二十六、お兄ちゃんと一緒3
前話の続きです。
すっかりテーブルに並んだ美味しい夕食を平らげてしまい、後はそれぞれ帰るばかり……という所で海人が思い出したように眉を上げた。
「そうだ、土産があったんだ」
「お土産?わ~、何だろう?」
北海道土産なんて七海は期待してしまう。白いチョコレートを挟んだクッキーとか?メロンのゼリーとか?以前海人がお土産として買って来てくれたお菓子を思い起こし、胸元で手を合わせてワクワクと目を輝かせる七海の目の前に、ドンと大きな紙包みが現れた。
「うわぁ……たくさん……」
何となく、思っていたのと違った。重量感がまず、お菓子では無い。
「北海道と言えば『蟹』だろ?こっちに来る直前に根室の現場に行ったんだ。こっちは花咲ガニの鉄砲汁……それからこっちはカニみそ」
「カニ!!缶詰なんだね……」
美味しそうだし、七海もカニは大好きだが……物凄く重そうで、若干引いてしまう。持って帰るの大変そう……郵送の方が良かったなぁ、やっぱり男の人のお土産は相手が妊婦とかそういう事を気にしないのかも。などと失礼な事を考えつつも、カニを食べられるとなるとやっぱり嬉しくて、複雑な気分になった。
「あ!これ、重いよな?」
そこで漸く海人は気付いたらしい。
「家まで持って行ってやろうか。電車だと大変だろ?気付かなくてスマン」
と、言われて七海も漸く気が付いた。そうだった、自分は今は歩かなくても移動出来るのだ。今日は兄と食事をするから、とロマンスグレーのハイヤー運転手、遠賀の迎えを断ったのだ。すると遠賀は『近くで食事をしながら時間を潰すので終わったら連絡下さいね』とやんわりと七海の断りを退けたのだ。せっかく久し振りにやる気になっているのだから、使って欲しいとまで言われれば、有難くお願いするしかなく。
「えーと、大丈夫だよ」
「無理すんなよ。階段もツラいって言う妊婦が何言ってんだ。俺も気をきかせなかったのが悪かったんだし」
「お兄ちゃん、明日仕事なんでしょ?そっちこそ無理しないでよ。私は大丈夫―――その、タクシーで帰れるし」
何となくハイヤーを専用で借りて貰っている事実を、あまり兄に知られたくないと思った。さきほど散々『スゲースゲー』と七海のことをまるで厚顔無恥の権化のように表現していた兄に、このネタを与えてはいけないと本能的に感じたのだ。しかしそれを遠慮だと受け取った海人は、七海の全く予想しない方向で兄としての思い遣りを示して来たのだ。
「じゃあ、これ」
ん!と財布から一万円札を出して、七海の前に押し出した。
「え?!いや、いいよ!」
七海は慌てて、テーブルの上の一万円札を兄の元へ押し戻した。
「何言ってんだ!俺の土産の所為でタクシー使うんなら、これくらい当たり前だろう?」
ズイッと差し戻される一万円札。
「いや、いいって!」
七海もズイッと突き返す。乗車代金は支払い済みなのだ、貰っても困ってしまう。
「駄目だ、受け取れ」
海人はわしっと一万円札を掴み、二つに折りたたんで七海の手首を捕まえると、今度は掌にそれを押し込んだ。
「受け取れないよ」
七海はぐぐぐっと歯を食いしばって、一万円札を掴む手を海人の力強い腕の力に対抗するように押し戻した。するとムッとした海人が一万円札を取り戻し、ポケットに無造作に押し込む。
「じゃあ、電車で俺が荷物を持って付いて行く」
「いや!それは……行くのは良いけど往復になっちゃうでしょ、遠いよ?お兄ちゃんのホテル、この近くなんだから」
「じゃあ、こっちを受け取れ」
再び一万円札と取り出した兄。七海は海人と、彼女の目の前にグッと差し出されたお札を握った手を見比べて……追い詰められた。
「いや……だからぁ……ううう」
そしてとうとう根負けした七海は、兄に事情を打ち明ける事になったのだ。すると案の定、海人は目を丸くした。
「は?!お前……『ハイヤー貸し切り』って……給料以上に金、使ってんじゃないか、ひょっとして」
「うっ……まぁ……そう……かな?幾ら使っているかは聞いても教えてくれないんだけど……」
無駄使いを嫌がる七海に対して、最近黛は沈黙と言う対抗手段を覚えたらしい。口と内面が直結していた高校生の頃に比べれば『成長した』と言えるかもしれない。それとも『狡猾になった』と言った方が正しいのだろうか。
「しかもその運転手?この辺で食事して時間潰しているって?!駐車料金ばか高いんじゃないか、この辺って?!」
「あっ……うう……えーとでもね?その運転手さん、実はハイヤー会社の顧問の偉い人で……この辺で行き付けがあるって言うから。なんかよく使うから駐車場タダで使わせてくれる所があるから心配ないって言うし……」
「……」
ジトッと見つめる海人の視線をゆるりと避け、七海はテーブルの上のスマホに目を這わせた。しかし更なる非難を言葉で表す気は彼には無かったようだ。海人は諦めの籠った溜息を吐き、気を取り直したように再び口を開いた。
「でもさ、家に着いたらどーすんだよ。ハイヤーから降りた後マンションの部屋まで荷物持って行くの大変じゃないか?それならそのハイヤーに俺が同乗するか?勿論帰りまで世話にはなれねーから電車で帰るけれども……」
七海としては兄の気遣いは、大変有難いと思う。思うが……
「いや、それも大丈夫だと思う……マンションのコンシェルジュさんが、その……私が妊娠しているの知ってから『大変そうだから』って、最近は荷物があったら毎回部屋まで持って行くのを手伝ってくれるから……」
と視線を逸らしながら言う七海を眺めていた海人の口が、ポカンと空いた。
「お前……」
一瞬言葉を飲み込んだ海人の口から、鋭いツッコミが飛んで来た。
「セレブ妻かよっ!貸し切りハイヤーにコンシェルジュって……何で働いてんの?もう仕事、辞めたら?」
「うん……そうなるよね……」
だから言いたく無かったんだよな~と、七海は心の中で呟いたのだった。
その後のお話。
「お前のお姑さんみたいなのならともかく、普通の事務やってるOL、子供産んだ後までやる必要ないじゃん」
「う……だよね」
「どーせ誰かに頼まれて『じゃあやろっかな』なんて軽く考えたんだろ?大変なのはお前なんだから、まず引き受ける前によく考えろよ」
とそこまで勢い良く説教した海人が、急に口を閉ざした。
「……ああ、だから。お前、後先考えずに結婚したんだよな。そうか、じゃなくちゃ頷かねーよな、あんな面倒そうな背景の競争率の高そうな男と結婚なんて」
うんうん、と腕組みをして大きく頷く海人。
「ううう……」
兄に図星を突かれ過ぎて、全く反論できない七海なのでした。
でもそんな人の良い七海に、無茶振りをするのはいつも海人(と妹の広美)でした。
だから翔太のお世話も七海が主に担当することに。自分のことは棚に上げて無かった事にしているお兄ちゃんです(笑)しかし七海はあまり気にしないタイプなので、翔太のお世話を楽しく焼いていました。
お読みいただき、有難うございました。




