天才
その話はトマスがダビデに最強の魔導師について語ったものである。
その話はトマスとヴェルナ―の大学時代の話でもある。
そしてその話で語られるのは天才と評する事を約束された化け物の話でもある。
トマスとヴェルナ―の大学時代は今とはあまりにも違っている。それは二人が科学者として、成功者としての素質に溢れていた事も意味している。
トマス達が入学した大学は当時のMSP(MSPは魔法が科学となる前も教育施設であった)であり、ヴェルナ―は物理、トマスは数学を専攻していた。
ヴェルナ―が図書館で勉強していると何人かの同じ専攻の学生がヴェルナ―に声をかけていた。
「なあ今から飲み会があるんだが来ないか、ヴェルナ―」
「・・・・・」
「おい、聞いてるか」
「はい。飲み会ですよね。今は勉強していたいので」
「そ、そうか」
学生たちはヴェルナ―から離れていった。
その様子を見ていたトマスがヴェルナ―の隣の席に座った。
「よう」
「なんですか。邪魔しに来たんですか、トマス」
「相変わらずだな。まるで、お前と関わっている時間がもったいないとでも言いたげだ」
「その通りですよ、トマス」
「はは、全くだ。俺も勉強に行き詰ってなきゃ声かんてかけねえ。その時間に勉強した方が幾つかましだ」
「全くです。その様子だと分からない問題でもあったんですか。教えてあげましょうか」
「冗談だろ。俺に分からない問題があるとでも、今ある資料じゃ物足りなくなっただけだ」
「そうですか」
二人は学生の時間の多くを勉学に費やした。なぜ、二人がこれほどまでに学問に傾倒していたのか。その答えは二人が学問において天才など居ない事を信じていた事が関係している。
「お前は天才って奴をどう考える」
「面白いですね。あなたがそんな話をするとは」
「ふと気になってな」
「そんなものは居ませんよ」
「・・・はっははは」
「なんです」
「いや、やっぱりお前もそう思っていたか」
「私も幼いころは天才という存在を信じていました。しかし、多くの天才と言われる者達の偉業を見ても納得できなかった」
「ああ、全くだ。だいたい最先端の研究で成果を残す事とその最先端までの内容を理解するのが速い事と何が関係あるのかって話だ」
「その言い方は誤解を生みますよ。理解は速い方がいいのは確かですが所詮は人間が人間に理解させるために作ったのが学問です。時間こそかかっても誰でも最先端の内容を理解することはできる」
「だが最先端と言う世界は違う。そこからは運が全てを決める」
「ふ、あなたもそう思うんですね」
「当たり前だ。神童と言われた人間が人生を一つの学問に捧げ大した結果を出せずに終わり、その分野の最先端に必要とされている知識を持たない人間が多くの人からの情報を以って世紀の大発見をする。そんな現実がいったいいくつあるやら、研究なんてそんなもんだ」
「ですがそれなら、なぜあなたは学問にかけるのですか」
「分かっていて聞いてくるか。学問は俺にさいころを投げさせてくれる。多くの世界を相手にする分野は努力で覆せる物事が少なすぎる。スポーツに政治もなんかもな。だが学問は確かに最後は運だとしてもその運を上げる方法すら努力でどうにかできる」
「努力ですか」
「多くの人間の過ちは閃きって奴を天性のものだと思っている事だな。よく聞くが一から零を生み出す人間がいる?ははあは。面白い冗談だ。人はどんな化け物でも自分の中にある知識や記憶を組み合わせて何かを生み出しているにすぎない。できて、その情報の逆やその情報を少しずらしたものを組み合わせた程度だろう」
「分かってますね」
「そして、さっき言った運でさえも要は必要な情報を上手く組み合わせられるかどうかでしかない。そして、それは出来るだけ多くの情報を手に入れると言う努力でどうにかなる。これほど努力であらゆる理不尽を無視し、名誉を手に入れられる世界が何処にある」
「そうですね。それが科学です」
二人は学問と言う世界の持つ力に魅せられていた。世界を変える力を持ち、それがこの世界では珍しく限りなく努力だけで手に入るものだと二人は何の疑いも無く思っていた。そして、互いに語りこそしないが自分が結果を残せる人間だという確信が二人にはあった。後は結果を出すのにどれだけの時間がかかるかと言う事だけだった。
その二人の学問にかける姿勢は悪く言えば傲慢そのものだ。しかし、二人を今の二人にしたのは一つにこの傲慢であり、そして何よりも一人の天才との出会いに他ならない。
二人はほとんどそのままの生き方で大学生活を過ごしていた。ようやく、研究室に参加できる学年になるとトマスは研究室の教授の方針から初めて学会について行く事となった。
トマスは教授達と共に学会の会場に来ていた。会場は有名な大学の講演などを行う部屋が使われた。世界中から多くの科学者が集まり、それぞれが研究の成果を確認し合う。とは言ってもどれほど優れた頭脳が集まっても大きな発見と言えるような学術発表はない。多くは地道な研究の小さな結果の発表といった内容だった。
トマスの研究室の教授の発表の後、壇上に若い男が立った。男の発表の内容はそれほど特筆すべき内容ではなかった。しかし、それはトマスにとって衝撃を与えるものとなった。それは単純なことであった。その男はトマスと同年代の男であったのだ。そして、その男こそガウスであった。銀色の短髪に金色の目をしたガウスは発表を終えるとゆっくりと壇上を下りた。
昔は若くして成果をだす科学者が多く居た。それは単純に昔の人間が優れていたと言うわけではなく、昔の方が最先端の研究に行きつくのに必要な専門知識が少なかったことが主な理由だとも考えられる。そう言う意味でも大学生の間に学会での発表を可能にすることは相当に優れた人間だと言う事である。それも偶然の発見で結果を出す可能性が僅かにも無いと言ってよい数学の世界で、それは紛れもない偉業である。
トマスはその様子をまともに見ることが出来なかった。恐らく、ガウスがどんな内容の発表をしたかも分からないだろう。それでも矛盾を孕みながらトマスはしっかりとガウスを見つめた。
それから何週間後、ヴェルナ―は大学内で今までに起きえなかった奇妙な光景を何度か目撃することになる。それはトマスが誰かと歩いている姿だった。今まで常に一人で行動し続けていたトマスが人と談笑をするほどになったのである。
いつもは人の事など気にも留めないヴェルナ―だが一種のライバルと思っていたトマスの変貌に驚きを隠せないでいた。
すぐにヴェルナ―はトマスが一人になるのを待つとトマスに話しかけた。
「トマス、ですよね」
「ん、何だ。ヴェルナ―か」
「何かあったんですか。あなたが誰かと歩いているなんて」
「まあ、色々と合ってな」
「危ない宗教にでもはまったんですか」
「酷い言われようだな」
トマスは頭を掻いて思い出したように話し始めた。ガウスと言う男に会った事、その男に自分の今までを完ぺきに破壊された事、そして何かを学んだ事。
「ガウスですか」
「ああ、奴は紛れもない天才だ。はっきり言って今でも嫉妬してるが会う価値のある男だ」
ヴェルナ―はその話に何かを感じていた。それが何かは分かってはいない。しかし会うべきだとは感じていた、ガウスと。
「あなたがそこまで言うとは・・・分かりました。私も会ってみましょう。まあ、あなたが天才と思っても私がそう思うとは限りませんが」
「相変わらずだな。会えば分かる」
数日後、あるカフェに紅茶を飲むヴェルナ―の姿があった。ガウスとコンタクトを取りトマスのいう「天才」をその眼に見ようとしていた。
しばらく待っていると、ガウスがヴェルナ―の前に現れた。現れた男はヴェルナ―から見て特に何かを持っているようには思えなかった。
ガウスとヴェルナ―はしばらく話をした。ガウスが学会でした発表の内容を聞いたりもしたがヴェルナ―は納得できなかった。確かにガウスは優れた人間だ。しかし、ヴェルナ―は前述のようにただ今の時点で最先端の研究ができるというだけでその人間を「天才」とは思えなかった。
天才とはその程度ではないだろうとヴェルナ―はそう心の中で呟いた。
ヴェルナ―はガウスと言う人間に会う事ではガウスの天才性を理解できなかった。だがあのトマスが天才だとそう言ったのだ。何かがあることは感じていた。そこでヴェルナ―はガウスという人間を調べることにした。そして、実はそれはトマスが行った事でもあった。
ガウスと言う人間を調べていくと不思議な事実がいくつも上がっていた。その中でも最も目をひくのがガウスを二重人格だと言う者たちが居た事だ。一人ではなく、複数の人間がガウスを二重人格だといったのだ。そして、次に目をひくのがガウスは色々な学問に関わっている事であった。なんでも出来るのではないかと思うほどだった。
わけが分からなくなった。まるでガウスという人間が複数いるのではないかとも思えた。
ヴェルナ―は体験主義者であり、自分の納得のいかないものをそのままにしていられるほど器用な生き方をしてきたことはなかった。ただただ、納得のいかない事を潰し、潰し跡形も残らず自分が思う完全を目指してきた。
妥協は緩やかな死である。
そんな言葉によって作り上げられた様な男ヴェルナ―がガウスの謎をそのままに出来るはずはなかった。とは言っても、知ることのできる情報の全てはもう知ってしまっている。ガウスの周りの人物に聞ける事は聞いてきた。ならばどうする。簡単だ。後は与えられた情報を組み合わせるだけだ。ヴェルナ―はすぐにそれを始めた。
すぐにヴェルナ―はある事に気付いた。それはガウスの二重人格の話についてである。ガウスの『人格』はそれが新しいものであればあるほどガウスが人格者になっているのである。そのこととトマスの変化がヴェルナ―の中で一つの答えを出した。
「ガウスは自分を変えているのか。直すべきと感じた事を全て」
だが、それだけのことならヴェルナ―もトマスもやっている事である。それならば、トマスは一体何をガウスと言う男に感じたと言うのだろうか。それがヴェルナ―には引っかかっていた。それでもヴェルナ―にはそれが何なのかが分からない。
ヴェルナ―がそれを理解したのは数年後の話だ。その当時、ヴェルナ―とトマスの親交こそ続いていたがヴェルナ―自身、何も変わってはいなかった。ただ、ただ進んでいくためにそれ以外の全てを犠牲にするという生き方を貫いていた。そんなヴェルナ―はその努力もあってか。まだ大きな結果こそ出してはいなかったが結果を出せる人間になっていた。そんなヴェルナ―にガウスから相談があるとメールが来た。あれ以降、交流は何度か続いていた。
以前ガウスと話したカフェでヴェルナ―はガウスに会った。
店内のテーブル席に座ってヴェルナ―が待っていると以前とそれほどは変わらないガウスの姿が現れた。
「やあ、ヴェルナ―。久しぶりだ」
「ああ、ガウス。それより、私に相談があると言うのは」
それを聞きながらガウスは店員に注文をして言った。
「実は最近、面白い事を見つけたんだ。それが確かなら多くの不可解な事実が証明できる。ただ、それが余りにもとんでもない事実でね」
ヴェルナ―も店員に注文をして、店員が奥に消えるのを確認してから聞いた。
「話が見えてきませんね。結論を言ってください」
「私は『魔法』が科学的に存在しているのではないかと思っているんだ」
ヴェルナ―は一瞬、ガウスが何を言っているのかが分からなかった。当時、魔法を知っているのはマクスウェル、ジークムント、ヴェルナ―だけである。それは魔法が世界を崩壊させるだけの力であると考えるマクスウェルの考えからであった。
「何を言っているんですか」
ヴェルナ―は冷静にガウスを窘めた。
「そう思うよな。まあ、聞いてくれ」
そう言うとガウスは自分が考えた魔法に対する考えを述べ始めた。
ヴェルナ―はそのガウスの話す魔法が恐ろしく論理的な道筋を辿って得た結論である事を理解した。それと同時に魔法と言う科学にとって否定の対象でしかなかったはずのものを何の疑いなしに考えたガウスの異常性を理解した。
「そうか、そう言う事だったんですね、トマス」
「ん、トマス?」
「ああ、いえこちらの話です。そこまで理解しているのなら、私の知っていることも話しましょう」
この後、ヴェルナ―はガウスの魔法に対する考えを自身の知る魔法の知識を加え、共同研究と言う形で魔法と言う非科学を科学と言う形に形式化に成功することになるがそれは別の話。
ヴェルナ―はガウスと話した後、すぐにトマスの元に答え合わせに訪れた。トマスはいつもどおりに研究室にいたがヴェルナ―はすぐにトマスを近くのカフェに連れていった。
「やっと気付いたか」
トマスは店員が運んできた料理を食べてから、そう言った。
「ええ、ガウスが自分を変える人間だという私の考えは正しかった。しかし、規模が違っていた。ガウスと言う人間は自分を変える際にほとんど無に等しいレベルで自分を壊すんです」
「そうだ、分かったみたいだな。普通の人間は自分の全てを変えることは出来ない。なぜなら、怖いからだ。自分が積み上げてきたことが間違っていることを認めるのが」
「それは努力をしてきた人間、特に自分を大きく変えた人間や多くの時間を積み上げたものにかけた人間にはできないんです」
「それだけじゃない。人は自分が間違っている事を他人に言われて初めて気づくものだ。だがガウスという人間は違う。自分を客観視するのが上手く、どんな変更点さえ訂正される」
「ガウスはそれらによって、普通の人間が真っ先に無自覚に捨てている考えを拾う事が出来るんです。自分の積み上げてきた常識を捨てることでそしてそこから自分の論理を再構築する」
「常識を捨てるってのは努力をしてきた人間ほど難しい。それは単純に今まで積み上げた努力を否定する事になるからだ。だがガウスは躊躇わない。そんなものはまた積み上げればいいと思っている。俺がガウスを天才と思ったのはその言葉をガウス本人から聞いたからだ」
「納得いきました。大抵の結果を出す人間は他の人間のように積み上げすぎていない人間が多いと気づき、その上でガウスが天才だと改めて思いましたよ」
「そうなんだよな。ガウスはまた積み上げればいいといいながら馬鹿みたいに積み上げるからな。普通はあそこまで積み上げたら、積み上げたものを捨てることなんてできないがな。俺だったら」
「ええ、挫折したら起き上がる。それが出来る人間が伸びると言いますがガウスはそのレベルにないですし」
「その上で分かってんだよな。ただ完全な人間は嫌われるって分かってるから、適度に抜くときは抜いて完全にならないようにしてる」
「まあ、そこにまで気づいてるのは私たちくらいでしょうけど」
「客観的に言ったら気持ち悪いな俺達」
「そうですね。でも、なんか勝てないと知ったら気が楽になった気がします」
「俺もそうだった。不思議な感覚だったな。敗北してるんだ。これ以上ない形でもう一生かかっても同じ舞台で生きることは出来ても追い越すことは出来そうもない。それを知ったら気が楽になる。何故なんだ」
「今度はそれを議論しましょうか。私の家で朝まで飲みましょう」