四十四、アルバイト2
七海の買い物に付き合う新、再び。
ヤマもオチも無い設定説明のようなお話です。
ヨガスクールの体験レッスンを終えた七海は、週一でマタニティヨガのレッスンを受ける事を決めた。御目付役を任命された新は、もちろん喜んで付いて来る。付き添いと荷物持ちのバイトは、彼にとって美味しいことばかりだからだ。女性の荷物は大して重いものではないし、優しい七海と他愛無いおしゃべりをして散歩するのは楽しいし、彼女のレッスン中には本屋巡りも出来る。その上帰りには、美味しいスイーツを奢って貰えるのだ。本音を言うとバイト代を貰うのが申し訳ないような内容なのが、ちゃっかりしている新は貰えるものは貰う事にしている。
「じゃあ龍ちゃん、とうとう車買うんだね。もう何にするか決めたの?」
スクールの帰り道に七海が週末のショールーム巡りの話題を出すと、新は楽し気に食いついて来た。
「もう少し試乗してから決めるって。でも……」
「『でも』?」
「多分もう黛君の中ではだいたい決まってると思うんだ。ただこの機会に色んな車に乗ってみたいから、もうちょっと試そうって言ってるんじゃないかな」
とは言えお金を出すのは黛なのだから、どれだけ車を試乗しようと七海に異存はない。ピカピカの車を見て周り、美味しい飲み物を飲みながらゆったり雑誌を読むのも、それはそれで楽しかった。
箕浦に遭遇したハプニングについては、敢えて触れずに話すことにした。本屋で七海を巻き込んだ顛末を報告した後黛にきつく注意を受けたらしく、新は七海を巻き込んだことを何度も謝ってくれたのだ。彼女が七海と新の仲を邪推していたことにも気が付いてないようだったし、これ以上気を使わせても可哀想な気がしたのだ。
「その気持ち分かる!俺も車買うなら色々試してから買いたいもん。それにしても、楽しみだな!龍ちゃんが新しい車買ったら、七海の付き添いする時運転させてくれるよね?」
新がウキウキと楽しそうに話すのを目にして、七海は笑った。
「男の人って本当、車好きだよね」
新の態度を目にして黛が江島家に遊びに来た時の事を思い出した。そう言えば兄の海人と黛が車の話で盛り上がっていた。理解できない単語が飛び交っていて、七海にはチンプンカンプンだったが。
「七海は運転しないんだっけ?」
「私はそもそも免許も持ってないんだよね。新はいつ免許取ったの?」
「十八になって直ぐ教習所に通ったよ」
「へー」
「うちはかーちゃんもばーちゃんも車好きだよ。それに俺以外の家族は皆、車持ってるし」
無駄遣いをしない本田家だが家族は皆、それぞれ車を所有している。広い敷地に大きなガレージがあり駐車場スペースには困らないのだ。ただし自分の稼ぎで購入する事になっているので、常に金欠の新は勿論例外である。七海は野良仕事とお金の講義をしてくれた、背筋のぴんとした小柄な女性を思い浮かべた。農作業をしている時は作業着だが、それ以外は着物を粋に着こなす小柄だけれどもカッコイイ女性だ。
「おばあちゃんも運転するんだね」
着物姿がデフォルトなので、彼女が自分で運転すると聞いて驚いてしまう。詳しくは知らないが信の年齢を考えると彼等の祖母、香子の年齢は七十を超えている筈だ。
「ばーちゃんは流石にもう、公道ではあまり運転しないけど。ほら高齢者の事故とか最近多いでしょ?だからだいたいは家の誰かが運転手になるか、タクシー使うかどっちかだよ」
公道では?と七海は首を傾げた。
「最近は庭いじり用の重機くらいかな、運転するの」
「『ジュウキ』?」
耳慣れない言葉に彼女は更に首を傾げる。
「見た事ない?離れの横に停まっているやつ」
「離れの……横?」
唯の花嫁修行(と称して畑仕事の手伝いをしたり、香子に家事のコツからお茶の作法や資金運用について教えて貰っている)に付き添って何度か訪れた離れを思い浮かべる。縁側の付いた小さい平屋の前に小さな菜園があって、三方を木に囲まれている。手前には作業中の建設業者が仮置きしているのか小さなショベルカーが停まっていた。
「……えっ……あのショベルカーって……ひょっとして本田家の自家用なの?!」
「うん。つってもばーちゃんと俺くらいしか使わないけどね」
本田家が桁違いのお金持ちだと言う事は何となく知っている。けれども高校の頃から唯と一緒に訪れるに連れ、皆の気さくな態度と質素な暮らしぶりにそう言った事を思わず忘れそうになる事が多かった。だから七海にとって『セレブ』とか『お金持ち』とかそう言う言葉は黛家の方がずっと連想し易い。改めて一般家庭と本田家の違いを実感した七海であった。……と言ってもあの辺りで離れと畑を作れるくらい広い土地を持っている時点で、既にそれは一般家庭とは隔絶した環境にあると言えるのだが。
「ショベルカー、最近唯も運転してるよ」
「えっ、そうなの?」
「うん。ばーちゃんが教えてる」
―――ひょっとして、これも『花嫁修業』の一つなのだろうか?と七海は考えた。
それにしても本田家の女性陣は皆、唯を含め家事も仕事もオールマイティにこなせるパワフルな女性ばかりなのだなぁ、と七海は思う。信にプロポーズされた時、唯に『義姉妹になれるかも!』と喜ばれ、それはそれで楽しいかもしれない、などと一瞬考えた事もあった彼女であったが……。
自分にはやはり本田家の嫁は務まらなかっただろうなと、ハードルの高さを改めて感じたのであった。
やはり七海には気楽な黛家の方が合っているようです。
ちなみに香子おばあちゃんは最近新と唯に手伝って貰い、郊外の土地でもう少し広い農園を作るようになりました。現在そちらでショベルカーは活躍中。新に設計図を描かせて、園芸用物置や木柵も自前で作ってます。
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