グレッタは怒っている
きっと、彼女は目に見えるほどの怒りを向けられたことはない。いつだって、彼女……リベリアは、彼女にとって甘い甘い、お菓子でできているのかというような世界の中で、のびのびと暮らしているのだから。
「ああ、何を着て行こうかしら! ジェレミー様が贈ってくれたドレスが良いかなぁ……」
こういう時は喘息がタイミングよく出ないから助かる、と笑っているリベリア。実際、ストレスがかかると彼女の喘息は酷いものになるのだが、もう一つ治りきらない大きな理由がある。
処方された薬を、しっかりと飲んでいない。
だから、治るものも治らないというわけなのだが、もう一つ理由があった。
彼女が罹患しているこの病は、体内の魔力をうまくコントロールすることで、体が出来上がっていくにつれて自然と治癒するものでもある。勿論、薬をきちんと飲んでいる、ということが最低条件ではあるが。
「……げほっ……、……やだ、乾燥してるのかしら。咳が……」
げほごほ、と咳が出てくるのをおさえながら、リベリアは終始ご機嫌な様子で着ていくドレスを選んだ。自分のやっていることには間違いはないんだ、と信じたまま。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「初めまして、お義母さま。私……」
「部外者はどうぞお引き取りを」
最後まで聞いてもらえないどころか、リベリアの挨拶を一刀両断したグレッタは、リベリアの方に視線を向けることなくお茶を飲んでいる。
「あ、あのう」
「お黙りなさい。誰か、部外者が我が邸宅に忍び込んでいるわ!!」
ティーカップを置いて、ぱんぱん、と手を叩きながら大声で使用人を呼ぶと、待っていましたと言わんばかりに指定されていたお茶会の場所まで駆けつけてくるグロネフェルト家の使用人たち。
彼らは、リベリアのことを知らない。
だから、我が物顔でレイラ宛てに出された招待状を見せつけるかのごとくひらひらとさせながらやってきたリベリアを、一応案内はしたものの使用人の間で情報共有はしっかりとしていたのだ。
来たのがリベリアだと分かった時点で、グレッタも『何かあったらタイミングを見て皆を呼びます。その時にうっ憤を晴らしなさい』と言いつけていたので、これ幸いとやってきた、というわけである。
「奥様!」
「良かった。レイラにはどうにかして連絡を……」
「あ、あのう!!」
取り押さえられながらも、リベリアは必死に叫ぶ。
一応叫びは届いているようで、使用人たちは一度だけ手を止めてくれる。そして、グレッタも視線をリベリアに向けてくれたが、その視線はとんでもなく冷たかった。
「わ、わたしは、ジェレミーさまの!」
「知っています。でも、貴女のことなんて呼んでいないの。文字、読めなかったのかしら」
必死に自分がジェレミーの婚約者だと叫んでみても、だから何だ、と一蹴されてしまう。
実際、グレッタがこのグロネフェルト家に呼んで、一緒にお茶をしたかったのはレイラなのだから。
「も、文字を読めないなんてことありません! 馬鹿にしないでくださいってば!」
「じゃあ何でお前が来ているの」
言い終わった瞬間にグレッタは容赦なく棘まみれの声でリベリアに問いかける。いいや、それはもはや確認、といっても差し支えなかった。
「お前、って失礼じゃないですか!? そもそも」
「人の話を聞けないのであれば、不審者として通報しても良いんですよ?」
「は……?」
「呼んでもないどこぞのご令嬢が、当家に押し入った……とでも言えば、警邏隊も動いてくれるかしら」
「そん、そんな、ことって」
「使用人に無理やりこの場所まで案内させたんですってねぇ? 何て厚かましい……ああでも、ジェレミーにはお似合いかしら」
すっと立ち上がったグレッタは、ぱらりと扇を開いて、すっとリベリアのところまで歩いていく。そして、扇を振りかざしてリベリアの頬目掛け、遠慮なく振り下ろした。
バチン!と結構な音がして、リベリアの頬はじわりと赤くなっていくが、ポカンとしている彼女にはまだ痛みは感じられないのかもしれない。
むしろ、叩かれたことなんか一度もないリベリアにとって、今自分自身に起こっていることは、まるで悪夢のような出来事、として思考停止状態になっているのかもしれないが、じくじくと痛みは襲ってくる。ようやく我に返ったリベリアは、叩かれた頬を押さえ、ぽろりと涙を零すがグレッタは一切気にしていない様子だった。
「……どうして、こんな」
「今日のお茶会はね、お前なぞに用はないのよ。だからどうか、さっさと、今すぐに、ここから消え失せて。わたくしは、レイラに謝罪をするためにこの場を設けているんですからね」
心底困ったような声で話しているグレッタの元に、レイラからの手紙がやってきた、と執事が急いで持ってきてくれた。ぱっと顔を輝かせたグレッタは、急いでそれを受け取って中身を見て、くすくすと笑う。
「人を叩いておいて、放置して、笑うとかありえません!」
「あらごめんなさいね。でも……まるでこのことを予見するみたいな手紙が来れば、誰だって笑いたくなるというものよ?」
「はぁ!?」
しかし聞いていたよりも随分と元気なご令嬢だ、とグレッタも執事も、とても冷静にキレているらしい彼女を観察している。こんなに元気なら普通に学校に行って、最低限の人との関わりを覚えれば良いものを……と呆れもしているが、この思いはきっとリベリアには届かないのだろう。
むすっと頬を膨らませ、いかにも『私怒ってるんですぅ!』と言いたげな顔だが、まるで幼児ではないか、とグレッタは呆れて溜息を吐いている。
「さて、わたくしはレイラからのお手紙にお返事を書かなくてはいけないわね。ああそうだ、またこんな風に手癖の悪い野良猫にも劣る大馬鹿者に、強奪されてもいけないからあなたが直接レイラ宛てに持って行ってくれるかしら? レイラ以外の人が受け取ろうとしたら、帰っていらっしゃい」
「はい奥様、かしこまりました」
執事はにこりと微笑んで、グレッタからの頼みを快諾する。
レイラに会えるのならば、これ幸い、とでも思っているのかもしれない。彼女を慕っているグロネフェルト家の使用人は、レイラが思っている以上に多いのだ。
幼い頃から、不必要な程に厳しく躾られていたレイラは、行儀作法も最初こそ少しぎこちなかったものの及第点、目上の人に対する挨拶だってきちんとできている。貴族令嬢としてのマナーだってしっかりとしていたし、言葉遣いも多少間違えることはあっても、指摘すれば次は正しく直してくれている。
勉強熱心でもあったから、ついついグレッタはレイラのことを色々連れまわしていたものだ、とにこにこと笑っているグレッタは思い出していた。
「(ふふ、懐かしいわね……ああでも、婚約者が変更になったのはレイラにとっては良いことなんじゃないかしら。だって、あのぼんくらにはレイラって勿体なさ過ぎるんだもの。そうよ、いけないわ、わたくしったら)」
「あの、ちょっと、私の話を」
「いやだ、まだいたの? さっさとお引き取りくださいませ」
しっしっ、と動物を追い払うかのような手の動きで『出て行け』と示す。それを見たリベリアは、かっと顔を赤くするが、実際のところ持参している招待状を最終兵器として提出したとて、『招待されてるのお前じゃないだろうが』と一刀両断されてしまうだけ。
――だが、リベリアは火事場の馬鹿力ともいえる最後の力を振り絞り、ばっと招待状を取り出して拘束していた使用人に突き付けた。
「見なさい! 招待状には」
「ご招待されているのはレイラ様ですが、貴女はリベリア嬢ですね」
「レイラ様の手にあるはずの招待状が何故貴女のお手元に?」
にこにこと微笑んでいる使用人たちの底知れぬ圧に、リベリアはぐっと押し黙る。そんなはずはない、きっと何かの間違いに違いないんだ、とよく分からない確信のもと、招待状をここできちんと見る。
「…………え」
書かれていたのは、紛れもなく『レイラ』という文字列だった。




