※ 出勤風景 のおまけ
前話の設定のような、ごくごく短いおまけ話を追加します。
ハイヤーを運転するのは、とても七十代には見えないロマンスグレーのかくしゃくとした男性だった。既に運転手としての仕事は引退していたが、今回黛家から話が来たと聞いて自ら名乗り出てくれたのだと言う。
「龍一さんにはお世話になりましたからねぇ」
「お義父さんをご存知なんですか?」
懐かしそうな様子に尋ねると、運転手の男性は楽し気に答えた。
「ああ、玲子さんの移動用として、ほぼ専属のように利用していただいたんですよ。あの頃、私はタクシー会社を辞めて個人タクシーを始めたばかりでしてね。なかなか生活が成り立つほどの収入が得られなくて大変な時期でした。たまたま流しで龍一さんと玲子さんを乗せる機会がありまして、何故か龍一さんが私を気に入ってくれましてね。玲子さんの移動用にずっと私のタクシーを使ってくれるようになったんですよ」
「へぇ、そうだったんですか」
しかし今七海が使っているのは、よく見るタクシー会社のハイヤーだ。
「今のタクシー会社には、その後転職されたんですか?」
素朴な疑問だった。
「いいえ?」
帰って来たのは意外な答えだった。
「私の会社です。あの後廃業する会社の権利を買い取ったんですよ」
「えっ……『私の』って」
「これも龍一さんと玲子さんのお陰でしてね。ハイヤーで契約できたら良いのにって言っていただいた事が切っ掛けで会社を広げる事を思いつきまして……マネジメントに詳しいお知り合いの方を紹介していただいたり、良いお客様に宣伝していただいたりして何とか会社を軌道に乗らせることが出来ました」
よくよく聞くと、彼は会社の顧問でもう運転手としての仕事はしていないらしい。息子に代を譲っており経営からもそろそろ手を引き隠居しようかと思っていた所、お世話になった黛家からの依頼と聞いて手を上げたのだと言う。
「現場を離れたとは言っても、長年の習い性であちらこちら車で道を辿る癖がありましてね。何処へでもご案内出来ますので、安心してお任せください」
「あっ……はぁ……有難うございます……」
(会社の社長さん……じゃなくて、それどころか顧問さんだったの?!)
お礼の言葉を口にしたものの、ますますハイヤー利用が心苦しくなってしまったなぁ……と思う七海であった。
お読みいただき、有難うございました。




