五十一、果報は寝て待て
久し振りの投稿になります。
前話の続きの、おまけ話です。
※黛視点のため、少し下世話な表現も含まれます。苦手な方は閲覧にご注意願います。
最近の黛は、大いに自制(当社比)している。
何を自制しているのかと言うと―――思う所あって、臨月を迎えた七海に手を出す行為を控えることにしたのだ。
と、言っても先ほどのような些細な悪戯は、夫婦の最低限のスキンシップだと思っているからそこまで自らに禁止するつもりはない。つまり最後までしない、若しくは七海が負担になるほどの行為は控える……程度の『自制』である。それでも、新婚一年未満、積年の片想いを成就させてまだ一年とちょっとの黛としては、かなりの譲歩だ。
ただ黛は、実は以前から『七海と恋人同士になれるなら最後までやらなくても良い』とは考えていた。いや、付き合う前の友人関係の時に酔いと勢いで押し倒した事もあったし、初めての夜には七海が痛がろうが怒ろうが手を止めず、最後まで完遂した。そんなことをしておいて今更どの口が言う……と七海には睨まれるかもしれないが。
つい黛が七海に積極的に迫ってしまうのは、どちらかと言うと七海の反応が見たくて、と言うのが大きい。
そう言う意味では、黛は昔から一ミリも変わっていないと言えるかもしれない。ただアプローチの仕方が、色々なものを拗らせていた子供の頃とは変わっただけだ。かつての彼は構い方を間違えて、七海の反発心を煽っているだけだった。つまりは黛がガキだっただけなのだが。
告白後から堰を切ったように、素直に七海に接するようになった。夢の中や妄想でしか出来なかったことをしても、七海は逃げないし、そんなことで黛を嫌ったりしない。ただし多少呆れてはいるかもしれないが。
そして素直に思った通りに七海を構えるようになった結果、どんどん行為がエスカレートしてしまう……だけなのである。
黛は自分がすることや言うことに対して、七海がどう反応するかを見るのが好きだ。いや、大好きだ。そして更に誤解を恐れずに言うと―――七海が恥ずかしがるのを見るのが、最高に好きだ。
もっともっと、恥ずかしがる七海を見たくなる。それは黛の所為ばかりではないと思うのだ。羞恥に頬を染める七海が、可愛過ぎるのが、悪いと思う。
だから黛は性欲が溜まったからただヤリタイ、と言う訳ではない。つまり最悪、しなくても良い。七海が傍にいてくれて、自分の妻でいてくれるならそのようなことは些細なことだと思う。(しかし本音を言うなら、なるべく七海としたい、とは常に思っている。黛が言いたいのは、あくまで七海に無理はさせてまではしなくても良い、と言うことだ)
はち切れそうにせり出した大きいお腹を抱えた七海は、近頃何をやるにも大変そうだ。歩いたり何かを持ったりするような動作はもちろん、ただ黙っているだけでも肺や胃が圧迫されて苦しかったり、膀胱が押されるためにトイレが近かったりするらしい。
そのため、夜眠る時もなかなかグッスリ眠る、と言う訳にはいかないようだ。妊娠中期頃からはずっと、仰向けにもうつ伏せにも寝られないため、シロクマなどの抱き枕を使って左側を下にしたシムス姿勢を取っている。そうでなくては最近は苦しくてウトウトすることも出来ないそうだ。
ちなみに『シムス姿勢』とは、体の左側を下にして少しうつ伏せ気味に横になり、下側の足をのばして上側の足を曲げる体勢のことである。
アメリカの婦人科医考案した姿勢で、一般的に妊婦が楽に眠れる姿勢だと言われいてる。余談ではあるが同時にこれは、昏睡した人間の窒息や誤嚥を防ぎ気道を確保する目的で取らせる場合にも使われる体位だ。昏睡体位とも呼ばれている。妊婦と暮らすのは初めての黛だが、実は彼にとっては割とおなじみの姿勢だった。学生時代の友人との飲み会で、酔っぱらってしまった相手を介抱する際に取らせる定番の体位だからだ。
しかし最近はその別名『昏睡体位』と呼ばれる究極の姿勢をもってしても、寝苦しさやらなにやらでなかなかスッキリと寝付けない事が多いらしい。せっかく眠りに就いたと思っても、途端にお腹の中で目を醒ました『りゅうちゃん』が主張し目が覚めてしまう、などと言うこともあるようだ。
昼間でも眠そうにトロンとしている場面を、よく目にするようになった。傍から見ていても、これはなかなか辛そうだと思う。
黛はそう言う訳で、最近彼女の睡眠時間を削るような行為は敢えて遠慮しているのだった。
自分がシャワーを浴びている間、体を冷やさないようにと黛は七海に一足早くベッドに上がるように言い含めた。七海は黛が在宅している時は、余程体調が悪くない限り彼と一緒にベッドに入ろうとする。それは嬉しいし、黛だってできるだけ一緒に時間を過ごしたいのはやまやまだ。が、やはり七海には『りゅうちゃん』の為にも、体を第一にして欲しい。
髪を乾かし寝室の扉をそっと開けると、ベッドの上で横になる七海を発見した。七海は上掛けにくるまり、今ではすっかり黛の代わりに夜の相棒となってしまったシロクマに抱き着いている。
ピクリとも動かない膨らみが、呼吸で微かに上下しているのを目にして、黛はホッとした。
どうやら今夜の妻は、スムーズに入眠出来ているようだ。
彼女を起こさないように細心の注意を払う。ベッドの上を這うようにゆっくりと近づいて、黛は愛する妻の顔を覗き込んだ。微かに瞼が震えているのは、眠りに就いたばかりだからだろう。規則的な呼吸で彼女が間違いなく睡眠状態に入っている事を確認して、慎重に自身の体を横たえた。
それから壁側を向いている七海を、背中から抱え込むように手を伸ばす。
起こさないように気を付けたつもりが―――抱えた体がピクリと震えて、ひやりとした。しかし瞼は閉じたままで、モゾモゾと身じろぎをしている。
「ん……まゆずみ、くん?」
シロクマに抱き着いたまま、目を瞑り寝惚け声で呟く七海を見ていたら。
キュウと甘やかに、胸を締め付けられた。
「七海?」
起こしてしまっただろうか。悪いと思いつつも反応があるのを嬉しく思ってしまう。
しかし溢れそうな愛しさを抑え込んで―――後ろから軽いキスをその頬に落とすにとどめる。するとくすぐったそうに、七海は口元を綻ばせた。
「んー……くふっ」
しかし瞼が開かれることはない。おそらく寝惚けているのだろう、と黛は考えた。
「おやすみ」
と、腕の中で眠る七海に呟くと。彼女はもにゃもにゃと何か返事らしきものを唱えながら、再びすうっと夢の世界へと引き込まれて行く。
―――よく眠れているようで、何よりだ。
少し寂しい気持ちもあるし、寝惚けて夫を再び苗字呼びしているのを咎めたい気持ちも多少、ある。
けれども今は七海の安眠が第一だ。眠る七海の大きなお腹をそっと撫で、黛は心の中でそっと『りゅうちゃん』に話し掛ける。
『お前もゆっくり休んで、しっかり育てよ』
するとポコリと微かな振動が、掌に返って来る。
まるでお腹の中の息子と、テレパシーで会話をしたような気分になって―――黛の口元も自然に綻んだのだ。
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