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黛家の新婚さん  作者: ねがえり太郎
おまけ 黛家の妊婦さん
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五十五、今夜のメニューは

前話の続きです。

 シャワーを浴び終わった黛は、バスローブのフードで頭の水気を拭きながら扉を開けた。するとスパイシーな良い香りが漂って来る。


「カレー?」


 香りは、七海が温めている鍋から立ち上っていた。


 黛はキッチンに入ると、彼女の背後に歩み寄りピタリと体を寄せる。そうして、丸くせり出したお腹に手を這わせた。

 キッチンのようなパブリックスペースで纏わり付いても、七海が眉をしかめることがないのは、龍一が不在だからだ。空気を読まずに我を通すのが常の黛だが、同居してそろそろ一年、恥ずかしがり屋の妻の機嫌を察する技を、少しづつ身に付けつつある。


「潜水艦のポークカレーなんだって」

「これも海軍カレー? 久し振りだな」


 耳元の黛の声が、ワクワクと浮き上がって響く。お気に入りだった海軍カレーシリーズの登場を、黛も喜んでいるようだ。

 一時期、唯の父親の影響で海軍カレーに嵌っていた七海だが、ネットに掲載されているレシピの中には簡単なものもあれば、手間のかかるものもある。材料を揃えるのが面倒で、お腹が大きくなってからは、暫く手の込んだメニューからは遠ざかっていたのだ。


「最近ネットに上がった新メニューらしいよ。唯が、おすそ分けしてくれたの」

「へー」

「うん、そろそろ良い感じ」


 カレーが温まったのを見計らい、七海は鍋の火を落とした。カレー皿を取り出そうと、背後にある食器棚を振り返ろうとして、背中にぴったりと張り付く大きな障害物に視線を向ける。


「えーと……龍之介? ちょっと離れてくれる?」


 黛がくっついたままでも全くできない、と言うほどのことも無いが、このままだとちょっとばかり作業がやりづらい。黛だってお腹が空いているだろう、出来る限り夕食を手早く提供した方が良い筈だ、と七海は考えた。


「なんで?」


 だと言うのに、黛からはとぼけた回答が返って来た。


「……動きづらいです」


 分かり切ったことを聞かれた七海が眉を顰めると、漸く黛は「なるほど」と頷いて、一歩離れてくれた。しかし一歩離れた場所で突っ立ったまま、開放された七海が食器を手に炊飯器からご飯をよそうのを、ニヤニヤして眺めている。

 七海は少し気味悪く思ったものの、せっかくだからとカレーを盛りつけた皿を押し付けることにした。家事全般を放棄している黛だって、猫の手くらいには役に立つだろう。


「はい、これテーブルに運んでね」


 するとカレー皿を受け取った夫は、神妙な表情で大人しくそれらを運び始めた。七海はその背中を見送ってから、既にガラスの器に盛り付けて冷蔵庫に入れて置いたサラダと、スプーンや箸、麦茶の入ったコップをお盆に載せて後に続いた。


「このサラダね、おばあちゃんのお手製なんだ。最近作り置きおかずを沢山作って持って来てくれるから、近頃全然、自分で料理してないの! 今日はメインのカレーも唯のお手製だし。もともと料理くらいしか家事してないのにね」


 テーブルにカトラリーなどを並べながら、七海は自嘲気味に肩を竦めて見せる。産休中の専業主夫(仮)だと言うのに、唯一のちゃんとした『お仕事』である料理をする必要もなくなってしまえば、暇を持て余してしまう。ソファで縫物をしていたのは、そのためだ。手芸の得意な唯に手ほどきを受けて、赤ちゃん用のスタイ(よだれかけ)を縫っていたのだ。座って作業できるし時間を忘れて没頭できるので、思っていたよりなかなか楽しい。

 ただ、手芸の類はこれまで家庭科の授業でしか経験して来なかった七海の縫い目は、唯の作った参考作品のものとは雲泥の差である。女子力の違いを思い知らされ、少々複雑な気分になるのだが……。




 配膳を終えて席に着くと、既にカレー皿を運び終わって席に着いている黛が、再びニヤニヤとこちらを眺めているのに気が付いた。


 どうも様子がおかしい。いや、これまで黛の行動や言動に対して理解が及ばず、微妙な気持ちにさせられることはよくあることだったが。最近は七海も慣れて(慣らされて?)来たのか、それほどおかしいと思うこともなくなって来たのだ。


「……あの……どうしたの?」


 七海は思った。研修先が変わってから、黛は更に忙しくなった。睡眠時間も十分確保できない日もある。体も精神も、人一倍頑丈……と言うか鈍感に出来ている彼も、流石に追い詰められているのではないか、と。

 先ほどから様子がおかしく感じるのは、そのせいではないか。ハードな仕事に従事する医師がうつ病にかかることも多いのだと、何かで目にしたことがある。唯我独尊、傍若無人が服を着ているような黛に限って……と他人事のように、その記事についてはスルーしてしまったが。

 七海は俄かに夫の心の健康が、心配になって来た。


「ん?」

「……ニヤニヤして……何か変だよ?」


 身を乗り出して真顔で問いかける妻に、黛はちょっと目を瞠って。


「いや……うん」


 そしてちょっと照れくさそうに、笑った。




「こんな良い妻を持って、俺ってかなり幸せ者だなって。しみじみ思ってさ」

「……は……?」




 七海の頭には、純粋な疑問符が浮かんだ。


 今日の夕飯のメインは、唯からおすそ分けして貰ったカレーだ。付け合わせのサラダはお祖母ちゃんのお手製。つまり、夕食のメニューで唯一七海が作ったと胸を張って言えるのは―――コップに入った麦茶くらいのものだ。

 更に言うと……ここ最近、お腹が重くて作る料理も手の掛からない煮込み系の料理くらい。黛に持たせるお弁当だって、ほぼお祖母ちゃんが最近定期的に届けてくれるおかずを詰めているだけ。これの何処が『良い妻』なのだろう?? と。 


 ポカンとしている七海を余所に、黛はウキウキと手を合わせた。


「じゃ、いただきまっす!」

「……あ、いただきます」


 どうやら今のところ、七海の夫にうつ病の心配は無用らしい。


 お腹を空かせた黛がガツガツとカレーとサラダを平らげるのを、何だか腑に落ちない気持ちで眺めつつ、七海はちょっとホッとしたのだった。


補足:七海が察することのできなかった黛の思考回路を解説します。


「やっぱりウチってホッとするな! それもこれも七海が家にいるからだな……!」

「周りが心配して料理を持って来てくれるなんて、しかもそれで料理をしなくても夕食が揃っちゃうなんて―――七海の人徳だな! その恩恵にあずかれる俺って、やっぱ幸せ者だな……!」

「俺の嫁、最高……!」


興味の無い女子に纏わり付かれて疲れた後なので、しみじみと染み入るように実感しているところです。




今回もオチヤマなしのノロケ話でスミマセン。

お読みいただき、誠にありがとうございました!

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