結論は出てしまった
「ああ、もう駄目なのよね」
熱があり、ぼんやりとした思考のままでレイラは呟いた。
きっと、もう家族には期待してはいけない。
婚約者にも期待なんかしてはいけない。
「リベリアが、羨ましい……っていっちゃいけないのは分かっているの。でも……それでも、私は……貴女が羨ましいわ」
呟いて、レイラはすっと眠りに落ちていく。
こんな後ろ向きの思考回路は、熱があるからに違いない。熱が下がったら、いつもの自分に戻れるんだから。
眠りに落ちていきながら、レイラは何度も何度も自分に言い聞かせて、そして目を閉じる。
高熱で体がとても熱い。
後ろ向きとはいえ、普段考えないことを考えながら眠りにつくことなんてあまりないんだよなぁ、とか。どうせいつものことなんだ、と割り切ってしまえば良いんだ、と言い聞かせてみることだってあるけれど、今回ばかりは納得が出来なかった。
「どう、して」
自分以外誰もいない部屋で返事が返ってくることがないと分かっているけれど、うわごとのように呟いてしまう。
何にもならないとも理解しているというのに、それでも己自身に問いかけてしまうのは、熱がある時だけではなく具合が悪い時の良くない癖だ、と思って理解はしている。ただ、口に出てしまっただけというか、誰もいないからこそ口に出せることなのかもしれない。
「…………」
眠って、起きたら何かが変わっているわけでもない。
そう理解しながら、レイラは目を閉じて深い眠りに落ちていく。ぐん、と水の底に引き込まれるような感じで、眠って、そして目が覚めた時にはだいぶ熱さがマシになっていた。
「…………」
ぱちぱち、と何度か瞬きをしてから、レイラはむくりと起き上がり、そしてサイドテーブルに置いてある水差しからグラスに水を注いで、一口飲む。
すっと沁み込んでいくような冷たさに、ほう、と息を吐いてからグラスの中の水をじっと見つめながら考えて、部屋を見渡した。
何だか、頭が物凄くすっきりしている。
眠りに落ちる前はとんでもない頭痛に襲われていたのに、今はそれがない。思考がとんでもなくクリアになっているような感覚になって、グラスを傾けてから揺れる水面を見つめた。
「……スッキリ、している感じ、ってこういうことなのかしら」
眠る前にあれだけ悩んでいたことが、もうない。
あれだけぐるぐると考えていたのに、自分が出した結論はとてもシンプルで、分かりやすいものだった。
「そうよ、出て行けばいいんだわ」
口に出してしまえば、あまりにも呆気なくて簡単で、『どうしてこんなことを考え付かなかったのだろうか』とすら思えるくらいで、レイラは何だか楽しくなってしまうような錯覚すらあって、クスクスと一人で笑ってしまった。
「なぁんだ、簡単じゃない」
そう呟いたところで、部屋の扉がノックされる。
「はい、どうぞ」
「失礼いたします。……っ、レイラお嬢様、良かった……!」
「え……?」
何が良かったのだろうか、とレイラが首を傾げていると、メイドが少しだけ泣きそうな顔で小走りでやってきた。
「もう三日もお目覚めにならなかったから……本当に、心配しました!」
「そう、だったの」
「はい! 旦那様や奥様も御心配を……」
それはきっと嘘だ。
レイラは直感的にそう思って、どう思っているのか分からないように曖昧な笑顔を浮かべて、微笑んでおいた。
「気のせいよ、それ。いつものようにリベリアが具合が悪くなったら、お父さまやお母さまは、きっとそちらに走っていくんでしょうから」
「そ、そんな、ことは」
メイドの声が震えている。ああ、その反応を見た限り、当たりなんだろう。レイラはそう思ってからまた曖昧に微笑んだ。
そして、自分が起き上がったことで額から落ちてしまったタオルをメイドに差し出した。
「ごめんなさい、これ、冷たくしていただいても良い?」
「勿論です! 気付かなくて申し訳ございません!」
慌てた様子でメイドはサイドテーブルに置いていた桶にタオルをつけて、ぎゅっと絞り、レイラに手渡す。
受け取ったレイラは自分の頬にあてて、冷たさにほっと安心したように息を吐いた。
「気持ちいい……」
「お嬢様、もう少し横になっていてください」
「……そう、ね。ああでも、薬って飲んだ方が良いのよね。何か胃に入れないと……」
「何かお持ちいたしますね、なので……」
「?」
「お嬢様、さぁ、横になってくださいませ」
「……はぁい」
張り切っているメイドを苦笑いをしながら見て、レイラは起こしていた体をベッドに沈める。どっと襲ってくる疲労感のようなものに、ああ、まだ本調子ではないんだ、と改めて思う。
手にしていたタオルを自分で額に乗せると、しっかり冷えていて、その冷たさがとても心地よかった。
「眠れそうなら、そのまま眠ってくださいね。サイドテーブルに、フルーツを置いておきますので、食べられそうなら召し上がって、それから薬を飲んでくださいね」
「……分かったわ、ありがとう」
レイラがお礼を言うと、メイドは微笑んでから部屋を出て行く。
そうすると、あっという間に静かになって、またぼんやりと思考が溶けていくような不思議な感覚に襲われてしまう。
ああそうか、頭痛が引いただけで熱は高いのかな。
そんなことを感じながら、レイラはまた眠る。そこから先、父や母が来たのかは分からないが、体調を回復させようと決めていたから、もう何も気にならなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
諸々が動き始めてしまったのは、レイラの体調が回復して、一週間後だった。
「……婚約破棄、ですか」
「正確には違っている。婚約者の交換、だ」
とても自信満々に、レイラの婚約者であるジェレミ―は告げた。
いや、交換だろうがなんだろうが、レイラとの婚約関係は破棄されるのだから、同じことではないのだろうか、とレイラは冷静に考える。
「……交換……」
「そうだ。同じ声に同じ背丈、顔が異なっているだけで家も同じ……ああいや、まどろっこしいな。君とリベリアは一卵性双生児なのだから、どちらが俺の婚約者でも同じことだろう?」
どうしてこんなに自信満々なんだろう、とレイラはとても冷静に考えて、ジェレミーの隣で何故だかこちらも自信満々にしているリベリアに視線をやった。
ああ、また悪い癖が出てしまっているんだろうな、と思ったところで、既に彼女は行動に移しているのだから、質が悪い。たとえ止めたところで負け惜しみを言っている、と言われてしまうのだろうし、何も言わない方が事の進みは早いのだろうな、とレイラはまた冷静に考える。
「……父は、了承しておりますか?」
「無論だ」
「ごめんね、レイラ。でも、ジェレミー様が私のことを選んでくれる、って……」
うっとりと呟いているリベリアは、とっても可愛らしく着飾っている。
一卵性双生児だけれど、リベリアとレイラは対照的だ。
レイラはどちらかと言えば、シンプルなものを好んでいる。反対にリベリアは可愛らしくて華やかなものを好んで着用することが多い。
今もそうなのだが、リベリアは病弱で可憐、と言われている割には大層気合が入ったオシャレをするものだ、とレイラは小さく溜息を吐いた。
「何だ、不満でもあるのか?」
「仕方ありませんわ、ジェレミー様。だってグロネフェルト公爵家の公爵夫人になる予定だったんですから、きっとレイラは悔しいのよ!」
「(いいえ、悔しくなんかないわ)」
心の中でこっそりと反論をするが、きっとリベリアやジェレミーはこう思っているのだ。『レイラは婚約者を入れ替えられたことが、とても悔しい。だから、感情を消すかのような顔を必死に貼り付けて、何でもないように振舞っているのだ』と。
「まぁそうだよな! だが残念だ、俺はお前のように愛嬌も何もない女よりも、リベリアを望んだ! ああ、可哀想に。お前にもう少し愛嬌というものがあればきっと……」
「分かりました」
淡々と、レイラは頷いて答える。
「……え?」
「書類はもう、作成しておりますか?」
「書類?」
「はい」
こくん、と頷いたレイラは無表情のままで言葉を続ける。
「婚約者を代えるのですから、正式に手続きをしなければなりませんでしょう? それに、公爵夫人や公爵閣下にもご挨拶に行かねばなりません。不義理は、したくないので」
正論を投げつけられたジェレミーは、ぐっと言葉に詰まった。
婚約者に内定してから既に十年が経過しており、レイラは公爵夫妻に大変気に入られているのだ。それをいきなり『婚約者代えまーす!』で済まされるわけがない。
しかし、リベリアはきょとんとして小馬鹿にしたように口を開いた。
「名前が変わるだけなんだから、そこまで気にしなくて良いでしょう? レイラ、小難しいこと言わないで!」
もう、とぷりぷりしているリベリアだが、可愛いからとこんなとんでもないことを放置して良いのか、とちらりとジェレミーに視線を向ければ、そうだと言わんばかりに何度も頷いている。
ああ、この人は何も分かっていないのだ、とレイラは呆れつつ、すっと立ち上がった。
こんな人と何を話しても無駄なのだ、ということが分かったし、療養している間に考えたことを実行に移すだけだ、と改めて腹が括れたような気がする。いいや、腹は括った。
彼らの中で、ここまで話が進んでいるのであれば、話は早い。
ジェレミーが細かいところに気付く前に、物事を進めてしまわなければ、とレイラは決意する。
公爵夫妻には申し訳ないが、この婚約の意味を理解していないのであれば、これ以上の関係の継続は困難である、という旨の手紙も送らねばならないし、やることがたっぷりあるのだから。
「いいえ、そういう訳にはまいりません。貴族であるからこそ、きちんと成すべきことは成してください。リベリア、これは意地悪ではないのよ」
だって、とレイラは笑顔で続けた。
「婚約者を代えて、皆にお知らせして、盛大に祝ってもらわないといけないでしょう?」
こういえば、リベリアはすぐさま乗ってくる。
彼女の性格を理解しているからこそできる無理やりなことではあるが、効果は抜群だった。
「そっか! レイラ……すごいわ! ありがとう!!」
「どういたしまして」
微笑んでいるけれど、レイラの目は決して笑っていなかったことに、彼らは一切気が付いていなかったのだった――。




