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黛家の新婚さん  作者: ねがえり太郎
おまけ 黛家の妊婦さん
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三十、抱き枕

唯が黛家に遊びに来ました。

女同士のおしゃべり、短いおまけ話です。

 妊婦が仰向けに眠るのは、あまり良くないらしい。子宮の重みでただでさえ立ったり座ったりで負担が掛かりっぱなしの腰を痛めてしまうことがあるそうだ。それから大事な静脈を圧迫することで血圧の低下による眩暈や吐き気を起こしたり、胎児に行くはずの酸素が減ってしまったり―――などという深刻な状況に至る可能性もあるらしい。


 七海もお腹が大きくなる妊娠後期からは、ほとんど横向きに眠るのが当たり前になった。と言っても理由は単純で、単にお腹が大きくなるにつれ仰向けでは寝づらいと感じるようになったからそうしているだけだった。しかし横向きに寝るのも、実はお腹の大きな妊婦には一苦労だ。普通に眠ろうとした時、上側になる足をベッドに下ろすとどうしてもお腹が圧迫されて苦しくなってしまうし、腕の置き場にも困ってしまう。




「じゃあ、普段はどうやって眠っているの?」




 家人が不在になるある夜、唯が七海の家に手作りのポトフを持参してくれた。野菜もたっぷり取れるし夏と言ってもあまり体を冷やす食事を避けたほうが良い妊婦には有難いチョイスだ。七海は先日黛と一緒に行ったカフェで購入した食パンを幾つか冷凍庫で凍らせて置いたので、それをトーストしてテーブルにポトフと一緒に並べた。


「抱き枕を使っているんだ」

「抱き枕って……細長い形の?」


 唯はこれまで使ったことはないが、ネットの検索画面でくねくねと不思議な形をした売れ筋だと言う抱き枕を目にしたことがある。気持ち良く眠れるという宣伝文句に興味を引かれてはいるものの、まだ購入までには至っていない。


「それも試してみたんだけど、いまいち自分には合わなくって。あ、まずは食べようか?……と、飲み物は―――冷たいルイボスティーがあるけど、それでも良い?」

「うん、ルイボスティーがいいな。あっ、私が入れようか?」


 『よっこらしょ』とでも言いそうな様子で立ち上がった七海を心配して、咄嗟にそう言った唯に七海は「大丈夫だよー」と笑って冷蔵庫へ向かう。これぐらいの運動はむしろ積極的にした方が良いのだ。しかしハラハラした様子の唯は我慢できずに立ち上がる。

 自分としては何ともないように思うのに、たぶん外側から見ている人にはそうは見えないのかもしれない、と七海は思った。しかしそうやって気遣ってくれる友人がいると言うことに温かい気持ちになる。七海がグラスに注いだルイボスティーを、唯がお盆に乗せて運んだ。それから改めて席に着き、向かい合って手を合わせ『いただきます』をする。


「それで今はどんな枕を使っているの?」

「結局いろいろ試行錯誤して、二つ使っているんだ。一つは授乳枕で……」

「授乳枕?」

「うん、U字型のクッションでね?腰に巻き付けてその上に赤ちゃんを乗せるんだ。そうすると割と楽に授乳できるんだよね」

「へー」

「翔太の時にお母さんが使っていたから実家にもあるんだけど、授乳用として使わなくなった後も結構重宝してたんだ。本を読んだりする時に腰に巻くと、首とか腕の負担も無いしちょうど良くてね。あっ、携帯ゲーム機なんか使う時も楽かも。お兄ちゃんがよくお腹に巻いて使っていたなぁ」


 子育てには積極的に参加していない海人だが、便利な子育てグッズは積極的に活用していたのだった。外では比較的『俺様』風を吹かせている大きな体格の良い男が、授乳枕を腰に巻いている光景はなかなかにシュールなものである。いつだったかシュッとした綺麗な彼女と歩いている海人と、街中でバッタリ顔を合わせた事があった。相手の彼女が海人にポーッとなっている様子を目にして、七海は思ったものだ。彼女の夢を壊さないように、家でのあの姿は見せない方が無難だろうなぁ……と。


「後で見せて貰っても良い?」

「うん。寝室にあるから食べ終わったら持ってくるよ」


 それから二人は良く味の染みたポトフを食べながら、お互いの近況報告をかねておしゃべりに興じた。七海はここ最近通勤時間を共にしているロマンスグレーの運転手、遠賀さんや黛と一緒に行ったカフェでの出来事を、唯は最近任されるようになった新しい仕事の話や、本田の仕事先のホテルにサプライズでケーキを届けた時のことなどについて、面白おかしく話し合った。

 同じマンションに住んでいるが仕事もあるしお互いの夫の勤務時間がバラバラなため、なかなか頻繁に顔を合わせるのは難しい。久しぶりにとっぷりと女同士で話し合い、ポトフとパンでお腹が一杯になる頃には心の方もすっかり温かいもので満腹になったのだった。








 食事を終えた七海が寝室から抱えて来たのは、さきほど言っていた大きなU字型の枕と……白くて大きな、クマのぬいぐるみだった。


「シロクマ?うわ~可愛い!」


 思わず手に取って抱き締めると、すやすやと眠るような恰好のクマのぬいぐるみはモチモチして肌ざわりがトロンとして柔らかい。絶妙の抱き心地である。唯は顔を輝かせて七海を振り返った。


「これ抱き枕なの?」

「うん、気持ち良いでしょ?他にもクジラとか柴犬とかあって迷ったんだ。一番迷ったのは……パンダ!」

「パンダ!うわっ欲しいかも!」


 七海は笑った。


「一旦手にしちゃったら嵌っちゃうかも。私なんて、もうこれが無いと落ち着かないくらいだもん」

「ほほう……」


 すると唯がシロクマと頬を寄せながら、ニヤリと笑った。




「黛君……ヤキモチ焼かない?」




 ギクリとした七海を見て唯はケラケラと笑い出す。


「そんなことナイよ?だって、ただの枕だもん」


 と、しかし七海は何でもないことのようにスルーしたのだった。







 つい先日、コトが終わった後着衣を整えた七海が「おやすみ~」と眠そうにシロクマを抱えゴロンと横になった時、背中を向けられてしまった黛が「七海は俺よりシロクマの方が良いのか?」などと冗談か本気か分からないような言いがかりを付けて来たことを思い出したのだ。既に睡魔にがっつり脳を掴まれてしまった七海は、その問いに答えることなく眠りに就いてしまったのだが……。


 たぶん七海の夫のそんな情けない所を知っても、黛に妙な幻想を全く抱いていない唯は何とも思わないかもしれないが―――結局黛よりシロクマを選んでしまった後ろ暗さから、七海はこれ以上夫の恥ずかしい所を宣伝するのはやめておこう……と口を噤むことにしたのだった。

お読みいただき、ありがとうございました。

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