2.女神の泉へ。そこで明かされる、恐ろしいこと
ケンジの良さは、鋭い思考であり
恐ろしいとこでもある
(……この人は本当に、穏やかで純粋で優しい。…俺が一方的に、昨日…抱こうとしたのに)
ケンジは喉を鳴らし、ごくりと息を呑む。
やはり、軽い気持ちで触れていい人では無いと思った。
手に入れたい気持ちはある。
しかし、あまりにまだ彼女のことを知らないことが多すぎるのだ。
そして、ヴェーラの心の中にはイーゴリがいた。
二人の深い絆を知れば知るほど、この気持ちが成就しないのではないかと思わされた。
ケンジは慎重に言葉を選んだ。
「……あの。お父さまは……ご病気だったんですか?急だったと聞いたんですけど」
ヴェーラはしばらく沈黙していたが、やがて小さく首を振った。
「それがね……」
そこからの言葉は、ケンジが想像していたどんな答えよりも重かった。
「イーゴリが駆けつけたときには……誰かと格闘して……亡くなってたって。
女神の泉の近くで刺されて……そのまま」
ケンジの背筋に、冷たいものが走った。
格闘。
刺殺。
女神の泉。
(待てよ…それが“事故”みたいに処理されたってこと…?
そんな不自然な死、団長が黙ってるわけないだろ?
あの男は感情の起伏が激しいクセに、怒りだけは異常に冷静になるタイプだ)
ケンジは団長――イーゴリを思い浮かべた。
軽く笑って冗談を飛ばしながらも、決して見落としをしない鋭い目。
どんな情報も逃さず、部下の癖すら覚える執念深さ。
(そんなやつが……恩人を殺されて、何も調べずに今までそのままにした?
そんなわけ……ない)
ケンジは、わざと軽く探りを入れるように言った。
「……団長は、ヴェーラさんのお父さまの死について……
殺した相手を許せないって、怒り狂ったりしてませんでしたか?」
ヴェーラは、不思議そうに目を瞬いた。
「怒ったり……?は、していなかったわ。
ただ、すごくショックだったみたいで、葬儀が終わったあとも、あまりその話しはしなかったと思う」
「………」
「私も、そのあたりは辛くてあまり覚えてないけど……葬儀のときとちょっと泣いて、それからはずっと黙ってた」
ケンジの胸が、ドクンと跳ねた。
(不審死に対して何もしなかった?
あの男が……?
あの恐ろしく頭のいい団長が?放置した?)
奥歯を噛みしめる。
心に、小さな疑念が刺さる。
いや、疑念じゃない。
恐怖だった。
(……おかしい。
なにか、俺の知らない“もうひとつの真実”がある)
泉で刺され、格闘し、死んだ男。
そして、調査もせず、ただ保護者となってヴェーラを抱えたまま王都へ登った男。
ケンジは、一瞬だけぞくりと震えた。
(……これ、本当に“事件”だったのか?
それとも――)
ヴェーラは気づかない。
とても、イーゴリを悪く言いたくない気持ちがありありと伝わる。
ケンジは何も言えなかった。
ただ、静かに頷いただけだった。
(……団長。
あんた……ヴェーラさんの父親との間に、何があったんだ?)
※
「あの…女神の泉って近くですか?」
「え…?うん。ここから歩いて、15分くらいだけど」
嫌な予感を断ち切りたい気持ちもあり、ケンジは実際にヴェーラの父親が亡くなった場所へ行くべだと思った。
しかし、大切な人を亡くした場所へヴェーラが行くことに抵抗があるかもしれない。
どうやってその場所へ行きたいと伝えるべきかと思案した。
すると、ヴェーラが「護符が欲しいの?」と無邪気に聞いてきた。
「え…?あ…はい」
とりあえず乗ってみる。
「なんだか嬉しい。効き目すごくあるから、ケンジも欲しいのかって思って…」
「ちなみに、どんなにご利益が?」
「いろいろあるけど、無病息災とか治癒とか。あと、恋愛成就とか…」
(あ、それは欲しい)
「じゃあ、俺…ヴェーラさんと恋愛成就で欲しいので連れて行ってください!」
素直に言うと、きょとんとしたヴェーラがしばらくした後に微笑んで頬を赤くしてくれた。
脈はあるのか…ないのか…
しかし、昨日のことがあったからか、距離は縮まっている。
「…団長には、負けたくないので…っ」
ヴェーラより赤面し、なんとか呻いて補足した。
※
泉は洞窟内にあり、美しい青い光を放って枯渇することなく湧き出ていた。
美しい幻想的な光景とともに、泉の周りには祈りの祭壇と祈りをささげた小さな蝋燭が囲っている。
護符はこの泉の先の小さな神殿で、売られているようだった。
「…お祈りする?」
ヴェーラは入り口でもらってきた2本のうち1本をケンジに渡して言った。
しゃがみ込み祭壇にろうそくの火を灯して祈りをささげるしぐさは、慣れている感じがした。
(…昔からやってたのかな?)
南部出身のヴェーラにとってここの信仰は生活の一部になっていたようだ。
イーゴリもここで祈りを捧げていたのだろうか?
周りを見渡し、ケンジは祈るヴェーラの横で、静かに泉の空気を吸い込んだ。
澄んでいるようで、どこか湿った匂いが混じる――長年、何かを吸い込んできた場所特有の気配。
ふと、燃え尽きた蝋燭のまわりを、腰の曲がった年老いた神官が
こびりつくロウをナイフで削り取っているのに気づいた。
袋の中には、削り集めたロウの塊がいくつも沈んでいる。
「……ああ、くそ。まただ」
しゃがんだままの老人が、低く悪態をつく。
「毎回毎回……ルールもへったくれもありゃしない」
気になったケンジは、声をかけた。
「どうかされたんですか?」
老人は、ぎょろりとした鋭い目だけをこちらに向けた。
八十を超えているであろう、枯れ木のような身体。
「東方の者か。珍しいな。……見れば分かるだろう」
手にしたロウの塊を、苛立ったように揺らす。
「最近な、ここで“紙”を燃やすやつが増えてんだよ」
「紙……?」
「そうだ。願い事を書いた紙か、
それとも……読まれたら困る“文”か。
どっちにしても、ロウが汚れるんだ。困ったもんだ」
そこで、神官は周囲を一度見回し、声を潜めた。
「……本来、あそこは“願いを書く場所”じゃない。
昔から、南部じゃ“違う使い方”をする奴がいた」
ケンジの眉がぴくりと動く。
老人は続けた。
「隣国に逃げたい連中がな……
決められた暗号を書いて、祭壇の下に挟むんだ。
“いつ・どこで・誰を連れていけ”……そういう合図だよ」
ケンジは一瞬、息をのんだ。
「亡命の、連絡手段……?」
「ま、恋文も混ざってるから紛れるがな。
燃やすのは証拠隠しだろうよ。
燃やしたロウの始末をするこっちはたまったもんじゃねぇ」
老人は皮肉めいた笑みを見せた。
「……三年前も、似たような紙がいくつか出てな」
「三年前……?」
「詳しくは言わん。だが――
“誰かが、消された”と噂になってたよ。
泉のそばだったな。確か」
すぐ横で祈り続けるヴェーラ。
その肩の震えに気づく前に、ケンジの背筋には冷たいものが走っていた。
この話もかなり早い段階で書き終えていたので挙げられて満足です




