フェロモン的な何か
熟女教師、白鳥先生の一時限目の数学を何事もなく無事に終え、二時限目の化学に向けて俺は渡り廊下を歩いていた。
頼んでもいないのに隣にはお嬢様、風鳥院レイカがいて、一週間後に行われる金持ちのダンスパーティーへと誘ってきている。
俺はダンスなんてガラじゃないし、イベント発生もさせたくないものだから、ひたすら断り続けるのだけれど、彼女もなかなかひいてはくれなくて。
彼女の誘いに正直うんざりし始めた頃、低くて甘い男の声が渡り廊下の向こう側から聞こえた。
「おい、俺様と付き合えよ」
そちらを見やると、ワックスでバッチリ決めた赤茶でハネ髪のイケメンがいた。
制服を着崩し、ツリ目で、いかにも強引って感じの見た目をした男だ。
どんな可愛い女子を口説いているのだろう?
そう思いその男が迫っている女子の方を見ると、そこにいたのは……一ノ瀬。
一ノ瀬は赤茶髪の男に、壁のほうへと追いやられていて。
「ノーとは言わせねぇぞ」
男は一ノ瀬の頬に手を伸ばしていく。
あの赤茶髪は、イケメン風オヤジ系女子の一体どこに魅力を感じたのだろうか。
一ノ瀬と赤茶髪には申し訳ないが、一ノ瀬の女子としての魅力がさっぱりわからない。
そういや、昨日も青髪の男に『子猫ちゃん』とか言われ、追いかけられていたような……。
一ノ瀬からフェロモン的な何かが出ているのだろうか?
他人の恋に興味もなく、止める気もなかった俺はぼんやりその光景を眺めていた。
隣の風鳥院に至っては、他人のことなど気にせずダンスパーティーのことばかりを話している。
――ぱしっ
渡り廊下に、響き渡る音。
一ノ瀬は強引そうな男に臆することもなく、自分に近づく男の手を勢いよく払いのけたのだ。
「触んな! アンタってば自意識過剰! はぁ……もぉー、こんなんじゃイメチェンした意味がないよ……ん?」
赤茶髪を睨んで一ノ瀬は対抗するが、すぐにしょぼくれて情けない声を出していて。
そして……うっかりそんなアイツと目が合ってしまった。
――やべっ
にこりと一ノ瀬はいたずらっぽく笑う。
――コイツ何か企んでやがる。
「冬馬っ!」
一ノ瀬は俺の名を呼び、壁に向かって伸ばされた赤茶髪の左腕の下をくぐっていく。
そしてこちらに向かってかけ出した。
――逃げるか? いや、後ろにはヤンデレの森影小夜と白鳥先生、早乙女の強力なトリオがいた。
――あの三人のフラグを連続でかわすよりは、まだコイツ一人の方が楽、か……
動かずにいると、一ノ瀬は俺の左隣につき、そして……
俺の腕に自分の腕を絡めてきた。
驚いて斜め下を見ると、赤茶髪を見てにやりと笑う顔があって。
「赤羽リュウヤ、残念だったなぁっ! 私はもう、この男と付き合ってるんだ!」
――んだと!? 何言ってんだ!!
「ちょっ、お前……」
絡めてきた腕を引き抜こうとするが、一ノ瀬は更に、腕へと抱きつく力を強めてきて。
「悪いけど、そのまま大人しくしててよ」
赤羽と呼ばれた男を睨み付けながら、小声でコイツは俺に向かって話しかけてくる。
「あーえーと、だから、お前の……」
「もうちょっとだから協力してっつってんの!」
――そうじゃなくて! お前の胸が俺の腕に当たってるんだって!
「ふーん、そんな男のどこがいいんだか。とにかく俺は、お前を諦めねぇからな」
赤羽は、俺を一瞥し俺たちの横を去っていく。
「もう二度と現れないでよね、この自意識過剰男っ!」
一ノ瀬は去り行く赤羽の後ろ姿にべーっと舌を出していて。
完全に赤羽の姿が見えなくなったあと、得意気な顔をし、更にこう呟いていった。
「ふっ……勝った!」
――スパァァァァン!
「巻き込むんじゃねぇよ! そして、ドヤ顔すんな!」
「いったぁぁぁ! 何で頭はたくのさ。暴力反対だよっ」
一ノ瀬は涙目で俺を下から睨み上げている。
はっ、そうだ。コイツ、女だった。
イラっとしてつい、丸めたプリントで一ノ瀬の頭をはたいてしまった。