4.本採用。そして…
ケンジが騎士団の文官として働き始めてから、一ヶ月がたった。
ルーティンの仕事にも慣れ、上司ウラジミールに頼まれる仕事で分からないことはほとんどなくなる。
彼は毎朝勤務時間前に出勤し、毎日欠かさずメモやマニュアルを確認した。
その甲斐あって、ヴェーラ一人で抱えていた仕事の半分を分担できるようになってしまった。
「ウラジミール。ケンジを雇ったのは大正解だったな」
一ヶ月後、ケンジは試用期間を待たず本採用が決まった。
イーゴリは人当たりも良く、頭の回転も早いケンジをすっかり気に入ってしまったのだ。
ウラジミールは笑顔で研修日誌を手渡した。
「きっと気に入ってくださると思いました。かくゆう、私も気に入ってます」
「はっはっはっ!みんなケンジが大好きなわけだ」
イーゴリは執務室の椅子に背中を預け、目を細める。
「国立大の成績も取り寄せましたが、全てオールAでずば抜けています。そのまま大学に残り研究者になる道もあったようです」
「ふぅん。ケンジは書記官以外には興味がないのか?なかなか稀に見る人材だが」
「どうでしょうねぇ。今は仕事に夢中のようですから」
その後、ケンジを執務室に呼び寄せて本採用を伝えた。
残り二ヶ月あったはずの研修がなくなったことに彼は驚いたが、すぐに頭を下げる。
「ありがとうございます!さらに精進します!」
イーゴリたちは笑顔で拍手までして歓迎してくれた。
あまりにも温かい職場に恵まれたことに、ケンジは心から感謝した。
※
「いやー…お前が、メイドに手を出す俺に笛を吹いて取り締まった時は、正直、殺してやろうかと思ったがな」
「物騒すぎませんか!?」
イーゴリはにやにやと笑う。だが職務中のスリルが味わえず、三日ほどはケンジをいじめてイライラを晴らしていたのだった。
「いやいや、そういうことは職場でやるんじゃなくて、恋人とかプライベートでお願いします!団長ならそういう人の一人や二人…」
言いながら、ケンジは無意識にヴェーラの方を見てしまう。
彼女がイーゴリに手を出されていないか、心配している自分に気づいたのだ。
(相変わらず顔色一つ変えないなぁ…なんで団長が編み出すセクハラ空間で平然としていられるんだ?)
仕事中でも所構わず女性にちょっかいを出すイーゴリを取り締まったのは、結局ヴェーラのためだった。
「はっはっはっ!恋人か!いや、俺は恋人はいらんが、せふ──」
「だから!そういうのを職場で当たり前に言わないでください!」
真っ赤になって笛を吹くと、イーゴリが肩をつかみ笑顔で関節技を決め始める。
もはやめちゃくちゃだが、この掛け合いにもケンジは少しずつ慣れ始めていた。
「ヴェーラ」
関節技で楽しくケンジをいじめ終わったイーゴリは、いつものように彼女の名前を連呼して手招きをした。
「ん?仕事はある程度終わったんだろ?茶でも用意してくれ」
目を細め子供に言って聞かせるように話しかけ、無表情のヴェーラから仕事の進捗状況を聞いている。
ただそれだけだというのに、イーゴリからは柔らかな雰囲気が醸し出され、目は片時もヴェーラから離さない。
(…これだよ、これ。この感じ)
ケンジはこの一ヶ月、イーゴリ達と共にいて分かったことがある。
(この人…めちゃくちゃヴェーラさんに、甘い!!!)
たとえば仕事のミスを見つけても、 「どうした? 疲れてるのか?」と労うだけ。
大きな荷物を持っていれば、無言で奪い取るか、ケンジに「おい代われ」と丸投げ。
買い物に行かせれば、帰ってきた時に飴玉や甘いお菓子を渡して「よくやった」と褒める
姿が見えなくなると、表向きは平然を装いながら目で探しまわり──戻ってくれば「ヴェーラ」と呼び出し、しばらく自室に置いておく。
(これはもう……)
「団長って、ヴェーラさんのほぼお母さんですよね……」
「はっはっはっ!産んだ覚えはないな。種付けならありえるが」
「やめてください!!」
ケンジが真っ赤になって笛を吹けば、イーゴリはいつものように飄々と笑うだけだ。 自覚はあるのかないのか、甘やかしは一向にやむ気配がなかった。
※
そんなある日のこと。 執務机に肘をついたイーゴリが、唐突に言い出した。
「ケンジ。そろそろ他の騎士団と交流してみろ」
「……え?」
ケンジはきょとんとした。 これまでの一か月、第二騎士団の仕事に追われ、他の団とはほとんど接点がなかったのだ。
「俺があそこにいくと、居心地が悪くなるんでな。かわりにお前がヴェーラと交渉しに行ってほしいことがあるんだが」
イーゴリが言う「あそこ」とは、第一騎士団。 王宮の中に館を持ち、幹部たちはそこに住み込む。 戦場では他の団の三倍の戦果をあげる、絶対的なエリート集団──。
(うわ……そんなところに俺が……?)
本来なら尻込みすべき状況なのだが。
「……ヴェーラと二人で行け」
「あ、はい! もちろんです!」
内容を聞く前に、条件反射で答えてしまった。
(……って俺、なに即答してんだ!?)
「でも、居心地が悪くなるっていうのはなんなんですか?同じ騎士同士なのに」
ケンジが首をかしげると、彼は少し考えた。
「ん? ああ……俺がナターリヤに手を出すのが気に入らんらしいからな。第一騎士団の奴らは俺を見ると、ナターリヤを隠して追い払ってくるんだ」
「……は?」
横で控えていたウラジミールが、さらりと補足する。
「この前はレオニード様と本気で戦って、館を半壊させましたからな」
「アレクサンドルのクソ野郎、修理代請求までしてきやがったぞ」
「ちょっと待ってください! いろんな名前と情報が多すぎて追いつかないです!!」
ケンジは頭を抱えた。
知らない名前が次々と飛び出すし、そもそも話のスケールが大きすぎる。
ただ一つだけは理解できた。
(この人……別の騎士団に行っても女の子に手を出すんだな……)
どこまでもブレないこの男の女好きの精神力に、呆れるよりも感心すら覚えてしまう。ケンジは慌てて聞いた名前をメモに走り書きし、必死に状況を理解しようとした。
※
その時。 「ナターリヤ」という名前を聞いた瞬間、ヴェーラの手から書類がばさりと床に落ちた。室内に乾いた音が響く。
慌てて机の下に潜り込み、散らばった紙を集める。
(いけない…! 動揺したのを悟られたら…)
胸の鼓動が早鐘のように鳴り響き、額に薄い汗がにじむ。
机の陰からそっと3人の方を振り返ると、イーゴリが何事もなかったかのように話を続けていた。
「ナターリヤはアレクサンドルの妹だ。アレクサンドルは第一騎士団の団長で、俺の同期で…」
「はいはいはい。速いけど覚えます。書きます!」
必死にメモを取るケンジの横で、イーゴリは矢継ぎ早にナターリヤの魅力を語る。
その表情は、いつもの飄々としたものではない。 ――目を輝かせ、言葉を惜しまぬほど楽しげに。
まるで会話の続きを思い出すように、止めどなく溢れ出る。
ヴェーラの胸がちくりと痛んだ。
(他の女の人の時とは…違う顔)
無意識に胸を押さえ、呼吸を整えようとする。
イーゴリが気づく様子のないことに、ほんの少し安堵しながら。
けれど高鳴る鼓動は、机の下に身を潜めたまま静まることはなかった。




