二十七、噂の真相
後日談のような、短いおまけ話です。
「江島さん、もしかして昨日『ドゥマン イル フラジュー』に寄らなかった?」
お昼休み、川奈が持参したサンドイッチの包みを解きながら尋ねて来た。『ドゥマン イル フラジュー』とは、芝公園にある老舗ホテルに併設されているカフェである。
「うん。夜ごはん、そこで食べたから」
「そっか……」
そのまま考えこむように口を噤む川奈の顔を、小日向が覗き込んだ。
「何かありました?」
「あのね、岬さん達が江島さんを見掛けたらしいの。ちょうど其処で夕食を食べていたんだって」
「そうなの?全然気が付かなかった」
広い店内に沢山の人が出入りしていた。食事をしている人もいれば単にパンやジャムを買いに来る人もいる、その大勢の中に岬達もいたのだろうか。会社から近いカフェに、七海のように帰り道に足を向ける社員がいたとしてもおかしくない。
モグモグと今朝自ら弁当箱に詰めたブロッコリーを頬張る七海の緊張感のない様子を見て、川奈が溜息を吐いた。
「呑気ねぇ、何で私がそれを知っていると思う?岬さんに言われたのよ『あの人妊婦のくせに、ダンナじゃない男と抱き合ってたわよ。浮気じゃないか』って」
「ぐふっ……!」
思わずブロッコリーを喉に詰まらせてしまった七海は、ゴホゴホと急き込んだ。
「江島さん!本当ですか?!」
とんでもない汚名を着せられた七海に、小日向は詰め寄った。しかし何故かキラキラと瞳を輝かせている。川奈は不思議に思った。責めるような口調になるならともかく、何故そんな生き生きとした目で小日向は七海を眺めるのだろう、と。
「ごほっ……んんんっ!違います!『抱き合って』なんかいません!」
混乱するあまり敬語になってしまう七海に、川奈は冷静に尋ね返した。
「でも夫じゃないイケメンと会ってたのは事実なんだ?」
「『イケメン』?」
「なんか遠回しにそう言っていたよ、岬さん。羨ましいのか、かなり苛々していたからそうなのかなって思って」
岬はターゲットにしていた営業課の人気物件、立川に相手にされず、その同僚の田神と付き合うようになったが、最近それがあまり上手く行っていないらしい。鬱憤を溜め込んでいる所為か、幸せ真っ只中(と、岬には見えている……)の七海に八つ当たり気味なのだ。
正しくは『あの子に似合わないような』とか『どうしてあの子ばっかりあんな』などと岬が川奈の目の前でつい漏らしてしまったのだ。抑えきれない不満がフツフツと滲みだしているのを目にして、川奈はそう類推した訳である。
「江島さん……やりますねぇ!」
小日向の見当違いの褒め言葉に、七海は慌てて首を振った。
「違うから!兄!兄だから!」
「『全然似てない』って言ってたけど」
川奈のツッコミに、七海は大きく頷いた。
「似てないの!昔から!出張でこっちに来るって言うから、ついでに一緒にご飯を食べていただけで……」
「『抱き合っていた』って言うのは何なんですか?」
「それは……何でだろ?」
そこでハイヤーまで荷物を持ってくれた兄に、乗り込む時にふらついた体を支えられたことを思い出した。
「あ、分かった!車に乗る時バランス崩して……お兄ちゃんに捕まったから」
「なるほど、そこを目撃されたと」
「そうかも……」
七海は眉を寄せた。
「どうしようかな、わざわざ否定するのもなんだし」
「否定するとますます怪しい感じですよね。聞く耳持たれ無さそう」
小日向が冷静に分析する。
「なら、ほっとけば?悪い事している訳じゃないんだし『人の噂も七十五日』」
川奈があっけらかんと笑って言った。
すると不安そうな七海に、小日向が意味深に笑い掛ける。
「そうですね、江島さんもうすぐ産休ですし。それに岬さん、そのうちそれどころじゃなくなりそうだから―――ターゲット、すぐ変わるかもしれませんよ?」
実は岬と付き合っている田神が、新しく入った派遣の若い女の子と何だか良い雰囲気らしい……と言う噂を彼女は掴んでいたのだ。案の定七海の信憑性の薄い、ささやかな目撃情報はすぐに廃れて岬の攻撃対象はその可愛らしい派遣女子に移ったそうだ。
「しかし『お兄ちゃん』って……なんかそう言う呼び方新鮮だなぁ」と、ニヤつく川奈。
「え?普通じゃない?」と、目を丸くする七海。
「私一人っ子だし」と、川奈。
「私『アニキ』ですよ?」と、真顔の小日向。
「「え?!」」七海&川奈。
「変ですか?」と、キョトンとする小日向。
「意外……」七海。
「似合わな~……」川奈。
「えー?何でですか!」小日向。
なんて遣り取りがあったとか無かったとか。
お読みいただき、有難うございました。




