※ 水入らず のおまけ
前話の続き。短いおまけ話です。
踏み込んだのは明るい浴室、一般家庭のものに比べるとかなり広いものだ。壁一面が深い青い色の素材で落ち着いた印象を与える。シャワーヘッドも使えるが、基本シャワーは天井から滝のように落ちて来るタイプのものだ。また鏡前の棚はクッション付きになっていて、そこに座るとちょうど肩に打たせ湯が当たるようになっている。七海も好奇心から一度だけ座ってみたが、何となく落ち着かなくてそれきりずっと試していない。
現在新婚夫婦専用になっているこの贅沢なメインの浴室には、最近よく豪華な浴室に設置されているテレビは付いていない。代わりに黛の母親、玲子の好みで設置された大きなスピーカーが天井に埋まっていた。スマホと連動させるとなかなかに臨場感のある演奏が聞けるらしい。残念ながらこちらはまだお試しも出来ないままでいる。七海はいつも浴槽に浸かって天井を見上げてから、スピーカーの存在を思い出すからだ。
浴槽はジャグジー付きでお腹の大きな七海でも手足を伸ばしてのんびり入れる贅沢な広さ。軽く体を洗うなどして身支度を終えた後、入浴剤を入れた湯にゆっくり足を入れ手摺を頼りに腰を下ろす。目を閉じ浴槽に背を預け、フーッと息を吐いた。
ああ、落ち着くなぁ……。
庶民育ちの七海は狭い家でも、つましく楽しく暮らせる。だから黛家の広くて贅沢なマンションは少々身の丈に余った。けれども機能的なキッチンと、この浴室については七海は遠慮する暇もないほど直ぐに気に入ってしまった。手足をじっくり伸ばせる座り心地の充実した浴槽って素晴らしい……!特に体が変わり不自由な思いをするようになってから、その事を実感するようになった。
「おーい、もういいか?」
パッと目を開けた。そうだ、黛が居たのだと思い出す。慌てて声を上げた。
「あ、うん!大丈夫だよ」
一緒に入ることを了承したものの、往生際の悪い七海は先に入らせてくれるように黛にお願いしたのだった。一人で入りたいのは『恥ずかしい』のが一番の理由だが、それ以外にもあまり男性の目の前で大っぴらに見せたくない作業もある。後から入ってくれるように頼むと黛は快く了承してくれたのでホッとした。
引き戸がスッと空いたので、七海はそっと目を逸らす。黛の裸はこれまでも目にしているが、あまりジロジロ見たりはしない。黛自身は全く恥ずかしがらないが、七海は未だに少し恥ずかしいのだ。目を逸らしたまま気まずい気持ちで壁の方を見ていると「あ!」と驚きの声が上がったので思わず振り向いてしまった。
「全く見えないじゃないか!」
盛大に眉を顰める黛が膝を付いて浴槽に手を掛け、水面を覗き込んでいる。其処は入浴剤で一面真っ白だった。勿論入浴剤は七海が選んだ。透き通るタイプもあるが、白濁するタイプを敢えて選択したのだ―――これだけは譲れない。
「早く体洗って入らないと、冷えるよ?」
「……」
黛を促してジャグジーのスイッチを押して泡を出し、再びゆっくりと七海は白いお湯に肩を浸して浴槽に背を付けた。
夫からジトッとした視線を向けられたような気がしたが、七海は素知らぬ振りでジャグジーの泡を楽しむことに専念したのだった。
しかしこの行動が黛をリベンジに駆り立てる原因の一つになったのかもしれません。
お付き合いいただき、誠にありがとうございました。




