前編
日本が第一次世界大戦に参戦しない架空戦記です。
1914年、サラエボ事件が引き金となり発生した第一次世界大戦に日本は参戦しませんでした。
日本の政府・軍部の一部では、日英同盟に基づいて参戦することにより、中国大陸のドイツの祖借地やドイツ領土である南洋諸島を占領し、さらに、欧州諸国が欧州の戦争で手一杯のあいだに、中華民国に日本に有利な条約を強要しようとする考えがありました。
しかし、日本は第一次世界大戦に参戦せず。これらは実行されることはありませんでした。
何故、日本が第一次世界大戦に参戦しなかったのかは、現在でも様々な議論がされていますが、私は日英同盟が影響したと考えています。
私のその考えを話します。
これはあくまで私見であり、公式見解ではないことに注意してください。
もともと、日英同盟は、イギリス側からすればロシア帝国の南下を阻止するために、極東の日本と軍事同盟を結んだのでした。
日露戦争の日本の勝利により、極東でのロシアの南下は阻止されたので、イギリスの目論み通りとなりました。
日露戦争後も日英同盟は継続しましたが、日本側から見ると、ロシア海軍は壊滅し、日本周辺の軍事的安全は確保できたので、日英同盟を続ける意義は少し曖昧になっていました。
イギリスは日露戦争後、日本の特に造船業に投資しました。
日本に低利で資金を提供し、イギリスから技術指導のための技術者も派遣しました。
日本は、特に日本海軍は軍艦の技術の提供を求めましたが、イギリスは商船の造船技術を重視していました。
日本の民間造船会社に資金を提供することで造船所を拡張し、提供する商船の造船技術は個々の船の性能の向上よりも短期間で大量の船を建造することを重視しました。
明らかにイギリスは、日本に大量の商船を建造できる能力を持たせようとしていました。
当時は、大量の商船を建造しても使い道がなく、日本は「船が余って値崩れを起こす」とイギリスに抗議しましたが、イギリスは「余った船はイギリスがすべて買い取る」と返答しました。
まるで、第一次世界大戦が起きることを予想して、輸送のために大量の商船が必要になることを分かっていたような行動です。
そんなことはあり得ませんが、未来を予知した人間、あるいは未来から時間跳躍した人間が、当時のイギリス政府にいたのではないかと、空想科学小説のようなことを考えてしまいます。
第一次世界大戦が開戦すると、さっそく日本の商船隊は、極東から欧州への物資輸送に活躍しました。
イギリス本土では、工場は兵器生産を重視したので、極東から運ばれたのは生活に必要なあらゆる物資でした。
特に重要だったのが、満州産の大豆でした。
日露戦争後、日本の勢力圏となった満州で、イギリスは大豆生産のための大規模農場に投資しました。
日本だけでなく、イギリス内部からも「大豆の過剰生産で値崩れを起こす」と反対がありましたが、これも「余った大豆は、すべて買い取る」と返答しました。
開戦により、欧州はバター不足になっていましたが、大豆からマーガリンが製造され、イギリス人の食卓に登りました。
マーガリンに加工された残滓は家畜の飼料となり、イギリスは大戦下でも食肉は他の欧州諸国よりも豊富でした。
日本は戦争景気に沸いていました。
製造した物は何でも欧州に売れる状況だったので、戦前は日本は債務国だったのが、戦後は債権国になるほどでした。
日本の特に軍部は、自身の存在意義のために参戦を求めましたが、政府は「危ない橋を渡る必要はない」と軍部の要求を拒否しました。
日本政府は、好景気による軍事予算の増額により、陸軍には師団の増加、海軍には艦艇の増加を約束したので、軍部は要求を取り下げました。
陸海軍の軍人たちにとっては、出世のポストが増えれば、取り敢えずは満足だったからです。
ドイツは無制限潜水艦戦を宣言し、中立国の船舶も無警告で撃沈しようとする動きもありましたが、中止されました。
なぜなら、満州産の大豆は、ドイツにも売却されていたからです。
大戦末期は、ドイツ皇帝ですら三度の食事に満州産の大豆を食べていました。
イギリスは日本との密約で「生かさぬよう。殺さぬよう」の量の満州大豆のドイツへの売却を認めていました。
ドイツを追い詰め過ぎて、ドイツ国内で飢餓が発生すると、ロシアのように革命が起きる可能性が高まるからです。
革命政府の動きは予想できず、イギリスはそれを嫌ったので、このような処置となりました。
しかし、ドイツはギリギリで延命しているにすぎず。ドイツの敗北で戦争は終わりました。
ドイツ皇帝は敗戦の責任を取り、退位しましたが、皇太子が新たな皇帝となり、ドイツ帝国は存続しました。
戦後のドイツ憲法改正により、皇帝の権限は制限され、議会と内閣の権限が強化されたイギリス型立憲君主制になりました。
ドイツは皇室を廃止し、共和制になる動きもありましたが、イギリスが「共和制になれば戦後ドイツの混乱が大きくなる」として、ドイツ皇帝は多くの権限を失いましたが、存続しました。
さて、日本は第一次世界大戦により、中立国であったため、欧州への輸出により、多大な利益を得ました。
もう一か国、中立国であったため、多大な利益を得た国があります。
アメリカ合衆国です。
日本より遥かに巨大な経済力により、欧州に巨額の資金を融資し、大量の物資を輸出しました。
アメリカ政府内では参戦の動きもありましたが、国民が遠い欧州でアメリカの若者が血を流すことに忌避が強く、参戦しませんでした。
もし、ドイツが無制限潜水艦戦を実行していたら、アメリカの民間船が撃沈され、それを切っ掛けにアメリカが参戦していたかもしれません。
最近の歴史研究で分かったことですが、イギリスはアメリカの参戦をできるだけ阻止しようとしていました。
アメリカの資金と物資は受け取りますが、アメリカ兵が欧州の地を踏むことは拒否していました。
欧州の戦場で、最も苦戦した時期でも考えは変わりませんでした。
その理由は不明ですが、アメリカが参戦することで、国際的な政治的発言力が強化されるのを嫌ったという説があります。
第一次世界大戦後、アメリカ大統領は、「国際連盟」の設立を提案しましたが、国際社会ではほとんど注目されることはありませんでした。
しかし、戦後処理のための何らかの国際的な組織は必要とされたので、イギリス主導で「戦後処理復興委員会」が設立されました。
戦後処理と復興は、その委員会に一本化されることになりました。
委員会が最も強力に動いたのは、ドイツに対する多額の賠償金の減額でした。
フランスは莫大な賠償金を請求するつもりでしたが、イギリスが「多額の賠償金はドイツ国民に負担になり、政情不安を引き起こす」と取り下げさせました。
ドイツは戦後、軍備を制限されました。
ドイツ海軍は縮小され、排水量一万トン以上の軍艦は、保有を禁止されました。
フランス・ベネルスク三国の国境近くには、ドイツは要塞を建設することが禁止されました。
しかし、ドイツ陸軍は兵員数の制限や戦車・重砲・航空機の保有禁止はされませんでした。
イギリスは、ドイツを新たに出現した共産主義国家ソビエト連邦の対抗馬にしようとしたからです。
さて、日本は第一次世界大戦後、一時的な戦後不況は起きましたが、イギリスの経済圏との貿易は好調で、経済成長を続けました。
日本では軍事力による勢力拡張を唱える勢力もありましたが、日本の周辺は、欧米の植民地か租借地なので、軍事力による拡張は、欧米列強との衝突が不可避であり、日本が参加しなかったシベリア出兵も欧州諸国が失敗に終わったことを見ました。
日本の大勢は「軍事力によらず。貿易で富国になるならば、それで良い」でした。
1929年10月、アメリカのニューヨーク証券取引所の株価の大暴落で発した恐慌は、アメリカ国内でおさまり、世界には波及しませんでした。
まるで、イギリスがこのことを予測していたように、最高値で株取引を手仕舞いしていたからです。
第一次世界大戦終結から二十年になり、世界はいくつかの小規模な紛争はあったものの、基本的には平和でした。
しかし、第二次世界大戦を引き起こす原因となった国があります。
ソビエト連邦でした。
1939年9月1日、ソ連軍は日本の勢力圏である満州に侵攻し、「満州戦争」が開戦しました。
ソ連は武力による共産革命の輸出を企んでいました。
バルト三国やフィンランドへの侵攻を計画しましたが、イギリス海軍がドイツ陸軍を輸送する「演習」をしたので、断念しました。
戦後処理復興委員会は、「欧州軍事経済協力委員会」へと発展しており、欧州はイギリス主導の事実上の巨大な連合国家になっていました。
欧州への侵攻を断念したソ連が次のターゲットとしたのは、満州でした。
満州は中華民国の領土でしたが、日本が利権を持っていました。
アメリカは中国市場の門戸開放を求めて日本の満州での利権を批判していましたが、香港などに利権を持つイギリスが反対していました。
1929年の恐慌以後、アメリカの経済は縮小し、国際的な発言力は低下していたので、アメリカの日本への批判はほとんど影響力はありませんでした。
満州では、イギリスの指導により大規模な油田が発見されたので、大規模な工業地帯もつくられ、まさに「満州は日本の生命線」となりました。
ソ連から見れば、大規模農場・大規模工業地帯があり、欧州にくらべれば軍事的には弱体な日本が守る満州は、美味しい獲物でした。
ソ連は、中国国内で細々と活動していた中国共産党に「中華人民共和国」を名乗らせ、「中国人民固有の領土である満州の奪還」を宣言させ、「友好国として、支援する」として、満州に攻め込みました。
ここで、いったん休憩にします。
続きはお昼に話します。
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後編は、本日昼の12時に予約投稿しています。




