第13話 ゲーム4:迷路サバイバル
ゲーム会場に足を踏み入れた瞬間、俺たちの目の前に広がったのは——迷路だった。
高さ3メートルほどの壁が、無数に連なっている。
灰色のコンクリート壁。薄暗い照明。不気味な静けさ。
壁の表面には、苔のような緑色の汚れがこびりついている。湿った空気が、肌にまとわりつく。
入口から見える限りでは、通路は複数の方向に分岐している。どこに何があるか、全く分からない。
天井は見えない。暗闘に沈んでいる。
まるで、巨大な箱の中に閉じ込められたような感覚だ。
『参加者の皆様、ゲーム会場へようこそ』
AIの声が、どこからともなく響いた。
天井のスピーカーからだろうか。それとも、壁に埋め込まれたスピーカーからか。
いつもと同じ、無機質な声。人間味のない、機械的な声。
『それでは、ゲーム4のルールを説明します』
俺たちは、入口の前で立ち止まった。
8人全員が、スピーカーの方を見上げている。
俺、黒岩、白岩、佐藤、山田、杉内、灰垣、ミオ。
全員が、緊張した表情を浮かべていた。
ミオだけが、俺の後ろに隠れるようにして、小さくなっていた。さっきまで「主催者」だった女が、今は一番怯えている。
『ゲーム名:迷路サバイバル』
迷路サバイバル。
ノートに書いてあった通りだ。
『ルールは以下の通りです。参加者は、この迷路を進み、ゴールを目指してください。制限時間は60分です』
60分。
この巨大な迷路を、60分で攻略しなければならない。
『制限時間内にゴールできなかった者は、死亡となります』
時間切れで死亡。
60分以内に全員がゴールできれば、全員生存。間に合わなければ、死ぬ。
『ゴールは自力で通過してください。他者を運んでの通過は禁止です』
自力でゴール。
『ゴールした者は、迷路に戻ることはできません』
一方通行。
ゴールしたら、もう仲間を助けに行けない。
参加者たちの間に、動揺が走った。
佐藤が、小さく悲鳴を上げた。山田は、杖を握りしめている。杉内は、無言で壁を見つめていた。
『禁止事項:他の参加者への直接妨害は禁止です。違反した場合は、即座に処刑されます』
直接妨害は禁止。
つまり、他人を殴ったり、押し倒したりするのは駄目だ。
でも——
『迷路内には、トラップが設置されています。トラップによる負傷・死亡は、ゲームの一部として扱われます』
トラップ。
ノートにも書いてあった。この迷路には、様々なトラップが仕掛けられている。
『話し合い時間は5分です。5分経過後、ゲームを開始します。それでは、話し合いを始めてください』
AIの声が止まると、俺は素早くポケットからノートを取り出した。
背中を壁につけて、他の参加者から見えないようにページをめくる。
ゲーム4:迷路サバイバル。
トラップ配置が、詳細に書かれている。
D-5地点に壁のトラップ。B-3地点に毒ガス。E-7地点に数列トラップ。
そして——
最短ルートなら、全員で協力すれば60分以内にゴールできる。
山田のペースでも、ギリギリ間に合う計算だ。
重要なことが一つある。
「協力」は禁止されていない。
直接妨害は禁止だが、協力は禁止されていない。
つまり——
「楠生さん」
声をかけられて、俺は顔を上げた。
灰垣が、俺の前に立っていた。
糸目の奥の瞳が、俺を見つめている。穏やかな笑顔。でも、何を考えているのか、読めない。
「私も、一緒に行っていいですか?」
「ああ」
俺は、頷いた。
灰垣は看護師だ。医療知識がある。トラップで怪我をした時、役に立つかもしれない。
「灰垣、お前、看護師だったよな」
「はい」
灰垣が、笑顔で答えた。
糸目が、さらに細くなっている。穏やかな笑顔だが、どこか不気味だ。
「看護師歴5年です。救急外来で働いてました」
「救急外来か」
それなら、修羅場には慣れているだろう。
血を見ても動じない。パニックにもならない。
心強い。
「交通事故とか、刺傷とか、色々見てきました」
灰垣が、穏やかな声で言った。
まるで天気の話をするように、軽い口調で。
「だから、多少のことでは動じません」
「……そうか」
俺は、灰垣を見つめた。
この女、見た目は穏やかだが、中身はかなりタフだな。
「あと、私、握力が強いんです」
灰垣が、にっこりと笑った。
「学生時代、握力測定で男子より強かったことがあります。」
「……マジか」
俺は、思わず聞き返した。
黒岩と腕相撲しても、いい勝負になるんじゃないか。
「重いもの持つの、得意なんです」
灰垣は、笑顔のまま言った。
糸目が、さらに細くなっている。
何を考えているのか、本当に分からない女だ。
味方なら心強いが、敵に回したら厄介そうだ。
「全員、聞け」
俺は、参加者たちに向かって言った。
全員が、俺の方を向く。
「バラバラに走るな。全員で固まって進む」
「全員で?」
白岩が、眼鏡をクイッと上げた。
「時間制限があるのに、遅い奴に合わせるのか」
「違う」
俺は、首を横に振った。
「トラップがある。一人で突っ込んだら、引っかかる。協力して進んだ方が、結果的に早い」
ノートには、トラップの配置が書いてある。
でも、トラップを避けるには、複数人の協力が必要な場所もある。
一人で突っ込んでも、トラップに引っかかって時間をロスするだけだ。
「それに、『協力』は禁止されていない」
俺は、続けた。
「直接妨害は禁止だが、協力は禁止されていない。全員で協力して進んで、全員で時間内にゴールすれば——全員生存だ」
「山田さんのペースで、間に合うのか」
白岩が、冷静に言った。
「70歳の足で、60分以内にゴールできるのか」
「……最短ルートなら、ギリギリ間に合う」
俺は、正直に答えた。
ノートにも書いてあった。最短ルートを通れば、山田のペースでも間に合う。
「でも、バラバラに進むよりはマシだ。トラップで足止めを食らって、一人だけ遅れる方が危険だ。全員で進んで、全員で時間内にゴールする」
「最短ルートを知っているのか」
白岩の目が、俺を見つめていた。
鋭い視線。俺の答えを、待っている。
「……その時に考える」
俺は、言った。
正直、最後の2人をどうするか、まだ答えが出ていない。
でも、今はそれを考えている場合じゃない。
「とにかく、まずは全員でゴールを目指す。途中で誰かが脱落したら、その時点で終わりだ」
参加者たちは、黙って俺の話を聞いていた。
反論する者は、いなかった。
園崎がいたら、きっと文句を言っただろう。でも、園崎はもういない。
「黒岩」
俺は、黒岩を見た。
「お前が先頭だ。トラップを見抜いてくれ」
「了解」
黒岩が、短く答えた。
元自衛隊だ。サバイバル知識がある。トラップを見抜く目を持っているはずだ。
「白岩、お前は俺の横だ。何かパターンがあったら、解読してくれ」
「分かった」
白岩が、眼鏡をクイッと上げた。
「灰垣、お前は後方だ。誰か怪我したら、手当てを頼む」
「はい」
灰垣が、笑顔で頷いた。
「佐藤、山田、杉内。お前らは真ん中だ。無理に前に出るな」
「分かりました……」
佐藤が、小さく頷いた。
山田は、杖を握りしめながら、無言で頷いている。
杉内は、相変わらず無口だが、俺の指示を聞いているようだった。
「ミオ」
俺は、ミオを見た。
ミオは、俺の後ろに隠れるようにして立っていた。
赤い瞳が、不安で揺れている。
「お前も真ん中だ。足を引っ張るなよ」
「私、運動苦手なんだけど……」
ミオが、小さな声で言った。
「知らねえよ。遅れたら死ぬぞ」
「ひどい……」
ミオが、頬を膨らませた。
でも、反論はしなかった。
自分が「参加者」になった以上、ゲームに参加するしかないと分かっているのだろう。
『話し合い時間終了。ゲームを開始します』
AIの声が、響いた。
『制限時間は60分です。それでは、スタート』
ブザーが鳴った。
俺たちは、一斉に迷路の中へ駆け出した。
黒岩が先頭を走る。
元自衛隊の体力だ。息一つ乱さず、安定したペースで進んでいく。
その後ろに、俺と白岩。
真ん中に、佐藤、山田、杉内、ミオ。
最後尾に、灰垣。
8人が一団となって、迷路を進んでいく。
灰色の壁が、俺たちの両側にそびえている。
薄暗い照明が、通路を照らしている。
足音だけが、壁に反響していた。
誰も喋らない。全員が、自分の足元に集中している。
「右だ」
黒岩が、最初の分岐点で指示を出した。
俺たちは、右の通路に進む。
壁には、薄く「A-1」という文字が刻まれていた。
座標だ。ノートに書いてある地図と、一致する。
「待て」
黒岩が、手を上げて止まった。
俺たちも、一斉に足を止める。
全員の息が、一瞬止まった。
「床に、何かある」
黒岩が、床を指差した。
よく見ると、床の一部が、わずかに色が違っている。
プレートのような、四角い部分。
周囲の床よりも、わずかに高くなっている。
「圧力センサーか」
白岩が、眼鏡をクイッと上げた。
しゃがみ込んで、プレートを観察している。
「踏んだら、何か作動するんだろう。壁から槍が出るか、天井が落ちてくるか」
「どっちにしろ、踏んだら死ぬ」
俺は、言った。
「迂回する」
黒岩が、壁際を歩き始めた。
プレートを避けて、壁に背中をつけながら進む。
俺たちも、黒岩に続いて壁際を進む。
一人ずつ、慎重に。
「足元、気をつけて」
灰垣が、後方から声をかけた。
佐藤の手を取って、支えながら進んでいる。
一人だったら、気づかずに踏んでいたかもしれない。
黒岩がいてよかった。
全員で進む意味が、ここにある。
「楠生さん」
灰垣が、後ろから声をかけてきた。
「山田さん、少し遅れてます」
「……分かった」
俺は、振り返った。
山田が、杖をつきながら、必死についてきている。
息が荒い。顔が赤くなっている。
老人の体力が、ネックだ。
「山田さん、大丈夫ですか」
佐藤が、心配そうに山田に声をかけた。
山田の腕を支えながら、一緒に歩いている。
「すまんのう……足が……」
山田が、苦しそうに言った。
杖を握る手が、震えている。
額には、汗が滲んでいた。
70歳を超えた老人にとって、この迷路を走るのは、かなりの負担だろう。
「無理しないでください」
佐藤が、優しく言った。
「ゆっくり行きましょう」
「でも、時間が……」
「大丈夫です。まだ時間はあります」
佐藤は、山田を励ましながら、ゆっくりと歩いていた。
この二人は、いつの間にか絆ができているようだ。
田中が山田のために死んでから、佐藤が山田を支えている。
「ペースを落とす」
俺は、前方の黒岩に向かって言った。
「山田が遅れてる。少し速度を下げろ」
「了解」
黒岩が、頷いた。
ペースが、少し落ちる。
でも、あまり遅くもできない。
制限時間は60分。
全員でゴールするには、ある程度のペースを維持しなければならない。
山田の体力が、このゲームの最大のネックだ。
俺は、ノートを確認した。
現在地は、B-2付近。
次のトラップは、B-3の毒ガス部屋。
迂回路がある。C-2から回り込めば、避けられる。
「黒岩、次の分岐を左だ。右は毒ガス部屋がある」
「了解」
黒岩が、頷いた。
俺の指示に、疑問を挟まない。信頼してくれている。
俺たちは、左の通路に進んだ。
迂回路は、少し遠回りになる。でも、毒ガスを浴びるよりはマシだ。
俺たちは、迷路を進み続けた。
黒岩がトラップを見抜き、白岩がパターンを解読し、俺がノートで道を確認する。
8人が一団となって、ゴールを目指す。
通路は複雑に入り組んでいた。
右に曲がり、左に曲がり、また右に曲がる。
方向感覚が、徐々に失われていく。
ノートがなければ、とっくに迷っていただろう。
「ここ、さっき通った?」
ミオが、不安そうに言った。
「通ってない。似てるだけだ」
俺は、短く答えた。
迷路の壁は、どこも同じ灰色だ。目印がない。
だから、ノートの地図が頼りになる。
「黒岩、次は右だ。E-4を経由して、D-5に向かう」
「了解」
黒岩が、右の通路に進んだ。
俺たちも、後に続く。
足音が、壁に反響している。
8人分の足音。重なり合って、不気味な音を立てている。
残り時間は、まだ50分以上ある。
このペースなら、全員でゴールできるはずだ。
でも——
山田の体力が、心配だ。
最短ルートでも、60分ギリギリ。
トラブルがあれば、間に合わなくなる。
ノートには、攻略法が書いてある。でも、想定外のことが起きたら——。
全員を救う方法。
誰も死なせない方法。
それは、全員で協力して、全員で時間内にゴールすること。
田中のように。園崎のように。誰かを犠牲にしてはいけない。
俺は、前を見つめながら、考えていた。
今のところ、順調だ。
でも、油断はできない。
ゲーム4:迷路サバイバル。
まだ、始まったばかりだ。




