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女神の護符  作者: のはな
第六章 南部編
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11.子供だった僕らが恋を知るまで

 ヴェーラの父、ボリスはしばらく娘とイーゴリを観察して見守ることにした。

 年は3つ違うが、10代での3歳差は子供と大人の境界線をまたぐ際にはかなりの差を生じさせる。


 多感な思春期真っ只中のイーゴリは、家に来た頃は警戒心が高く、大人からおもちゃにされていた経験もあったので、ほぼ野良猫のようにヴェーラと距離を作って観察していた。


 だが、ヴェーラの無垢で嘘のない性格が分かり、一ヶ月後には警戒心はだいぶ薄れていた。


 親の自分が言うのはなんだが、ヴェーラは素直でまっすぐに育っている。


 イーゴリの事を初めはおっかなビックリに接していたが、根が優しいのに気付くと兄のように慕い始めた。


 特に勉強を教えてもらったのが、大きかったのだろう。


 イーゴリの頭脳の高さは、目を見張るものがあった。


 ヴェーラの学校の勉強を確認するなり、問われている事の答えを出題者の意図を汲んで説明し、的確に答えを伝える。


 しかし、すべて教えればヴェーラのためにならないこともわかり、説明は一度きり。

 考えさせて、解かせる。


 不器用ながらも優しく教えてくれるイーゴリの雰囲気に、この頃から「怖くない」と思ったようだ。


 気がつけば、イーゴリの手を引いて休みの日はヴェーラから外へ遊びに出かけている。



 半年もすれば、イーゴリはヴェーラに穏やかに笑うようになっていた。


 兄と妹のように手を引いて連れ添う2人に、子供特有の無垢で何の駆け引きもない純粋な関係を見た。


 だからこそ、家族として女神の護符を2人に買い与えた。

 永遠に、慕い合う関係を願って。



 ※


(うーむ…どうしたものか)



 ボリスは、16歳になったイーゴリを第七騎士団の騎兵へと昇格させた。

 多くの騎士がいる中で騎馬を許されるのは、ほんの一握りのエリート精鋭のみだ。


 イーゴリの成長は目覚ましかった。


 身長はすでに180センチを超え、筋肉量は14歳の頃と比べてほぼ倍。体の厚みがまるで違う。堂々たる体躯を備え始めた。


 馬上で整列し、騎士団の最前列で敵を前に一切の感情を見せずに睨みを利かせる姿は、もはや子供の片鱗を残していない。


 おそらく、このまま騎士として戦闘に特化していく道を選んでも大成することだろう。


 しかし、ただの戦う騎士だけにとどめておくには…イーゴリは頭が良すぎた。


 出される指示に対して、先を読む力があるためか、納得がいかないと顔を引きつらせてすぐに質問する。


 そこはまだ子供だ。


 少しムキになり、なぜそんな策で行くのか?

 別のやり方を行えば、もっと上手くやれるなど理路整然と発言し、反論できないほど隙なくやり返す。


 当然ながら、イーゴリの上司はこの反抗的にも見える態度に、苛立つ。


 いじめられはしなくなったが、頭でっかちの可愛くない男と言われるのは致し方ない態度だった。



 この頃のイーゴリは特にイライラしていた。



 それは、ヴェーラに対する態度にもあらわれていた。



 夕食を終え、ヴェーラがせっせと食器を拭いて食器棚に戻している。

 イーゴリは手伝いもせず、居間で黙々と好きな本を読みくつろいでいた。


 昔は手伝っていたはずだ。

 しかし、今は声をかけられるまでヴェーラのそばに寄り付きもしない。



「イーゴリ!」


 何度か声をかけたヴェーラは、片付けたいグラタン皿を持って少年の近くまで来ていた。


 イーゴリはわかりやすく無視していたが、寄ってきたヴェーラをようやく目で確認する。


「聞こえてるよね?」


「…一人でやれよ。台があるだろ?」

「台に乗っても、届かない所があるの!ちょっとだけ手伝ってよ」


 めったに出さないグラタン皿を、台所の一番高い定位置の戸棚にしまいたい。


 イーゴリはヴェーラよりも30センチ以上高い背丈で、簡単に戸棚を開けてやった。


 しかし、グラタン皿は受け取らずに台の上に乗ったヴェーラに目で「自分でやれ」と見てくる。



 意地悪にヴェーラは口を尖らせた。



 そのまま、背伸びをして皿を片付けるヴェーラの背中を見つめたイーゴリは…


 ツン

 


「…っひゃ!?」



 腰のあたりを指で突いたイーゴリに、ヴェーラは大きく体を跳ねさせた。


 顔を真っ赤にさせ、イーゴリのいたずらに「何!?」と叫んだ。


 しかし、イーゴリは目も合わせず明後日の方向を見て、ニヤニヤしている。


「なんだ?変な声だして」

「今、ツンってしたから…!」


 イーゴリが、ふっと目を細めてヴェーラの背中を眺める。

 その視線は、明らかに“何かを試したい男の顔”だ。


「これか?」


 指先が、背中から腰へ――ゆっくり“ツーッ”となぞる。


「ひゃうん!?……っ」


 くすぐったさに体が跳ねて、ヴェーラは思わず声を漏らしてしまった。


「や、やめてぇ!!」


 怒りと恥ずかしさがぐちゃぐちゃになって叫ぶヴェーラに、イーゴリは平然と、


「弱すぎじゃね?」


 と悪びれもなく言ってのける。


「あと、ここな?」


 今度は耳の外側から、うなじへ――

 細い線を描くように指を滑らせる。


「きゃ…う!?……っ」


 さっきより甘い声がこぼれて、ヴェーラ自身もびっくりして口を押さえた。


 一部始終を見守っていたボリスは、思わず頭を抱える。


(待て……?待て待て待て待て……!?)


 お互いを兄妹のように慕う“純粋で innocent な関係”……

 そのつもりで見守ってきた。

 だが今のイーゴリの触り方は――


 完全に“女の子の反応を楽しむ男の触り方”だ。


 しかもニヤニヤしている。

 悪戯ではなく、無自覚な独占欲と興味がにじんでいる。


(好きなのか…?気づいてねぇだけか……?)


 ヴェーラが真っ赤になって訴えても、イーゴリは無視して再び本を開いて読むふりをしている。

 しかし耳が赤い。


 ボリスは親として、じわりと変な汗が背中をつたっていくのを感じた。


 普段はツンとした態度のイーゴリだったが、この小さないたずらだけは、その後も時々続いた。


 ※


 イーゴリがボリスたちと家族のように暮らしをはじめて二年ほど経った冬。

 朝になると霜が降り、踏みしめるたびにザク、ザクと乾いた音が鳴る。


 朝の郵便確認は、すっかりイーゴリの仕事になっていた。


 まだ薄闇の残る草原には、ぽつりぽつりと他の家の煙突から朝餉の湯気が立ちのぼっている。

 その上に、赤と紫が混ざり合う空から、ゆっくりと太陽が昇ってくる。


 ――凍てついた夜を溶かし、大地に命を吹き返すような朝焼け。


 イーゴリは、いつものようにその光景を眺めながら歩く。

 王都へと続く遠い地平線は、まだ暗い。


 庭のはずれにあるポストの中身は、今日も新聞だけだった。


 胸の奥に、かすかに残る。

 毎朝、どうしても消えない “ある期待”。


 だが、それはいつも簡単に打ち砕かれる。


 新聞を無言でつかむと、イーゴリは足早に家へ戻った。


(くだらねぇ……何を期待してんだ、俺)


 両親からの手紙を待つような甘い気持ちが、まだ自分のどこかにあることに気づいて、

 イーゴリはひとり、苦く笑った。



 家へ戻ると、そこは何時もの朝とは違いどこにも火が点っていなかった。


 ヴェーラが起きて居ないからだ。


 いつものように暖炉を暖め、朝食の準備をする者がいない。


 冷え切った家の中に寂しさを感じ、イーゴリはゆっくりと暖炉の薪をくべ直して火を起こした。



 赤々と燃える暖炉の次に、ストーブと一体となったコンロで湯を沸かす。


 ヴェーラが起きてこないのには、理由があった。



『お腹痛い…ご飯食べたくない』



 昨夜事が脳裏をよぎる。

 青い顔でベットにうずくまり、ヴェーラは涙を目ににじませていた。


 始めは、ヴェーラですら身体の急変の意味が分かっていないようだった。


 学校から帰るなり腹痛と気だるさを訴え、そのまま私室で動けなくなって眠る。


 目が覚めたのは、帰宅したイーゴリの物音に気づきすっかり日も落ちた頃だった。


 起き上がったヴェーラは、そこで下半身に違和感を覚え、火を灯したランプの下で初めて事を理解した。



『ヴェーラ?』


 家のどこにも灯りがない異変に気づき、イーゴリが声をかけたのは必然だった。

 いつの間にか下の洗面所へ降りてきていたヴェーラの気配に、そのまま扉を開けようとすると…


『や、やめて!開けないで…!汚いから』



 悲鳴のような声が聞こえ、必至に訴える洗面所で水の流れる音が聞こえる。


 扉を上げる直前で踏みとどまったイーゴリは、中で小さく泣く声も同時に聞いた。


 そして、扉の前の床に僅かに残った血痕を見て、ギクリとする。


(怪我…?血を洗ってるのか?)


 しかし、汚いと言った言葉でそれは違和感となる。

 

 最悪なことに、その夜のボリスは夜勤でかえってこない予定だった。



『…どうした?』


『あっち行って』


 何時もの様子とはまるで違う情緒不安定な泣き声に、何が起きたか察したイーゴリはそれが確信に変わった。


 知識だけはあった。

 それと同時に、何かしてやりたいと思いドア越しに声をかける。



『…大丈夫だ、落ち着け。中には入らねぇから。

 何か持ってきて欲しいもんとか、出来ることがあるなら、言え』


 冷静に言ったつもりだったが、イーゴリの声もかすかに震える。

 この家には大人の女が不在で、何が正解なのかは分からなかった。


 ヴェーラはしばらく答えず泣いていたが、その後すぐに小さな声で


『パジャマ』と『タンスの中のさらし』とだけお願いした。

 

 13歳と遅めの初潮だったせいで、周りからも心配され、事前に準備だけはしていたのだ。


 体も小さく華奢だったせいで、大人の女へ成熟するのも遅かったようだ。


 ヴェーラのお願いを受け止め、イーゴリはその2つを届けると、あとはひたすら扉の前で出てくるのを心配して待った。


 時間にして30分もかかっていなかったはずだが、ようやくドアを開けて出てきたヴェーラの青白い顔を見て息が詰まる。


 ふらふらして床に腰を下ろしたヴェーラの姿に、衝動的にそのまま抱き上げた。


『え…!?』


 身体の大きくなったイーゴリにとって、ヴェーラの身体は羽みたいに軽く薄かった。

 ヴェーラの手は氷のように冷たかった。


『冷えてる。来い』


 ヴェーラの部屋へ連れて行くと、毛布を身体にかぶせてやりグルグル巻きにしてから熱々のお茶を運んで飲ませた。

 どうしたらいいのか分からなかったが、女は冷やしてはいけないと聞いたことはあった。


 ヴェーラはいつ無く真剣な目で自分に無言で優しいイーゴリを見ながら、自然と泣いた。

 不器用ながらも、自分を思ってくれる優しさ。


 そして、あえて何も言わないで居てくれた事で、初めて自分の身体が大人の女になったことを受け止める余白が持てたような気がした。



『・・・ありがとう。お母さんみたい』


『ふざけんな』


 出てきた言葉に苦笑してそんな憎まれ口をたたく。


 眉をわざと下げて不服そうに笑うイーゴリの顔を見て、生涯この時のことは忘れられないと思った。




 ああ、そうだ・・・きっと一生忘れられない。


 たとえ、誰か別の人を好きになったとしても。


 そして、イーゴリが自分以外の女を抱いていたとしても。


 ヴェーラの心の中にイーゴリが居て、そこから出て行ってくれることは決して無いはずだ。


 そんな、簡単に忘れられる存在なんかじゃない。


 簡単にいなくなってくれたら、どんなにいいだろう。


 どんなに、楽になるだろう・・・。


 あんな、強烈な男を忘れられたら


 ※



 規則正しい列車の走る音と共に、車掌のアナウンスが揺れる中響いていた。


 ヴェーラは眠りから覚醒し、座って寝ていたせいで少し堅くなった身体をゆっくりと起こした。


 長いようで、短い夢を見ていたような気がした。


 列車が終点に近づいている。まばらな乗客の気配が荷台から降車の準備をして始めていた。


 寝ぼけ眼で隣を見ると、ほんの少しだけヴェーラの肩に寄りかかるようにしてケンジも眠っていた。


 イーゴリは居眠りをするとなぜか眉間にしわを寄せ、腕を組んで何かから守るようなポーズが多い。


 しかし、目の前のケンジは穏やかそのもの顔だった。

 腕もそのままだらっと下げて無防備。


 子供みたいな寝姿に、警戒心が強いイーゴリとの差が顕著で笑ってしまった。




 ケンジも夢を見ていた。



『ーーーそのへんの安っぽい女みてぇに扱ったら許さねぇ。

 分かった上で、手を出せ。』



 あの低くてよく通る声で何度も釘を差されるみたいに、はっきりと聞こえた。



 その瞬間、身体が一度ガクンと下へ落ちたみたいな感覚に陥り、覚醒した。


 目を覚ますと、慌ただしい車内で乗客が上の荷台から荷物を降ろしている。


 終点。


 南部の中心都市、ユーシュヌイ・ポールト

 


「ケンジ。着いたよ?」


 見れば、ヴェーラが荷物をいつの間にか降ろしてもう通路にいる。

 


「え…あ!?す、すみません!!高いところから荷物降ろすの俺のほうがいいのに…!」


 いつの間に眠っていたのだろうか。

 慌てて立ち上がると、ヴェーラがそっと差し出したハンカチで口元をポンポンと拭った。


 近い距離とその仕草に固まると、一言


 

「よだれ、たれてる」


 悲鳴を上げて袖でぬぐうが、あとのまつりだった。


  ヴェーラはそんなケンジを見てもいつもと変わらず、淡々と「もう綺麗だから大丈夫」と動じない。



 外はすでに夕日をたたえた空の色をしていて、駅のホームからは広大な平原がみてとれた。


 終点にもかかわらず、遅い時刻のためか駅には人がまばらである。


 南部の平原とその奥に見える海の水平線は、すべて夕やみのいろに染まり、赤く色を放つ。


 当たり前だが、王都よりもだいぶ田舎で何処か大陸の端へやってきたという物寂しさに溢れた光景だった。



 だが…



「綺麗な…ところですね」


 ポツリとそんな感想を述べると、ヴェーラは脚を前へ出してまっすぐに歩きながら「うん」とケンジの顔は見ずに返事をする。

 

 慣れたようにホームの端へ歩くその目には、迷いが無い。



「夏は、海の観光客とかバカンスに来る人もたくさんいるよ。春はちょっと閑散としてるけど…」


  ヴェーラは生まれ育った土地へ帰ってきた事で、少しだけ浮かれていた。


 

 そこでようやく振り返って微笑む。



  「行こう?今日はこのまま馬車で宿まで行くけど、明日は沢山観光も案内するね」



 その笑顔は、ケンジの胸にまたイーゴリの言葉を去来させた。



 誰よりも愛しいと感じるヴェーラの笑みは、安っぽい女みたいに簡単に触れることなど考えられない。



 ただ…


 この旅で、彼女を独占したかった。


 



 



 夢の中でイーゴリを思う…君だとしても。







ようやく南部へ着きました。

ヴェーラとケンジ達のたびはつづきます。


次回の更新は土日どちらかでできたらと、思います

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