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そして天使が・ふ・え・て・い・く  作者: 高沢テルユキ
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第一章 (二)

 晴れわたった高い空に、白い雲が浮かんでいる。その前をときどき横切るのはV字型に南に向かって飛ぶ渡り鳥の群れ。そして、みずからの運命を悟ったかのように、木枯らしの来る前に学園の森の木々はすこしずつ色づき始めていた。


「わたしは、また、このチャペルに戻ってきてしまいました」

 美沙は、何年たってもすこしもかわらずに微笑むマリア像に、さっきそう話かけたばかりだった。そして、いまは窓辺の欅造りのテーブルの上に置かれているブーケを鏡ごしに見つめていた。

 花弁をせいいっぱいに広げることにエネルギーのすべてを注いでいるかのように見えるカトレアの花。この花はなにを求め、あるいはなにを受け入れようとしているのかしら。


「おめでとう。今日の政晴さん、また一段と素敵だわね」

 ウェディング・ドレスを着て、鏡の前に立っている美沙の背中ごしに、由香里が声をかけてくる。

「女はどうして、こんなに花が好きなのかしら? 」

「それは、花が女そのものだからなのよ。花の機能を人間に例えると、顔の真ん中にむき出しになった生殖器で……」

「えっ、いまなんて言ったの」

「ううん、なんでもないわ。独り言よ」


 今日の由香里は地味すぎるほどシックなスーツ姿である。ハイヒールの音をたてて窓際まで歩き、花嫁にブーケを手渡す。

その薄紫のカトレアを見ると、美沙はさらに思いつめたような表情になる。高校を卒業してからの、ふたりの六年間のことが心にうかんできたからである。


 短大を出てから美沙はコンピュータ関係の会社の総務の仕事についていた。でもあまりに残業の多い仕事についていけずに、二年でその仕事を辞めていた。それからは実家で花嫁修業のようなことをしていただけだった。

 由香里のほうは大学の医学部に進学し、この春には無事に医師の国家試験にも合格していたのだ。あまりに境遇が違ってしまったふたり。でも、友情は少しも変わらずに続いていた。


「とうとう、こういう日になってしまったのね」

 美沙は軽くため息をもらす。

「あら? あなたには、なにか不満でもあるの? 」

「由香里、あなたにどうしても聞いておきたいことがあるの? あなたは、まだ政晴さんを愛しているんじゃないの? 」

「やだわ、美沙ったら、こんな日にそんな昔のことを持ち出すなんて」

「ええ、結婚式の当日だから、やっぱりはっきりしておきたいの。それにあなたと政晴さんが付きあっていたのは、そんな昔のことじゃないわ。一年前まで、わたしは政晴さんのことなんか、なにも知らなかった。あなたは東和大学の医学部に入ってから、ほとんどずっと同級生のあの人と、おつきあいしていたんじゃない。六年間もよ」

「時間の長さなんて全然、関係ないわ。それに付きあうといっても、単にボランティア・サークルの仲間程度だったんだから」

「一緒に何度も旅行したんでしょ」

「まあ、バカバカしい。その旅行というのは、汚いジーパンをはいて、全然お化粧なんかしないで、いろんな被災地のおじいさんや おばあさんに弁当を配ったりしていたのよ。夜は寝袋にくるまって、お風呂にだって三日ぐらい入らないのは、しょっちゅうだったのよ。そんなところでロマンスなんて生まれるわけないじゃない」

 由香里は長いまつげを少し伏せるようにして答える。


「あなたは、どうして政晴さんを、わたしに譲ってくれたの? 」

「譲るだなんて、バカなことばかり言って、美沙は」

「あんな素晴らしい人を」

「素晴らしい人? まあ、オノロケをわたしに聞かせたいだけなのね。美沙は」

ゆったりと笑う由香里は、慈愛に満たされたマリアの塑像のようである。

「だめよ。笑顔でごまかすなんて……。政晴さんは、ずーっとあなたのことを好きだった。医学部に入ったときからよ。それなのにあなたは、無理矢理のようにわたしを引きあわせて、わたしと一緒になるように仕向けさせたんだわ」

 初めて紹介されたときには、ふたりは恋人同士にしか見えなかった美沙だった。


「あなたは、いま幸せなんでしょう」

 由香里は念を押す。

「ええ、幸せすぎて気が狂いそうよ」

「その言葉を聞ければ、わたしはいいの」

 そのとき教会のチャペルの鐘が鳴り出した。

「さあ、式が始まるわ。政晴さんも、お待ちかねよ」

 柔らかな金属音が澄み切った空に向かって響いている。


 まるで天使のように微笑む由香里を見て、美沙は、不意に涙ぐみそうになる。いつかその笑顔を失ってしまうんじゃないか、という不安が心に広がってくる。

「ねえ、これからもずーっとずーっと、わたしの友達でいてね」

「もちろんよ」

「ありがとう、由香里」

「まあ、涙なんか流して……」

 由香里のハンドバックから取り出されたレースの縁取りのあるハンカチが、美沙の目尻に軽く触れた。


「さあ、行きましょう。バージン・ロードに。お父さまのところまでは、わたしがエスコートしてあげるわ」

 チャペルの鐘は、まだ鳴り続けている。

前にも、こんなふうに由香里と一緒に明るい鐘の音を聞いたことがある。

 美沙は、由香里の腕を思わず強くつかんでいた。

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