表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
A Drop of Blood  作者: ベルン
第二章 殻を破る
10/25

009 勿忘草は宵闇に咲きて

お久しぶりです。メッセージ送ってくださって誠にありがとうございます。

送ってくださった貴重なメッセージが力になり、こうして執筆することができました。

今年に入って大きなことが一つ解決されましたので、これから時間を見つけては執筆を続けていこうと思います。

 



 あれは新しい家族が来て間もない頃だった。まだ虐待されていなくて、継母とも弟とも妹とも、それなりに仲良く暮らしていた時のこと。

 アネットは弟と妹と一緒に庭で花を摘んでいろいろなものを作っていた。二人ともこういうものを作って遊んだ経験はあまりないらしく、アネットの手によって次々とものが作られていく様子を興味深げに観察していた。

 コンスタンスは不器用だが懸命に作っては、自分のものが一番不恰好だと知ると泣いてアネットのものを強請った。アネットはかわいい妹の願いならばと、惜しむことなく冠やら指輪やら腕輪やらを作ってあげた。一方のクレアは、一言も口を言わず黙々と作って段々と上手く綺麗に作れるようになった。

 男の子がこういう遊びに勤しむというイメージはあまりなかったため、アネットは少なからず驚いてしまった。

「そうそう。クレア、上手ね。男の子はこういう遊び、あまり好きじゃないと思ったのだけれど」

「俺は好きだよ」

「そう? 確かに、手先がとても器用だものね。それに、この花とても綺麗よね。わたしこの花好きなの。クレアはどう?」

 クレアはしばらく黙っていたが、やがてこちらを向いた。アネットに白い小花で作った指輪を差し出す。

 彼の綺麗なアイスブルーが、アネットを射抜いた。

「好きだ」

「…………」

 アネットは返答に困った。

「そ、そうよね。この花ってやっぱり誰が見ても綺麗だし……」

「姉さん、好きだよ」

「…………ありがとう。わたしもクレアのことが大好きよ」


 クレアは大人びていて普段何を考えているのかよくわからないことが多々あった。そして、たまにこちらを驚愕させるような行動を起こすことがあった。例えば無邪気に好意を告げてきた。あれは普通の兄弟愛とはまた違う気がする。一種の憧憬だろうか。年上の異性に対する興味だろうか。確かに、小さい頃からというわけでもなく、物心着いてからいきなりできた姉というのはそういう対象になり得るのかもしれないとふと思った。アネットだって、二人が異腹ではあるが弟妹であると告げられてはいるものの、そう告げられたから頭で覚えているだけで、心から理解しているかというとそうとは確言できない。

 だからクレアの言動が完全に相容れられないものではなかった。

 現に、彼の大人びた姿に人知れず邪な想いに似たものを抱くことがあったのだ。

 そして、それは現実になってしまった。


 父が病に倒れる一週間前のことだった。

 当時卒業を数か月先に控えていたアネットは、普段誰も近寄らない西の端の小部屋に行ってゆっくり本でも読もうと思っていた。そこは彼女のお気に入りの場所だった。

 彼女は小部屋に入ろうとその前まで行ったが、扉がわずかに開いていた。

(あれ?)

 中から人の声が聞こえてくる。

 思わぬ先客がいた。ヒルドレッドだった。

 この頃ヒルドレッドは薄々虐待じみたものをしてきて、アネットは彼女と一緒にいたくなかった。彼女をお母さまと呼ぶのは父の前だけで、それ以外は奥さまで通していた。

(どうして? 奥さまはもちろんのこと、ここには誰も来ないのに。これといったものも何もないのに、何の用かしら)

 彼女は男性と話しているようだった。人といえばその二人とアネットしかいないせいか、部屋の中の声が妙によく聞こえる。

「ばかだわ。何でわたくしがここまで我慢しなきゃならないのよ。あの老いぼれ相手に!」

「落ち着け。兄上が見逃してくれているんだ。俺たちは何も言えない」

「でも! あなたはもう領地に足も踏み入れられないじゃない!」

「俺はもういい。伯爵になりたいわけでもないし、俺の子どもたちを兄上が自分の子どもとして無事に育ててくれているだけでも有難い」

「あなたはどうしてそう卑屈なの! ねえ、クレアは大きくなるにつれてあなたに似てきているわ。血は騙せないのよ。どこをどう見てもあの平凡な老いぼれとは違うのよ!」

(––––––––––––!!!)

 この話の流れだと、それはつまり。

(クレアとコンスタンスは、お父さまの子どもではなく……)

 父を兄と呼んでいる人物。

(ジョージ叔父さまの子どもだったの!?)

 しかし、父は一体それをどうやって知ったのだろう。そして、なぜ黙っているのだろう。

「しかし、厄介だな。もし、––––––だって解っていたら、こんなヘマはしなかったのに」

 叔父の言葉を聞いたアネットはハッと、思わず口に手をやった。

(うそ……! そんな、ばかな)

 アネットはその場に崩れ落ちそうになるのをやっとのことで堪え、本を抱えて去った。



 そして、今から三年前。

 アネットは十九歳になる三か月前である六月は社交界シーズンが始まる頃である。二年前に父が倒れてしまった以降、継母に虐げられ使用人同然の生活を強いられている彼女も例に漏れず、社交界デビューだけはすることになった。反対する継母を押し退けて父が強行に進めたものだった。

 今思えばあれは父なりの、虐待に対する対策だったのかもしれない。娘を早くどこかの殿方と結婚させて、家から無事に出すための。

 しかし、それならなぜ継母を追い出すことをしなかったのだろう。娘に対する虐待に気づいていたのならば。父は何か弱みでも握られていたのだろうか。それとも––––––

 だが、それを今考え込んだところで無駄だ。

 現にアネットは下手すると嫁き遅れになる危険性がある、虐待されていて使用人同然、もしくはそれ以下の暮らしをしている前妻の力なき子どもなのだ。

 アネットは中等教育課程を卒業し、既に使用人として働かされていた。食事を抜かれることはしょっちゅうで、彼女はみるみる痩せ細っていった。それが父の目につくようになったのか、デビュー直前は父がアネットの生活様相について目を光らせていた。いくらか肉は付き、荒れていた手も少しはすべすべになった頃、デビューを迎えることとなった。

 普通の令嬢より活動量が多いせいか、体格はちょうど良い具合に均整が取れており、期間限定ではあったが適度な食事と管理で美しさが増していた彼女は、その会場に集まったどの女性よりも輝かしかった。

 アネットの母は遠い東からやってきた女性で、『東の黒真珠』と評される美女だったが、アネットはまさにその母の再臨であると褒めそやされた。そしてこれは、ヒルドレッドの怒りを煽るのに十分だった。

 コンスタンスもそれが気に入らなかったらしい。

 結局自分の不注意も重なって、コンスタンスとその友人だという男性に騙されて、バルコニーの隅で脅迫されていた。

 自分を助けてくれる人はいない。

「お願い、コンスタンス。助けて……」

「いいわよ」

 コンスタンスは恐怖に打ち震えるアネットの耳元で囁いた。

「この男に言って。『以前からヘンリあなたのことが大好きでした。どうかわたしにお情けをかけてください。わたしにはあなたしかいないのです』って」

 ふと、コンスタンスは視線を他所に移した。そして、ニヤリと不気味な笑みを唇に乗せた。

「ねえ、あそこにお兄さまがいらっしゃったわ。こっちに気づくのも時間の問題でしょうね。お兄さまに聞こえるように……はっきり、大きく、言ってちょうだいね」

「そ、そんな」

 アネットは涙をはらはらと零しながら首を横に振った。

「早く言いなさいよ」

 背中に押し当てられていた刃が更に深く食い込んでくる。ドレスの薄い生地がプツッと破られた。もう少し力を入れたら、肌を切ってしまい、血が滲んでくるだろう。

 アネットは恐怖で歯がガチガチなるというのは本当にあり得るものなのだ、と変なことを今更ながら想起した。

「コンスタンス」

「言え。殺されたい? 殺さなくても痛い思いはするわよ。死んだ方がマシだってくらいには」

 彼女の言葉は毒のようにアネットを侵した。

 疲れた。彼に対する想いを募らせることも、それによって罪悪感を抱くのも、こうして脅迫してくるヒルドレッドとコンスタンスに怯えるのも、どれもが自分にとってはいっぱいいっぱいで受容しきれない。

 いっそのこと、知らなければ。

 あの時、ヒルドレッドの話を盗み聞きしなければ。

「簡単じゃない。言って。はっきり、大きく。このバルコニーに響き渡るくらいに」

 自分には罰が当たってしまったのだ。これは、代償だ。

 浅はかな心で、愚かにも彼を胸の内に留め置いた自分の罪への。

「……以前から」

「以前から、ヘンリ、あなたのことが……」

「大好きでした。お慕いしておりました。言え」

「だ、大好きでした。お慕いしておりました」

 肌が少し、切られた感触がある。冷やっと熱い、と思った先からジンジンと痛い。

「どうかわたしにお情けをかけてください。わたしにはあなたしかいないのです」

「自然な感じで、愛を告白してくれない? じゃないとあんた死ぬわよ」

 コンスタンスの睨みに負けたのではない。これは……。どうしようもない現状への屈服だ。

「ヘンリ、あなたのことが好きです。どうかわたしの恋人になってください」

 わかっている。コンスタンスがこれを強要しているのは他ならぬ自分の兄のためだろう。

 あそこでこちらを窺っているはずのクレアに聞こえるように。

 ちょうど良かったと思おう。

 彼に対するこの不浄な想いを消すために。不毛な恋情に身を焦がすことのないように。

 その前に、断ち切ってしまうには良い機会ではないか。

 コンスタンスを憐れんで、その上で感謝しても良いくらいだ。

「わたしにお情けを……っ!?」

 クレアがこちらへとゆっくりと歩み寄ってきた。

 禍々しい空気をその身に纏い、こちらを一直線に凝視してくる。

 コンスタンスもヘンリも、ゴクリと唾を飲み込んだ。明らかに、クレアに圧倒されていた。

 アネットは零れ落ちる涙もそのままに、ただただ彼を見つめているしかできない。

「コンスタンス、何をしているの?」

「お兄さま、何でもないわ。ヘンリをご存知? もしよろしければ、紹介しますけれど」

「要らない。どうせろくでもない奴だろう」

 彼は憤っていた。しかし、それを全面的に出してはいなかった。ただ、形容しがたい威力をもって、怒りを孕んで見せつけていた。

 クレアはアネットに近づき、ヘンリを思いっきり引っ張り離した。

「姉さん、大丈夫?」

「クレア」

 クレアの労りの篭った目に、またも涙が溢れてくる。感情に押し上げられそうなアネットを阻止したのは、コンスタンスだった。

「アネット!!」

 頭から冷水を浴びたような心地がした。

「…………」

「クレアはあんたの弟よ! 何を思っているのか知らないけど、破滅するのはあんただけで十分よ! 消えてよ! 何で! 何でお兄さまを誑かすのよ!」

 彼女は狂ったように叫び散らす。

「母に似て、男を誑かさずにはいられないのね! この娼婦! 母が娼婦なら、娘も娼婦なんだ! この恥知らず! 死ね! 死ねよおおおぉおぉぉお!!!!」

「コンスタンス! 黙れ!」

「お兄さまもお兄さまよ! お兄さまは、どうなの? お兄さまも狂ってるわ!」

「コンスタンス!」

 クレアの制止も聞こえないのか、コンスタンスはただただ髪を振り乱し、アネットに襲いかかる。

 そこで、アネットは叫んだ。渾身の叫びだった。身を引き裂かれるような叫びだった。

「やめてえええ! やめて、やめて!」

 アネットの涙は留まるところを知らない。さめざめと泣く彼女は、その様子を見ているクレアまでをも沈痛な気持ちにさせる。

「クレアは大切な弟よ。何も思っていないわ。わたしは、わたしが好きなのは…………。わたしは本当に、別に好きな人がいるの。クレア、あなたは何か誤解しているようだけど、わたしにとってあなたは大事な弟それ以上でも以下でもないわ。しっかりして。守るべき線というものがあるでしょう!?」

 クレアは瞠目した。解っていた。彼女が自分をそんな風には想わないだろうということを。

 しかし、こうして明言されると、強調されると、つらい。

 自分は心を寄せるに値しないのだろうか。

 こうして、コンスタンスの嫌がらせに屈するほど、呆気ないものだったのだろうか。

 やはり、自分は彼女にとって頼りない弟でしかなかったのだろうか。

「わたしにはちゃんと想い人がいるの。その人しか、もう愛せないの。そこに新たな人が入ってくる余地なんてないのよ、クレア」

「………………」

「諦めて。わたしを想ってくれていたのなら、ありがとう。でも、諦めて。わたしは半分だけしか、だけど、半分も、あなたと同じ血を継いでいるのよ。人としての道に反するものは、行ってはいけないわ」

「…………」

「コンスタンス。クレアとわたしは何でもないわ。誤解しないで」

 コンスタンスはそれを聞き、また何かを言おうとしたのか口を開きかけた。

「コンスタンス! どこにいるの? ご紹介しなければいけないのよ。早くこちらにいらっしゃい」

 ヒルドレッドが彼女を呼んでいたため、コンスタンスはヘンリにしっかり二人を見張るよう言いつけ、やむをえず去った。

 クレアはヘンリを睨んだ。

「失せろ」

 ヘンリはコンスタンスに言われたことを思いためらったが、この険悪な状況だとこれ以上何かあるわけでもなかろうと判断したのか。クレアに言われるや否や、そそくさと去って行った。

 二人の間に、沈黙が降りた。今まで経験した中でもっとも残酷で居心地悪い沈黙だった。

 空気がこんなにも鋭く痛いと感じられることがあるのだろうか。

「…………アネット」

 クレアの声は先ほどの凄みあるものから一転、掠れて儚かった。

「俺は、お前にとって何だったんだ……?」

「大切でかけがえのない弟よ」

 自分の声がこんなにも冷酷に響けるのだと、他人事のように呆然と思った。

「違う! 解っているだろう! 俺が聞きたいのは」

 柄にもなく、クレアの声が震えている。アネットは視線を逸らした。そして、冷たく言い放つ。

「クレア。聞きたい言葉があるなら、言ってあげるわ。でも間違えないで。それはあなたに頼まれたからただただ口にするだけで、わたしの心から滲み出た真ではないわ。それでもいいなら、どうぞ。何と言ってほしいの?」

「アネット!」

 アネットは心身ともに引き裂かれる思いだった。

「もうやめましょう。疲れたわ。あなたは何を勘違いしていたのか知らないけど、コンスタンスにあんなありえないことを危惧されるくらいなのよ。少し行動には気をつけましょうよ。お互い成長していい歳だし。ね?」

「やめろ」

 クレアは狂気に満ちた顔をしていた。冴え渡った美貌が月光に浮かんでいる分、その威力は倍増する。

「やめろ、アネット。それ以上何か抜かしたら、俺は何をするか判らない」

「クレア」

「お前を八つ裂きにしてしまうかもしれない」

 アネットの大きな目から、枯れたと思っていた雫がまた一つ、ぽろりと落ちた。

「クレア。体が引き裂かれるならまだいいわ。でも」

 彼は陶然とした表情を映している。この世のものとは思えない幽玄の美がそこにあった。

「心が引き裂かれるのは、本当に耐えられないのよ……?」

 だから、やめよう。

 引き裂かれる前に、繋がなければいい。

 この心に息づいていたものを今なら、完全まではいかずとも、それに近い状態までには摘み取れるはず。

(わたしはまだいいわ。でもあなたには、これから未来がある)

 自分たちの間に横たわる真実。それを知っているのは父、叔父、継母、そして自分だけだ。

 これからもこれ以上知られることはないだろうし、あってはならない。

 それは、クレアにもコンスタンスにも当てはまることである。これからも、自分たちは姉弟だ。

 クレアが自分に向けてくれた想いがどんなに嬉しかったか。しかし、これからは嬉しがってはならないし、嬉しがること自体ないだろう。

 なぜなら、アネットはもうクレアを傷つけるだけ傷つけたからだ。


 もう後戻りはできない。

 クレアのためにも、自分のためにも。




貴重なお時間を割いて読んでくださり、ありがとうございました。

誤字脱字、おかしなところなどございましたら、ぜひともご指摘をお願いします。

また、お時間よろしければ感想やメッセージをくださると嬉しいです。

心よりお待ちしております。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ