番外編 頭上の花
ある日のケンジ。
突然、今度は人の頭の上に花が見えるようになった。
道行く人々の頭上に、それぞれ違う花が咲いていた。
大輪のものも、小さなものも、色とりどりに揺れている。
子供の頭上には瑞々しい蕾、老夫婦には寄り添うように並んだ花。
(なんだこれ……)
出勤しながら観察していると、ひとつの法則が見えてきた気がした。穏やかそうな人間ほど、花が綺麗だ。
執務室のドアを開けた瞬間、ケンジは思わず立ち止まった。
イーゴリの頭上に、花があった。
腐っていた。
どす黒く変色した花びらが垂れ下がり、どんよりとした瘴気をまとっている。
それでいて——時々、禍々しく大きく開くのだ。まるで何かに怒り狂うように。
「なんだ、突っ立って」
イーゴリが書類から顔を上げた。いつもの金色の瞳がこちらを見る。
「…いえ」
言えるわけがなかった。
※
気になって、騎士団の面々を観察して回ることにした。
レオニードの頭上——何もなかった。
花どころか、茎も葉もない。ただ、何もない。
(……そうか)
何も聞けなかった。
ナターリヤの頭上には大輪の花が誇らしげに咲いていた。アレクサンドルも同じだ。兄妹揃って、堂々とした大輪。
(育ちがいいってこういうことか……)
オレグの頭上には、真っ直ぐに咲いた花。清潔で、迷いがない。
「………なんですか」
じっと見ていたら気づかれた。
「いえ、綺麗な花だなと」
「………は?」
「なんでもない」
ルカの花も綺麗に咲いていた。生真面目な男らしく、整った花だった。
イワンは——蕾だった。
まだ開いていない。これから何かが変わるのか、それとも開かないまま終わるのか。
※
最後に、ヴェーラのところへ向かった。
彼女は静かに書類を整えていた。銀髪が窓から差し込む光を受けて、柔らかく揺れている。
ケンジはその頭上を見た。
何もなかった。
花も、茎も、葉も。レオニードとは違う「無」だった。
あちらは最初からそういう人間の「無」だとしたら、ヴェーラのそれは——失った「無」だった。
「ケンジ?」
ヴェーラが顔を上げた。いつもの無表情。でもその目には、確かな温度がある。
「……なんでもないです」
ケンジは静かに微笑んで、視線を逸らした。
※
その日の午後、王宮への報告業務でケンジは王太子・ミハイル殿下の執務室へ赴いた。
扉を開けた瞬間——。
(ひぃぃぃーーー!?)
心の中で絶叫した。
ミハイルの頭上に咲く花は、イーゴリの腐った花とは比べものにならなかった。
巨大で、黒く、どす黒い瘴気を撒き散らし——そして、口がついていた。ぱくぱくと動いている。明らかに何かを喰おうとしている。
(人喰い花!?口が動いてる!?変な匂いまでしてる!?)
ガタガタと震えながらも、表情だけは必死に平静を保つ。
「サトウ書記官。報告書を」
ミハイルの声は穏やかだった。整った顔立ち、優雅な所作。誰もが頭を垂れる王太子殿下。
(でも頭の上が……!)
その時、扉が開いてポリーナが入ってきた。
明るく可憐な花が、ぽわりと頭上に咲いている。
(ポリーナ王女の花が綺麗すぎて余計に怖い……!)
無邪気に微笑むポリーナの隣で、人喰い花がぱくぱくと口を動かしている。
(なんでこんな組み合わせに……!)
ケンジは書類を渡しながら、ふと思った。
イーゴリの腐った花と、ミハイルの人喰い花。
二人は似ている、と騎士団ではよく言われる。確かに、どちらも普通ではない花だ。
だが——決定的に違うことがある。
イーゴリの花は腐りながらも、時々開く。
死んでいない。まだ、何かを求めている。
ミハイルの花は——喰う。
(似てるけど、全然違う……)
ケンジは青い顔のまま一礼し、足早に執務室を後にした。
廊下に出て、大きく息を吐く。
そしてふと、腐った花の団長のことを思った。
あの花は、いつか変わるだろうか。
腐ったままでも——実をつける日が来るだろうか。
答えは分からないまま、ケンジは王宮の長い廊下を歩いていった。
何の関係を示す花かはあえて書きません。
ご想像にお任せします。




