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第29話 判断できない理由

 黒岩が話し始めた。


 「……4年前のことです」


 黒岩の声が震えている。いつもの低くて安定した声じゃない。苦痛に満ちた声だ。黒岩が——自分の過去を語り始めた。話したくない過去を——みんなの前で語り始めた。


 俺は——黒岩を見た。黒岩の表情を見た。いつもは無表情だった顔が——今は違う。苦痛が——そこに表れている。目が——揺れている。唇が——震えている。黒岩が——これから話すことは、黒岩にとって最も辛い記憶だ。それを——今、話そうとしている。


 俺たちは——黙って聞いた。誰も口を挟まない。黒岩の告白を——ただ静かに聞いた。この瞬間——俺たちにできることは、ただ聞くことだけだ。黒岩の苦痛を——受け止めることだけだ。


 「4年前……私は海外派遣任務に就いていました」


 黒岩が目を閉じて言った。記憶を辿るように——苦しい記憶を辿るように。4年前——黒岩はまだ自衛隊にいた。海外で——危険な任務に就いていた。PKO活動——紛争地域での平和維持。それは——命がけの任務だった。


 「PKO活動です。紛争地域での平和維持活動。私は小隊のリーダーでした。部下が8人いました」


 黒岩が続けた。その声には——懐かしさが混じっていた。部下たち——黒岩が指揮していた若者たち。黒岩は——彼らのことを覚えている。一人一人の顔を——名前を——性格を——全て覚えている。


 「みんな若かった。20代前半の若者たちでした。任務に真面目で、よく働く部下たちでした」


 黒岩の声に——懐かしさが混じった。でもすぐに——その声は苦痛に変わった。懐かしい記憶が——すぐに悲劇の記憶に変わる。それが——黒岩の過去だ。


 「ある日——私たちは偵察任務に出ました。目標地点まで5キロ。いつものルートで向かうはずでした」


 黒岩が深く息をついた。その息は——震えていた。4年前の記憶が——黒岩を苦しめている。


 俺は黒岩を見ていた。無表情だった黒岩が——今は感情を抑えられないでいる。顔が歪んでいる。目が潤んでいる。黒岩が——4年間隠してきた感情が、今——溢れ出そうとしている。


 「でも——途中で分岐点がありました。左のルートと、右のルート。いつもは右のルートを使っていました。でも——その日は違った」


 黒岩が顔を歪めた。無表情だった黒岩の顔が——苦痛で歪んだ。その表情は——見ていて辛くなるほど苦しそうだった。


 俺は——黒岩の苦痛を感じた。4年前の出来事が——黒岩にどれだけの傷を残したか。それが——今、伝わってくる。


 「私は——左のルートを選びました」


 黒岩が小さく言った。その声は——罪悪感に満ちていた。まるで——自分が犯罪者であるかのような声だった。


 「理由は——単純でした。左のルートの方が近かった。30分くらい時間を短縮できた。だから——私は判断しました。『左のルートで行く』と」


 黒岩の声が震えた。その震えは——後悔の震えだった。あの時——なぜ左を選んだのか。なぜ時間短縮を優先したのか。なぜ——右を選ばなかったのか。黒岩は——4年間、その問いを自分に投げ続けてきた。


 「部下たちは——私の判断に従いました。誰も疑問を持ちませんでした。私を信頼していたから。私の判断を信じていたから——みんな左のルートに入りました」


 黒岩の声に——さらなる苦痛が混じった。部下たちが自分を信頼していた——それが、黒岩をさらに苦しめている。信頼に応えられなかった。信頼を裏切ってしまった——そんな思いが、黒岩を縛っている。


 黒岩が目を開けた。その目には——涙が浮かんでいた。無表情だった黒岩が——泣いている。


 「そして——」


 黒岩の声が詰まった。言葉が出てこない。何かを——思い出している。忘れたくても忘れられない——何かを思い出している。


 俺たちは——黙って待った。黒岩が話すまで——静かに待った。


 数秒の沈黙。長い沈黙。そして——黒岩が口を開いた。


 「地雷がありました」


 黒岩が小さく言った。その声は——震えていた。恐怖と後悔で——震えていた。


 「左のルートには——地雷が埋められていました。誰も知らなかった。情報になかった。でも——地雷はあった」


 黒岩の声が震えている。俺は——その声を聞きながら、想像した。4年前の光景を。黒岩と部下たちが左のルートに入った。そして——地雷を踏んだ。爆発した——


 その光景を想像するだけで——胸が痛くなった。黒岩は——その光景を実際に見た。目の前で——部下が死ぬのを見た。それが——どれほど辛いことか。


 「先頭を歩いていた部下が——地雷を踏みました。爆発しました。すぐに——もう一つの地雷が誘爆しました」


 黒岩が顔を覆った。両手で顔を覆った。無表情を保ってきた黒岩が——もう感情を抑えられない。4年間——ずっと抑えてきた感情が、今——溢れ出している。


 俺は——黒岩を見ていた。黒岩の肩が震えている。体が震えている。黒岩が——泣こうとしている。涙を——必死に堪えようとしている。でも——堪えられない。


 「2人が死にました。即死でした。助けることもできませんでした。爆発で——体が吹き飛んで——」


 黒岩の声が途切れた。泣いている。黒岩が——声を上げて泣いている。元自衛隊の男が——4年前の記憶に押し潰されて泣いている。いつも冷静だった男が——いつも無表情だった男が——今は子供のように泣いている。


 部屋が静まり返った。誰も何も言わない。ただ——黒岩の泣き声だけが響いている。その泣き声は——苦痛に満ちていた。後悔に満ちていた。自分を責める声だった——


 ミオが小さく「黒岩さん……」と呟いた。涙を流している。ミオも——黒岩の苦痛を感じて泣いている。小柄な体が震えている。ミオは——人の痛みを感じやすい。黒岩の苦しみが——ミオの心に響いている。


 「黒岩さん……辛かったね……ずっと一人で……」


 ミオが涙を拭いながら言った。ミオの声も——震えている。


 灰垣が優しい顔を悲しみで歪めている。看護師の女が——黒岩の痛みを感じている。灰垣は——多くの患者を見てきた。多くの死を見てきた。だから——黒岩の苦痛が、どれほど深いか分かる。それが——灰垣の表情に表れている。


 「黒岩さん……」


 灰垣が小さく呟いた。優しい声で。でもその声には——深い悲しみが混じっていた。


 白岩が眼鏡を外している。プログラマーの男が——黒岩の告白に胸を痛めている。白岩は——いつも論理的だ。いつも冷静だ。でも——今は違う。白岩も——人間だ。黒岩の苦痛を——感じている。


 「……そんなことが……」


 白岩が小さく呟いた。信じられないという声で。


 俺は——何も言えなかった。黒岩の過去が——重すぎる。黒岩が背負ってきたものが——重すぎる。4年間——ずっと一人で抱えてきた。誰にも話さずに——ずっと一人で苦しんできた。それが——どれほど辛いことか。


 俺は——拳を握りしめた。黒岩を助けたい。黒岩の苦痛を——少しでも和らげたい。でも——どうすれば?俺に——何ができる?


 黒岩が顔を上げた。涙で濡れた顔を——上げた。


 「私の判断で——2人が死にました」


 黒岩がはっきりと言った。


 「私が左のルートを選んだから。私が時間短縮を優先したから。私が——判断したから」


 黒岩の声が震えている。


 「もし——右のルートを選んでいたら。もし——いつも通りのルートで行っていたら。2人は——死ななかった」


 黒岩が自分を責めている。4年間——ずっと自分を責め続けてきた。


 「それ以来——私は判断することが怖くなりました」


 黒岩が告白した。


 「自分が判断すると——人が死ぬ。そう思うようになりました。判断する——その瞬間が怖い。ボタンを押す——その瞬間が怖い。『今、押す』と判断する——それが怖いんです」


 黒岩の告白に、俺は理解した。


 黒岩がボタンを押すことを躊躇する理由——それは、判断することへの恐怖だった。黒岩にとって——判断は死を意味する。自分が判断すれば——誰かが死ぬ。そのトラウマが——黒岩を縛っている。


 白岩が小さく言った。


 「……それは……お前のせいじゃない……」


 白岩が黒岩を見た。眼鏡をかけ直して——黒岩を見た。


 「地雷があることを——お前は知らなかった。情報になかった。お前に——責任はない」


 白岩が黒岩を慰めようとした。論理的に——正しいことを言おうとした。でも——黒岩は首を横に振った。その仕草は——悲しかった。黒岩は——自分を許せないでいる。


 「頭では——分かっています」


 黒岩が言った。涙を拭きながら——言った。


 「論理的には——私に責任はない。地雷の情報がなかった。私は正しい判断をした——そう言われました。上官にも言われました。カウンセラーにも言われました」


 黒岩が続けた。その声は——空虚だった。何度も同じことを言われてきた——でも納得できなかった——そんな声だった。


 「軍事法廷でも——私は無罪でした。責任を問われませんでした。誰も——私を責めませんでした」


 黒岩が顔を歪めた。


 「でも——心は納得しません。私が判断した。私が左を選んだ。その結果——2人が死んだ。それは——事実です」


 黒岩の言葉に、全員が黙った。部屋が——静まり返った。重い空気が——部屋を満たした。


 論理と感情——それは違う。頭で理解していても、心が納得しないことがある。黒岩は——頭では理解している。でも心は——まだ納得していない。4年経っても——まだ納得していない。おそらく——一生納得しないだろう。それが——トラウマだ。それが——PTSDだ。


 俺は——黒岩を見ていた。黒岩の苦しみが——痛いほど伝わってくる。4年間——ずっと一人で戦ってきた。トラウマと——ずっと一人で戦ってきた。誰にも話さずに——ずっと抱えてきた。


 それが——どれほど辛いことか。俺には——想像もできない。


 灰垣が優しく言った。


 「黒岩さん……辛かったですね……」


 灰垣が黒岩に近づいた。そして——黒岩の肩に手を置いた。その手は——温かかった。優しかった。灰垣は——多くの患者を見てきた。多くの傷を見てきた。体の傷だけじゃない。心の傷も——見てきた。だから——黒岩の傷が、どれほど深いか分かる。


 看護師として——灰垣は知っている。心の傷は——体の傷よりも治りにくい。時間がかかる。簡単には癒えない。黒岩の傷は——4年経っても癒えていない。おそらく——一生かかっても完全には癒えないだろう。それが——トラウマだ。


 「4年間——ずっと一人で抱えてきたんですね……」


 灰垣の優しい言葉に、黒岩が——また涙を流した。誰かに理解してもらえた——それが、黒岩には嬉しかった。4年間——誰にも話せなかった。誰にも理解してもらえなかった。でも今——ここにいるみんなは、黒岩を理解しようとしている。黒岩の苦痛を——受け止めようとしている。


 「私は——もう判断したくないんです」


 黒岩が小さく言った。


 「自分で判断すると——また誰かが死ぬ。だから——判断できない。ボタンを押せない」


 黒岩が俯いた。


 「すみません……私のせいで……みんなが苦しんで……」


 黒岩が謝った。でも——俺は首を横に振った。


 「謝るな」


 俺は言った。


 「お前は——悪くない」


 俺が黒岩を見た。


 「お前は——4年前も悪くなかった。今も——悪くない」


 俺の言葉に、黒岩が顔を上げた。


 「……でも……」


 黒岩が言いかけた。でも——俺は続けた。


 「4年前——お前は最善の判断をした。左のルートは近かった。時間を短縮できた。それは——正しい判断だった」


 俺が言った。


 「地雷があった——それは不運だった。お前の判断が悪かったわけじゃない。ただ——運が悪かっただけだ」


 俺が続けた。


 「そして——今も同じだ。お前はボタンを押そうとしている。でも——トラウマが邪魔している。それは——お前が弱いからじゃない。お前が——人の死を重く受け止めているからだ」


 俺の言葉に、黒岩が——わずかに目を見開いた。


 「……そういうことか」


 俺は呟いた。黒岩のトラウマの正体が——分かった。


 黒岩は——判断することが怖い。でもそれは——黒岩が人の命を軽く見ているからじゃない。逆だ。黒岩は——人の命を重く見すぎている。だから——判断が怖い。自分の判断で誰かが死ぬ——その可能性が怖い。


 それは——悪いことじゃない。むしろ——良いことだ。人の命を大切にしている——その証拠だ。


 でも——それが今、黒岩を縛っている。


 ミオが小さく言った。


 「黒岩さん……優しいんだね……」


 ミオが涙を拭いて言った。


 「人の命を——大切にしてるんだね……だから——怖いんだね……」


 ミオの言葉に、黒岩が——小さく頷いた。


 白岩が眼鏡をかけ直した。


 「……トラウマか……」


 白岩が呟いた。


 「心的外傷後ストレス障害……PTSD……治療が必要だな……」


 白岩が冷静に分析した。でも——その声には優しさがあった。


 「でも——今は治療できない。今は——ゲームをクリアしなければならない」


 白岩が言った。


 「黒岩。お前のトラウマは——理解した。でも——俺たちは今、ゲームの中だ。このゲームをクリアしなければ——俺たちは電流で死ぬ」


 白岩の言葉に、黒岩が頷いた。


 「分かっています……でも……どうすれば……」


 黒岩が困惑している。判断が怖い。でも——判断しなければゲームをクリアできない。どうすれば——


 俺は——考えた。深く——考えた。


 黒岩の問題は——判断することへの恐怖だ。黒岩は——自分で判断することが怖い。自分の判断で誰かが死ぬ——それが怖い。4年前の記憶が——黒岩を縛っている。トラウマが——黒岩を支配している。


 じゃあ——どうする?


 黒岩のトラウマを治す?——無理だ。トラウマは簡単には治らない。4年かけても治らなかったものが——今すぐ治るはずがない。カウンセリングが必要だ。時間が必要だ。でも——今はそんな時間はない。


 じゃあ——どうする?


 答えは——一つしかない。


 黒岩に——判断させなければいい。


 黒岩が——自分で判断しなくていいようにすればいい。誰かが代わりに判断すればいい。誰かが——責任を持てばいい。


 俺が——判断する。


 俺が——責任を持つ。


 黒岩は——ただ従うだけでいい。俺の指示に——ただ従うだけでいい。判断は俺がする。責任は俺が持つ。黒岩は——何も考えなくていい。


 それが——唯一の解決策だ。


 俺は——決めた。黒岩を助ける。黒岩のトラウマを——今すぐには治せない。でも——今、この瞬間だけは助けられる。黒岩が判断しなくていいように——俺が全て決める。


 「黒岩」


 俺は言った。はっきりと——力強く。


 黒岩が俺を見た。涙で濡れた顔で——俺を見た。その目には——不安が見える。どうすればいいのか分からない——そんな不安が。


 俺は——黒岩に言った。


 これから——どうするか。


 どうやって——このゲームをクリアするか。


 俺の作戦を——黒岩に伝えた。そして——全員に伝えた。俺が——これから何をするか。どうやって——黒岩を助けるか。それを——みんなに伝えた。

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