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A Drop of Blood  作者: ベルン
第二章 殻を破る
18/25

017 寄り道

春の陽気が感じられる頃です。お楽しみくださいませ。

 



 アネットは早朝からそわそわしていた。

 メイベルは何を察してか、いつもより格段に早く部屋に来て仕事を始めている。理由を聞けば、彼女は呆れた風にこちらをジロリと見返してきた。

「だってアネットさま、今日絶対早く起きるかなって思ったんですよ。で、ほら、あたしの予想通り」

 全てお見通しだとでも言いたげなその目を前に嘘はつけなかった。

「クレアさまにやっと会えますもんねー」

 アネットは何も反論できなかった。こうなってしまったら意地を張るのは潔く諦め、とっとと得たい情報を得るまでだ。開き直ろう。

「何時頃に来ると思う?」

 メイベルはせっせとカーテンを整えたり、床を掃いたりし始めた。

「そうですねえ。早くても夕方じゃないでしょうかねえ」

「そう……」

 アネットも彼女を手伝おうと立ち上がったが、断固拒否された。

「そういえば、今日も朝早くから……ではなくて。多分昨日の夕方に届いていたんだと思うんですが、クレアさまからお手紙が」

「そうなの!」

 メイベルが言い終わらないうちにアネットは叫んだ。その目は物欲しげにメイベルの手元をじっと見つめている。メイベルはメイベルで驚いたように目を丸くした。

「アネットさま、変わりましたね」

「何のこと?」

 不思議そうに首を傾げているアネットを見たメイベルは、主人に向かって微笑んだ。

「ここに暮らし始めたときはそんなそぶり全然見せなかったのに」

「ど、どういうそぶり?」

「クレアさまが好き!っていうやつですよー。もう。わかってないんですか? それともそういうフリ? 今時そういう鈍感女はウケませんよう。まあでも、アネットさまはホントに鈍感な感じですけどねぇ」

 アネットは自分の顔がみるみる真っ赤になっていくことを実感した。耳が熱い。

「そ、そ、そ、そんなわけないでしょう! だ、だだだ大体、わたしはクレアのことを」

 アネットの吃った、答えにもならない答えを聞き、メイベルは心底呆れたように片目を眇める。

「そうやって嘘つくことに何の意味があるんです? アネットさまはとっても良いご主人さまで間違いないんですけど、たまに本当に胸のつかえが取れない気分にしてくれますよね」

「メイベル。わたしはいいけど、他のご主人さまにそんな口聞いちゃいけないわ。気をつけてね」

 できるだけ批判的に聞こえないようにそっと声をかけると、メイベルをそれを察したのか察していないのか、相変わらずの態度で堂々とアネットに応酬した。

「ご心配なく。アネットさまが嫌がらない限り他に仕えるつもりもないですし、そういうツテもないですから」

 そんなことない。自分がこの家を出る際、もしクレアがメイベルを辞めさせたら、彼女のための紹介状を書いてくれるように頼み込むつもりだ。メイベルは機転が良く、真面目で誠実な子なのだ。きっとどこへ行っても上手くやっていける。

「そう言ってくれるのはうれしいけど……やっぱり、今後のあなたのためにも直したほうがいいと思うの」

「わかりました。すみません」

 メイベルはとても素直だ。アネットは彼女に苛立っていたわけではない。問題は自分にあった。

「別にいいのよ。ごめんね。イライラするわよね」

 アネットさえ自分自身に苛ついているのだ。あれこれ偉そうに言っている自分は一体何がしたいのかと。しかし、メイベルはまたもやこちらをびっくりさせるような爆弾発言を食らわせた。

「はい。クレアさまがかわいそうです」

 はい?

「クレアが?」

「そうです。いくら想いを告げても、全っ然相手が聞いてくれませんもん」

「……………………」

 今度はアネットがムッとする番だった。

「メイベル。クレアがわたしに自分の感情を言ったことはないわ。それって結局、彼の気持ちはわからないってことよ」

「それって言い換えれば、アネットさまはクレアさまのお気持ちが気になるってことですよね。ということは結局、アネットさまはクレアさまを」

「そういうのじゃないわ! ああああなたが期待しているようなそういうものでは」

「そうなんですか」

「それに、わかったところで……」

 アネットは力なく笑んだ。わかったところで何だというのだろう。

 どうせ、彼らは姉弟なのだ。結ばれるわけがない。できっこない。

「アネットさま……」

 メイベルがふと、眉尻を下げて控えめにこちらの様子を窺った。

「ごめんなさいね。ちょっと考えごとが過ぎたわ」

「いえ、いいんですよ。あたしのことは気にしないでください。それよりも今日のドレスなんですけど、これとこれと、あとはあっちに出してあるやつ。どれがいいですか?」

 示された方向へそれぞれ目を向けると、一つは胸元が少し開いたシンプルなクリーム色のドレス、もう一つは襟が詰まった華やかな黄色のドレス、最後の一つは袖の膨らんだ濃い緑のドレスだった。

「そうね、じゃあ……」

 アネットは、それ以上突っ込んでこないメイベルに甘えることにした。



 騎兵科のエース、クレア・フェインが除隊するという話は瞬く間に軍内に拡がった。

「フェイン! お前、軍をやめたらどうするんだよ!」

「爵位を継ぐよ。領地内の事業を運営しないといけない」

「何でだよ! そんなの他に任せときゃいいだろう!」

 騎兵科の同期らは案の定、憤慨していた。クレアは朝から晩まで暇さえあれば問い詰めてくる同期をどういなそうかと思案していた。

「長男だから。俺以外にはコンスタンスくらいしかいないし。そのコンスタンスも結婚してしまうしね」

「でも将来を考えてみろよ。お前以外の誰が騎兵科を率いるんだよ! お前の将来も大事だ。家も大事なのはわかる。でもそれと同じくらい軍の未来を考えて、その上で軍に入隊したはずだろ!?」

「そうだね」

「 軍は何だ。家よりももっと大きくて、もっと多くの人を守れるところじゃないか! お前はただ田舎の家に閉じ篭るような器じゃないんだよ!」

「お前はそう言ってくれるけど、俺には向いていなかった」

「はあ!? 軍がお前に向いてないって? 喧嘩売ってくれるなよ。俺ら全員軍を抜けろってことか!?」

 一旦落ち着いてほしい。周囲がジロジロ見てくるから注目される身としては正直居た堪れない。

「違う。そういう意味じゃないってお前も解るだろう」

「解らん。解りたくもない! お前なんか知らん!」

「…………」

 はあ、思わず一人溜息を吐いてしまった。

(せめて同期には本当の事を言えたらいいんだが)


 実際、クレアは除隊するわけではない。これはただの偽装だ。

 特殊部隊に配属されるだけのこと。しかしこれを公言するわけにはいかない。


 近い未来、同じ軍にいる限り同期の誰かが作戦や任務でクレアと接触する確率はそう低くはない。だから、そういう者はクレアが実は特殊部隊に配属されたのだと知ることができるだろう。

 ただ、それは任務の特性上外に漏らしてはならない。つまりクレアと作戦で関わらなければ、クレアが相変わらず軍に身を置いていると知ることはないということだ。

 何年先になるかは未知数だが、一定の任務が終われば騎兵科に戻ることもできる。

 これも皆国の為、ひいてはアネットの為だ。

(任務が終わるまでの辛抱だ)

 初めは半ば脅されるようにして引き受けたことだが、最終的に決めたのは自分だ。やるからには手を抜くつもりはない。むしろ、他よりも優れた働きをしなければと思う。

 全力で、そしてそれ以上の力で完遂しなければ、アネットを守ることは疎か、自分自身の命も危うくなる。

 国の命運はどうでもよい。だが、何よりもアネットは守り抜かなければならない。そしてその為には、国を守りぬかなければならない。

 だから矛盾していると解っていつつも、つまるところ国の命運はどうでもよいわけではないのだ。



 はあ。

 もう何度目のため息だろうか。

「お嬢様。そう何度もため息をつかれては、幸せもどこかへ飛んでいきますよ」

「あら、わたしそんなにため息ついたかしら」

「そうですとも。それこそもう何度もね」

 ウィルキンソンは苦笑した。

 先程からこの調子である。というのも、クレアの手紙を読んでからのアネットはまるで空気の抜けた風船のような、中の綿がはみ出たクッションのような……力がなくて元気もない、活力に乏しい様子であった。

「やはり、ご主人様に早くお会いしたかったのですね」

「ち、違います。そういうのじゃなくて」

 クレアの手紙の中には、期待から少し外れた内容が綴られていた。

 ルテニアから帰国するにはするが、それは帰国し次第タウンハウスに来るというわけではなかった。彼はフェインの領地に一旦戻り、父から爵位を継いで諸々の仕事を終えてからタウンハウスに戻るとあったのだ。

 そして、一番の衝撃的なことはやはり。

「除隊するなんて。クレアはあんなに頑張ったのに」

 要領が良く成績優秀。飛び級で二年早く士官学校に入学し、それから一年早く卒業。それは生まれつき持っていた才能もあったかもしれないが、彼の打ち出した結果は、彼の才能を上回る努力あってこそ可能なことであった。

「爵位を継ぐためだけにって……。それならあんなに苦労しなくても」

「何かしら理由があるのでしょう。そう気落ちなさいますな」

「そうですね。わたしががっかり、というか、落ち込んでも何の意味もありませんし」

「そんなことはありませんよ。お嬢様がここまでご共感を下されば、ご主人様もきっと嬉しく思って下さいます」

「ウィルキンソンさん、それは誤解です」

「いえ、私には解ります」

 彼はなぜか自信満々だった。これ以上否定もできなかったので、アネットは黙っておくことにした。



 フェイン邸だ。タウンハウスに着いて間もなくルテニアへと旅立ったので、タウンハウスよりも久しぶりだと感じることはない。懐かしさも特に感じなかった。

 ただ、煩わしい案件を片付けてさっさと首都へ行きたかった。

「お兄さま!」

 玄関を通って中のホールへ通されるや否や、コンスタンスの溌剌な声が耳を打ってくる。笑顔いっぱいの彼女はホールに躍り出ては一直線にクレアの所まで走ってきた。そして、両腕を広げる。

 何と感動的な兄妹の再会だろうか。

 しかし、クレアはスッと体を避けた。

「やめなさい。もういい年した女性なんだから」

 コンスタンスは避けられたことに少しだけ当惑したようだったが、やがてクレアの言葉を聞くと上機嫌にふふんと笑った。

「あら珍しい、わたしのことをそういう風におっしゃるなんて」

「違うの?」

「もうっ、お兄さまったら意地悪!」

 愛らしく朗らかなその様子からは、その根底にある腹黒さは窺い知れない。

 彼女が実の妹で良かったと思う。血が繋がっていなかったらどうなっていた事か。

(社交界一の腹黒な恋人になれたかもしれないな)

 自嘲混じりに嗤い、コンスタンスに腕を差し出した。妹はそれに白魚のような手を置く。兄妹は優雅に歩き出した。

「フランシスとは上手くいってる?」

「もちろんよ。それこそ毎週邸に来てくれるの。一緒に街に出かけたり、遠乗りしたり、普通に邸で過ごしたり。彼とは何やっても楽しいわ。それに、ドレスとかアクセサリーとか、贈り物もいっぱいくれるのよ! 彼もわたしのことを好きだし、順調にいけばちょうど来年には結婚できるわ。今まさに順調よ」

「母上から聞いたよ。良かったね」

「ええ。フランシスとわたし、お似合い?」

「お似合いだよ」

 本当に。

 クレアはほくそ笑んだ。自分のこういう所は、母に似てしまったのだと思う。皮肉にもこういう時に自分たちは親子なのだと痛感する。

 コンスタンスはクレアの腕に自分のそれを絡め、居間へと促した。

「お兄さま、除隊されたのですって? あれだけ派手に士官学校通っておいて何なのよ。爵位を継ぐ長男は出稼ぎなんてしなくていいから、どうせ士官学校なんて行かなくてもいいって、あれだけお母さまもおっしゃってたのに。おかげでわたしはお兄さまといつも比べられて損ばかりしてるわ」

「男なら一応生活力があった方がいいだろう? そういう軽い理由だよ。でももう辞めるし、どうでもいい」

「ふうん。まあいいわ。それよりも、お兄さまが全部相続しちゃったらわたし一文無しじゃない? そこを何とかしてほしいわ」

 クレアはコンスタンスを見て、呆れ半分諦め半分で笑った。

「お前って本当に……」

「何よ。バカとか言いたいの? しょうがないじゃない」

 コンスタンスは一丁前にむっとしているようだった。相変わらず自分が一番可愛いのだろう。批判されたり反対されたりすると直そうともせずに何でも反感を持ってしまうのが彼女の短所だ。

「いや、あざといなと思って」

「純粋な女なんていないわよ。みんな猫を被っているんだわ。お兄さまの前に現れた女なんて、みんなウブなフリしているに決まってるじゃない」

「そうだろうね」

 いくらか現実的なことを言ってくれるが、悪い例ばかりだ。しかもさらに皮肉なことに、それは自分を元にして語ったものだった。コンスタンス本人はその事を意識してはいないようだった。

「だから、そういうのに騙されないでね。まあ、好きな女がそういう女でも、そうね。義妹に逆らわないような女か、自分がわたしより下だということをちゃんと理解している女が望ましいわ」

「よく言うよ。他家に嫁に行くのは自分も変わらないくせに。そうなってもそうするつもりも無いんだろう」

「当たり前じゃない」

 妹のあざとい微笑みに、クレアは冷笑した。だが、コンスタンスにはそれが悪戯っぽく笑ったように見えたらしい。

「お兄さまってほんと意地悪だわ」

 コンスタンスは満足げにしている。一方のクレアは、自分が家族に対して持っているはずのなけなしの情さえ冷めていっていることに感づいた。



 父エリオットの部屋に入ると、そこには母ヒルドレッドもいた。

 エリオットはソファに腰掛けているが、背凭れにかなり頼っている様子だった。ヒルドレッドはこちらを見て感極まったように微笑む。

「ああ、クレア! ようやく帰って来たのね! 母は嬉しいこと限りありません!」

 聞いているこっちが羞恥で消えてしまいたいくらい大仰に言ってくれるが、実際のところ、自分の息子が財産を相続しに来たことが嬉しいのだろう。露骨に言えば、そのおこぼれを……否、あわよくば自分が影から息子を操って全て自分のものにしようという企みを持っているのだろう。

 クレアとて愚鈍ではない。そんなこと解りきっている。だから、母の目を盗んではエリオットと多くの話をやり取りし、母の干渉を防ぐために地道に外堀を固めてきた。

 エリオットへ実際やってしまっていることを見れば、自分もいずれそうならないとも限らない。勿論、クレアは血の繋がった息子なので、エリオットのようにないがしろにはされないだろうが、それでもこの母という人物は何をやらかしてくれるか予想できたものではない。将来クレアが自分の気に食わなければ、新しい人物––––––孫ならまだしも、愛人––––––等に領地を一任して、自らは豪奢な生活を維持しようと躍起になるかもしれないのだ。



「父上、母上。只今戻りました」



今日もありがとうございました。

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