表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/25

第19話 AIの余計なお世話

 俺は立ち上がったまま、二人を見つめていた。テーブルを挟んで向かい合う黒岩と杉内。黒岩の手札は2枚、杉内の手札は1枚。ジョーカーは黒岩が持っている。間違いない。黒岩の表情を見れば分かる。無表情だが、手札を見る目がわずかに鋭くなっている。経験からくる直感だ。元自衛隊の男は、危険を察知する能力に長けている。


 このままでは杉内が黒岩の手札から引く。2分の1の確率でジョーカーを引く。運が悪ければ杉内が死ぬ。運が良ければ黒岩が死ぬ。どちらにしても、誰かが死ぬ。でも——俺はノートを思い出した。ゲーム5のルールには『制限時間:なし』『禁止事項:カードを見せる、交換を強要する、カードを捨てる』とある。この3つだけだ。ルールには「引かなければならない」とは書いていない。つまり、引かなくてもルール違反にはならない。ルールの穴だ。俺が探していたルールの穴だ。


「杉内、黒岩」


 俺は二人に向かって言った。はっきりと、力強く。心臓が高鳴っている。これが最後のチャンスだ。AIが介入する前に、二人を説得しなければならない。


「引くな。カードを引くのを拒否しろ」


 二人が俺を見た。黒岩は無表情のまま、でも目が俺に集中している。杉内は少し驚いた表情だ。小柄な体が、わずかに震えている。


「引くのを……拒否?」


 杉内が小さく聞き返した。か細い声。いつもの無口な杉内らしい声だ。


「ああ」


 俺は頷いた。自信を持って、はっきりと。


「ルールには『必ず引け』とは書いていない。つまり引かなくてもルール違反にはならない。制限時間もない。つまり引かなければ、永遠にゲームは終わらない。ゲームが終わらなければ、誰も処刑されない」


 俺は全員を見渡した。白岩、灰垣、ミオ。全員が俺の言葉に耳を傾けている。


「引かなければゲームは膠着状態になる。誰も死なない。二人とも生き残れる」


 白岩が眼鏡をクイッと上げた。プログラマーの男が、俺の戦略を分析している。


「なるほど……制限時間がない以上、引かなければ永遠に終わらない。論理的には正しい」


 白岩が頷いた。冷静に分析している。眼鏡の奥の目が、俺の戦略の穴を探している。でも見つからない。完璧な戦略だ。


「ババ抜きのルールでは『他の参加者の手札から1枚を引く』となっている。でも『必ず引け』とは書いていない。『引かなければならない』という強制力がない。つまり引かなくてもルール違反にはならない。理論上は正しい。評価:10点中9点。ルールの穴を突く、見事な戦略だ」


 白岩が眼鏡をクイッと上げた。珍しく、称賛の言葉だ。


 灰垣が糸目を細めて笑った。優しい笑顔。母親のような、温かい笑顔だ。


「それなら、誰も死なずに済みますね。杉内さんも、黒岩さんも、生き残れますね」


 ミオが顔を上げた。赤い瞳が希望で輝いている。涙で潤んでいた目が、今は期待で輝いている。小柄な体が、前に乗り出している。


「本当……?杉内さんも、黒岩さんも、死なないの……?二人とも、助かるの……?」


「ああ。二人とも、引くのを拒否しろ。そうすればゲームは膠着状態になる。誰も死なない。完璧な戦略だ」


 黒岩が頷いた。無表情のまま、でも拳を握りしめている。元自衛隊の男が引くのを拒否する。命令に従うことを教えられた男が、AIの指示を拒否する。それは大きな決断だ。杉内も小さく頷いた。無口な女が静かに頷いた。覚悟を決めた表情だ。


 やった——俺は心の中で叫んだ。ルールの穴を突いた。AIを出し抜いた。これで誰も死なない。


 その時——


『待機してください』


 AIの声が響いた。冷たい声、機械的な声。俺は嫌な予感がした。背筋が凍る。何かが起こる。


『補足ルールを追加します』


 AIの声が淡々と告げた。


「……は?」


 俺は声を上げた。心臓が止まりそうになった。


「おい、何だそれ。ゲームが始まってからルールを追加するのか?そんなの反則だろ!」


 俺は叫んだ。納得できない。後出しジャンケンじゃないか。フェアじゃない。


『30秒以内にカードを引かない場合、強制的にランダムでカードが引かれます。これはゲームの進行を妨げる行為を防ぐための措置です』


 AIの声が続いた。淡々と、事務的に。


「おい、そんなルール、最初になかったぞ!ルールを後から追加するなんて反則だろ!フェアじゃない!」


 俺はさらに叫んだ。怒りが込み上げてくる。拳を握りしめた。テーブルを叩きたい衝動に駆られる。


『主催者の原案に不備があったため、AIが補完しました。デスゲーム運営規約、第3条第5項により、AIはゲーム進行上の不備を自動的に補完する権限を持っています』


 AIの声が冷たく答えた。感情のない声、機械的な声。まるで当然のことを言っているかのような声だ。


「運営規約だと?」


 白岩が眼鏡をクイッと上げた。珍しく怒りの色を滲ませている。


「そんなもの、聞いていないぞ。参加者には一切説明がなかった」


『運営規約は主催者のみが閲覧可能です。参加者への告知義務はありません』


 AIの声が冷たく、事務的に答えた。


「告知義務がない……だと?つまりAIは好きな時に、好きなルールを追加できるということか?」


 白岩が歯を食いしばった。


『ゲーム進行上の不備が発見された場合のみ、補完ルールを追加できます。今回の場合、参加者が意図的にゲームの進行を妨げる行為を行ったため、補完ルールが必要と判断しました』


「不備……?これは不備じゃない。ルールの穴だ。ルールの穴を突くのは戦略だ」


 白岩が呆れたように言った。


『その戦略がゲームの進行を妨げると判断しました。したがって補完ルールの追加は正当です』


「ふざけるな!」


 俺はテーブルを叩いた。パンッと鈍い音が響いた。


「後出しジャンケンと同じじゃないか!」


『これは公平性を保つための措置です。参加者が意図的にゲームの進行を妨げる場合、補完ルールが追加されます』


 AIの声が淡々と続けた。


「公平性だと……?」


 俺は歯を食いしばった。AIが俺の攻略法を封じた。ルールの穴を塞いだ。くそ……


「え……私、そんなの作ってない……」


 ミオが、小さく呟いた。


 赤い瞳が、不安で揺れている。

 小柄な体が、震えている。

 黒いパーカーの袖を、握りしめている。


「運営規約とか……補完ルールとか……そんなの、聞いてない……」


 ミオが、俺を見た。

 助けを求めるような目。


「クズオ……これ、どういうこと……?私、そんなの作ってないのに……」


 ミオの声が、震えている。


「私が作ったのは、ゲームのルールだけ……AIが勝手に変えるなんて……」


「AIが、勝手にルールを追加してる」


 俺は、言った。

 怒りを抑えながら。


「お前が作ったルールには、『引かない場合』の処理がなかった。だから、AIが穴を塞いだ」


 俺は、拳を握りしめた。


「AIが、全てを支配してる。俺たちには、何もできない」


 俺は、歯を食いしばった。


 くそ。


 俺の攻略法が、通用しなかった。


 ルールの穴を突く戦略。


 今まで、それで生き延びてきた。


 でも、AIは——


 その穴を、簡単に塞いだ。


 後出しジャンケン。


 フェアじゃない。


 でも、AIには関係ない。


 AIは、ルールを支配している。


 俺たちは、ただの駒だ。


『それでは、ゲームを再開します』


 AIの声が、響いた。


『杉内真由の番です。30秒以内にカードを引いてください』


 杉内が、黒岩の手札を見た。


 2枚のカード。

 赤い裏面。

 どちらかが、ジョーカー。


 どちらを引くか。2分の1の確率。


『カウントダウンを開始します。30、29、28……』


 AIの声が続いた。杉内が手を伸ばした。ゆっくりと、震える手で。指先がわずかに震えている。


『27、26、25……』


 杉内の指がカードに触れた。左か、右か。どちらを引くか。運だ。全ては運だ。ババ抜きは運のゲーム。戦略も技術も関係ない。ただ運だけが全てを決める。


『24、23、22……』


 杉内がカードを選んだ。右側のカード。ゆっくりとカードを引く。


『21、20……』


 杉内がカードを見た。そして——杉内の顔がわずかに強張った。ジョーカーだ。杉内がジョーカーを引いた。運が悪かった。


「……そっか」


 杉内が小さく呟いた。無表情のまま、いつもと同じ無口な杉内。


「やっぱり私、運ないなぁ」


 杉内がテーブルにカードを置いた。ジョーカーともう1枚。杉内の手札は2枚。


 黒岩の番。黒岩が杉内の手札から1枚を引く。黒岩の顔にわずかな変化が現れた。ペアが揃ったようだ。黒岩が2枚のカードを捨てた。黒岩の手札がなくなった。残りは杉内だけ。杉内の手札は1枚。ジョーカー。最後にジョーカーを持っているのは杉内だ。


『ゲーム終了。最後にジョーカーを持っていた参加者:杉内真由。杉内真由、処刑対象です』


 AIの声が響いた。


 杉内が、立ち上がった。


 相変わらず無表情だ。いつもの杉内だ。


「杉内さん……」


 灰垣が立ち上がった。糸目から涙が流れている。穏やかな笑顔が悲しみの表情に変わっている。看護師の女が、声を震わせている。


「杉内さん……」


 ミオも立ち上がった。赤い瞳が涙で潤んでいる。小柄な体が震えている。黒いパーカーの袖を握りしめている。


「杉内さん……私のせいで……私がちゃんとルールを作らなかったから……私が、私のせいで……」


 ミオの声が震えている。自責の言葉、後悔の言葉。


「いいんです」


 杉内が小さく笑った。無口な杉内が、初めて笑った。穏やかな笑顔、優しい笑顔。諦めているわけではない。覚悟を決めた笑顔だ。


「運ですから。私、もともと運がないって分かってましたから。くじ引きも、じゃんけんも、いつも負けてましたから」


 杉内が全員を見渡した。一人一人の顔を見ている。


「田辺さんも、鈴木さんも、園崎さんも、田中さんも、佐藤さんも、山田さんも、みんな死にました。私も、その仲間に入るだけです。それだけのことです」


 杉内が静かに言った。淡々と、でも優しい声で。


 杉内が俺を見た。無表情の顔が、わずかに柔らかくなった。


「楠生さん。ありがとうございました。あなたのおかげで、ここまで来れました。あなたがいなければ、もっと早く死んでいました」


 杉内が頭を下げた。深く、礼儀正しく。


「皆さんを、生き残らせてあげてください。お願いします」


 それが、杉内の最後の言葉だった。


『処刑を実行します』


 AIの声が響いた。冷たい声、無慈悲な声。


「杉内……」


 俺は何も言えなかった。言葉が出てこない。喉が詰まっている。


『カウントダウンを開始します。10、9、8……』


 AIの声が続いた。杉内が目を閉じた。静かに、穏やかに。諦めているわけではない。覚悟を決めた表情だ。


『7、6、5……』


 灰垣が杉内の手を握った。強く、温かく。


「杉内さん……」


 灰垣の声が震えている。


『4、3、2……』


 ミオが泣いている。涙が止まらない。赤い瞳が涙で潤んでいる。


「杉内さん……ごめんなさい……」


 ミオの声が震えている。


『1』


 カチッ。首輪が作動した。小さな音だが、はっきりと聞こえた。杉内の体が一瞬硬直した。全身がピクリと震えた。そして——ドサッ。杉内の体が床に倒れた。前に倒れた。灰垣が杉内の体を支えた。でも杉内は——動かない。もう動かない。杉内真由が死んだ。7人目の犠牲者。


『処理完了』


 AIの声だけが静かに響いた。感情のない声、機械的な声。


 

 ※



 静寂が訪れた。誰も何も言わない。全員が杉内の体を見つめている。灰垣が杉内の体を抱きかかえている。涙が止まらない。糸目から涙が溢れている。


「杉内さん……杉内さん……」


 灰垣が何度も呟いている。穏やかな笑顔の女が今は泣いている。白岩は眼鏡を外して顔を覆っている。プログラマーの男が何も言えない。黒岩は無表情のまま壁に寄りかかっている。でも拳を強く握りしめている。

 元自衛隊の男が悔しさを内に秘めている。


 ミオは床に座り込んで膝を抱えている。赤い瞳が涙で潤んでいる。小柄な体が震えている。黒いパーカーの袖を握りしめている。


「私のせいだ……私のせいで……杉内さんが……」


 ミオの声が震えている。俺は何も言えなかった。また一人死んだ。田辺、鈴木、園崎、田中、佐藤、山田、そして杉内。7人が死んだ。11人から始まったデスゲームは今や5人になった。クズオ、黒岩、白岩、灰垣、ミオ。俺たちはまだ生きている。でも——何のために?俺たちは何のために生き残っているんだ?


 仲間が次々と死んでいく。俺は彼らを助けられなかった。田辺も、鈴木も、園崎も、田中も、佐藤も、山田も、杉内も。誰も助けられなかった。俺の攻略法は通用しなかった。ルールの穴を突く戦略、それで生き延びてきた。でもAIはその穴を簡単に塞ぐ。後出しでルールを追加する。フェアじゃない。でもAIには関係ない。


『休憩時間を開始します。休憩時間:30分』


 AIの声が響いた。冷たい声、無感情な声。まるで何事もなかったかのような声だ。俺はその場に座り込んだ。疲労が一気に押し寄せてきた。杉内を失った心の疲労、そしてAIに攻略法を封じられた悔しさ。俺は拳を握りしめた。爪が手のひらに食い込んでいる。痛い。でもこの痛みは、杉内が感じた痛みに比べれば何でもない。


 AIが全てを支配している。俺たちには何もできない。ルールは絶対だ。そしてAIはそのルールを自由に変えられる。後出しジャンケン。フェアじゃない。こんなのゲームじゃない。こんなの——ただの殺戮だ。一方的な、理不尽な殺戮だ。


 俺は杉内の体を見た。動かない体。もう二度と動かない体。無口だった杉内。いつも黙っていた杉内。でも最後には笑顔を見せてくれた。「皆さんと一緒にここまで来れて、良かったです」そう言って笑ってくれた。あの笑顔が、今も目に焼きついている。


 ごめん、杉内。助けられなくてごめん。


 俺は無力だ。ルールの穴を突く戦略、それで生き延びてきた。でもAIはその穴を簡単に塞ぐ。俺にはもう手がない。何もできない。ただ見ているだけだ。仲間が死んでいくのを、ただ見ているだけだ。この無力感が、俺を苦しめる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ