第14話 全員で進め
俺たちは、迷路を進み続けていた。
灰色の壁が、両側に延々と続いている。
薄暗い照明が、通路を照らすだけ。
外の世界とは完全に隔絶された空間。
時間の感覚が、徐々に失われていく。
どれだけ歩いたのか、もう分からない。
足音だけが、壁に反響している。
8人分の足音。重なり合って、不気味なリズムを刻んでいる。
壁の表面には、所々にひび割れがある。
古い施設なのか、それとも演出なのか。
湿った空気が、肌にまとわりつく。
汗が、背中を伝っている。
「次の分岐、左だ」
俺は、ノートを確認しながら指示を出した。
ページをめくるたびに、紙の音が静かに響く。
このノートがなかったら、お前ら全員死んでる。
感謝しろよ——とは言わない。
言わないけど、分かってるよな?
俺がいなきゃ、お前らはここで迷って時間切れで死ぬ。
黒岩が、左の通路に進む。
俺たちも、後に続く。
壁には、「C-4」という文字が刻まれていた。
座標だ。ノートの地図と照らし合わせる。
現在地は、C-4。次は、D-4に進む。
問題ない。正しい方向に進んでいる。
「待て」
黒岩が、また手を上げた。
俺たちは、一斉に足を止める。
「床に、何かある」
黒岩が、床を指差した。
よく見ると、床一面に、白と黒のタイルが敷き詰められている。
チェス盤のような、規則的な模様。
「これは……」
白岩が、眼鏡をクイッと上げた。
床にしゃがみ込んで、タイルをじっと見つめている。
「パターンがある」
「パターン?」
俺は、白岩の隣にしゃがんだ。
ノートを確認する。『数列トラップ:正しい順番で踏め』としか書いてない。具体的な数列は分からない。
「どういうことだ」
「タイルの配置に、規則性がある」
白岩が、指で床をなぞった。
「白、黒、黒、白、黒、白、白、白……これは、何かの数列だ」
「ノートには『数列トラップ』としか書いてねえ。具体的な数列は分からん」
俺は、ノートを白岩に見せた。
「見せろ」
白岩が、ノートを覗き込んだ。
そして、床のタイルを見比べる。
「二進数だ」
白岩が、断言した。
眼鏡の奥の目が、自信に満ちている。
「白が1、黒が0として読むと、1から順番に二進数で並んでいる」
「二進数……?」
俺は、白岩を見た。
「1、10、11、100、101、110……つまり十進数で1、2、3、4、5、6だ。白黒で表すと、白、白黒、白白、白黒黒、白黒白、白白黒……」
白岩が、眼鏡をクイッと上げた。
プログラマーだから、二進数には強いのか。
「プログラミングでは、二進数は基本中の基本だ。コンピュータは0と1でしか考えられないからな」
白岩が、床を見つめながら言った。
「このタイルは、1から順番に二進数を並べているだけだ。規則性さえ分かれば簡単だ」
「お前には簡単かもしれねえけど」
俺は、正直に言った。
「慣れだ」
白岩が、苦笑した。
「ミオ、お前知らなかったのか? 主催者だろ」
俺は、後ろにいるミオに聞いた。
「細かいトラップの設計はAIに任せてたの! 私は大枠しか決めてないんだから!」
ミオが、顔を赤くして言い返した。
ポンコツ主催者め。
「つまり、白いタイルを踏めばいいのか」
「いや」
白岩が、首を横に振った。
真剣な表情に戻っている。
「恐らく、正しいパターンで踏まなければならない。順番を間違えたら、トラップが作動する」
「面倒くせえ……」
俺は、ため息をついた。
なんで、迷路でこんな数学の問題を解かされなきゃいけないんだ。
「じゃあ、お前が先導しろ。二進数の順番で進め」
「了解」
白岩が、立ち上がった。
ゆっくりと、慎重に、床のタイルを踏んでいく。
白、白黒、白白、白黒黒……
二進数の順番で、一歩ずつ。
俺たちも、白岩の後に続く。
白岩が踏んだタイルを、そのまま踏んでいく。
誰も喋らない。全員が、足元に集中している。
「ねえ、これ、間違えたらどうなるの?」
ミオが、小さな声で聞いた。
「自分で設計しといて知らねえのかよ」
「だからAIに任せてたって言ってるでしょ!」
「多分、死ぬ」
俺は、前を見たまま答えた。
「ひどい……」
ミオが、震える声で言った。
でも、足は止めない。白岩の後を、必死についてきている。
全員が、無事に床のトラップを通過した。
白岩が最後のタイルを踏んだ瞬間、カチッという音がした。
トラップが解除された音だ。
「評価:10点中9点」
俺は、白岩に向かって言った。
「よくやった」
「お前が俺の真似をするな」
白岩が、苦笑した。
俺たちは、さらに奥へ進んだ。
通路は、徐々に狭くなっていく。
壁が、近づいてきているような気がする。
「待て」
黒岩が、また止まった。
「前方に、霧が出ている」
黒岩が、前方を指差した。
確かに、通路の奥から、白い霧が漂ってきている。
不自然な霧だ。自然現象ではない。
「毒ガスか」
白岩が、眼鏡をクイッと上げた。
「迂回した方がいい」
「ああ」
俺は、ノートを確認した。
ここは、B-3地点。毒ガス部屋だ。ノートに書いてあった通りだ。
迂回路がある。C-2から回り込める。
「戻るぞ。C-2から回り込む」
俺たちは、来た道を戻り始めた。
毒ガスを浴びるわけにはいかない。
「はぁ……はぁ……」
背後から、荒い息遣いが聞こえた。
振り返ると、山田が杖を突きながら、必死についてきている。
顔は真っ赤で、汗が滝のように流れている。
「山田さん、大丈夫ですか」
佐藤が、山田の腕を支えた。
「すまんのう……足が……もう……」
山田が、苦しそうに言った。
完全に限界が近い。
「少し休憩するか」
俺は、言った。
「いや……時間が……」
山田が、首を横に振った。
「皆に迷惑を……かけられん……」
「無理するな」
黒岩が、山田の方を向いた。
「休憩は必要だ。倒れたら、もっと迷惑がかかる」
「でも……」
山田は、まだ遠慮していた。
老人の頑固さだ。他人に迷惑をかけたくないという、プライド。
「山田さん、お願いです」
佐藤が、山田を見つめた。
「無理しないでください。私、山田さんを失いたくないんです」
山田の目が、わずかに揺れた。
佐藤の言葉が、心に響いたのだろう。
「……すまんのう」
山田が、小さく頷いた。
俺たちは、その場で立ち止まった。
30秒だけ、休憩する。
山田は、壁に背中をつけて、杖にもたれかかっていた。
時間が、もったいない。
でも、山田が倒れたら、もっと時間をロスする。
老人の体力が、このゲームの最大のネックだ。
「よし、行くぞ」
30秒経って、俺は言った。
山田が、頷いた。まだ息は荒いが、少し顔色が良くなっている。
俺たちは、C-2を経由して、毒ガス部屋を迂回した。
遠回りになったが、安全に通過できた。
さらに進むと、通路が広くなってきた。
ゴールが近い。
「やったな」
俺は、全員の顔を見渡した。
皆、疲れているが、まだ動ける。
黒岩は無表情だが、息は整っている。
白岩は、眼鏡を拭きながら、冷静に周囲を観察している。
灰垣は、糸目をにっこりと細めて、笑顔を保っている。
佐藤は、山田を支えながら、ほっとした表情をしている。
杉内は、相変わらず無口だが、無事だ。
ミオは、赤い瞳を潤ませながら、安堵のため息をついている。
山田は、杖にもたれかかって、荒い息をしている。
「このペースなら、全員でゴールできる」
でも——
山田の体力が、心配だ。
顔が真っ赤で、呼吸が荒い。
最短ルートでも、ギリギリの計算だった。
このペースを維持できるか。
俺は、ノートをポケットにしまった。
残り時間は、あと30分。
ゴールまで、もう少しだ。
全員で、時間内にゴールする。それだけだ。




