対して抱いた。
つまり『こいつ偉そう、気に食わねぇ』と感じた訳である。
随分不遜なヤツだ、名乗りもせずに命令するなんて……と、そこで小さな反感が高志の中に生まれる。
だが次の瞬間、それは霧散してしまう。
「な! この角度。最高! すっげぇ、イカしてるよな……!!」
パッと、満面の笑顔を向けられた高志は、ギクリとした。いや、正直に表現し直そう。心臓がキュッと跳ねたのだ。その魅力的な笑顔に、一瞬で惹き込まれた。
それくらい唐突に向けられた無邪気な笑顔は、キラキラと輝いて見えた。男相手にドキドキするなんて。と、高志は動揺しつつも平静を装った。
それから二人は、直ぐに打ち解けた。本田をまじえて三人で車を眺めながら語り、また近寄って眺め笑った。しかし散々話し合い、終には親しみを覚えるまでになった後で。
黛がキョトンと首をかしげて、高志をマジマジと見たのだ。
「―――ところでお前って……誰だ?」
「え? 今更……?!」
本田がハッとして、大学の友人で整備士だと高志を紹介する。そこで漸く高志も、黛という男が本田の小学校からの幼馴染で、研修医をしていると知ったのだ。どうやら父親も医者らしい。何となく偉そうな喋り方の意味を、理解する。(普段医者と接点のない高志の、大きな偏見かもしれないが)
「高志も車、持ってるのか?」
「いや、欲しいけど迷っていて……」
いきなりの名前呼びに戸惑いながらも、車の話に興じている内にその違和感も無くなった。独特の距離感を持つ黛に、いつの間にか巻き込まれるように馴染んでしまった。
尽きない話の途中で、ふと黛がデニムの後ろポケットからスマホを取り出した。
夢中になって時を忘れて話に興じていたが、その仕草で高志もハッと我に返る。自らもスマホを確認する。するとずいぶん時間が経過していることに、改めて気が付かされた。
「そう言えば彼女……唯さん、一人じゃなかったっけ?」
心配になって休憩所に視線を向けると、部屋に付いた窓の向こうに見えていた人影が消えている。本田も時間をすっかり忘れていたらしい。慌ててスマホを取り出したが、連絡のようなものは何も入っていないようだ。
非常に珍しいことに、いつも忘れない筈の『気配り』を置き去りにしていたらしい。
「大丈夫だ。七海と出掛けたらしい」
動揺を隠せない本田に向けて、黛がスマホの画面を差し出した。
そこには太いストローの刺さったプラスチックのカップ飲み物を手にピースサインをしている唯と、親指を得意げに立てている女性が、顔を寄せて満面の笑みで笑っている。
『「彼女はいただいた!!」……と、本田君にお伝えください(´∀`)b』
その不敵なフキダシの下に、追伸のように小さなフキダシが添えられている。
『本田くん、唯が優しいからって、ほったらかしにしちゃダメだよ……!
(。-`ω-)』
耳に痛い忠言は、本田の妻の友人としての言葉だろうか。
「うっ……」
図星を突かれて呻く本田を目の当たりにした、高志は思う。
学生時代から自ら目立とうとはしないが、常に卒の無い行動をしてきた友人は、他人に、特に女性に咎められるような非を見せることは滅多に無かった筈だ。
それだけ妻である唯に油断した素の自分を見せていると言うことなのだろうか? と、彼の友人として高志は好意的にそう捉えた。
「あー、びっくりした。……江島が居てくれて助かった。随分時間、経ってたんだな……」
詰めていた息を吐き、反省しつつホッと胸をなでおろす本田の頭を、黛が小突いた。
「心の広い彼女に、感謝しろよ」
上から目線で言われた台詞に、本田が咄嗟にコクリと頷く。
―――が、直ぐに我に返ったように声を上げて、ニヤついている男の肩を掌で押し返した。
「お前が、言うなよな……! ずっと江島に頼り過ぎなくせに!!」
「確かに」
しかし反撃を受けた筈の黛の方は全く動じず、しっかりと腕を組み大きく頷いた。
「七海はホント、心が広いよな。あー、俺はなんて良い嫁を貰ったんだ」
全く悪びれずに、むしろ満足そうに胸を張る黛に―――高志は呆れた。
(『コイツ、上から目線で偉そうなヤツだな』って思ったけど……)
そして胸の中で、彼に対する初対面の印象を改めざるを得なくなった。
(―――単に腹の中と口が、直接繋がってるだけだ……! ウラオモテ、無さすぎだろ!!)
これで、ちゃんと職場で働けてるのか……?
それとも医者って、頭良いけどこんな情緒ポンコツなヤツばかりなのか……?!
物心ついてからほとんど医者と言うものに関わって来なかった高志は、本田と黛の遣り取りを見守りつつ、しきりに首を傾けざるを得なかったのだった。
この後、黛と高志は連絡先を交換しました。
理屈っぽい理系人間同士、たまに連絡を取る間柄に。お互いゲーマーだったこともあって、のちのち趣味が被ってることも判明して意外と仲良くなる予定です。
おまけ話のつもりが、元話より長くなってしまいました。
お読みいただき、誠にありがとうございました!




