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A Drop of Blood  作者: ベルン
第三章 その先は新たな殻の空
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022 家族の定義

ブックマークや評価、感想ありがとうございます!

力になります。

 



 一人、夜の繁華街を歩く影がある。

 フードを深く被り、少し離れただけでもその目元はよく見えない。が、近くを通った者たちにはその顔がはっきりと見えたようだ。

 そしてそのうちの何人かが囁き合った。

「おい、見ろよ。東洋人だぜ。小さいし細いな」

「そうか? 普通にあのくらいの背の奴はいるだろう」

 フードの人物は服の上からでも判るほど、周辺の者より華奢で小柄だった。

「でもそんな多くもねえよ。見ろよ、あの髪の色。真っ黒だぜ」

 フードから少しだけ髪がはみ出ていたらしい。片方の男はそれを目敏く見つけてはそうペラペラ話している。

「それに、目も大きくて可愛いな。どう見ても十代そこらだろう」

「どう見ても子供だよな」

 子供と言われたそのフードの人物は、何を思ったのか歩く速度を上げた。もしかしたら会話が聞こえてしまったのかもしれない。

「なあ、声かけてみようかな」

「やめとけ」

「お前、ガキが好みなのかー? まじ趣味悪りぃな」

 そんな冷やかしとさざめきの中を彼女はただただ歩き続けた。そして、今までより大股で、ますます速く歩くようになった。しかし、彼女が気がつけば同一の足音がいくつか続いてきていた。ちらっとそちらを振り向けば、先ほどの男たちだった。

「なあお嬢ちゃん、こんな所で何してるんだ? 暇なら一緒に遊ぼうぜ……?」

「…………」

 呼び止められた彼女は頭を少しだけ上げた。その拍子でフードの影から、きらりと目が光る。

「おいおい、早速口説くのかよ」

「お嬢ちゃん何歳?」

「…………」

「喋れないのかあ?」

 彼女は黙っていたが、やがて観念したように小さな声を上げる。

「すみません、い、急いでいるので……」

 緊張からか恐怖からか、その声は吃っていてよく聞こえない。

「何がだよ。この時間帯に急ぐも何もないだろ」

「すみません」

 彼女は同じ言葉を繰り返し、隙をついて足早にその場を走り去った。



 彼女は全力で走り、人混みに紛れ、時々後ろを確認しながら裏路地に入り込んだ。

 先よりよほど暗くて危険そうな場所ではあるが、誰もいなさそうだったので一旦ここで息継ぎをすることにした。

「…………」

 その時だった。

 さっとどこからか二つの小さな影が現れた。フードの人物と比べるといくらか身長が低い。

 せいぜい十代初めごろだろう。

「さっきのひどくないですか!? ガキ? ガキですってえええ!?」

「あかね、 煩いよ」

 あかねと呼ばれた、茶髪を両側の高い位置で二つ結びした少女のほうがキッと期限を悪くしてぷりぷりと怒る。

「あんたはいっつもそうやって澄ました顔して! うちの姫さまのどこが! どこがガキなのようう!」

「ここでそんなくだらないことに興奮してもしかたないでしょう」

 そして、もう片方の少女のほうはあかねより遥かに長い金髪を、これまた高い位置で二つ結びにしている。彼女はあかねと比べたらだいぶ落ち着いた雰囲気を持っていた。

 二人の少女の真ん中に挟まれたフードの人物は困ったように二人を諭す。

「二人とも、ここで言い争いはやめて。あかねちゃんはそう怒ってくれなくて大丈夫だよ。わたしは全然気にならないの。子どもに見えるって、要は童顔ってことでしょう。喜ばなきゃ」

 クソガキと呼ばれていないだけましよ。そう言ってにこにこ笑うフードの人物に、あかねは思いっきり呆れたようだった。

「こ、これだから姫さまは……」

「その呼びかたやめない? わたしは姫さまなんかじゃないし」

「いえ、あたしたちにとっては姫さまは姫さまですもん。すみれ! あんたも何か言いなさいよ」

「………………」

 すみれは何も言わなかった。あかねがまた機嫌を悪くしてしまいそうなのを押し留めるために、姫さまと呼ばれたフードの人物は慌てて話題を切り替える。

「とりあえず、早く会う人会って帰ろう」

 彼女はフードを深く被り直し、裏路地からまた大通りへ出る。

 ふと、すみれがポツリと質問した。

「姫さま、位置はおわかりですか?」

「あ」

「…………」

 姫さまはきょろきょろと目を泳がせた。大きいその目には、目的地は映っていないようで。

「…………えっと」

 彼女はそのまま気まずそうにどもる。すみれはため息をついた。

「先ほどから、同じところをぐるぐる回っているような気がするのは気のせいでしょうか」

「ご、ごめん。ちゃんと地図を見てはいるんだけど、現在地と方角がよくわからなくて……」

「…………」

「ごめんね」

 いいえ、大丈夫です。いつものことですから。そう言いたいのをグッとこらえ、すみれは首を横に振る。

「いえ、わたしたちが担当するべきでした。姫さまにお任せしてしまい、申し訳ありません。それを拝見しても? ここからはわたしがご案内します」

 姫さまはぐっと拳を握る。

「でもわたしが年長者だし!」

「年齢と方向感覚は比例しませんよ。貸してください」

 ズバズバと痛いところを突かれ、なすすべもなく地図を奪い取られた。

 すみれはしばらくの間地図を眺めては周辺の建物などを確認していたが、やがてこちらに顔を向け、今まで進んできた方向とは正反対の方を手で示した。

「こちらです」

 そうしているうちに、彼らはとある雰囲気の良さそうな喫茶店の前にたどり着いたのだった。



 時は数刻遡る。

 クレアとアネットは豚の丸焼きを食べに目当ての食事処に来ていた。席に案内され、そろそろ腰を下ろす。

「豚の丸焼きなんて何年ぶりだろう」

 アネットが感慨深げにそう呟くと、クレアはチラリと彼女を一瞥した。

「そんなに食べてないのか」

「豚の丸焼きどころか、普通の食事さえまともに食べられなかったんだから」

 思い出せば、次から次へと仕事と虐待に見舞われた日々だ。ただでさえ他より多くきつい類の仕事を割り当てられていたのに、その上でさらに他の人の分までこなさなければいけなかった。

 勉強も一生懸命やっていたが、結局は進路も閉ざされてしまった。

 何もかも諦め、生活のためには夢をへし折られるのをただ黙認し、目の前に置かれた本を閉じたのだった。本は箱の中に、夢は心の奥にしまうしかなかった。

 丸焼き一つでここまで思い出してしまうとは、自分も相当に根に持つ性分らしい。

「使用人たちと一緒に食べなかったのか」

「その使用人の間でもいじめられていたのよ」

「………………」

 クレアは何と言葉をかけてよいのか困っていることだろう。だから、彼を楽にしてあげたかった。これは別に、彼のせいではないのだから。

 アネットはわざと軽い調子で笑った。

「でもいいのよ。幸運なことに、こうしてまた食べられる。こんなにもわたしは恵まれているのよ。それに感謝しなきゃ」

 クレアはそんなアネットを痛ましげに見つめていたが、ナプキンを広げたり手を拭いているアネットがそれに気づくことはない。

「お前は……」

「?」

「いや、何でもない」

 元より、クレアも彼女に本心を気付かせるつもりは更々なかった。

 料理を注文した後はしばらくの間軽いお酒を飲み交わし、たわいもないお喋りで時間を過ごした。

「お前はフェイン家に所属することについてどう思う」

「どうって?」

「どうしてもアネット・フェインでいたい?」

「…………そうね」

 どうしてそんなことを聞くのか問い詰めたかったが、これでは質問に質問で返していていつまでも堂々巡りだ。話が終わらない。

「お父さまには感謝しているし、お母さまは……あまりよくわからないけど。でも、フェインって名前にこだわっているわけではないわ。家族として繋がっていれば」

 アネットは自分の気持ちの揺れが伝わらないように半ば早口でまくし立てた。緊張で息は苦しく、自分が今口にした内容を考えるとつらかった。もしかすると、フェイン家から徹底的に追い出されるのだろうかと思うと、涙が滲んできた。

 しかし、それをごまかすためにわざとらしくにっこり笑った。

「答えになったかしら」

「ああ」

 クレアはそんなアネットをジッと見つめては、一つ首肯する。アネットは切るなら自分から切ってやる、と思った。彼女は彼の目をじっと見返した。

「じゃあ、聞いてもいいわよね。なぜそんなことを聞くの? わたしがフェイン家に残ったらまずいことでもある?」

「そうだな。個人的にはお前にフェイン家から抜けてほしい。前も言ったが、俺はお前のことを姉として認められない。認めない」

「それは……」

 以前から言われていたことだが、改めて強調されると気分は良くなかった。

 しかし、一つ以前と異なる点がある。それは、ただ単にこれがアネットにとってつらいだけの言葉ではないということだ。ここまで来れば、さすがにその言葉に込められているもう一つの意味に気づく。

「お前には別の形で、フェイン家に属してほしい」

 アネットはたった今鼓膜を打った一言を飲み込めず、我が耳を疑った。

「…………それって」

 そう言いかけた時、ちょうどウェイターが頼んでいた料理をワゴンに乗せて運んできた。

 話し合いは一旦中止だ。

「こちら、ご注文のものでございます」

 さっさと手際良く、見るからに食欲を刺激する料理が卓上に並べられる。二人の前にはどんと大きな豚の丸焼きが置かれた。この店自慢の特製ソースがかけられたサラダも食べ応えがありそうだ。

 しかし、アネットの心臓はばくばく鳴っていて正直それどころではなかった。

 クレアが少しだけ恨めしい。いつも突然、何かを言ってはアネットを翻弄する。自分はいつも彼に振り回されてばかりだ。彼もこの戸惑いを味わってみればいい。……しかし、悔しいことに手立ては見つからなかった。

「失礼致します」

 ウェイターが去ると、アネットは料理から目を離した。クレアを真っ直ぐに見る。少しばかり驚いたのは、クレアは思いのほか強い視線をこちらに注いでいたということである。

「それで……わたしとしては、その理由をはっきりしてほしいんだけど」

「君を赤の他人にしたい」

「………………」

 アネットの動揺を知っているくせに、素知らぬ振りをし飄々とカトラリーを弄るクレア。

「赤の他人でなければ、婚姻できない」

 手が止まった。

「クレア。かなり重要なことをいい加減に言ってしまった自覚はある?」

 アネットは苛立ちを隠さずクレアを睨み据えたが、彼はむしろ呆れた風にこちらを見返した。そして、クレア恒例の、人を馬鹿にした笑みをかざしてきた。

「この期に及んで浪漫を求めるのか?」

「……っ! 浪漫まではいかなくても、あなたのその口調と態度からは、結婚を望んでいる人としての誠意が感じられないわ。一生一代の大切なことよ。それをそんな風に淡々と」

「事実だから仕方ない。それに、目的までには感情の無駄な消費は慎みたい」

 感情の無駄な消費。

「感情に無駄な消費なんてあるものですか!」

 アネットは感情の迸りに乗って訴えた。

(やめて、アネット。クレアはそういうつもりじゃないわ)

「わたしは人形じゃないわ。あなたの目的のためなら何でも無駄口叩かず、機械的に従うモノじゃないのよ!」

 しかし、止められなかった。彼の前だと感情の統制がこんなにも難しい。

 クレアは目を閉じた。そのまま彼は首を横に振った。

「俺はそういう意図で言ったんじゃない」

 そして、目を開ける。以前はあんなに冷たかったアイスブルーの目が、今は澄み渡った水底の色を湛えているから不思議だ。

「わかってる」

「!」

 震える声にハッとして彼女に目を遣れば、アネットの両目からは今にも涙がこぼれ落ちそうだった。

「わかってるの」

 クレアは沈黙を通した。

「あなたがわたしのためを思って、気遣って動いてくれていることは知っているのよ。でも、これは違うわ。それこそあなたの言う通り、血が一滴も混じらない人々の間で結ばれるものなの。心だけを縁に、深い契りを交わすものなの。そんな風に簡単に、無味乾燥に進めるものではないのよ」

「何が言いたい」

 クレアは怪訝そうに、そして若干苛立たしく問う。アネットはこれもみな自分のせいだとわかっていた。だから、彼に明示しようと思う。

「わたしたちは互いを知って久しいけど、互いをわかって日が浅いわ」

「…………」

 クレアは黙り込む。

「だから、お互いの核心に触れる必要があるのよ。あなたはわたしの核心に触れたことがなくて、わたしもしかりよ」

 緊張で話がわけのわからない状態にならないよう、慎重に言う。諭すように、理性的に。

 そうしたら、クレアは爆弾を落としてみせた。

「じゃあ、今から触れればいい。触れるどころか、掴んでやる。掴むにとどまらず握ってやる。それでも満足できないなら、互いにその核心とやらを交換すればいい」

「…………」

 今度はアネットが黙り込む番だった。

「核心、ね。正に俺の願っていたことだ。今までそれを拒否していたのはお前だよ、アネット」

「!」

 クレアは苦笑した。

「だがこれだけは解ってほしい。俺は今手に入れたいものがあって、一時も無駄にしたくない」

「それも、わかってる。わたしがわがまま言っているのもわかってる。でもねクレア、これはあなたのためでもあるの。人並みのことは手に入れてほしいの。でないとわたしがこの先申し訳なくて、生きていけないわ。そして、こんな体の良い表現で包んではいるけど、結局わたしも、人並みの幸せや経験を積みたいの。これまでの努力に報いる機会が今あるなら、残らず掴み取りたい。今まで失っていた分を埋めたい。取り戻したいの」

 アネットの目から、ぽろりと涙が伝った。

「一方ではね、あなたの言う、その『手に入れたいもの』のために、あなたの人生において経験できるはずのこと、享受できるはずのことを諦めてほしくない。ごめんね。あなたの妨げにしかなれなくて」

「!!!」


 彼女は解っている。

 クレアが『手に入れたいもの』が何なのかを。


「でもね、やっぱりさっきの言葉だって、あなたらしくて率直だったわ。だからクレア、あなたのことは信じていられる。随分わがまま言ったけれど……これまでのように、これからもあなたの方針をわたしなりに考えて、あなたの計画や意志に協力する」

「アネット」

「だから、もう少しだけお互いを知りましょうよ。あと」

 アネットは深呼吸した。その目にははっきり決心したように、確信の光が宿った。

「わたしは今後、フェイン家の人間でなくていいわ。そんなことでお父さまやお母さまとのつながりが消えるわけではないし。それにわたしだって、『手に入れたいもの』があるの」

「……!」

 クレアは瞠目した。アネットは微笑んだ。

「だから、そのためにはわたしだって覚悟しなきゃいけないわ」

 アネットの微笑みを目にして、クレアは確信した。


 今は言葉にはせずとも。

 彼女の望みと彼の望みは、結局同じものであると。

 気がつけば、口から思わず彼女に向けた心が現れていた。


「ありがとう」


 二人の間に、まことの春が訪れた。




みなさん、五月病にめげずに乗り切っていきましょう。よろしければ感想などお聞かせ願えればと思います。ありがとうございました。

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