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第4話 ノートの秘密

『ゲーム1終了。休憩時間を開始します。休憩時間は30分です』


 AIの機械音声が、控室に響いた。

 壁の一部がスライドし、隣の部屋への扉が現れる。金属製の重厚な扉だ。さっきまで、そこに扉があったとは思えないほど、壁に溶け込んでいた。


『参加者の皆様は、休憩室へ移動してください』


 誰も、すぐには動かなかった。

 床には、田辺と鈴木の死体が転がっている。血の気を失った肌は蝋のように白く、見開かれたままの目は虚空を見つめている。つい数分前まで生きていた人間が、今は冷たい物体になっている。

 その光景から、目を逸らすことができなかった。

 部屋に漂う空気が、重い。死の臭いがするわけではない。でも、何か目に見えない重圧が、全員の肩にのしかかっている。


「……行こう」


 田中が、静かに言った。

 腕を組んだまま、扉の方を見ている。その声は落ち着いていたが、どこか疲れた響きがあった。


「ここにいても、何も変わらない」


 田中の言葉に促されて、参加者たちがゆっくりと動き始めた。

 佐藤は、まだ涙が止まらないようだった。灰垣に肩を支えられながら、よろよろと歩いている。足取りはおぼつかなく、何度もつまずきそうになっていた。


「大丈夫ですか? ゆっくりでいいですよ」


 灰垣が、優しい声で佐藤に話しかけている。看護師らしい、落ち着いた対応だった。

 園崎は、死体を見ないように顔を背けながら、壁伝いに移動していた。壁に手をついて、体を支えている。足が震えているのが、見て取れた。

 杉内は、無言のまま震えている。足元がおぼつかない。誰とも目を合わせず、ただ前を向いて歩いている。

 山田は、田辺の死体に向かって、小さく頭を下げた。


「すまん……すまんのう……」


 かすれた声で呟いている。名前を教えなかった自分を、まだ責めているのだろう。皺だらけの手が、小刻みに震えていた。

 黒岩は無表情のまま、淡々と歩いていた。感情を表に出さない男だ。軍人のような規律正しい足取り。

 白岩は眼鏡を上げながら、周囲を観察している。死体を見ても、特に動揺した様子はない。冷静なのか、冷酷なのか。

 俺は最後に控室を出た。

 扉をくぐる直前、もう一度だけ振り返る。

 田辺の眼鏡が、蛍光灯の光を反射していた。レンズの向こうに、見開かれた目がある。何かを訴えているような、恨めしいような。

 鈴木の金色のネックレスが、冷たく光っていた。血の気を失った首の上で、場違いなほどに輝いている。

 忘れない。

 この光景を、絶対に忘れない。

 俺は、扉をくぐった。


 休憩室は、控室よりも広かった。

 白い壁、白い床。蛍光灯の光。相変わらず無機質な空間だが、ソファやテーブルが置いてある。革張りのソファは、意外にも座り心地が良さそうだった。

 壁際には、自動販売機のようなものもあった。飲み物と軽食が並んでいる。ペットボトルの水、缶コーヒー、サンドイッチ、おにぎり。普通の自販機と変わらないラインナップだ。

 参加者を殺すゲームをやらせておきながら、休憩室はやけに快適だった。そのギャップが、気持ち悪い。

 参加者たちは、思い思いの場所に散らばった。

 佐藤は、ソファの隅に座り込んで、膝を抱えていた。涙は止まったようだが、顔は真っ青だ。唇が、かすかに震えている。


「本当に人が死んだ……」


 佐藤が、呟いた。

 誰に言うでもなく、自分に言い聞かせるように。虚ろな目で、床の一点を見つめている。


「田辺さんも、鈴木さんも……本当に死んじゃった……」


 その声は、震えていた。現実を受け入れられないという響きだった。手が、膝を抱える腕が、ガタガタと震えている。


「嘘よ……こんなの嘘よ……」


 園崎が、壁に背中を預けながら言った。

 さっきまでの攻撃的な態度は消え、今は茫然自失といった様子だ。目は虚ろで、焦点が合っていない。化粧が涙で崩れて、頬に黒い線を作っている。


「夢なのよ……悪い夢を見てるだけ……起きたら、全部終わってるのよ……」


 自分に言い聞かせるように、何度も呟いている。両手で自分の体を抱きしめて、まるで子供のように縮こまっていた。

 杉内は、テーブルの隅で小さくなっていた。

 相変わらず無言だが、肩が小刻みに震えている。唇を噛みしめて、必死に何かを堪えているようだった。声を出したら、泣き崩れてしまうのかもしれない。

 山田は、ソファに深く座り込んで、天井を見上げていた。

 老人の目には、疲労と後悔の色が濃く滲んでいる。


「田辺さんに、名前を教えてやれば良かった……」


 誰に言うでもなく、呟いている。


「わしが名前を教えていれば、あの人は助かったかもしれん……」


 その言葉に、誰も反応しなかった。

 反応できなかった。全員が、同じことを考えていたからだ。


「落ち着いて」


 田中が、参加者たちに向かって言った。

 冷静な声。だが、その目には疲労の色が見える。この男も、平静を装っているだけで、内心では動揺しているのだろう。


「パニックを起こしても、状況は良くならない。休憩時間を使って、次のゲームに備えよう」


 田中の言葉に、何人かが顔を上げた。

 だが、すぐに俯いてしまう。備えると言われても、何をすればいいのか分からない。そんな顔だった。

 灰垣は、佐藤の隣に座って、背中をさすっていた。


「大丈夫、大丈夫ですよ」


 穏やかな声で、佐藤に話しかけている。


「怖かったですね。でも、私たちは生き残りました。次も、きっと大丈夫です」


 看護師としての経験が、こういう時に活きるのだろう。灰垣の声には、不思議な安心感があった。

 俺は、部屋の隅に立って、参加者たちを観察していた。

 誰を仲間にするか。

 それが、今の俺の課題だった。

 ノートには、次のゲームの情報も書いてある。でも、俺一人では全員を救えない。協力者が必要だ。信頼できる人間が。冷静で、頭が回って、裏切らない人間が。

 黒岩。

 がっしりとした体格の男は、壁に背中を預けて立っていた。腕を組んで、静かに周囲を見回している。視線は鋭いが、攻撃的ではない。状況を把握しようとしている目だ。

 冷静だ。さっきのゲームでも、パニックを起こさなかった。俺の指示に、即座に従った。「従います」と、迷いなく言った。体格もいい。百八十センチは優に超えている。筋肉質な体つき。元自衛隊か何かだろう。いざという時に頼りになりそうだ。

 ただ、気になることがある。

 こいつは、自分から動かない。

 指示があれば従うが、自分で判断して行動することがない。「指示をくれるなら」と言っていた。リーダーにはなれないタイプだ。でも、部下としては優秀だろう。命令には忠実に従う。

 白岩。

 眼鏡をかけた男は、自動販売機の前に立っていた。飲み物を選びながら、何かを考えている様子だ。缶コーヒーを手に取って、成分表示を確認している。こんな状況でも、そういう細かいことが気になるらしい。

 頭が回る。さっきのゲームでも、俺の作戦をすぐに理解した。「合理的だ」と言って、賛同してくれた。「なぜ最初からこの方法を思いつかなかったのか」とも言っていた。ルールの穴に気づく能力がある。分析力に優れている。

 ただ、プライドが高そうだ。「評価」とか言って、偉そうに点数をつけてくる。「8点」「7点」と、上から目線で採点する。扱いにくいタイプかもしれない。

 でも、頭脳は必要だ。俺一人では、見落としがあるかもしれない。白岩がいれば、ダブルチェックができる。俺が気づかない穴に、白岩が気づくかもしれない。

 決めた。

 黒岩と白岩を、仲間に引き入れる。


 俺は、黒岩の方に歩いていった。

 黒岩は、俺が近づいてくるのに気づいて、わずかに顔を上げた。表情は変わらないが、視線は俺に向けられている。


「ちょっといいか」


 俺は、小声で言った。

 周囲に聞こえないように、声を落としている。他の参加者たちは、まだ自分のことで精一杯だ。こちらに注意を払っている様子はない。


「話がある。白岩も呼んでくる」

「……分かりました」


 黒岩が、短く頷いた。

 余計なことは聞かない。それが、この男のスタイルなのだろう。

 俺は白岩の方に向かった。白岩は、缶コーヒーを手に取ったところだった。


「白岩」

「なんだ」


 白岩が、眼鏡をクイッと上げながら振り返った。


「話がある。あっちに来てくれ」


 俺は、部屋の隅を指さした。

 他の参加者たちから離れた場所。会話を聞かれたくない。


「……いいだろう」


 白岩は、缶コーヒーを持ったまま、俺について来た。

 部屋の隅に、三人が集まった。

 俺と黒岩と白岩。他の参加者たちからは、十分に距離がある。ソファに座っている佐藤や園崎からは、会話の内容は聞こえないだろう。


「で、話ってなんだ」


 白岩が、缶コーヒーを開けながら聞いた。

 プシュ、という音が、やけに大きく聞こえた。


「これを見ろ」


 俺は、ポケットからノートを取り出した。

 黒い表紙に、白い文字。『デスゲーム運営ノート』。

 白岩の目が、わずかに細くなった。眼鏡の奥で、興味深そうな光が宿っている。


「なんだこれ」

「このデスゲームの設計書だ」


 俺は、ノートを開いて見せた。

 最初のページ。ゲーム1:指名鬼ごっこのルールと想定展開が書いてある。


「控室の机の上に置いてあった。誰も気づいてなかったから、俺が拾った」


 白岩が、ノートを手に取った。

 パラパラとページをめくりながら、内容を確認している。眼鏡の奥の目が、真剣な光を帯びていた。分析者の目だ。


「……本物だな」


 白岩が、呟いた。

 眼鏡をクイッと上げて、俺の方を見る。


「ゲーム1の内容、完全に一致してる。ルールも、想定展開も。これが事前に分かっていたなら、さっきの動きも納得がいく」


 白岩の目に、理解の色が浮かんだ。

 俺がなぜあんなに冷静だったのか。なぜルールに詳しかったのか。その理由を、白岩は悟ったのだろう。


「各ゲームのルールが書いてある」


 俺は、説明を続けた。


「それと、想定展開。運営側が『こうなるだろう』と予測してる展開だ」

「想定展開か」


 白岩が、顎に手を当てて考え込んだ。


「つまり、想定の逆をやれば、攻略できるということか」

「そういうことだ」


 俺は、頷いた。

 白岩は頭が回る。説明しなくても、すぐに理解してくれる。


「ゲーム1では、『パニックを起こして名前が出てこなくなる』のが想定展開だった。だから、順番を決めて冷静に回せば、想定外になる」

「なるほど」


 白岩が、納得したように頷いた。

 缶コーヒーを一口飲んで、ノートをさらにめくる。


「これは価値がある。次のゲームの情報も書いてあるな」


 黒岩は、黙って俺たちの会話を聞いていた。

 表情は変わらないが、目は真剣だ。


「なぜ、我々に?」


 黒岩が、口を開いた。


「この情報を、なぜ我々に見せるのですか」

「お前らは冷静だった」


 俺は、黒岩を見た。


「さっきのゲームで、パニックを起こさなかっただろ。俺の指示にも、すぐに従った。信用できる」

「……」


 黒岩は、しばらく黙っていた。

 何かを考えているようだった。その目には、複雑な感情が渦巻いている。


「……指示をくれるなら、従います」


 黒岩が、静かに言った。


「私は、判断が苦手です。でも、指示があれば動けます」

「決断力なさすぎだろ」


 俺は、思わず突っ込んだ。

 元自衛隊っぽいのに、自分で判断できないのか。


「自覚はあります」


 黒岩が、無表情のまま答えた。


「だからこそ、信頼できる指揮官が必要なのです」


 指揮官、か。

 俺がそれになれってことか。面倒くさいが、仕方ない。


「いいだろう」


 白岩が、缶コーヒーを飲み干しながら言った。


「この情報は価値がある。協力してやる」


 眼鏡をクイッと上げて、俺を見る。


「評価:10点中7点。お前の観察眼」

「何様だよ」


 俺は、白岩を睨みつけた。

 こいつ、本当に偉そうだな。


「俺と黒岩を選んだ判断は悪くない。だが、もう少し早く声をかけるべきだった。減点1だ」


 白岩が、皮肉っぽく笑った。

 ムカつくが、言い返す気力もない。こいつとは、こういう付き合いになりそうだ。


「で、次のゲームは何なんだ」


 白岩が、ノートを見ながら聞いた。


「ゲーム2……多数決処刑、か」

「全員で投票して、最多得票者が死ぬゲームだ」


 俺は、ノートの内容を説明した。


「同数の場合は再投票。最大3回。3回とも同数なら、『該当者なし』で全員生存」


 白岩の目が、光った。

 攻略法に気づいたのだろう。


「なるほど。3回同数なら全員生存か」

「全員が自分に投票すれば、必ず同数になる」


 俺は、攻略法を説明した。


「9人全員が自分に1票ずつ入れれば、全員が1票で同数。再投票しても同じ。3回やっても同数。結果、全員生存だ」

「理論上は完璧だ」


 白岩が、頷いた。


「だが、問題がある」

「分かってる」


 俺は、溜息をついた。


「全員の協力が必要だ。9人全員が、自分に投票しなきゃいけない」

「信頼関係がない状況で、それが可能か?」


 白岩が、眼鏡をクイッと上げた。


「一人でも裏切れば、破綻する。自分に投票せずに、他人に投票する奴がいたら、その時点で同数じゃなくなる」


 その通りだ。

 これは、囚人のジレンマに近い。全員が協力すれば全員が助かる。だが、一人でも裏切れば、裏切った奴は安全で、協力した奴が死ぬ可能性がある。

 信頼関係がない今、全員が協力するとは限らない。

 特に、園崎が問題だ。

 あいつは、俺のことを疑っていた。「主催者の仲間じゃないか」と。今でも、完全に信用しているとは思えない。

 あいつが裏切って、俺に投票したら——


「考えても仕方ない」


 俺は、頭を振った。


「やるしかない。全員を説得して、協力させる」

「できるのか?」


 白岩が、懐疑的な目で俺を見た。


「さっきのゲームでは、お前の指示に従った。だが、今度は違う。匿名投票だ。誰が誰に入れたか、分からない。裏切っても、バレない」

「だからこそ、説得が必要だ」


 俺は、白岩を見た。


「論理で説得する。感情じゃなく、理屈で。『自分に投票するのが一番得だ』と、全員に理解させる」

「……なるほど」


 白岩が、考え込んだ。


「確かに、論理的に考えれば、自分に投票するのが最適解だ。裏切って他人に投票しても、自分が助かる保証はない。むしろ、裏切りが連鎖して、全員が疑心暗鬼になる可能性がある」

「そうだ」


 俺は、頷いた。


「裏切りは、誰も得をしない。全員が協力するのが、全員にとって最善だと、理解させる」

「評価:10点中6点」


 白岩が、眼鏡をクイッと上げた。


「その作戦」

「低いな」


 俺は、眉を顰めた。


「人間は、論理だけでは動かない」


 白岩が、冷静に言った。


「感情がある。恐怖がある。疑念がある。お前の説得が、全員に届くとは限らない」


 分かっている。

 だから、6点なんだろう。

 完璧じゃない。でも、他に方法がない。


「やるしかない」


 俺は、もう一度言った。


「失敗したら、誰かが死ぬ。成功したら、全員が生き残る。やらない理由がない」


 白岩は、しばらく俺を見つめていた。

 眼鏡の奥の目が、何かを測っているようだった。

 そして、小さく笑った。


「いいだろう。協力する」

「私も」


 黒岩が、静かに言った。


「指示をくれれば、従います」


 これで、仲間ができた。

 黒岩と白岩。二人の協力者。

 次のゲームでは、三人で全員を説得する。

 全員を、生き残らせる。


『休憩時間、残り10分です』


 AIの声が、休憩室に響いた。

 俺は、ノートをポケットにしまった。

 残り10分。

 その間に、作戦を練る。

 次のゲームでは——絶対に、誰も死なせない。

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