第5話 信頼という名の賭け
「で、次のゲームの攻略法は分かった」
俺は、小声で白岩と黒岩に言った。
休憩室の隅。他の参加者たちからは、十分に距離がある。声を落とせば、聞こえないはずだ。
「全員が自分に投票すれば、全員生存。だが、問題は全員を説得できるかどうかだ」
「他の参加者にも、この作戦を伝えるのか?」
白岩が、眼鏡をクイッと上げながら聞いた。
その目には、純粋な疑問が浮かんでいる。
「言わない」
俺は、首を横に振った。
「なぜだ?」
白岩の目が、わずかに細くなった。理由を推測しようとしているのだろう。頭の中で、様々な可能性を検討している。
「言っても信じない。実行できない」
俺は、休憩室にいる他の参加者たちを見回した。
佐藤は、まだソファの隅で膝を抱えている。体全体が小刻みに震えていて、時々嗚咽の声が漏れている。
園崎は、壁に背中を預けたまま虚ろな目をしている。唇が何かを呟いているが、声になっていない。
杉内は、テーブルの隅で小さくなっている。両手を膝の上で握りしめて、じっと床を見つめている。
山田は、ソファに深く座り込んで天井を見つめている。時々、「田辺さん……すまん……」と呟いている。
全員が、精神的に追い詰められている。
この状態で「全員が自分に投票しましょう」と言っても、誰が信じる? 「裏切らないで」と言っても、誰が信用する?
「特に園崎だ」
俺は、園崎の方を見ながら言った。
「あいつは、俺のことを疑ってる。主催者の仲間じゃないか、と。俺が提案しても、あいつは従わない。むしろ、俺を殺そうとして投票してくる可能性がある」
園崎の目が、一瞬だけこちらを向いた。
すぐに逸らされたが、その目には明らかな敵意が宿っていた。
「確かに」
白岩が、頷いた。
「パニック状態の人間は、論理的に動かない。感情で動く。恐怖で動く。お前の言う通りだ」
「では、どうするのですか」
黒岩が、静かに聞いた。
相変わらず無表情だが、目は真剣だ。この男は、常に冷静だ。感情に流されない。だからこそ、信頼できる。
「俺たち3人で生き残る方法を考えつつ、信用できそうな奴から仲間を増やす」
俺は、答えた。
他の参加者たちを、改めて見回す。
佐藤、園崎、杉内、山田。
この4人は——俺にとって何だ?
正直に言えば、駒だ。
俺が生き残るための、駒。
全員生かせれば一番いい。人数が多い方が、俺の生存率が上がるから。
でも、全員は無理だ。
だから——使える奴から順番に使う。
白岩と黒岩は使える。頭がいいし、冷静だ。
他の奴らは……どうだろう。
勘違いするなよ。
俺は仲間を作りたいんじゃない。
俺の生存率を上げるために、手駒を増やすだけだ。
「いきなり全員に言っても無駄だ。まずは、冷静に話を聞ける奴を見極める。そいつらを仲間に引き入れて、少しずつ輪を広げていく」
「時間がかかる」
白岩が、眉を顰めた。
「休憩時間は残り10分もない。次のゲームまでに、全員を説得するのは無理だ」
「分かってる」
俺は、溜息をついた。
「だから、次のゲームでは、全員生存は諦める」
「……」
白岩と黒岩が、俺を見た。
俺の言葉の意味を、理解しようとしている。
「次のゲームでは、俺たち3人が生き残ることを最優先にする。他の奴らを見殺しにしろ、って意味じゃない。できる限りのことはする。でも、全員を救うのは無理だ」
白岩が、しばらく考え込んでいた。
眼鏡の奥の目が、何かを計算している。
そして、眼鏡をクイッと上げながら頷いた。
「合理的だ。100点を狙って0点になるより、60点を確実に取る方がいい。作戦としては、評価:8点」
「……点数で言われると逆に分かりにくいんだけど」
「高評価だ。褒めている」
「私も従います」
黒岩が、静かに言った。
「指揮官の判断を信じます」
指揮官、か。
俺は、その言葉を噛みしめた。
二人の命が、俺の判断にかかっている。いや、二人だけじゃない。他の参加者たちの命も。
重い。
肩に、ずっしりとした重みがのしかかっている。
でも、やるしかない。逃げることはできない。
「じゃあ、他の参加者を観察しろ。誰が信用できそうか、見極める」
俺は、二人に指示を出した。
「俺は田中と灰垣に話しかけてみる。お前らは、他の奴らの様子を見ておけ」
「了解」
白岩と黒岩が、頷いた。
俺は、田中の方に歩いていった。
田中は、部屋の中央付近に立っていた。腕を組んで、周囲を見回している。他の参加者たちの様子を、観察しているようだった。視線は鋭いが、攻撃的ではない。状況を把握しようとしている目だ。
冷静だ。
さっきのゲームでも、パニックを起こさなかった。「落ち着いて状況を見極めよう」と言っていた。リーダー気質がある。この中では、一番まともな判断ができそうだ。
年齢は三十代前半くらいだろうか。背筋が伸びていて、どこか知的な雰囲気がある。会社では、それなりの地位にいるのかもしれない。
「田中」
俺は、声をかけた。
田中が、俺の方を向いた。
「ああ、君か」
田中の目が、俺を見つめている。値踏みするような、だが敵意のない視線だった。
「さっきは助かった。君の判断がなければ、俺たちも死んでいたかもしれない」
「たまたまだ」
俺は、肩をすくめた。
「運が良かっただけだ」
「謙遜するな」
田中が、小さく笑った。
「君は頭が回る。冷静に状況を分析して、最善の判断を下した。それは、才能だ」
「……」
俺は、何も答えなかった。
才能じゃない。ノートがあっただけだ。でも、それは言えない。言ったら、俺が疑われる。
「生き残りたいだけだ」
俺は、正直に言った。
「借金があるんでな。死ぬわけにはいかない」
「俺もだ」
田中が、頷いた。
その目に、強い光が宿った。
「俺にも、守りたいものがある。家族がいる。妻と、子供が二人。あいつらのために、俺は絶対に生き残る」
田中の声には、揺るぎない決意が込められていた。
家族を守るための、覚悟。俺の借金とは、重みが違う。
「協力しよう」
田中が、手を差し出した。
「俺と君で、力を合わせれば、生き残れる確率が上がる」
「……ああ」
俺は、田中の手を握った。
固い握手だった。信頼の証。この男の手は、温かかった。
「よろしく頼む」
「こちらこそ」
田中が、笑った。
穏やかな笑顔だった。
この男は、信用できる。そう感じた。
家族のために生き残ろうとしている。そのためなら、協力を惜しまない。裏切る理由がない。
田中と別れて、俺は灰垣の方に向かった。
灰垣は、まだ佐藤の隣に座っていた。佐藤の背中をさすりながら、優しい声で話しかけている。
「大丈夫、大丈夫ですよ。深呼吸して。吸って、吐いて。そう、上手ですよ」
看護師らしい対応だ。パニック状態の患者を、何度も落ち着かせてきたのだろう。その経験が、今に活きている。声のトーン、言葉の選び方、背中のさすり方。全てが、計算されたものだった。
俺が近づくと、灰垣が顔を上げた。
糸目の奥に、穏やかな光が宿っている。三十歳くらいだろうか。化粧は薄いが、清潔感がある。
「大丈夫ですか?」
灰垣が、俺に聞いた。
佐藤ではなく、俺に。
「大丈夫じゃねえよ」
俺は、正直に答えた。
「人が二人死んだ。次のゲームでは、また誰かが死ぬかもしれない。大丈夫なわけがない」
「あはは、そうですよね」
灰垣が、笑った。
不思議な笑い方だった。状況にそぐわない、穏やかな笑み。でも、不快ではなかった。むしろ、少しだけ気持ちが軽くなった。張り詰めていた空気が、わずかに緩んだ気がする。
「私も、大丈夫じゃないです。怖いです。でも、怖がっていても仕方ないですから」
灰垣は、佐藤の肩を軽く叩いて、立ち上がった。
俺の方に向き直って、微笑む。
「私、看護師なの」
「知ってる」
俺は、頷いた。
「怪我したら、言ってね。できる限りのことはするから」
灰垣の声は、穏やかだった。
この状況でも、他人を助けようとしている。自分のことで精一杯なはずなのに、俺の心配をしている。
「……ああ」
俺は、短く答えた。
灰垣は、信用できる。
この女は、裏表がない。純粋に、他人を助けたいと思っている。そういう人間だ。看護師という職業を選んだのも、きっとそういう性格だからだろう。
俺は、休憩室の中を見回した。
田中、灰垣。この二人は、信用できそうだ。次のゲームでは、この二人とも協力できるかもしれない。
佐藤は、真面目で素直だが、精神的に脆い。パニックを起こしたら、何をするか分からない。今はまだ、動かせない。
山田は、温厚な老人だが、体力が心配だ。この先のゲームで、体力が必要になったら、真っ先に脱落するかもしれない。
園崎は、論外だ。神経質で、疑り深い。俺のことを敵視している。こいつを説得するのは、最後でいい。下手に近づくと、逆効果になる。
杉内は、読めない。おとなしくて、ほとんど喋らない。何を考えているか、全く分からない。味方にも敵にもなり得る。要注意だ。
白岩と黒岩が、俺の方に戻ってきた。
「観察結果」
白岩が、眼鏡をクイッと上げながら小声で言った。
「園崎は危険だ。さっきから、お前のことをずっと睨んでいる。信頼度、評価:0点」
「分かってる」
俺は、頷いた。
「……お前、なんでも点数つけんのな」
「癖だ」
白岩は、気にする様子もなく続けた。
「杉内は、おとなしいが、頭は回りそうだ。時々、鋭い目で周囲を観察している。油断はできない。評価:保留」
「佐藤は?」
「精神的に不安定だが、悪意はなさそうだ。パニックを起こさなければ、協力してくれるかもしれない。評価:5点。条件付きだ」クイッ
白岩の分析は、俺の観察とほぼ一致していた。
点数はともかく、この男は頭が回る。仲間に引き入れて正解だった。
『休憩時間、残り5分です』
AIの声が、休憩室に響いた。
全員が、ビクッと体を震わせた。
また、ゲームが始まる。
また、誰かが死ぬかもしれない。
緊張が、部屋全体を包み込んだ。
俺は、ポケットの中のノートを握りしめた。
次のゲームは、多数決処刑。
全員が自分に投票すれば、全員生存。でも、それは無理だ。信頼関係がない。
だから、俺は別の作戦を考えなければならない。
俺たち3人が確実に生き残る方法を。
『休憩時間終了。ゲーム2を開始します』
AIの声が、響いた。
機械的で、感情のない声。
『参加者の皆様は、ゲーム会場へ移動してください』
壁の一部がスライドし、新しい扉が現れた。
参加者たちが、ゆっくりと立ち上がる。
佐藤は、灰垣に支えられながら歩いている。足取りはおぼつかない。
園崎は、壁に手をついて、よろよろと移動している。
杉内は、無言のまま、他の参加者たちについていく。
山田は、腰を押さえながら、ゆっくりと歩いている。
田中は、周囲を見回しながら、冷静に移動している。
白岩は、眼鏡をクイッと上げながら、扉の方を見ている。
黒岩は、無表情のまま、俺の後ろについてきた。
俺は、深呼吸をした。
さあ、どうなる。
次のゲームで、俺たちは生き残れるのか。
全員を救えるのか。
それとも、また誰かが死ぬのか。
扉をくぐる直前、俺はポケットからノートを取り出して、チラリと確認した。
ゲーム2のページ。多数決処刑のルールと攻略法。
頭に叩き込む。
絶対に、生き残る。




