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第2話 ゲーム1:指名鬼ごっこ

『それでは、ゲーム1のルールを説明します』


 AIの機械音声が、控室に響き渡った。

 十一人の参加者全員が、天井のスピーカーを見上げている。誰もが息を殺し、次の言葉を待っていた。蛍光灯の光が、やけに白く感じる。空調の音すら聞こえないほど、静まり返っている。

 俺はポケットの中のノートを握りしめながら、AIの説明に耳を傾けた。

 ノートに書いてあった内容と、照らし合わせる必要がある。もし内容が違っていたら、このノートは使い物にならない。だが、もし同じなら——俺には、圧倒的なアドバンテージがある。


『ゲーム名:指名鬼ごっこ』


 やはり、ノートの記載通りだ。

 俺は心の中で、小さくガッツポーズをした。


『ルールは以下の通りです。まず、ランダムで一人が「鬼」に選ばれます』


 参加者たちの間に、緊張が走った。

 誰が最初の鬼になるのか。それが、このゲームの最初の分岐点だ。隣を見ると、園崎が唇を噛みしめている。その向こうでは、佐藤が祈るように両手を組んでいた。


『鬼に選ばれた者は、60秒以内に、他の参加者の中から一人をフルネームで指名しなければなりません』


 フルネーム。

 つまり、苗字だけでは駄目だということだ。

 俺は周囲を見回した。さっき自己紹介があったとはいえ、全員のフルネームを覚えている奴がどれだけいるだろうか。俺自身、正直なところ怪しい。鈴木、田辺、園崎、山田、佐藤、黒岩、白岩、灰垣、杉内、田中。苗字は覚えているが、下の名前までは把握しきれていない。

 自己紹介の時、ちゃんと聞いておけばよかった。そう後悔しても、もう遅い。


『指名された者が、次の鬼となります。同様に60秒以内に次の者を指名してください』


 鬼が鬼を指名する。

 それが延々と続くわけだ。

 椅子取りゲームならぬ、指名取りゲーム。ただし、負けたら死ぬ。


『注意事項として、同じ人物を連続で指名することはできません。また、60秒以内に指名できなかった場合——』


 AIの声が、一瞬途切れた。

 まるで、溜めを作っているかのように。

 全員が、固唾を呑んでいる。


『——死亡となります』


 空気が、凍りついた。

 分かっていたことだ。ノートにも書いてあった。でも、改めてAIの口から告げられると、現実味が一気に増してくる。

 誰かが、小さく悲鳴を上げた。園崎だろうか。それとも杉内か。


『制限時間は全体で30分です。30分経過した時点で、生存している参加者は全員クリアとなります』


 三十分。

 俺はポケットの中のノートを、さらに強く握りしめた。

 三十分、回し続ければいい。順番を決めて、機械的に回せば、誰も死なない。それがこのゲームの攻略法だ。

 ノートの『想定展開』には、こう書いてあった。

 『参加者はパニックを起こし、名前を覚えていないため指名できない者が続出する』

 つまり、運営側はパニックを想定している。冷静でいられれば、想定外の展開になる。

 今すぐ、全員に提案すべきか。

 順番を決めて回そう、と。

 でも——俺は口を開きかけて、やめた。

 まだ駄目だ。

 この状況で、見ず知らずの男がいきなり仕切り始めたら、どう思われる? 怪しまれるに決まっている。「なんでそんなにルールに詳しいんだ」と疑われる。下手をすれば、主催者の仲間だと思われて、最初に狙われる可能性だってある。

 まずは、様子を見る。

 状況を把握してから、動いても遅くはない。

 そう、自分に言い聞かせた。


『それでは、最初の鬼を選出します』


 天井から、ルーレットのような電子音が鳴り始めた。

 ピピピピピ、という高い音が、控室に響く。その音が、だんだんと遅くなっていく。

 参加者全員が、固唾を呑んで見守っている。

 隣の園崎は、目を閉じて何かを祈っていた。向こうでは、田辺が落ち着きなく周囲を見回している。黒岩だけが、微動だにせずに立っていた。

 音が、止まった。


『最初の鬼は——田辺修一』


 田辺の顔が、一瞬で真っ青になった。

 眼鏡のサラリーマン。さっきから怯えていた男だ。震える手で、自分の首輪に触れている。眼鏡の奥の目が、信じられないというように見開かれていた。


「え……俺……?」


 田辺の声は、掠れていた。

 周囲を見回すその目は、完全にパニックを起こしている。瞳孔が開いて、焦点が合っていない。


『カウントダウンを開始します。60秒以内に、他の参加者をフルネームで指名してください』


 天井のスピーカーの横に、赤いデジタル表示が現れた。

 60、59、58——

 数字が、無情に減っていく。赤い光が、田辺の青ざめた顔を照らしている。


「ま、待ってくれ……」


 田辺が、周囲に助けを求めるように視線を彷徨わせた。

 足がもつれて、一歩後ずさる。椅子にぶつかって、カタンと音を立てた。


「誰か……名前……教えてくれ……」


 誰も、答えない。

 当然だ。名前を教えたら、自分が指名される可能性がある。誰だって、死にたくない。自分の命が一番大事だ。

 田辺の額から、汗が滴り落ちた。

 シャツの襟元が、汗で濡れている。呼吸は荒く、肩が上下している。過呼吸気味になっているのかもしれない。明らかに、正常な判断ができる状態ではない。

 45、44、43——

 残り時間が、どんどん減っていく。

 赤い数字が、田辺の死へのカウントダウンを刻んでいる。


「頼む……誰か……」


 田辺が、鈴木の方を向いた。

 鈴木は、さっきまで一番話しかけやすそうな雰囲気だった。軽薄な調子で話しかけてきた男。だから、田辺は彼に頼ろうとしたのだろう。


「お前……名前……」

「知らねえよ」


 鈴木が、冷たく言い放った。

 さっきまでの軽薄な態度は完全に消え、目には明らかな警戒の色が浮かんでいる。自分が指名されたくない。その一心で、田辺から距離を取っている。

 裏切られた、という表情が、田辺の顔に浮かんだ。


「お願いだ……誰でもいい……名前を……」


 田辺が、今度は園崎の方を向いた。

 園崎は、田辺から目を逸らした。自分の体を抱きしめるようにして、一歩後ずさる。壁に背中をつけて、それ以上下がれなくなっている。


「私に言わないで……私を巻き込まないで……」


 30、29、28——

 残り三十秒を切った。

 田辺の目が、血走っている。唇は震え、歯がカチカチと鳴っている。極度の緊張で、体が言うことを聞かないのだろう。自律神経が完全に乱れている。


「山田……山田さん……!」


 田辺が、白髪の老人に縋るように近づいた。

 山田は、この中で一番優しそうな人物だった。孫の学費のために来たと言っていた。だから田辺は、最後の望みをかけて山田に頼った。


「名前……フルネームを……教えてくれ……!」

「わ、わしは……」


 山田が口を開きかけた瞬間。


「やめろ!」


 鈴木が、山田の腕を掴んだ。

 強い力で、山田を田辺から引き離す。


「教えたら、次はお前が鬼になるんだぞ!」

「しかし……このままでは田辺さんが……」

「自分の命が大事だろうが! 死にたいのか!?」


 山田が、口を閉ざした。

 俯いて、田辺から目を逸らす。

 その表情には、罪悪感と恐怖が入り混じっていた。助けたい。でも、自分も死にたくない。そのジレンマが、山田の顔に如実に表れている。

 15、14、13——

 残り十五秒。

 田辺の顔から、血の気が引いていく。土気色になった肌に、脂汗が浮かんでいる。もはや、まともに立っていることすらできていない。


「嫌だ……死にたくない……」


 田辺が、その場にへたり込んだ。

 膝が床についた瞬間、彼の目から涙が溢れ出した。大の大人が、人目も憚らずに泣いている。その姿は、見ていられないほど哀れだった。


「死にたくない……死にたくない……お願いだ……誰か……助けてくれ……」


 俺は、その光景を見ていることしかできなかった。

 今から名前を教えても、間に合わない。田辺はパニック状態で、仮に名前を聞いても、正確に発音できるかどうか分からない。舌が回らない。頭が真っ白になっている。

 それに——俺自身、田辺に自分の名前を教える勇気がなかった。

 自分が次の鬼になるかもしれない。その恐怖が、俺の口を塞いでいた。

 5、4、3——


「いやだ……いやだあああああ——」


 2、1、0。


『時間切れです』


 AIの声が、淡々と告げた。

 何の感情もない、機械的な声。


『田辺修一、死亡判定』


 その瞬間。

 田辺の首輪から、細い針が射出された。

 銀色の光が一瞬だけ見えて——田辺の首筋に、赤い点が現れた。

 毒か。それとも、別の何かか。

 田辺の目が、大きく見開かれた。

 口が開いたまま、声にならない声を上げようとしている。喉が、ひくひくと動いている。

 そして。

 彼の体が、ゆっくりと前に倒れた。

 ドサリ、という鈍い音。

 床に倒れ込んだ田辺は、ピクリとも動かなかった。眼鏡が顔から外れて、床の上で光を反射している。


「きゃああああああ!!」


 佐藤の悲鳴が、控室に響き渡った。

 両手で顔を覆い、その場にしゃがみ込む。肩が激しく震えている。嗚咽の声が、手の隙間から漏れている。


「嘘……嘘よ……こんなの嘘よ……」


 園崎が、後ずさりながら呟いた。

 壁にぶつかって、そのまま壁に背中を預ける。顔は蒼白で、目には涙が溜まっている。現実を受け入れられないという顔だ。


「なんということじゃ……」


 山田が、絶句していた。

 田辺に名前を教えなかった自分を、責めているのかもしれない。皺だらけの手が、小刻みに震えている。「すまん……すまん……」と、小さく呟いている。

 俺は、倒れた田辺を見つめていた。

 本物だ。

 本当に、死ぬんだ。

 ノートに書いてあったことは、全て本当だった。このデスゲームは、紛れもない現実だ。

 胃の奥から、酸っぱいものがこみ上げてくる。

 俺は必死にそれを飲み込んだ。吐いている場合じゃない。

 今、動揺している場合じゃない。

 次の鬼が、すぐに選ばれる。


『次の鬼を選出します』


 AIの声が、再び響いた。

 まるで何事もなかったかのように、淡々と進行する。田辺の死体が床に転がっているのに、AIはそれを完全に無視している。

 ルーレットの音。

 ピピピピピ——

 また、誰かが選ばれる。

 音が、止まる。


『次の鬼は——鈴木健太』


「俺かよ……」


 鈴木が、舌打ちした。

 だが、その顔には焦りの色がない。むしろ、どこか余裕のある表情だ。田辺の死体を一瞥して、フンと鼻を鳴らした。


「いや、待てよ」


 鈴木が、にやりと笑った。

 その笑みは、不気味なほど自信に満ちていた。


「60秒あるんだよな。ギリギリまで待てばいい」


 何を考えている。

 俺は、鈴木の表情を観察した。

 こいつ、まさか——


「へへ、誰を指名しようかな」


 鈴木が、周囲を見回した。

 品定めするような目つき。獲物を選ぶ捕食者のような目だ。

 その目が、山田で止まる。


「おい、爺さん」


 鈴木が、山田に向かって歩き始めた。

 ゆっくりと、威圧するように。


「お前、さっき田辺に名前教えようとしてたよな」

「わ、わしは……」

「お前みたいな足手まとい、早く消えてくれた方がいいんだよ」


 鈴木の目に、明らかな悪意が浮かんでいた。

 残虐な笑みが、口元に張り付いている。

 こいつ、ギリギリまで待って、嫌いな奴を指名するつもりだ。山田を、わざと殺そうとしている。このゲームを、自分の憂さ晴らしに使おうとしている。

 40、39、38——

 残り時間が減っていく中、鈴木は余裕の表情で山田を見下ろしていた。

 山田は、震えながら俯いている。抵抗する気力もないようだ。


「爺さん、名前なんだっけ?」

「わしは……山田太郎じゃが……」


 山田が、震える声で答えた。

 観念したように、自分の名前を告げる。どうせ指名されるなら、抵抗しても無駄だと思ったのだろう。諦めの表情が、皺だらけの顔に浮かんでいた。

 鈴木が、満足げに頷いた。


「山田太郎ね。覚えた覚えた」


 30、29、28——

 鈴木は、まだ指名しない。

 ギリギリまで引っ張って、山田を恐怖で追い詰めるつもりなのだろう。性格の悪さが、如実に表れている。サディスティックな喜びが、その目に宿っている。


「さーて、あと何秒かな」


 鈴木が、天井の表示を見上げた。

 余裕の表情。勝ち誇った笑み。

 20、19、18——


「そろそろ言うか。山田——」


 鈴木の口が、開いた。

 だが。


「山田……山田……」


 鈴木の表情が、変わった。

 さっきまでの余裕が消え、困惑の色が浮かんでいる。眉間に皺が寄り、口が半開きになっている。


「あれ……山田……なんだっけ……」


 15、14、13——

 鈴木の額に、汗が浮かんできた。

 さっきまでの自信は、どこかに消えていた。


「山田……山田たろ……たろ……」


 言葉が、出てこない。

 さっき聞いたばかりの名前が、出てこない。

 俺は、その光景を見て理解した。

 緊張だ。

 田辺と同じだ。極度の緊張状態では、人間の記憶力は著しく低下する。普段なら簡単に覚えられる名前でも、この状況では出てこなくなる。アドレナリンが分泌されて、脳の一部が機能しなくなる。

 ノートの『想定展開』に書いてあった通りだ。

 余裕をこいていた人間ほど、いざという時に脆い。


「おい爺さん! 名前! もう一回言え!」


 鈴木が、山田に叫んだ。

 さっきまでの威圧的な態度は消え、必死の形相になっている。


「山田太郎じゃ!」

「山田....た、た....山田たろ……たろ……」


 10、9、8——

 鈴木の顔が、真っ青になっていく。

 舐めていたのだ。自分は大丈夫だと、余裕をこいていた。田辺みたいな弱虫とは違う、と。だから、ギリギリまで待った。そして今、その余裕が仇となっている。


「山田……山田……くそ、なんで出てこねえんだよ……!」


 鈴木が、頭を抱えた。

 髪をかきむしり、顔を歪めている。

 5、4、3——


「山田太郎! 山田太郎!」


 山田が、必死に自分の名前を叫んでいる。

 さっきまで諦めていた老人が、鈴木を助けようとしている。皮肉な光景だった。

 だが、鈴木の耳には届いていないようだった。パニック状態に陥った人間は、周囲の声が聞こえなくなる。自分の心臓の音だけが、頭の中で響き渡る。


「やま……やま……」


 2、1、0。


『時間切れです』


『鈴木健太、死亡判定』


 シュッ、という小さな音。

 鈴木の首輪から、針が射出された。

 鈴木の目が、見開かれる。

 口が開いたまま、何かを言おうとしている。だが、声は出ない。

 そして——鈴木の体が、床に倒れた。

 金色のネックレスが、カチャリと音を立てて床に広がった。

 二人目だ。

 たった数分で、二人が死んだ。

 控室の中は、完全な沈黙に包まれていた。

 誰も、言葉を発することができない。目の前で起きた現実を、受け入れることができずにいる。

 田辺と鈴木。二つの死体が、床に転がっている。

 俺は、倒れた鈴木を見つめながら、自分の判断を悔いていた。

 もっと早く動いていれば。

 最初から、順番を決めて回そうと提案していれば。

 田辺も、鈴木も、死なずに済んだかもしれない。

 でも——本当にそうか?

 あの状況で、見ず知らずの男の言うことを、誰が聞いただろう。パニック状態の人間に、冷静な判断を求めても無駄だ。仮に俺が提案しても、誰も従わなかった可能性が高い。

 それでも。

 やらないよりは、やった方が良かったんじゃないか。

 結果は変わらなかったかもしれない。でも、何もしなかった後悔よりは、マシだったんじゃないか。

 俺は、拳を握りしめた。

 爪が掌に食い込んで、痛い。

 その痛みで、頭が少しだけ冴えてくる。


『次の鬼を選出します』


 AIの声が、また響いた。

 ゲームは、まだ続いている。

 三十分の制限時間は、まだ残っている。

 このままでは、全員死ぬ。

 ルーレットの音が、鳴り始めた。

 ピピピピピ——

 俺は、決意した。

 もう、待てない。

 次に誰が鬼になろうと、俺が動く。

 このままじゃ、全員死ぬ。

 順番を決めて、機械的に回す。それしか、全員が生き残る方法はない。

 信用されなくてもいい。怪しまれてもいい。

 俺が、動く。

 ルーレットの音が、止まった。


『次の鬼は——』


 俺は、一歩前に出た。

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